楽しいショッピング
「理由?」
尋ねた先輩に、私は笑顔で頷いた。
「はい。彼は私に、お礼がしたいそうで……」
そう、話は先日、文化部マーケットの時に遡る。
文化部マーケット二日目、お菓子が食べたいと駄々を捏ねる先輩に作り置きのマフィンを与えてどうにか説得し、ハンナちゃんと学内ショッピングを楽しんでいたあの時に。
*
「なにか、あじあんな、おようふくをかいたいです。ふつうにきられる、あじあんなおようふく、ありますか?」
というハンナちゃんの要望を汲んで、私たちは洋裁部の売り場を訪れた。
アジアンなお洋服、ということで、着物や浴衣、後はチャイナドレスや、アオザイ(作った人すごいな)なんかを見て回っていたのだが、どれもかなりの値段がした。
洋裁部は過去、何度も有名デザイナーを輩出したことがある、校内でも有名な部活だ。
活動のほとんどは個人作業、作りたいものを一人で作る、というシンプルなもの。そんなんで「部」に所属する意味はあるのか、と疑問に思うかもしれないが、これが、大いに「ある」のである。
まず、潤沢な活動資金のおかげで、最先端の器具が使い放題だし、布地を買うのにも補助が出る。そして、これが一番のメリットなのだが、部が持っているホームページを自由に使える。日に何万ものアクセスを誇るこのホームページで、作品を紹介、販売することができるのだ。ここで制作物が高く評価されれば、個人の実績が上がり、部での立場も上がる、という仕組みらしい。
そういうことだから、洋裁部は「皆で仲良く」という和気藹々とした雰囲気は一切なく、皆、何というか……「ガチ」なのだ。
ちなみに私がこうも詳しいのは、このぴりぴりした雰囲気が嫌で、退部した友人がいるからで、彼女によると、本気度が足りない自分のような半端物はすぐさま追い出されてしまう、ということだった。
つまり、価格が高いのも、その「ガチ」な部員が、お遊びでなく本気で作った制作物だから、相応の値段がする、というわけだ。
気軽には買えない品々をため息交じりに眺めること数回、たどり着いたのは、売り場の隅の隅、一人の無愛想な男の子がたった数枚の布きれを売っている場所だった。
布きれは、緑色の光沢がある生地で、何だかアジアンな雰囲気。遠目じゃよくわからないが、興味がそそられた。だけど、その前には既に一人、お客さんがいる。
たった一人ではあるけど、売り場が狭いのと、そのお客さんがかなり巨漢の女の子だというのがあって、入るのが少しためらわれる。
と、私たちの様子に気づいたらしい男の子が、お客さんに何かを口にして、追い払ってしまった。おそらく、輝く美貌の持ち主であるハンナちゃんにいい顔しようとしたのだろう。(彼女といると、男の子の態度が普段と全く違うのだ)
ありがたいけど……何かちょっと、嫌な感じ、かも。
「どうぞ」
と言われて、去って行く女の子と行き違いにスペースに入った時は、少しもやもやしていたのだけど、布きれを手に取って、開いた瞬間、抱いていた暗い感情は見事に消え去った。
「これ、素敵!」
慌てて値段を確認すると、「三百円」という洋裁部ではありえない値段が書かれていて、私の心はさらに弾んだ。
あらためて、まじまじと品を見る。
筒状の布に、セットで紐が置いてある、たった、それだけ。だけど、とても素敵だった。筒状の布は複数の柄物の布が縫い合わされているのだけど、そのセンスが素晴らしいのだ。合わせてある紐も、シンプルだけど、布地を引き立てる絶妙なものだ。
洋裁についてはよくわからないが、裏地の縫い目なんかを見るに、あんまり丁寧に作った品ではない、と思う。だけど、この値段なら十分だ。
「可愛いし、ハンナちゃんに似合いそう」
ハンナちゃんに見せると、彼女はひょいと首を傾げた。
「これは、なんですか? みためはあじあんですが」
確かに、一見では何かわからないだろう。しかし、私は知っている。
「これはね、ミャンマーの伝統的な衣服で、ロンジーっていうの。巻きスカートになるんだよ」
ロンジーのことを教えてくれたのは、真琴さんだ。
彼の家には、多国籍な雑貨や衣装がたくさんあった。世界各国を歩いて、ご当地スイーツを食べ歩いたことがあるらしく、その時収集したものだそうだ。
まあ、そういうことで、その収集物の中にロンジーもあったのだけど、私が気に入ると、彼はそれを「ちょっと小さいから、子供用かも」と、プレゼントしてくれたのだ。彼からもらった、お菓子以外の初めてのプレゼント、私にとっては思い出深い品だ。
「こう、筒状になってるから、簡単に着れるし、快適だよ。普段着として着ても可愛いと思う」
思えば、浴衣や着物を買っても、着付けを覚えなければ着られないし、普段使いには難しい。簡単に着られて、普通の洋服とも合わせられるロンジーは、最適な品に思えた。しかも、三百円。
「しちゃく、どこでできますか?」
ハンナちゃんが、嬉しそうに、売り主の男の子に尋ねた。
「試着室はあっちだけど……」
と、困り顔の男の子が指さした、カーテンを掛けられたスペースは、かなり混み合っている。ハンナちゃんは少しだけ考える素振りを見せた後、
「ここでいいです」
きっぱり言って、おもむろに、スカートを……脱い、だ?
「ちょっ」
私の制止も聞かずにぽいとスカートを放り投げたハンナちゃん。
「だいじょぶです」
と笑顔のわけは、スカートの下に短パンを履いているからだと思うのだが、彼女が履いているそれは、体育の時に履いているズボンではなく、それよりさらに短いホットパンツだった。
形の良いすらりとした足がむき出しになったその色っぽい格好に、周囲の生徒の視線が釘付けになっているのに、彼女は気づいていないのだろうか?
ああ、もう、どんどんギャラリーが増えている。
焦った私は、
「じゃあ、借りますね」
と、ロンジーを慌ててハンナちゃんに巻き付けた。
美しい御御足は隠れたものの、しかし、待ち受けていたのは予想外、いや、予想通りの結果だった。
「おおおーっ!」
ギャラリーが感嘆を上げたのは、彼女に、ロンジーがあまりにも似合っていたからだ。
深い緑色の光沢のある生地は、彼女の肌の白さを際立ているし、アジアンテイストな文様は、艶っぽさを演出している。そして何より、ぴったりと体にフィットするそのシルエットが彼女のスタイルの良さを際立たせ、女の私でも見とれるほど、美しく、色っぽいのだ。
「うん、すてきね」
ハンナちゃんはあっさり言ってから、ロンジーを購入。 その後、見ていたギャラリーがどっと押し寄せ、余っていた数枚のロンジーは奪い合いになってしまった。
*
「彼……蘇芳くんは、この一件で、部内での確固とした立場を確立したらしいんです。元々一定の実績があったみたいなんですが、最近はスランプ続きで、部内での評価もだだ下がりだったらしく、落ち込んでたって言ってました。だけど、このロンジーで、見事、返り咲いたって、喜んでて。それで、この一件のきっかけを作った私に、お礼として食事をご馳走したいっていうことなんです。だから、デートって言ったのは、蘇芳くんなりの洒落です。そういうことで、危険なんかありません」
そう、これは、デートとは名ばかりの、「お礼」なのだ。
竜ちゃんに事情を詳しく説明しておけば、こんな誤解は起きなかっただろうに。
と、少しだけ後悔しながら、苦笑すると、久世先輩は神妙な顔で私をじっと見た。
「君、本当にそれ、信じてるの?」




