忖度無し
「はいはあい、どうしたの?」
教室の前で言い合う二人の男子生徒を引きはがしながら、先輩は朗らかな声でそう尋ねた。
「……わ、久世先輩」
「……え、久世先輩」
二人の生徒が同時に呟いて、その後、同時に嫌な顔をした。
仲が良いのか悪いのかまるでわからない。
「それで、何でケンカしてたの? 僕、今日はトラブルの仲介役なんだ。説明してくれる?」
先輩が有無を言わせぬ笑顔でポンと肩を叩くと、男子生徒はしぶしぶ話し始める。
「こいつが、うちの店のアイデアをパクったんですよ。それで、客が取られちゃって……」
はあ、と大きなため息をついて、もう一人の男子生徒をじろりと睨むと、彼は不服そうな顔で「はあ?」と、挑むように言う。
「取られるのは、そっちの店のクオリティが低いからだろ! 俺の店のせいじゃない」
「そうだけど、うちしかなかったら、うちに客が入ってたじゃんか」
「はっ、入ってたとは思えないね」
ケンカを続ける男子二人を横目に、奥に並んだ教室の中を覗き込み、ようやく状況を把握した。
二人はそれぞれ、バスケ部とバレー部の生徒なのだろう。
そしてそのバスケ部、バレー部ともにカフェを出しているが、お客さんはバスケ部に集中している。そしてここが肝心なのだと思うけれど……
「仕方ないんじゃない? バスケ部の執事の方が、顔がいいし」
久世先輩は邪気がない笑顔でそう言って、バレー部の彼の肩を叩いた。
そう、バレー部とバスケ部が出しているのは、ただのカフェではなく、執事カフェなのだ。
バレー部の彼が言うアイデアとは、多分「執事」要素のことで、それをバスケ部が真似して、イケメン部員に接客させることで、お客さんを総取りしたのだろう。
ちなみにバスケ部のカフェでは、横尾くんがめちゃくちゃ頑張っている。
床に膝を付き、マダムっぽいご婦人の手を取り、頭を垂れたかと思えば、若いお姉さんの一声で軽やかに踊り出し、その後、慌ただしくケーキセットを持ってきて、いかにも執事っぽくケーキの説明をしている。
いやもう、本当にすごく、感心するほど頑張っている。(そういえば、教室で、「試合の無念を学際にぶつけるぜええ!」と言っていたのを聞いた。
というのは置いておいて、横尾くんを筆頭に、イケメン揃いのバスケ部とは違い、バレー部のメンツはどう見ても……イケメンとは言い難い。というか全くイケてない。いや、これは完全に好みの問題だけれど。
「でも、俺たちは……無類の執事好きの奈美ちゃん、部長の妹さんに喜んでほしかっただけなんです。病弱で、なかなか学校に来れない彼女が少しでも学際を楽しんでくれたらと、そう思ったんです。すごく、いい子なんです。試合前に手作りクッキー差し入れてくれたり、試合に負けて精神的に落ち込んでる部員を励ましてくれたり……選手女っ毛のないうちの部員たちの唯一の癒しだった奈美ちゃんを、俺たちの手で喜ばせたかったのにっ!」
「…………」
無類の執事好き、というパワーワードから、まさかこんな良い話風の落ちに繋がるなんて思いもしなかった。イケてないなんて思ってごめんなさい。心の中で深く謝罪している私とは裏腹に、先輩はこちらに向かってにっこり笑って「ねえ、君も執事、好き?」と首を傾げている。
「お前たちの事情なんざ俺たちは関係ねえ! ただ売り上げあげて、学際カフェ部門でトップになって、賞金でウハウハ打ち上げ行きたいんだよ!」
はは、と悪役よろしく笑うのは、バスケ部員だ。
……事情を聞くと、本当に最低だな。
さっき一瞬、横尾くんを見直しかけたのが悔しくなってきた。
「別にいいじゃん! その奈美ちゃん、しっかり楽しんでるだろ? うちの店で」
え……奈美ちゃん、バスケ部員の方に入っちゃったんだ。まあ気持ちはわからないでもないけど。
「自分たちの手で喜ばせたかったんだよ!」
「お前たちじゃテンション上がらねえからうちに入ってんだろうが。喜ばせてやったこと、逆に感謝しろ」
「そもそも隣でやるってわかってたんだから、被せるとか嫌がらせ以外の何物でもないだろ!」
「周囲の店を一網打尽にするのが楽しいんだよ!」
話を聞けば聞くほど、バスケ部の性格の悪さが明らかになる。
顔は確かに良いけれど、これはだめだ。
私たちは調停役、ここはバレー部の味方をして――
「うーん、悪いのはバレー部の方かな?」
久世先輩の突然の一言に、目が点になってしまう。
「……先輩?」
そっと瞳を覗き込むと、先輩はにこにこと、いつもの笑顔で小さく頷いた。
「学際ルールではね、アイデアが重なることに対するルールはない。隣五つの教室が全部執事カフェだって問題はない。だけど、それを理由に食って掛かるのは問題あり。これはルール違反だね」
つらつらと言いながら、先輩はバレー部員の肩をぽんと叩く。
バレー部員は泣き出しそうな顔でこちらを見つめるけれど……
「謝ったら許してくれそうだし、素直にごめんなさいして? できないなら、反省室に連行。どうする?」
先輩は尋ねると、にっこりと天使のように笑った。
*
久世先輩はその後も校内を回りながらトラブルに介入し、きっぱりさっぱりトラブルに白黒つけて、「悪い方」に制裁を与えた。
可哀想な方、ではなく悪い方。
同情すべき生徒や、顔見知りの生徒もいたけど、忖度は一切なし。
「んー、あとちょっとで一周だね。終わったら、部室で休憩して、今度はゆっくり出し物見て回ろっか?」
にこにこといつも通りの笑顔をこちらに向ける先輩に、私は小さく呟いた。
「……先輩の昨日の言葉、ようやく理解できました」
「ん?」
先輩が振り向くと、その綺麗な横顔が窓から差し込む秋の陽光に照らされた。
きらきらと何の陰りもない、眩いだけの表情。
綺麗だなと、それだけを思いながら、先輩を眺める。
「……先輩が、適任者ってことです」
まだ学際が始まって二時間も経っていないのに、私はすっかり疲れていた。
いや、消耗していた、というのが正しいか。
ただ歩いていただけだから、肉体的な疲労は感じていないのだけれど、心にあり得ないほどのもやもやが溜まっていた。
トラブルを見つけて仲裁に入る。
人の負のオーラを目の当たりにするのは、それだけでも疲れるけれど、それでも勧善懲悪のヒーローになれれば、心はすっきりするかもしれない。
悪を打ちのめし、皆に喜ばれたら、達成感を覚えるかもしれない。
だけど、今回のトラブル仲裁でやったのは、必ずしも善を救うような行為ではなかった。
心で嫌悪する方……私にとっての「悪」を持ち上げて、良かれと思う方、「善」を罰することの方が多かった。
ずる賢い狐にしてやられるのは、馬鹿で善良な鳥頭なのだ。
自分の心に沿わない行いをするのは、心に負担をかける。
疲労困憊、もはやベッドに入って休みたいくらいの私と違って、先輩はとても元気だ。
それはきっと……執着、しないから。
ごく少数の身近な人物以外、どうでもいいと思ってるから。
「ん? どうしたの、美波ちゃん」
「いえ……先輩って少しも可哀想とか思わないんですか?」
尋ねると、久世先輩は優しく微笑みながら、だけどきっぱりと言う。
「そうだね、僕にとってはどうでもいい」
瞬間、背筋が粟立った。
先輩の無関心さが、異常に感じられてしまったから。
恐ろしく思えてしまったから。
遠いな、と、さっきとはまるきり反対のことを思った。
思わず押し黙り、俯いた瞬間、奥にある教室から大きな声がした。
「え?」
驚いて視線を向けたその時――




