表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名探偵は謎解きよりもスイーツをご所望です!  作者: 古浜夕
ラブ・パニック
48/52

再び、恋愛運無しの女

「そ、わかっただろ? 君は、昔の女の代わりにさせてるんだ。わかったら、早く手を切りなよ」


 眉間に皺のよった不機嫌な顔で言う先輩を、私はじっと見つめて、小さく息を吐く。


「……あ、あの」


 何? と問うように、先輩の眉がぴくりと動く。

 こんな表情でも、彫刻みたいにきれいだなあ、なんて場違いなことを思いながら、私はゆっくりと続ける。


「『代わり』の何が悪いんですか?」


 先輩が、「代わり」に嫌悪感を抱いていると勘づいてから、ずっと疑問に思っていたこと。

 もしかすると、先輩のトラウマに触れてしまうかも知れない、そう恐れながらも、聞かずにはいられなかった。


「私は『代わり』でもいいです。それで、大好きな人から大好きだと思ってもらえるのなら……必要だと感じてもらえるなら、『代わり』でも十分幸せです」


 先輩はまるで宇宙人でも見るような顔でしばらく見つめていたが、やがて、絞り出すような声で問う。


「屈辱的だと、思わないの?」

「すみません。思いません」


 私には先輩ほどの誇りはない。

 人に嫌われたくない、という思いが強くて、ご機嫌を取るためならいくらでも愛想笑いする。諍いが嫌いだから、それを逃れるためなら、いくらでもへこへこ頭を下げることができる。プライドがない、と先輩から蔑まれてもおかしくない女なのだ。

 先輩から嫌われたくはない。

 でも……それでも、私にも、譲れないものがある。


「私の好きは、自分の何をどう変えてでも、どんなものを捨ててでも構わないから、相手に好かれたいと思うほどの『好き』なんです」


 私は今、先輩が好きなのだ。

 認めるのが悔しいけど……恋愛的な意味で。

 視界に入るだけで鼓動が高鳴り、声を聞けば頬が熱くなる。触れて温もりを感じれば、それを他の誰にも渡したくないと心がひりひりと痛む。

 先輩も私を同じように思ってくれるならーー

 たとえそれが、誰の代わりでも、構わない。


「だから、『代わり』なんて、ちっとも気にならないです。蘇芳くんの事に対しても、先輩みたいに怒る気にはなれません」 

「君、ね」

 

 先輩は普段からは考えられない厳しい顔つきで私を見つめながら、吐き捨てるように言う。


「今のあいつは、昔の女を忘れている。だけど、真琴の味を忘れれば、思い出すよ。その時、奴は君を通して、昔の女を見るんだ。それでも構わないっていうの? ああ、それを防ぐために、君は菓子を食べさせるのか? 真心込めて作った菓子を、あの男に? 自分だけを見てもらうために? あんな男のために!」


 ドン、と作業台を叩いた先輩は、唇をぎゅっと噛みしめていた。


「……あの。先輩、勘違いしてると思うんですけど」


 私が恐る恐る口にすると、先輩は揺れる瞳を、ゆっくりこちらに向けた。


「私、別に蘇芳くんと付き合いませんよ?」


 一瞬の沈黙の後、先輩は間の抜けたな顔になる。


「は?」

「……怒ってないって言っただけで、付き合うなんて一言も言ってないじゃないですか?」

「でも、代わりで良いってーー」

「だって、好きじゃないですもん」


 先輩の言葉を遮るようにして、私は早口で言う。


「私、蘇芳くんのこと、好きじゃないです。いい人だとは思いますけど、恋愛感情はありません。さっきのは、好きだったら、『代わり』でもいいってことで……好きじゃないのにあえて『代わり』に収まろうとか思いませんよ」


 苦笑いすると、先輩はほっとしたような顔で「そうか」と小さく呟いた。それから思い出したように、口を開く。


「タイプって言ってなかったっけ?」

「タイプだからって、すぐさま好きになるほど、単純じゃありません。時にはタイプじゃない人を好きになって、やきもきすることも……あったりとか……」


 目の前の先輩を見つめながら消え入りそうな声で呟くが、普段は察しの良い先輩は私の気持ちに気づいた風はなかった。


「そうか、そうか。そうだよね」


 途端に明るい顔になった先輩が何だか憎たらしくて、私はぼそりと口にする。


「そうです。それに、先輩は『代わり』がダメってやけに口を酸っぱくして言いますけど、先輩こそ私を『代わり』にしてる』じゃないですか? 真琴さんの」


 瞬間、先輩の顔は真っ青になった。


「……あ」


 呆然と呟く先輩を見て、私は慌てて言う。


「いや、いいんですよ。私、さっきも言いましたが、『代わり』とか、どうでもいいので。先輩の役に立てたなら、それで十分なので!」


 ちょっとした嫌みのつもりだったのだ。先輩を傷つけたくはない。


「いや……ごめん」


 先輩は掠れ声で言ってから、小さく首を振る。


「良くない、よ。……いや、会ったばかりのころはそれでも良かった。だけど、今はそれじゃだめだ」

 

 はあ、と息を吐いてから、先輩は苦悶の表情で続ける。


「認めたくはないけど……僕は……君を特別だと思ってる、みたいなんだ。真琴の味は君が思い出させてくれたのに、おかしいとは思うんだけど」


 嬉しい。嬉しいけど……

 だけど、先輩は辛そうで、それがとても、悲しい。

 先輩を苦しめているのは、私なのだ。


「まあとにかく、その大事な君を『代わり』にはできない。今、言われて初めて、気づいたよ」


 先輩はそこまで言うと、困ったように微笑んだ。


「君にお菓子を作ることを、もう強制はしない。作りたいと時にだけ、作ってくれればいい。まあ、その時には、ぜひお裾分けしてほしいけど。もちろん、真琴の味じゃなくとも構わない。君の作った物が食べたいだけだから」


 真剣な声音から、先輩の本気が伝わってくる。

 でも、あれほどまでに、真琴さんのお菓子を欲していたのに……


「作りますよ。毎日。強制じゃなくても。私が、先輩に食べてほしいから」


 先輩が、好きだから。

 そう、続ける言う気はなかった。

 言葉の代わりに、先輩をじっと見つめると、彼は嬉しそうに笑って、「ありがとう」と言う。

 それから少し考えるようにして、


「むやみやたらに口説くのも、もうやめるよ。君を、他の女の子と同列に扱いたくはない。今までは……君が僕のものになったら、良いように利用できるって思ってた。だけど、もう、そんなことは思わないようにする」


 え?


「僕は君に、もう何も求めない。君は何をしてくれなくても、僕の大切な後輩だ」


 とても優しい、慈しみ深い、邪気のない笑顔だった。

 だけど、その美しい信頼が、今の私にとっては絶望だ。

 

 たとえ代わりでもいいから、好きな人に好かれたい。

 それほどの恋心なのに、先輩は私が「特別」だから、口説かないと言う。

 

「……やっぱり、毛利先輩の占い、めちゃくちゃ当たってる」


 ぼそりと呟くと、先輩は怪訝そうな顔をした。


「毛利に何言われたの?」

「恋愛運、最悪だって言われたんです」


 苦笑いで答えると、先輩は納得したように頷いた。


「ああ……君にはいつか、蘇芳なんかより、もっといい男が現れるよ。それまでは僕のところで可愛がられて。僕さ、ずっと妹がほしかったんだ」

「…………い、いもう、と?」

「うん。特別だって認めたら、言い様のない愛おしさが湧いてきた。これはもう、家族くらいにしか抱けないような愛情だと思う」


 とろけるような笑顔で言われて、私はびしりと固まってしまう。

 何だか、喜んでいいのか、悲めばいいのか、よくわからないな。


 ーーいつか、君の恋愛運が上がった時でいい。久世と付き合ってやってくれないか?


 ふと頭に浮かんだのは、いつかの毛利先輩の言葉。

 私の恋愛運が上がるのは、一体いつになるのだろう?

 そんなことを考えた時、


「美波ちゃん」


 先輩が私にぐっと近づいた。


「来週末、隣町のケーキビュッフェ、一緒に行かない?」


 それって、先輩が相手を募っていた、一流ホテルでのイベントだよね?

 っていうか、顔が、近いっ!


「み、みんなで、ですか?」

「違うよ」


 先輩はにっこりと微笑んで首を振る。


「二人きりで。君との時間を他の誰にも邪魔されたくない」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ