やっぱりこの人
それから始まる一週間、私は倶楽部に入ってから初めての、平穏かつ楽しい日々を過ごした。久世先輩の突飛な行動に時折驚かされはしたものの、私の立ち位置は安泰、毛利先輩はもちろんカッコ良く、和歌山くんとの関係も和やかで、いい感じ。(沙織にどうしたの? と驚かれるほどだ)
ちなみに和歌山くんとこうまで親しげだったのは、主な会話の内容が、アカネさんだったからだろう。
彼女の食べ物の好みが和歌山くんそっくりだとか、ああも元気なのにホームに入っている理由が、車を運転中、赤の点滅信号を見逃して、そのまま突っ切ってしまい、それを「老化」だと判断した息子(和歌山くんの父親だ)が無理矢理施設入居を決めてしまったのだとか、そういうあれこれを、和歌山くんは時に楽しそうに、時に切なそうに話してくれたのだ。
そして金曜日、先輩に少し無理を言って、リクエストされたジェラートじゃなく、スコーンを作った。アカネさんへのプレゼント用にと、少し多めに作って、家に帰って丁寧にラッピングした。喜んでくれるといいな、と思いながら、ゲーム機のコードと一緒に紙袋に詰めて……
「あ」
良いことを思いついた。
明日はアカネさんに、もう一度、ビーフシチューのことを聞いてみよう。
それからお喋りしながらおやつを食べて、彼女の好きなゲームで遊ぶのだ。
*
次の日、和歌山くんと待ち合わせして、老人ホームのアカネさんの部屋に向かうと、彼女はにこやかに私たちを迎え入れてくれた。
「一足先にいらっしゃってるわよ」
そう言われ顔を見合わせた私たちは、通されたリビングスペースにいた、先客を見て、思わず叫んでしまった。
「「先輩たち!」」
「やあ君たち、遅かったね」
そう言ったのは、優雅に紅茶を飲みながら、茶目っ気たっぷりに片目を閉じてみせる久世先輩。そしてその隣には、相変わらずの無表情で日本茶を啜る毛利先輩がいた。
「どうして、ここにいるんですか?」
今日、アカネさんのホームに行くことについて、先輩たちに隠す必要があったわけではないが、あえて話してもいなかった。もう一度、ビーフシチューについて聞いてみるつもりだったから、和歌山くんと二人きりの方が都合が良かったのだ。
「君たちの言動見てたら、普通に気づいたよ。僕は『馬鹿』じゃあないからね」
まるで先週の私たちの会話を聞いていたかのようなセリフに、和歌山くんがぴたりと固まった。ややあって、ちらりと視線を投げられて、「言ってない、言ってない!」と、私が首を振っていると、
「美波ちゃん、早速、おやつにしようじゃないか! その紙袋に入ってるの、スコーンだよね? 昨日と違う味なんだろ?」
先輩がキラキラと目を輝かせて、そう言った。
「……何で、知ってるんですか?」
呆然として呟くと、先輩はしたり顔で説明する。
「君たちが今週もここに来るのは、大体察しがついていた。二人とも、内緒話には大きすぎる声で話していたからね。さらに君は、昨日、僕がリクエストしたジェラートじゃなくて、スコーンを作った。前にも一度作って、その時、竜が絶賛していたものだ。前回に比べて時間がかかっていたのに、出てきた量は前回より少なかった。それだけの材料が揃っていれば、君が今日、スコーンを持ってくることくらいわかるさ」
めざとい。
すごく、めざとい。
「……味が昨日と違うっていうのは?」
「今日も竜が一緒にいるんだから、昨日と全く同じものは出さないだろうって思ったんだ。君は、そういうところに気を遣うから」
はあ、とため息をつくと、持ってきていたチョコスコーンをアカネさんに渡す。
「あらあら、忍ちゃんが言ってた通りなのねえ。ありがとう。じゃあ、紅茶を入れてくるわ。竜ちゃん、手伝って」
「わかった!」
「あ、ありがとうございます」
慌ててお礼を言うと、「あー、楽しみだなあ、チョコ味」と微笑んでいる先輩に、尋ねる。
「……もしかして、スコーンのチョコ味食べるためだけに、来たんですか?」
先輩ならあり得る、そう思ってじっと見つめると、彼は唇を尖らせ、不服そうに言う。
「違うよ。部活仲間に隠し事するもんじゃないって、伝えたかったの」
「……はあ」
私が首を傾げると、毛利先輩がぼそりと言う。
「仲間に入れてほしかっただけ。久世、こう見えて寂しがり屋だから。二人がやたらと仲良くなったから、拗ねて大変だった」
その言葉に、先日の和歌山くんとの会話を思い出す。
やっぱり執着してるんだなあ。
お気に入りの和歌山くんが私と仲良くなったから、気になってしまったと、そういうことだろう。
「……うるさい、毛利。お前も、竜たちを手伝ってこいよ」
久世先輩が低い声でそう言うと、毛利先輩は呆れたように「わかった、わかった」と言って、立ち上がり、キッチンに行ってしまった。
「…………」
「…………」
私も手伝いに行くべきだろうか?
気まずい沈黙に耐えられなくて、くるりと先輩に背を向けたその時だった。
「美波ちゃん」
名前を呼ばれて振り向くと、久世先輩はむっつりとした顔のまま、先程まで毛利先輩が座っていた場所、つまり自分の隣のスペースをとん、と手で叩いた。
「え?」
「美波ちゃんは、ここ」
目を見開くと、先輩は私の手をぎゅっと引っ張って、無理やりソファーに座らせた。
「僕より竜の方がいいの?」
覗き込まれるようにじっと見つめられて、顔がかっと熱くなる。
いつもの冗談交じりの口説き文句だ、そうわかっていても、やはり、破壊力がすごい。
心臓が思った以上に高鳴ってしまうのは、こういうやり取りが随分久しぶりだからというのもあるかもしれない。そういえば、ここ最近、和歌山くんとばかり話していたのだ。
「僕以外とも仲良くなれば、君が倶楽部を辞めることはないだろうって思って、止めなかったんだけど、やっぱり、君に僕の以上の存在ができるのは悔しいな。だって、君を倶楽部に誘ったのは僕だし、君を一番欲しているのも僕なのに」
熱っぽい声で言われて、頭がじんじんする。
それってつまり、和歌山くんのことで私に嫉妬していたんじゃなくて、私のことで和歌山くんに嫉妬してたってこと?
からかっているだけだと理解しながらも、頭の片隅で、そんなことを考えてしまう。
思わず先輩に視線を向けると、目が合って……そうなると、もう、ダメだった。
ゆらゆらと揺れる琥珀色の瞳から、目が離せない。
「美波ちゃん、お願い。僕以外の誰かと、僕以上の仲にならないで。僕を一番に想って」
私は先輩を好きじゃない。
いや、人としては、悪くないと思っている。
だけど、恋はしていない。
私の心の一等席、この前まで結城くんがいた場所に、先輩がいるわけではない。
だけど、だけど……
誰しもがそうである、それ以上に、私は、自分を求めてくれる人、に弱い。
好かれたい、必要とされたい、役に立ちたい、そういう思いが強いのだ。
もし、誰かが全力で、私という存在そのものを求めてくれるなら……恋してくれるなら――そして、それが先輩なら、もしかすると、彼を好きになってしまう……こともある、かもしれない。
「――っ」
先輩の顔がぐっと近づいてきて、だけど私はそれを制することもできないでいると、彼の顔は私の耳元でぴたりと止まった。
「そして、君は僕にだけ、お菓子を作ってくれればいいんだ」
「…………」
和歌山くんに、今、言いたい。
やっぱりこの人、私の作るお菓子が好きなだけみたいです。




