文句
「大丈夫です。久世先輩のこと、かっこいいとか、かっこわるいとか、そういう次元で見てないですから」
つんと顔を背ければ、怒った私が暴言を吐いたように見えるだろう。
本音を言わせてもらえば、好きな相手は、何をしててもかっこよく見えてしまうものなのだ、という意味なのだけど、それを悟られるのは流石に恥ずかしい。
って、こんなこと考える時点で、私はもう、先輩が好きだとすっかり認めてしまっているではないか。
苦笑いした瞬間、
「そうか」
先輩も私に同調したように、困り顔で笑った。
その、珍しい姿をちらりと見てから、私は小さく息を吐く。
「それに、先輩は、勘違いしてます」
そこまで言ってから、先輩をじっと見つめると、彼もまた、私を見つめ返した。
「勘違い?」
「はい。そうです。私は今も、沙織のことが好きですから」
きっぱり宣言すると、私はにっこりと笑ってみせる。
「沙織が自分のために、蘇芳くんと私をくっつけようとしていたとしても、そのために、蘇芳くんを私好みの男の子に仕立て上げていたとしても、です」
*
そう、気づいてしまえば、簡単なことだった。
沙織は久世先輩が好きで、その大好きな先輩が、私を口説いているのを見てしまった。当然、焦っただろうし(いくら私が否定しても、だ)、私を遠ざけたいと思うのも無理はない。そこで、彼女は私が他の男の子と付き合うことを望んだのだ。
蘇芳くんとの出会いに関しては、本当に偶然だと思う。
だけど、沙織はその、私と蘇芳くんとのたまたまの接点を利用した。ロンジー購入の際のあれこれは校内でかなり有名になったし、おそらくその一件を知っていた沙織が、うまく彼を言いくるめたのだろう。
蘇芳くんは、初対面の時とは大分印象が変わっていた。
それは沙織が、私のタイプに合わせて彼を変えたからだ。
素朴な黒髪、無邪気な笑顔、柔らかな人当たり、のんびりした雰囲気。
蘇芳くんが、タイプどんぴしゃだったのは当然だ。
誰よりも私のタイプを把握している沙織が、コーディネートしていたのだから。
そしておそらく、沙織は彼の容姿や雰囲気を変えるだけでなく、かける言葉やデートの内容をも、チェックしていたはずだ。
ーー百瀬さん、諸田の親友なんだろ?
ーー実は、もう店は予約してるんだよ。
誘いを断ろうとした時、かけられたあの絶妙な台詞は、沙織から、いざというときに使えと教えられていたのだろうし、
ーー百瀬さんの好きな飲茶が美味しい店、また予約するからさ。
飲茶が好きなんて話した覚えのない彼が、それを知っていたのは、沙織がそれを伝えたからなのだろう。
かつて彼は、私を誘ったその日に人気店を予約したと言っていた。あの言い方だとそれはおそらく飲茶の店で、私がずっと行きた買った店。沙織と再会したのはその後だったはずなのに、私に声をかけたあの日に既にそれを知っていたのは、彼が元から沙織と連絡を取っていたからに他ならない。
「親友の彼女から騙されて、裏切られて、それでも好きなの?」
久世先輩は絞り出すような声でそう言った。
私は彼の、ガラス玉のような瞳を見つめて、ゆっくりと首を振る。
「騙されましたが、裏切られてはいません」
沙織は確かに、私と蘇芳くんを無理矢理くっつけようとしていたし、その真相を隠していた。私は、彼女に騙されたのだと思う。
だけど、裏切られてはいない。
「沙織は本当に、蘇芳くんと私がお似合いだと、思っていたんだと思います。彼と付き合えば、私が幸せになれると、思っていたんだと思います」
蘇芳くんが私のことを本当に好きなのか、はたまた、沙織に話を聞いて、協力したのかはわからない。
だけど、彼はきっと、沙織が認めた良い男、なのだ。
もちろん、自分の恋愛に邪魔な私を、他の誰かとくっつけたいという、よこしまな感情はあっただろうが、だからといって、適当な相手に押しつけようとは思っていなかっただろう。
沙織は沙織なりに、私を幸せにできると考えていたわけで、それなら、私は裏切られたことにはならない。
目を見張って、じっと私を見つめている先輩に、私はさらに告げる。
「だけど先輩は、本当のことを知ったら、私がショックを受けると思った。沙織との関係がギクシャクして、大事にしていた立ち位置も失うかもしれないと心配してくれた」
私が学校で、居心地の良い立場を維持できているのは、唯一無二の親友である沙織がいるからだ。彼女が失われたら、私のクラスでの居場所は、途端に不安定になる。
「だからこそ、全部を隠したまま、蘇芳くんの誘いは断れと言った。そして、反抗する私への引き合いとして、沙織と付き合うっていう条件まで出したんですよね?」
毛利先輩から聞いた話では、久世先輩が女の子を求めるのは、寂しいから。そして、一人と深く思い合えないから、数で誤魔化している。
その彼が、好きというわけではない女の子、たった一人に絞ること。寂しさを埋められなくても、我慢すること。
それを決断したのは……私を大事に思ってくれているからだ。
先輩は私を恋愛的には好きではないのだろう。
だけど、自身に我慢を強いてまで、守ろうとしてくれている。幸せを願ってくれている。
それは、とても、とても、嬉しいことだ。
そう、涙が出そうなくらいに。
だから、私はここに来た。
先輩に、文句を言うために。
「先輩が沙織を好きで、それで彼女と付き合うならかまいません。だけど、好きでもないのに、私のためにそうするのは、嫌です。先輩が、幸せになれませんから」
小さく息を吐いて、皿に言う。
「先輩が私を大事にしてくれるのは嬉しいですけど、私だって、先輩が大事なんです」
少しの沈黙が落ちる。
意を決して口にしたというのに、何も言ってくれない彼にやきもきして、「久世先輩?」と名前を呼ぶと、彼は「ありがとう」と、はっとしたような顔で言って、
「君は、すごいね」
小さな声で呟いて、泣き笑いのような表情になる。
「僕はさ、昔、周りの、ほとんどの人から、裏切られたことがあって……すごく、すごく、ショックだったんだ。絶望したし、全員を嫌った。だけど、君は許しちゃう。すごいと、本当にすごいと、そう思うよ」
周りの、ほとんどの人から、裏切られた?
それはもしかして、かつて話していた「事件」のことだろうか?
先輩が真琴さんと取引した、あの事件。
「それは……私が、裏切られたと思ってないからですよ。裏切られたって感じたら、ショックを受けるのは当然だと思います。だから、先輩の心遣いは嬉しいです」
そこまで言ってから、私は一つ、疑問を思い出した。
「先輩って、どうして蘇芳くんが、嫌だったんですか?」
蘇芳くんは良い子だと思う。
沙織から聞いた話だけが理由じゃない。
実際に話してそう感じたし、タイプだった外見や雰囲気が、作られたものだと知っても、それでもそう思った。
「彼は、悪い奴じゃない。だけど、君を他の女の代わりにしようとしていた」
ぼそりと、小さな声で、言われた言葉の、意味がわからない。
「あの……」
「ごめん、はっきり言うよ。つまり、蘇芳准は、真琴の客だったことがある」
「なっ!」
続けられたその言葉に、驚きが隠せなかった。
「蘇芳准は、中学の時、恋人がいた。彼にとって、彼女は全てだ。誠実に向き合って、心から愛していたと聞いている」
沙織が知っているのは、その時代の彼だ。
だからこそ「真面目で一途」だと称していたのだろう。
「だけど、失った。それで真琴に、彼女を忘れたいと願ったんだ。引き替えに、今まで頑張ってきた空手を渡してまで、彼女の記憶を抹消したかったんだ。ーーだから今、蘇芳准は元恋人のことを覚えていない。だけど心には、残っている……と、思う」
「心?」
「そう、蘇芳准は、高校に入ってから、複数の女性と交際している。だけど、いつもきまって、何かが違う、とそう言って、別れているんだ。何が違うのか? 決まってる、愛していた元恋人と違うんだ。だけど、記憶がないから、それに気づけない」
確かに、それは沙織が、知るよしもない話だ。
だけど、私がもし彼を好きになり、付き合ったとしても、それで別れたとしても、別にそこまで危機的な状況にはならない気がする。
「私には、そこまでダメージないような気も……」
言いかけた私の言葉を遮るように、先輩が言う。
「嫌だったんだ! 一瞬でも、君を、他の誰かの身代わりとして使われるのが!」




