読者への挑戦!
「や、や……やったぁーーー!」
昼休み、沙織と一緒に教室でお弁当を食べていると、教室の片隅で雄たけびが上がった。
絶叫というほど大きくはないが、興奮がそのまま滲んだその声は、和やかなムードの教室ではよく目立つ。私と沙織は思わず目を合わせた後、同時に、声の主に目をやった。
「小町ちゃん?」
「うん、小町ちゃんだ」
小さく頷き合うと、教室の特等席、日当たりの良い廊下側の最後尾に座っている小町ちゃんを、もう一度まじまじと見つめる。
小町ちゃんはクラスの女子のリーダー格だ。
ギャル系の容姿で強気な女王様タイプの彼女は大抵つんとした澄まし顔をしているのだけど、今は違う。瞳は涙で潤み、頬は紅潮、椅子から立ち上がり、ガッツポーズを取っている拳はふるふると震えている。
綺麗に巻かれた明るい茶色の髪の毛が少しだけ乱れているのが新鮮で、何だかそれがとても綺麗に見えて、思わずじっと見入っていると、彼女が不意にこちらを見た。
不躾だったかな? 気を悪くしたのかも。
「あ、ごめ――」
「美波!」
慌てて口にした謝罪を遮るように、小町ちゃんは私の名前を呼んだ。
そのまま、つかつかとこちらへ歩み寄ってくる。
満足げな笑顔から鑑みるに、怒ってはいなさそうだけど、だとしたら、何なのだろう? 疑問を抱いた瞬間、いつの間にか、私の目の前にやってきていた小町ちゃんは、ついと一枚の紙きれを差し出した。
「私、やってやったのよ!」
「……う、うん?」
首を傾げながらもとりあえずそれを受け取った。
急いで紙面に目をやって、私はごくりと唾を飲む。
「これって、演劇部のやつ、だよね?」
ちらりと小町ちゃんを窺うと、彼女はにっこり笑って、自信満々に頷いた。
「そう、これで私が久世先輩の恋人役よ!」
*
ことの始まりは私がまだ久世先輩と出会う前、二か月前のことだ。
演劇部の発表会が行われたのは、夏休み真っ只中。
皆がわざわざ学校まで出向くのが億劫になるに決まってる、条件最悪のその日、だけど、ホールには、立ち見が出るほど大勢の生徒が集まっていた。そこには私もいたし、小町ちゃんもいた。
私の目的は推理劇の内容だ。
桜ケ丘高校の演劇部が演じる演劇は、全てオリジナルのもの。
脚本を書いているのは、牧野涼子先輩という、現役女子高生作家の先輩なのだ。先輩の書く物語は、魅力的なキャラクター、感情移入してしまう繊細な描写、予想できないラスト、と三拍子が揃っていて、とても面白い。私は小説を全て読破しているくらいのファンで、当然、演劇にも興味があった。
先輩が舞台で描く物語には、小説とはまた違った魅力がある。夏休み中だということは、見に行かない理由になんてならない。
しかし、小町ちゃんの目的は、私のそれとは違った。
「久世先輩、まじ、カッコいいね」
「……まあ、かなり演技うまいよね。あと、キャラクターにピッタリはまってる」
演劇部の特別キャストとして、久世先輩が出演していたのだ。
当時、彼と接点のなかった私は詳しい経緯を知らないが、先輩目当てのお客さんを期待して、演劇部から依頼され、先輩は、まあ多分、興味本位で引き受けただけなのだろう。
しかし、演劇部の思惑通り、彼の集客効果は絶大だった。普段は演劇など見に行かない層(小町ちゃんはここに含まれる)をごっそり集めて、チケットは演劇部始まって以来の売り上げを記録したらしい。
で、そこで演劇部が披露したのは、とある推理劇。
招待状によって、とある島に集められた五人の少年少女。訳アリの五人は、突如訪れた嵐の中、孤立してしまう。突如発生する怪奇現象、浮き彫りになる五人の過去、そして起こる殺人事件……という、ある種お決まりの内容だったのだけど、話の運びが絶妙だったのは、牧野先輩の書いた脚本だからだろう。
すっかり話に引き込まれた私は、ラストに向かって徐々に興奮が高まっていたのだが――
「……え?」
思わず呆けた声を出したのは、ストーリー半ば、これから解決編だろうというところで、幕が下りてしまったからだ。
「あれ? これで終わり?」
「変じゃない?」
「何かあったのかな?」
ざわざわと皆が騒ぎ出す中、幕は下りたまま、だけど照明も落ちたままである。
釈然としない思いを抱えたまま、立ち上がる気にもなれず、ただ呆然と舞台を眺めていると、つかつかと、フードを被った誰かが幕の前を歩き始めた。
ああ、これも演出の一環だったのか。
ほっとしたのは私だけではないのだろう。場は再びしんと静まり返り、視線は舞台の上の一人に集中する。
こげ茶色のフードを被っていた人物は、舞台の中央でぴたりと足を止めると、観客の方に顔を向け、仰々しい仕草でお辞儀をした。
そして、優雅な仕草でフードを取る。
「キャー!」
一斉に歓声が沸き上がったのは、出てきた顔がとても、とても、美しかったから。
そこには、暗い中、一筋のスポットライトを浴びた、久世先輩がにっこりと天使のような微笑みを浮かべていた。
「まず、一言お詫びを申し上げたい。観客の皆々様へ挑戦したく、わたくしはあの屋敷から、さらには舞台から、出てきてしまったのです」
久世先輩は、島の屋敷の主人、つまり、五人の若者を集めた不思議な人物を演じていた。神がかった力を持っていて、人間ではなさそうな気配を出していたが、それはこの演出のためでもあったのかもしれない。先輩はその神秘的な雰囲気をうまく演じていたけれど、それはともかく、挑戦とは、もしかして……
「さて皆々様、貴女方に、今回の謎が解けるでしょうか? 複雑に見えるこの事件ですが、全てを知ったわたくしから見れば、実に単純で愉快なものです。自ら紐解く作業は困難ですが、楽しいはず。舞台は一旦ここで終いに致しますので、この謎を自ら解き明かしてくださいませ」
茶目っ気のある笑顔を浮かべると先輩はもう一度お辞儀をし、颯爽と舞台を去った。
そして、幕は落ちたまま、照明がつく。
明るくなったホールは、しばらく静寂を保っていた。
*
「本格推理小説とかで、たまにあるの。読者への挑戦ってやつ。それを舞台で再現したんじゃないかなあ」
席から立ち上がりながら、「今のって、何?」と、小町ちゃんに聞かれ、私は苦笑いでそう言った。
小説で、事件の全てが終わった後、お話とは関係なく、作者からのメッセージとして挟まれる一ページ。解決編の前に一旦考えてみて、という内容で、小説でそれを読むのは私も好きなのだけど、演劇でやられるとなるとちょっとなあ。
だって、間が空きすぎない? 続き、いつやるの? すっごく気になるんだけど…… と、不満たらたらに思いながら、ちらりと隣の小町ちゃんを見て、彼女がそれほど不満そうには見えないことが不思議になる。
「それにしても、最後の久世先輩、カッコよかったね!」
突然笑顔でそう言われ、はっと気づく。
久世先輩を舞台に出したのって、あの尻切れトンボの内容への悪感情を防ぐ目的もあったのか。
今回の舞台を見に来ていた過半数は、内容重視の観衆ではなく、久世先輩のファンだ。先輩が最後にとびきりカッコいい姿で「お願い」すれば、それに反発する人は少ないはず。
制作物の「良さ」というのは、全体数のどれだけが満足するかによって決まる、と考えれば、久世先輩を使ったのは、単なる集客以上の、戦略的なものだったのだろう。
悶々と考えながら、ホールから退出しようとした瞬間、
「これ、どうぞー」
誘導していた演劇部のスタッフから、チラシを受け取った。
次回公演は、今回の続き、解決編です。
それまでに謎を解いてくださった方、演劇部に自らの謎解きをお送りください。
見事正解すれば、プレゼントがあります。
演劇部特製の粗品と、次回登場する、館当主の恋人役としての出演権です。(台詞は少ないので、初心者でも大丈夫ですよ!)
館当主の恋人になりたい方、ぜひ送ってくださいね!
「何、これ」
呆れ半分で呟いて、隣の小町ちゃんに笑いかけると、彼女は驚くほどらんらんとした目で私を見つめ、小さく頷いた。
「私、絶対に当ててみせるから!」
*
「これをきっかけに、久世先輩とお近づきになってやるわ! ってことで、美波、いや、義妹、頼むわよ!」
高らかに言って、小町ちゃんは不敵に笑う。
「……え、あ、うん」
苦笑いする私を、沙織が心配そうに見つめていた。




