デートのお誘い
「百瀬さん!」
放課後、竜ちゃんと一緒に買い出しに向かおうと廊下を歩いている時に、後ろから呼び止められた。
「はい?」
振り向くと、知らない男の子が立っている。
倶楽部に入ってから、知らない女の子に呼び止められるのは増えたけど、男の子からは初めてだ。
竜ちゃんが視線で「誰?」と聞いてきて、私はふるふると首を振って、「知らない人」とジェスチャーする。
「私に何か?」
尋ねると、彼は困ったように眉尻を下げた。
「僕のこと、覚えてませんか?」
「えっ?」
もう一度、まじまじと彼を見る。
少し長めの黒髪と切れ長の瞳の、和風な顔立ちの男の子だ。顔立ちは大人っぽいけど、無邪気な笑顔は可愛らしい雰囲気で、そのギャップが何とも魅力的、だと思う。彼のような男の子を、忘れたりはしない。
と、いうのは、何というか……率直に言うと、彼が、私のタイプを具現化したような男の子だからだ。私はこう、笑顔が可愛い男の子に弱い。結城くんもそうだし、初恋の人もそう。そんな、良い感じな男の子を忘れるわけーー
「あっ!」
思わず大きな声を出して、それから、恐る恐る、尋ねる。
「もしかして、洋裁部の方ですか?」
先日、ハンナちゃんと二人で文化部マーケットに参加した。
放課後、大ホールを貸し切って行われた文化部マーケットは、部ごとにシートを敷いて、フリーマーケットのような形で制作物を販売する。販売員はもちろん、部員。可愛いメイドさんの制服で客引きしたり、小さなお菓子をつけてくれたり、部によってサービスが違うのも面白い。
マーケットの開催は三日間、私たちが参加したのは、ハンナちゃんが園芸部のシフトから外れている(園芸部もお花などを販売しているのだ)二日目だ。陶芸部のお皿や、美術部のイラストをウインドーショッピングした後、私たちは洋裁部のお店で、可愛い巻きスカートを購入したのだ。
洋裁部の売り場はとても広くて、様々な衣服が売られていた。多分、衣服を作った制作者が、自分の作った品を売っていたのだと思うのだけど、彼は、あの時、私たちを対応してくれた男の子ではないだろうか?
いや、だけど……
「でも、随分、雰囲気違います、よね?」
あの時の彼は、明るい茶髪だった。さらには態度もつんつんしていて、近づきがたい印象だった気がするのだけど。
「いや、あの時はちょっと、嫌なことが続いて、やせぐれてて……素っ気ない対応しちゃって、すみません」
ぺこりと頭を下げられ、慌てて首を振る。
「いや、別に、大丈夫です」
「ありがとうございます。優しいんですね」
顔を上げた彼は優しく微笑むと、一呼吸置いて、言った。
「僕、七組の蘇芳准って言います。あの、良かったら、今度の休みに、僕とデートしませんか?」
恋の季節。
まさかそれが、この私にまで影響してくるとは、思いもしなかった。
*
「美波ちゃん、君って奴は、僕というものがありながら……どういうつもり?」
久世先輩からにっこり笑顔で尋ねられたのは、アップルパイをオーブンに入れたすぐ後のことだった。
蘇芳くんからデートに誘われた後、私はいつも通りに竜ちゃんと買い出しに行き、その後、部室を訪れ、お菓子を作った。しかし、どうにも作業に集中できず、ボールを落としたり、手を切りそうになったり、やけどしかけたりと、普段はしないような凡ミスを繰り返してしまったのだ。
いつもと同じように調理中の私を眺めていた久世先輩は、訝しげな顔をしたものの、何も言わずに部屋から出て行き、そして、完成まで後は待つだけ、という今になって戻ってきて、今に至る。
「えーっと、何のことですか?」
「誤魔化しても無駄。竜に聞いたよ。デートに誘われたらしいじゃないか」
先輩の顔は間違いなく笑顔だが、目だけは笑っていない。不機嫌なのが丸わかりだ。
っていうか、別に私は先輩と付き合ってるわけでも何でもないし、先輩はたくさんの女の子とデートしてるわけだし、そもそも、先輩は「私」個人に好意を持っているわけではないし……と、そこまで考えて、私は口を開く。
「大丈夫です。彼、お菓子を欲しがってるわけじゃないですから」
先輩が私を気にするのは、私が作るお菓子に執着しているからだ。お菓子を奪われる心配がないとわかれば、安心するだろう。
「君、僕を何だと思ってるのさ」
先輩は呆れたような声で言うと、前髪をくしゃりと書き上げて、私をじっと見つめる。
「よく知りもしない男から誘われて、デートに了承するなんて、何があるかわからないよ。危ないじゃないか」
心配してくれているのだ、とわかって、少しだけ胸が温かくなる。だけど、
「確かによく知らないけど、同級生ですから」
素性を知らない誰かならともかく、同じ学校の生徒だ。危ないも何もないと思うのだが。
「そんなことは関係ない。だって君は」
先輩はまくし立てるように言ってから、小さく息を吐き、ためらいがちに続ける。
「真琴が戻ってくる、場所だ」
「え?」
予期せぬ言葉に動揺している私を説得するように、久世先輩はゆっくりと言う。
「真琴はああ見えて、色んなところに影響力のある男だよ。アカネさんみたいに感謝している人もいれば、反対に、憎んでいる奴もいる。縋るように彼を求める者もいれば、力を利用したくて、近づきたい者もいる。君はふらふらしていて居所が掴めない彼の、貴重な手がかりだ。狙われる可能性は十分あるよ」
「…………」
先生がある意味「特別」な人だということは、わかっていた。だけど、そんな大げさな、という気持ちは拭えない。現に、今までだって危険な目に遭うことはなかったし、そもそも真琴さんを知る人物に会ったのは、久世先輩とアカネさんが初めてだ。
そんな私の考えを読んだのか、先輩は、はあ、と大きなため息をつく。
「真琴はおそらく、君の存在を、というか、彼にとって君が大事な存在であることを、誰にも知られていないと思う。彼の近くに君がいることを知っても、それはただの、ちょっと気まぐれに世話をしただけの女の子、そう思うだけ。僕だってそうだった」
っていうか、先輩って、真琴さんと私の関係を、どこまで知ってるの?
ーー彼は、戻るよ。
先輩がそう言ってくれた時、本当に嬉しかった。
だけど彼がそうできたのは、断言できるほどの情報を持っていたということだ。
先輩は、真琴さんの何を知っているのだろう。
そして、私のことも。
彼は一体どこまで……
「今の君が作ったお菓子を食べれば、君が真琴の特別だったってことは明白だよ」
思考を遮ったのは、久世先輩の凜とした声だ。
いつもの、脳をとろけさせるような甘い響きではなく、警鐘を鳴らし、感覚を研ぎ澄ませるような、固い声。
「お菓子?」
尋ねると、先輩は深く、頷く。
「そう、お菓子。わかるだろう? 君の作るお菓子は、真琴のものにそっくりだ」
その鋭いまなざしを見て、先輩は、私が気づいていることなど、とうの昔にわかっていたのだと、知る。
「先輩が……そう、気づいたようにですか?」
躊躇いながらも尋ねると、先輩は苦笑いで頷く。
「そうだよ」
一拍おいてから、
「君、調理部に所属していた頃、たまにお菓子を配っていただろう?」
調理部では、時折、他の部に依頼されて、お菓子を作っていた。たとえば、ボランティア部に頼まれて、訪問先の児童施設に配るためのクッキーを焼いたり、とか。
それを話した覚えはないけど、先輩なら調べていても不思議ではない(何せ初めに倶楽部に勧誘された時点で、色々調べられていたのだから)。
「それを食べた誰かが、私と真琴さんの関係に勘づいて、私を狙う、と?」
「理解が早くて助かるよ」
先輩はふっと笑ってから、真面目な顔で言う。
「よく知りもしないってことは、君の良いところも知らないってことだよ。それなのに、突然デートに誘うとか、わけがわかんない。怪しすぎる」
いや。
いやいや。
それ、よく知りもしない女の子(しかも複数同時に!)と、ほぼ、毎週末デートしてる、先輩が言う?
「ということで、デートはキャンセル。いいね?」
「ちょっと、ちょっと待ってください」
私が叫ぶように言うと、先輩は「何?」と不機嫌そうに聞き返す。
「大丈夫です、彼にはちゃんと、理由があるんですから」




