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名探偵は謎解きよりもスイーツをご所望です!  作者: 古浜夕
ラブ・パニック
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好きになっちゃった

 耳にふっと暖かな吐息がかかって、その瞬間、持っていた泡立て器を落としてしまう。


「ごめん、作業の邪魔になったね」


 床に落ちた泡立て器を拾いながら、久世先輩が苦笑いする。


「このままじゃ、タルトタタン、焦げ焦げになりますよ」


 手渡された泡立て器を洗いながら、ぼそりと呟くと、先輩は慌てたように、一歩、後ずさった。

 面白いこと大好き、人をからかうのも大好きな彼だけど、優先順位の一番は、美味しいお菓子を食べること、だ。調理中にからかって、私が失敗するのが嫌なのだろう。

 彼はにっこり微笑むと、何もしないよ、と伝えるように両手を挙げて、先ほどまで座っていたスチール椅子に座り直す。


「恋の季節って、普通、春のことを言いません?」


 カシャカシャと卵黄を溶きながら尋ねると、先輩は首を傾げて、にこりと笑う。


「どうして、春?」

「うーん、やっぱり、出会いの季節だし。温かくなって、気分も高まるから? あ、ほら、動物とかの発情期も春が多いらしいですよ」


 持ちうる限りの知識を披露すると、先輩は少し意地の悪い顔で、にやりと笑った。


「そりゃあ、人だって、やることやりたいだけなら、暑くも寒くもない春がやりやすいのかもしれないけどね」

「…………」

「人の恋、特に高校生の恋なんて、プラトニックなのも多いしね。体のことより、気持ちの問題が大きいものさ。つまり、イベント事が多い冬の前、少し肌寒くなるこの時期は、恋人を作りたいって思う人が多くなるみたいだよ。もちろん春だって、そう思う人はいると思うけど、今の季節はそれ以上だ」

「そうかも、しれませんね」


 これからの季節、クリスマスやお正月などのイベントが目白押しで、それらを恋人と楽しみたい人は多いはず。

 クリスマスには恋人とイルミネーションを見に行って、その帰りにロマンティックなディナーを楽しんで、手作りのケーキをプレゼントしたりして……とか、お正月にはとっておきの晴れ着でお洒落して、初詣で二人の今後の幸せをお願いする……とか、まあこれは、かつての私のささやかな妄想なんだけど。

 今となっては叶わないその妄想を、さして感傷的にもならずに思い出せることができることに、我ながらほっとして、思わず頬が緩んだ。


 私のかつての恋のお相手、結城くん、そしてその彼女、ハンナちゃんは、今はとても仲の良い友人だ。つい先日も、校内で開催された文化部マーケットーー文化部の制作物を販売するお祭りのようなものだーーで、ハンナちゃんとは二人で買い物を楽しんだ。彼女から結城くんへの話を聞いたけど、少しも悔しい気持ちは湧いてこなかった。


「君も、恋人がほしいって思う?」


 急に黙り込んだ私を不思議に思ったのか、先輩がのぞき込むように私を見る。


「え?」


 思わない、ことはない。

 新しい好きな人ができたら、いいなあと、そんなことくらいは思う。

 だけど、ここで肯定すれば、先輩が口説いてくるのは目に見えている。


「思いません」


 私が首を振ると、先輩はひょいと肩を竦めて、


「ちょっとは空気読んでくれないか」


 と、拗ねるように言った。


「お気遣いいただかなくても、大丈夫です。私、クリぼっちでも全然気にしないので。というか、今までのクリスマス、ほとんどクリぼっちだったんで」

「ちょっと、そんな寂しいこと、平気な顔で言うなよ」


 先輩は慌てたように言うけど、じゃあ、どういう顔して言えと言うのだろうか?

 

「先輩は、イベントが多いこれからの時期、もっと大変になりますね」


 先輩がよくやる週末のお出かけには、参加希望者が続出して、デートと言うより、何かのツアー、というか、ハーレム状態になっているが、クリスマスやお正月は「二人きり」を望まれることが多くなるんじゃないだろうか? 彼が今のままの、曖昧な関係を望んでいるなら、修羅場が訪れるに違いない。

 他人事のようにそんなことを思っていたその時の私は、その修羅場、に自分が巻き込まれるなんて、思ってもいなかったのである。


   *


「ねえ、美波。来週末の、久世先輩とのデート、私も参加したいんだけど」


 翌日の昼休み、昼食を食べて寛いでいたタイミングで、沙織がそう言い出した時、私は思わず固まってしまった。


「全員が参加できるわけじゃないんでしょ? でも、どうしても行きたいの。美波から口利いてもらうことってできないの?」


 窺うようにこちらを見つめる沙織の視線が突き刺さって、はっと我に返る。


「ちょっと待って。沙織、突然、どうしたの? どうしてあんなのに参加したいの?」


 私が倶楽部に入ってから、何回もデート企画が計画されているが、これまで沙織が参加したい、などと言い出したことはない。久世先輩を囲んで甘い物を食べるだけの会だから、楽しくないのは当然として、女同士の牽制合戦に巻き込まれるから、非常に疲れるのだ。

 メリットと言えば、先輩のおごりで甘い物が食べられることだけだけど、沙織は甘い物がそこまで好きでもないはずだ。


「どうしてって……」


 沙織は言いよどんでから、そっと私から目を逸らし、ぽつりと言う。


「先輩のこと、好きになっちゃったからだよ」


 永遠とも思える、沈黙の後、


「え、ええ、えええーーーっ!」


 思わず叫んだ。


「何で何で何でまたどうしてそんな馬鹿なこと思っちゃってるのっ?」


 前のめりになって尋ねると、沙織は力なく笑う。


「美波、嫌? 私が先輩を好きになったら」


 眉根をぐっと下げた、辛そうな笑顔を見ていられなくて、私は小さく首を振った。


「いやとか、そんなんじゃ、ないけど」

 

 正直言えば、嫌だ。

 先輩に恋したって、報われないのは目に見えている。

 ミーハーなだけの誰かとか、その場だけの恋人がほしい誰かなら、構わない。

 だけど、沙織は真面目な女の子だ。大事な大事な親友が、傷つく姿は見たくない。


「びっくりしたの。今までそんな素振り、見せなかったから。いつ、好きになったの?」


 どうやって、沙織を止めようと、それだけを考えながら、話を続ける。


「うーん、いつっていうか、いつの間に、かな? ほら、美波が倶楽部に入って、先輩と直接喋る機会があったし、それに、美波から先輩の話聞くことも多いから、身近に感じるようになって」


 直接喋ると言っても挨拶程度だし、私が話す先輩の事って、ほとんどが愚痴じゃない?


「え、えっと……そう、なんだ」


 思わず渋面してしまったのが良くなかったのだろう。沙織は私をじっと見つめて、心配そうに言った。


「やっぱり、嫌なんだ」

「そんなことないよ!」


 うまくいくなら、先輩がきちんと沙織と向き合ってくれるなら、嫌じゃない。先輩は一度懐に入れた相手には誠実で優しいと、私はもう知っている。沙織が彼に、三年前までに出会っていたら、私は彼女を応援しただろう。


「じゃあ、応援してくれる?」


 にっこりと、沙織は笑った。


「えーっと」

 

 往生際悪く、言葉を濁す私に、とどめを刺すように、朗らかに言う。


「私たち、親友だもんね」


 恋の季節。

 昨日の先輩の甘い声が、耳を掠めた気がした。


 


 

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