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名探偵は謎解きよりもスイーツをご所望です!  作者: 古浜夕
とくべつなひと
32/52

恋じゃないけど

「俺はお前と違う。『良い奴』でいたかったんだよ!」


 しんと静まり返った教室で、口を開いたのは久世先輩だった。


「そうだね、僕と君は違う。俺は他人に良い奴だと思ってほしいとは思わない。どうでもいいからさ。だけど君は……」


 視線を受けた黒瀬先輩は、泣き笑いのような顔になり……


「俺は、みんなが……好きだから」

 絞り出すような声がその場に響き、応じるように、生徒たちが黒瀬くんの周りに集まる。


「……お前だけを頼って、悪かった」

「俺たちが追い詰めてたんだよな」

「黒瀬くん……私もふらふらしててごめん。本気で好きなのは、黒瀬くんだけだよ?」


 そして、そんなしんみりムードを気にも留めずに、久世先輩はにこやかに笑う。


「じゃ、僕たちはこれで」


 私はその後に続きながら、唇をぎゅっと噛みしめていた。


   *


「先輩、どうして初めから、本当のこと話さなかったんですか?」


 部室に戻ると、竜ちゃんと毛利先輩に、見回りを交代する。

 お菓子の用意をしてソファーに座ると、私は久世先輩をじっと見つめて、強く尋ねた。


「最初から、全部わかってたんですよね?」


 距離を詰めると、久世先輩はきょとんと首を傾げる。


「……美波ちゃん、何か怒ってる?」

「怒ってます!」

「どうして?」

「どうしてって……」


 言葉を切ってから、小さく息を吐き、ゆっくりと続ける。


「だって、久世先輩が損しすぎだから……」


 そうだ、先輩は何もわるくない。

 わるくないのに……


「初めから、責められっぱなしで、まるきり損してたじゃないですか?」


 今思えば、久世先輩は、黒瀬先輩の企みに気づきつつ、それに乗ってあげていたのだ。

そしてクラスの人たちは、黒瀬先輩の思惑通り、久世先輩に怒りを向けていた。

 血も涙もない酷い奴だと思っていただろう。

 情けないことに、私もそう思った。


 違ったのに。

 全然違うのに!


「まあね。別に気にしないから、いっかなーって思って。ほら、言ったでしょ? 僕、人のことどうでもいいし」


 怒り心頭の私とは違い、久世先輩はあははと軽い調子で笑う。


「どうでもいいって……じゃあ、全てを暴いて、黒瀬先輩を悪者にしてもいいじゃないですか? お前のたくらみはお見通しだぜ! 恥ずかしいだろう、恥ずかしいだろう! 的なこと言っても良かったじゃないですか!」

「……美波ちゃん、君って実はSなの?」

「知りませんよ、そんなの! 私は、先輩が優しすぎるから……」


 尻すぼみにそう言うと、久世先輩は力なく笑う。


「そうだな……どうでも良い相手だと、人は意外と善人になれるものだよ?」


 そう言った久世先輩は驚くほど優しい顔をしていて……それが何だかとてつもなく寂しく思えてしまった。


「たとえばさ、テレビで戦争や飢餓に苦しむ、恵まれない子どもたちの特集やってたら、可哀想だな、助けてあげたいな、幸せになってほしいな、って素直に思えるだろ? 関係ないからこそ、純粋に、何の思惑もなく、簡単に幸せを願える。だけど、その想いには熱がない。彼らが悲惨な運命を辿ろうと、胸が痛むことのない程度の楽な想いだ。だけど、良いところも悪いところもある、人間らしい隣人が苦しんでいる時、同じように思える?」


 久世先輩の言うことは、わかる。


 もちろん、助けたいとは思うだろう。だけど、その人から意地悪されたことがあるなら、いい気味だと思うかもしれないし、自分が好きな相手だったら、何とかしたくて、したすぎて、胸が苦しくなると思う。


「だから、僕は簡単に幸福を願えるんだ。そして、その逆もまたしかり」


 先輩が静かに言って、瞳を伏せる。


 久世先輩は、黒瀬先輩を「英雄」にするために、自己を犠牲にして企みに乗ってあげた。

 だけど一方で、先輩は善を罰し、悪を優遇する。

 どうでもいいから、それだけの理由で、人の幸福を簡単に願い、人が不幸になるのを許容する。


「…………」


 何も言えずに黙っていると、先輩がふと微笑んだ。


「美波ちゃんって、本当に良い子だね」


 ぽんと頭に手を乗せらたら、何だか恥ずかしくてたまらなくて、誤魔化すように浮かんだ疑問を聞いてみる。


「でも先輩、どうして突然、全部をばらす気になったんです?」

 最後は丸く収めたとはいえ、(実は私はそれもちょっと優しすぎる気がするのだ。だって黒瀬先輩

は久世先輩を利用しようとしてたのに、最後までいいとこ取りじゃん!)今まで企みに乗ってあげる気だったのを、いきなり覆した理由がわからない。

 だけど、先輩は当然のように言った。


「そんなの、美波ちゃんを侮辱したからに決まってるじゃん」

「え?」

「あいつ、美波ちゃんのことを心がないって言っただろ? こおんなに優しいのにさ」


 くしゃくしゃと、幼子にするように頭を撫でる久世先輩を、じっと見つめることしかできなかった。


「私の……ため?」

「そ、だって美波ちゃんは、僕にとって、どうでもよくない子だし?」


 他人の全も悪も、決めるのは気分次第。

 心が少しも動かされないという先輩が、私のためなら意思を持つ。

 それって、それって……!


「……先輩にとって、私は一応……特別枠、なんですか?」


 嬉しいと、素直にそう思った。


「もちろん、今更何言ってるの?」

「だって、侮辱されても……いつも通りお菓子は作れますよ?」

「んー、それはそうだけど……だけど、やっぱり嫌だよ。君が悪く言われるのはさ」


 先輩は照れたように言って、ぎこちなく笑った。


 朝から何度も見た、完璧な微笑みではない、少しだけ困ったようなその笑顔が何よりも嬉しくて、私は思わず立ち上がる。


「先輩……私、今から先輩の好きな、ダンプフヌーデルン、作ります。前にハンナちゃんに習ったので」

「え、いいの?」

「いいんです! 作ります!」

「ありがとう、美波ちゃん! 大好き!」


 もう……お願いだから、近づかないで。

 すごく良い匂いがして、くらくらするから……


 必死の努力で頭を無にしていると、先輩が耳元で甘く囁いた。


「大好きな君にプレゼント。学際後にね、キッチンがリニューアル改装されるよ?」

「え?」


 思いもしない情報にぽかんと口を開けると、久世先輩がにこりと笑った。


「きれいなキッチンじゃないと嫌なんでしょ? ここ、調理室よりだいぶ古いからきれいにしようと思って」


 それは確か、倶楽部に入りたくなかった初めのころ、無理やりこじつけた「ここが嫌」な理由で……


「ずっと改装したかったんだけど、生徒会の許可がないとできないって言われてさ。今回、仕事を引き受けるご褒美に許可をもらった。美波ちゃん、これでずっと、ここにいてくれるよね?」


 何それ、何それ、何それ……!

 倶楽部活動の理由は、私のためだったってこと?


 間近に見る微笑みは完璧で、人間離れした美しさだけれど、壁はもう感じない。

 だって、そんなの一瞬にして崩れ去った。


 理由は二つ、先輩にとって、私が壁の内側にある存在だから。

 その理由が、お菓子を作れる女の子、だとしても、嬉しいものは嬉しいのだ。

 そして……私にとっても先輩が、特別だから。


 もちろんそれは、恋じゃないけど。…………恋じゃないけどね! 

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