牧野涼子という人
牧野涼子、17歳、桜ヶ丘高校三年生。
成績優秀、品性方向、運動神経はよろしくないけど、それはそれで魅力の一つ。
内巻き黒髪ボブカットが似合う、お肌真っ白、お目々くりくりの美少女で、ほんわか可愛い雰囲気と、小柄なのに巨乳という、二次元から出てきたようなスタイルの持ち主。
両親共に有名小説家だという彼女は中学二年生の時、有名な小説新人賞を最年少で受賞し、一躍有名作家に。当時は話題作りだのコネだの言われていたが、地道に秀作を発表することで、現在は実力派の中堅作家という位置づけだ。
作家としての特徴は、推理小説としての論理的展開の面白さと、心理描写の繊細さのバランスが良いこと。大衆受けする作風で、幅広い年齢層にファンがいる。
そして、彼女と同じ高校に通う私、百瀬美波も彼女のファンなのである。
同じ高校だという接点を最大限に生かして、私はストーカー一歩手前レベルのファン活をしていた。
だからこそ、知っている。
牧野先輩は可愛い。
そして、素晴らしい人だ。
久世先輩と、これ以上ないほどお似合いだと思う。
はあ、とため息を一つ。
二限終わりの中休み、頬杖をついて、ぼんやりと窓の外を眺めると、銀杏の木に止まった小鳥と目が合った。ちょこんと首を傾げる小鳥は、姿形だけでなく、その自然な仕草までもが抜群に可愛くて、その憎たらしいくらい愛くるしい姿が、牧野先輩に重なった。
牧野先輩には裏がない。
その可愛らしさは、恐るべき事に全て天然なのだ。当然モテモテで、そのモテ度は氷の女王ことハンナちゃんと張るレベル。小説については賛否両論があるが、それでもこれだけ売れているのだから、公私ともに確実に勝ち組だ。
勝ち目、ないな。
一瞬でもそんなことを思ってしまったのがおこがましくなるほど、牧野先輩は完璧だ。
おっちょこちょいでドジっ子、なんていう、その可愛らしく不完全なところも含めて。
ねえ、小鳥、あなたはどうしてそんなに可愛いの?
心の中でそんなポエムみたいなことを呟いた時、ドン、という音とともに机がガタリと揺れた。目の前には目をつり上げて般若のような顔をした小町ちゃんが立っている。
「ねえ、美波。久世先輩と牧野先輩って……どういう関係なの?」
アハハ、と曖昧に笑ってから、私はもう一度、先ほどより大きなため息をついた。
だってそんなこと、私の方が聞きたいよ。
「んー、あのね、中学時代の先輩だって聞いてるよ。牧野先輩が賞取ったとき、久世先輩も、調べ物とか手伝ってたんだって」
久世先輩から、牧野先輩のことを聞いたのは、三日前のこと。その日以降、久世先輩が演劇部に行くようになったのをきっかけに、私は先輩と顔を合わせていない。
少しだけさみしい気持ちはあるけれど、心から良かったと思っている。
こんなもやもやした気持ちを抱えたまま、彼の前で笑う自信がない。
「本当にそれだけなの?」
前のめりになって聞かれても、本当のことは言えない。
だって先輩は……先輩が、「元恋人」という関係を秘密にするのは、牧野先輩を守るためなのだから。
*
「……秘密って、どうしてですか?」
大好きな人の元カノが、素晴らしすぎる人でした。
ショッキングすぎるその事実を知った直後でも、どうにか笑顔を保ててしまうのが、良いことなのか悪いことなのかはわからない。
だけど、困った時でも笑顔でやり過ごす、そういう癖が身についている私は、ぎこちない笑顔で笑いながら、先輩にそう尋ねた。
今の私があの時の私に思うのは、尋ねることができてえらい! というただそれだけだ。内容なんてどうでも良かった。会話をスムーズに進められれば、普通っぽく振る舞えれば、それだけで及第点だ。
「ほら、僕、モテるでしょ? 皆に知られたら、涼子、恨まれるんじゃないかなと思って」
いつもと変わらない久世先輩に、私もいつもと変わらないですよ、アピールをしながら(上手く出来ていたかは怪しいが)アハハと笑った。
「そ、そんな……今更じゃないですか? 先輩、その後、何人も付き合ってるし」
言いながら、自分の発言の誤りに気づいていた。
だけど、そう思いたかったのだ。
先輩は恋多き男で、今まで何人も付き合った女の子がいて、だけどそれは大した問題ではないのだと。私は恋人ではないけれど……特別なのだと。
ーー君は僕の、特別な、大事な子だから。
先輩はそう言ってくれたのだから。
だけど、その思い込みは、一瞬のうちに打ち砕かれる。
「んー、でも、他の元カノとは違うからさ。涼子とは……短い間だったけど、本気で付き合ってたし」
先輩に、本気で好きだった人がいた。
鉛の塊が落ちてきたように、ずん、と身体が重くなる。
一瞬だけ混乱して、その後、妙に冷静な気持ちで考える。
まあ、考えてみれば、当然のことだ。
先輩が周囲に対する興味を失ったのは、中学二年生の時で、それ以前は、結城くんや竜ちゃんから聞くには、普通の……いや、普通以上に、素敵な人だったらしい。
容姿は変わらず王子様みたいだったんだろうし、きっと今以上にモテたはずで、その中には、先輩が好きになる子だっていたんだろう。
いや、事実いたのだ。
先輩は牧野先輩という素敵女子が好きだったんだ。
ああ……やっぱりまだ、混乱してるかも
「当時もさ、周りには秘密にしてたんだ。だから、今更言いふらすまでもない」
困ったように笑う先輩は、もしかして、当時を思い出して、感傷的な気持ちになったりしているのだろうか?
そんなことを思ったら、思わず心のうちが溢れた。
「……私にも教えてくれなくて良かったのに」
「え?」
目を見開いた先輩を見て、はっとする。
私、今、すごく失礼なこと言ったよね?
「い、いえ! あの、だって、秘密ってどこからどう漏れるかわかりませんよ? 私がうっかり喋っちゃったらどうするんですか? 責任取れませんよ。つ、つまり、何を言いたいかというと……秘密を知るものは少なければ少ない方がいいんです!」
あまりの形相をしていたのだろう。
先輩はくすくすと笑いながら、私の頭を撫でる。
「……別に、美波ちゃんから漏れたとしたら、恨まないから大丈夫。秘密にしてるのも、僕の過剰な心配ってところがあるし。それに……何て言うか」
久世先輩は一旦言葉を切ってから、ゆっくりと続ける。
「美波ちゃんには、嘘つきたくないって思っちゃったんだよね。なんたって、家族だし? 大事な妹だから」
妹。
以前なら全く気にならない……どころか、嬉しかったはずの言葉だ。
先輩の特別だと確信できたし、愛情を感じることができた。
だけど、今は違う。
私は家族枠で、恋人枠にはなれないのだと、突きつけられる言葉。
ーー僕の特別の中に女の子はほとんどいない。
先輩は前にそう言っていた。
あの時は単純に喜んでいたけど、裏を返せば、「ほとんど」とは、複数いる、ということだ。
先輩にとって、私は家族枠。
だけど、そうではない、特別な女の子がいる。
元、ではあるが恋人である牧野先輩に、久世先輩は未だに好意を持ち、守ろうとしている。それは、彼女が……
「美波ちゃん? 大丈夫?」
心配そうに見つめられて、我に返る。
以前、先輩は私自身を心配しなかった。
心配するのは私のお菓子だけだった。
彼が私を大事に思ってくれているのは、確かなことなのだ。 なのにどうして……こんなにも贅沢になってしまうのだろうか?
「いえ、大丈夫です。……そうだ、先輩、明日から練習だし、お菓子は差し入れって形でお渡ししますね」
わたしは今思いついたという顔でそう言って、にこりと笑った。
差し入れのお菓子は小町ちゃんにことずけよう。
そんなことを思いながら。




