レッツ、クッキング!
「つまりね、アカネさんは、赤い色、そして多分、緑も見えないんだ」
「赤が、見えない?」
すぐには言葉が理解できず、尋ねると、先輩は「そうだよ」と、小さく頷く。
それはつまり、色覚異常ということだろうか?
遺伝子の都合で、生まれつき、色の判断がつきにくい人がいる。
詳しいわけではないが、赤や緑が特にわかりづらいと聞いたことがある気がする。
確か、男性がほとんどで、女性には珍しいはずだけど……
ちらりと先輩を見ると、彼は眉毛をひょいと持ち上げ、言った。
「思い当たる節があるだろう?」
少しだけ考えて、はっとする。
「もしかして……電源ランプ、わかってなかった?」
ゲームが壊れたかもしれないと疑った時、私たちは電源ランプを確認した。エラーを示す赤色を、アカネさんはわかっていないようだった。
「そうだね、他にもある」
「ぷよぷよ、ですか?」
「そう。彼女には難易度が高いゲームだね」
テトリスは形を組み合わせるゲームだが、ぷよぷよは色を組み合わせるゲームだ。
ぷよぷよはもはや国民的ゲームと言っても過言ではない、有名パズルゲームで、それなのに久世先輩がこのゲームを用意しなかったのは、彼がアカネさんの色覚異常について知っていたからなのだろう。
ぷよぷよには赤と緑、両方のキャラがいる。二つの色が同じに見えるなら、判別するには……ぷよぷよの目つき、なのだろうか? それは……難しい、難しすぎる!
「アカネさんが和歌山くんに負けるなんて、変だと思ってたんです」
私がぼそりと呟くと、先輩もうんうん、と同意する。
「そうさ、それくらいのハンデがない限り、竜が勝つなんて到底無理な話だ」
「ちょ、ちょっと! どういうことですか」
突っ込んだ和歌山くんの肩に、ぽん、と毛利先輩の手が乗せられたところで、話を戻すことにする。
「じゃあ、あの、ホームに入るきっかけになったっていう、信号見間違えたのも、もしかして、そのせいですか?」
言ってから、私は慌てて言いなおす。
「ああ、でも、生まれつきのはずだし、そのくらい、わかってますよね」
ということは、やはり、不注意に過ぎないってことかな?
そんなことを考えながら、ふと久世先輩の顔を見ると、彼は珍しくも困ったような表情をしていた。
「そうだよ、と言った方がいいんだとは思うんだけどね」
何だか煮え切らない口調にイラっとして、「はっきり言ってください」と、先を促す。
この場で事態を理解していないのは私一人なのだ。
正直、早く、教えてほしい。
「症状は色覚異常と同じ。赤と緑が分かりにくい。ただ、遺伝子上の理由じゃない。彼女はね、赤色を『奪われた』んだ」
「…………どういうこと、ですか?」
久世先輩は小さく息を吐いた後、和歌山くんを見る。彼がこくりと頷いたのを確認してから、急に真面目な顔になり、再び私に向き直る。
「アカネさんが男を『神様』と呼んだのには、理由がある。彼には不思議な力があったんだ。人からあるものを奪い、代わりに、望むものを与えられる力」
おとぎ話のような話だ。
だけど、冗談ですよね、なんて言えない、妙な気迫が感じられた。
久世先輩は小さく息を吐くと、改まった声で言う。
「男はおそらく、アカネさんから赤と緑を奪った。彼女は自分の名前にあるように『赤』が好きだった。よりによって、彼はその色を奪った。――そして多分……彼女が望んだもの、死んでしまった夫との時間を、与えたんじゃないかって、思う」
アカネさんの元気がなくなったのは、和歌山くんのおじいさん、つまり、彼女の夫が死んでしまったからだということは、以前、和歌山くんに聞いていた。
「じいちゃん、交通事故で死んだんだ。直前に、くだらないことでケンカしてたって聞いた。即死だったから、そのまま、逝っちゃったんだ。……ばあちゃん、きっと、じいちゃんと仲直りしたかったんだよ。神様のおかげでそれができた。それからも……うん、多分、ばあちゃんは今も時々、じいちゃんに会ってるんだと思う」
和歌山くんは静かな口調で言ってから、小さく付け加える。
「それで良かったって、思うよ。色が見えなくなったとしても、それで」
神様、を憎んではいない、彼の瞳はそう語っている。
その穏やかな瞳を見て、ふと思う。
アカネさんはどうして、彼に色が見えないことを話さなかったのだろう?
それを和歌山くんが知っていたら、私たちが「ボルシチ」にたどり着くのはもっと早かったと思うのに。
「そっか、竜がそう思ってくれるなら、アカネさんも救われるね」
私の疑問は、先輩のほっとしたような呟きに、かき消された。
思い出したのだ。
――僕にも関わりが深い奴なんだ。三年前の、あの件、のね。彼に関わった仲間として、アカネさんの気持ちがわかるから、言わなかった。
先輩の言葉から考えると、先輩もまた、『神様』に会い、何かを奪われ、そして、代わりに何かを与えられたということを。
そしてその神様は、私の勘違いでなければ、きっと――
「美波ちゃん」
先輩から声を掛けられ、はっとする。
聞きたいことがたくさんあった。
ありすぎて、何から聞いたらいいか、わからない。
黙ったまま、先輩を見ると、彼は当然のように言った。
「さあ、ボルシチ、作ろうか」
*
「…………え?」
思わず、間の抜けた声が出た。
ぽかんとしている私をおかしそうに見ると、先輩はおどけた表情で言う。
「アカネさんに食べさせたいんでしょ? あ、君が作らないなら、僕が作るけど」
「いやいやいや! 百瀬、作ってくれるよな!」
焦った様子の和歌山くんにぐいと肩を掴まれて、私はとりあえずと頷く。
「あ、うん。私が……作る、けど」
聞きたいことが。
と、言葉を続ける暇もなく、和歌山くんからキッチンに引っ張られる。
「じゃあ、頑張って」
先輩は、笑顔でひらひらと手を振っていた。




