英雄
「は? 真子のどこが面倒なの?」
「面倒以外の何物でもないでしょ? 君のことは本気で好きらしいのに、男遊びはやめられない。いい男は囲っときたいし、ちょっかい出したいし、出されたい。美波ちゃんの話は、いかにもあり得た『もしも』だったと思うけど?」
「あり得た、かもしれなくても、なかったことだ。それを、事実のように話すなんて気が知れないよ。彼女、君と一緒で、人の心がわからないの?」
嘲るように黒瀬先輩が笑ったその時、久世先輩の笑顔が固まった。
「…………僕と美波ちゃんを一緒にしないでくれる?」
その言葉がどういう意味なのか、正直分からなかった。
いつもの自意識過剰の先輩から考えると、僕と美波ちゃん「なんか」を一緒にしないでくれる? と、そう取るのが普通だと思う。
だけどその時のその響きは、僕「なんか」と美波ちゃんを一緒にしないでくれる? と、どうしてもそう聞こえてしまった。
だけど、どうして、と考える暇もなく、先輩は言う。
「黒瀬、俺は君を罰するよ?」
にんまりと笑った後、久世先輩は続ける。
「みんな、これは出来レースだ。黒瀬は君たち全員を騙していた」
その言葉の意味を理解できた人物は、おそらく一人もいなかった。
だけど、「騙していた」という言葉のインパクトで、場は徐々にざわめく。
やがて視線と共に集まった全員の疑問に、久世先輩は抑揚をつけた芝居口調で答えを返す。
「黒瀬とあの男はグルだ。このトラブルは、予め計算されていたことだった」
ど、どういうこと?
視線を向けると、久世先輩は私ににこりと微笑んだ。
「黒瀬は人気者だ。この雰囲気の良いカフェを見る限り、企画力がある。客を呼べる人望もある。模擬店の部門別投票の上位を狙えるのは、黒瀬の力が大きい。彼はクラスのみんなにとって、ヒーローかもしれない。こいつがいれば大丈夫、そういう存在で、短所は女の趣味が悪いことだけ」
それはあまりにも水谷さんに失礼……って、先輩も彼女とのデートに乗り気だったじゃあないですか。
呆然としていると、生徒の一人が怒鳴るように言った。
「言いがかりつけるなよ! どうして黒瀬がそんなことする必要があるんだ」
それは当然の疑問だった。
クラスのほぼ全員も、それに同意するかのように、久世先輩を睨む。
だけど久世先輩はにこやかな笑みを崩さない。
「英雄は、生涯英雄でいたがるものだ」
ね、黒瀬?
と、視線を向けられた黒瀬先輩は黙ったまま、肯定も否定もしなかった。
久世先輩はなおも続ける。
「このクラスのカフェは確かに上位を狙えるくらい人気があった。だけど、一番になれる可能性は限りなく低い。競合はたくさんあるからね。それは至極当然のことなんだけど……クラスのみんなは黒瀬がいるからできる、と何の根拠もないことを言う。そして黒瀬はヒーローらしくそれを叶えたいと思うわけだ。だけど、絶対になんて、無理に決まってるよね」
にこっと、久世先輩は笑うと、それから声を低くする。
「だけど、ただ負けるのは格好悪い。それなら……華麗なる退場シーンを、と黒瀬は考えた。ヒーローは散り際も格好良くなければ、とね。悪役と戦って、自らを犠牲に恋人と仲間を守る、うん、いかにもなシーンだよね? 一番は取れなかったけど、ヒーローが退場したから仕方ない。ヒーローがいたら、きっと一番が取れただろう。だけど、ヒーローは僕たちのために戦ってくれたんだから……こういうシナリオ、どう思う?」
確かに筋は通っている。
私は黒瀬先輩のことを知らないけれど、あり得るかあり得ないか、の二択で言うなら、十分あり得ることだと思う。だけどそれでは、水谷さんに言いがかりをつけた私と同じだ。
「勝手な妄想で、黒瀬くんを侮辱しないでよね」
非難めいた声で水谷さんが言うのももっとも……だけど、先輩が私と同レベルなはずはなく……
「どうして君が、あの男から長い時間うざがらみされたと思う? 黒瀬が僕を待っていたからだよ。僕、少し時間に遅れちゃったんだよね。黒瀬は生徒会の一員だから、僕のスケジュールを知っていた。それで、僕が来るタイミングに合わせて、事を荒げようと思ったわけ」
久世先輩は水谷さんに笑顔で語る。
「え?」
「その男と黒瀬のトラブルは、このタイミングで発生しなかったら、君たちによって秘匿されていたはずだ。黒瀬を守りたいという一心で、このクラスは団結しているようだからね。だけど、たまたま僕が通りがかったタイミングで、事が起きた。僕に事態を知らせるみたいに大声で騒いだだけじゃなく、男はわざとらしく僕にぶつかってきたよ。偶然だと思う?」
「そ、それは……」
「念のために言っておくと、黒瀬は君が大好きみたいだから、自分に惚れ直させたかったんじゃないかな? 僕なんかにうつつを抜かそうとするから、焼きもち焼いてるんだよ。悪い男から頼もしく救う恋人、なんて鉄板じゃん」
「え、あ、あの……」
水谷さんは黒瀬先輩をちらりと見るが、やはり彼は何も言わない。
だけど、強張ったその表情が、全てを物語っている。
「まだまあ証拠はあるよ? 決定的なのは、さっきの彼が、ちゃんと着替えを準備してたことだ。濡らされるのがわかってたかのようにね」
そう言えば、彼が持っていた鞄――私にぶつかったそれはふわふわで、ぶつかってもちっとも痛くなかった。あれは着替え用の衣服だったのか。
「そしてこれは推測だけど……君には松林生の従兄がいるよね? ある線から聞いた話によると、すごく仲が良いらしい。こういう姑息な相談にも乗ってくれるんじゃないかな?」
しばらく重苦しい沈黙が落ちた後、
「そうだよ」
黒瀬先輩が、ぼそりと呟いた。




