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名探偵は謎解きよりもスイーツをご所望です!  作者: 古浜夕
とくべつなひと
29/52

黒瀬先輩

「わっ!」


 目の前の教室から私服姿の男の子が飛び出してきて、久世先輩に勢いよくぶつかった。

 しかしよろめいたのは男の子の方で、体制を崩すと、私の方に倒れ込む。


「美波ちゃん! 大丈夫?」

「……はい、ぶつかったのはふわふわの……鞄? なので……」


 先輩は私を支えながら、既に小さくなってしまった男の子の背中を見つめ、「なんだ、あれ?」と、ぼそりと呟いた。


 その後、教室を一瞥し、にこりと笑う。


「ね、入ってみよっか?」


   *


 入ったのは、二年一組の教室。

 どうやらここもカフェをやっているらしい。


 クラスを見回すと、ここ数日で顔見知りになった久世先輩のファンたちが数名いて、先輩は微笑み、私もぺこりと頭を下げた。


「で、随分騒がしいけど、どんなトラブル?」


 久世先輩が尋ねると、顔見知りらしい男子生徒が事情を説明し始める。

 そしてそれを聞いた久世先輩は……


「はいはあい、悪いのは君だね。黒瀬、ほおら、反省室に行こっか?」


 と、一人の男子生徒の肩を叩いた。

 次の瞬間――


「はあー! 久世、今の話の何聞いてたの?」

「黒瀬は何も悪くない!」

「そうだよ、いくら久世くんでも、それはちょっと……」


 クラスのほぼ全員が鋭い視線をこちらに向けて、一斉にブーイングした。


 久世先輩は飄々としているが、私は少し、いやかなり驚いた。

 今までのトラブルでは、ここまで全員が一致団結して反抗することはなかったから。

 久世先輩のカリスマ性は割と絶大なのだ。


「だって、黒瀬、どこからどう聞いてもルール違反してるしね」


 まあ、確かにそうだけど、でも……!

 と、先ほど一緒に話を聞いただけの私ですら、そう思ってしまう。

 それくらい、黒瀬先輩は可哀想なほど、どこまでも「善」だった。


「でも、あっちが悪いんですよ! ……黒瀬が水をぶっかけたくなる気持ちもわかってください!」

「だーめ、文化祭のルールって冊子、ちゃんと読んでるよね? 向こうはルールを破ってない、黒瀬はやぶってる。ってことで、反省室にGO!」


 先輩の空気を読まない明るい声に、クラスの生徒たちは怒りMAXといった雰囲気だけど、当事者である黒瀬先輩は穏やかに笑う。


「いいよ、みんな。久世の言うことは正しい」

「……黒瀬」

「お前は悪くないのに」


 しんみりしたムードが漂ったところで、今、この場がどういう状況か、解説するとしよう。


 とりあえずの加害者は先輩に連行されている男子生徒……黒瀬先輩だ。


 黒瀬先輩はクラスで開いている喫茶店に客として来店した他校の男子生徒にコップの水をぶっかけた。ちなみに「馬鹿なことしてないで、さっさと出ていけ」と暴言も吐いた。


 それは確かに悪いことで、久世先輩もそれを責めている。


 だけど、彼がそんなことをしたのには、それなりの理由がある。

 黒瀬くんが水をかけた他校の男は、黒瀬くんの彼女、水谷さんに嫌がらせをし、さらには無茶苦茶騒いで、喫茶店を無粋な空間にしたのだ。


 ちなみにこの水谷さん、久世先輩のファンでもあり、私も顔見知りというか、何度も話した仲というか……何かもうあれなのだけど、それはともかく置いておく。


 話を戻すと、男は一番端の席を陣取って喫茶店に長居して、水谷さんが来るたびとんでもない量の注文をし、間違えたらグチグチと嫌味を言った。泣きついてきた彼女をかばうようにして、黒瀬くんが注意したところ、「しょうもねえ女といちゃついてんじゃねえよ!」と、男が切れて大声を上げたと、そういう流れなのだ。


「あの男が悪いのに、この場を見ていた人に、多数決取ってみてくださいよ」


 生徒の一人が主張すると、久世先輩ははあ、と大げさなため息をつく。


「だーかーら、そういうことじゃないの。文化祭では、このルールブックが法律代わり。あの人、別に暴力振るったわけじゃないでしょ? お金払わず食い逃げしたわけじゃないでしょ? ルールブックには、長居したらだめとも、たくさん注文したらだめとも、愚痴ったらだめとも書いてないの。だけど、物理的被害を与えるのはだめ」


 久世先輩の言うことはわかる。

 どんな理由があっても人を殺せば罰される、そういうことだ。


 先輩は今までもその論理で数々のトラブルを裁いてきた。

 だけど、この場のほとんどは黒瀬先輩に同情的なわけで……


「……本当に黒瀬は悪くないんです。許してやってくれませんか?」

「今日のこの模擬店、黒瀬が頑張ってくれたおかげで……人気投票のカフェ分野で一位を狙えそうなんですよ! だけど黒瀬がいなくなったら、終わりです」

「そうだよ……黒瀬がいなかったら、絶対無理。客呼べんのも、回せんのも、黒瀬だけだもん。黒瀬が連行された瞬間、隣のクラスのカフェに負けちまう」

「それに、黒瀬がいなくなったら、楽しくもないし」

「みんな……」


 黒瀬先輩は素敵な人だ。


 久世先輩ほどではないけれど、生徒会に入っているから有名で、そつなくできる先輩として、後輩の間では一定の人気がある。真面目で優秀、頼りがいのある彼のことが、みんな大好きだ。


 ここで先輩が諭されたら、「良かったね」コールが鳴り響き、涙涙のハッピーエンドなんだろうけど……


「だめなものは、だーめ。反省室で説教受けたら解放されるから、我慢しなよ」


 責めるような周囲の視線を意に介さず、久世先輩はぐいと黒瀬先輩の腕を引っ張った。


「ここで抵抗したら、どうなるかわかる? 今日の俺、生徒にどんな罰でも与えていい権限持ってるんだ」


 と、にこりと笑顔で脅すことも忘れない。


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