トラウマオムライス
「甘くてすっぱいビーフシチューの作り方って、わかるか?」
次の日の放課後、買い出しに行く途中で、和歌山くんは唐突にそう尋ねた。
「えっと、それ、昨日の話の続き?」
昨日、すぐに買い物が終わってしまったため、話は中断されてしまった。
詳しいことは明日話す。申し訳ないが、教えてほしいことがある。
真剣な顔でそう言われたものだから、ずっと気になっていたのだ。
「うん。ばあちゃんが……神様から食べさせてもらったらしいんだけどさ、すごく美味しかったんだって。それが今の時期だったから、秋になると食べたくなるって言うんだ」
昨日、話で「神様」と聞いた時には、幻覚か何かを見たのかと思っていたけど、シチューを振舞ったとなれば、それは人間なのだろう。神様のように、優しい人だったのだろうか? 落ち込んでいるおばあさんを見かけて、美味しいものを食べさせて、励まそうとでもしたのかな?
「ごめん、わからない」
申し訳なく思いながらも、首を横に振る。
「そっかあ」
がっくりと項垂れた和歌山くんを励ますように、慌てて付け加える。
「あの、甘いのはわかるの。バターで玉ねぎをしっかり炒めたら、コクのある甘味がでるから。だけど、すっぱいっていうのが……食材が傷んでるっていうのはないだろうし、何かの隠し味なんだとは思うけど」
うーん、と考え込む私を、和歌山くんは縋るように見つめている。
何とか助けになれたらと思うんだけど……わからないものは、わからない。
「あのさ、他に、何か手がかりある?」
おずおずと尋ねると、彼は少し考えた後、申し訳なさそうに言った。
「迷惑じゃなければ、ばあちゃんに会ってやってくれないか?」
*
「えー、竜、いつの間に美波ちゃんと仲良くなったのさ」
今日のおやつはどら焼きだ。ふっくら焼いた生地に、甘めに作った餡子をたっぷり挟んで、お好みで生クリームを付けるスタイルで。
パクパクと、だけど、不思議と上品な仕草でどら焼きを食べながら、久世先輩が言う。
「ま、まあ……色々ありまして」
「この前まで、親の仇って感じで突っかかってたのにね」
毛利先輩からも、意外そうに言われて、和歌山くんは、気まずそうに頭を掻いている。
「私のクラスのいじめを、協力して打破したんです。それでお互いを奮闘して、仲良しになったんだよね」
仲良し、とまで言えるかわからないが、距離は縮まった。
嘘は言っていないと思う。
「でも、竜が大好きなおばあちゃんに会わせるって、相当だよ。もしかして、美波ちゃんのこと、好きになったの?」
「えっ、ちが、違い、ますっ!」
真っ赤な顔でぶんぶんと首を振る竜を見て、先輩がアハハとおかしそうに笑う。からかわれて、困っているのは明らかだけど、助け船を出してあげる気になれないのは、もじもじしている彼がとても可愛いからだ。
何か少しだけ、久世先輩の気持ちがわかるっていうか……ああ、和歌山くんのせいで、私の変な扉が開きかけてる。
「も、百瀬が、うちのばあちゃんに会ってみたいっていうので、なっ!」
縋るように見つめられ、芽生えかけた自分の中の何かを慌てて打ち消した。
「ああ、はい。和歌山くんのおばあちゃん、お裁縫がすごく上手らしいんです。私、家庭科の課題の縫物、めちゃくちゃになっちゃってるから、教えてほしいなって思って」
これも、まあ、嘘ではない。
私は、料理は好きだが、裁縫は嫌いだ。課題のエプロンはボロボロで手が付けられない状態だから、かつて洋裁屋で働いていたという和歌山くんのおばあちゃんがどうにかしてくれるのなら、ありがたいことこの上ない。
だけど、あくまでこれもまた、口実、なわけで……本来の目的、「甘くてすっぱいビーフシチューについて尋ねる」というのを、隠さなければいけないのは、和歌山くんから口留めされているからだ。
和歌山くんのおばあちゃんに会いに行くことが決まった後、事前にそのことを久世先輩たちに話しておこう、と提案された。先輩たちとおばあちゃんはかなり親しいらしく、女の子を連れて行ったりしたら、絶対に後から報告されるというのだ。こっそり連れて行ったことがわかると、何か理由があることを疑われるし、それ以上に絶対にからかわれるから、事前に話しておこうという話だった。
しかし、疑われるも何も、ビーフシチューの一件を隠す必要はない。
それを尋ねると、和歌山くんはこう言った。
「久世先輩に知られたくないんだよ」
「…………え?」
私は耳を疑った。
だってあの、馬鹿みたいに先輩を崇拝している、和歌山くんだ。先輩に隠し事をするなんて、信じられない。そんな私の思いが伝わったのか、彼は言い訳のように口にする。
「先輩、事情を話したら、ばあちゃんが言うビーフシチューについて、調べてくれると思う。それで多分、調べたビーフシチュー、作ってくれる」
「それは、そうかもね」
先輩は和歌山くんに優しい。確かな友情が、そこにはある。
彼がおばあさんのために、ビーフシチューを作ってあげたいと望むなら、それを叶えてくれるだろう。
「作ってもらえばいいんじゃないの? 一件落着じゃん」
私に頼むよりも、確かだと思う。
和歌山くんのプライド的にも、そっちの方が好ましいのでは?(最近までつっかかっていたのに罪悪感を覚えているのか、私に頼みごとをする彼は、いちいち申し訳なさそうなのだ)
「ダメなんだ!」
しかし、和歌山くんは悲壮感たっぷりの顔で、そう断言した。
「先輩、料理が壊滅的に下手なんだ。それなのに、『よくできた』とか言っちゃう、味覚音痴で……」
その味覚音痴に大絶賛されている、私の手作りスイーツは何なんだ!
と、大声で突っ込みたい気持ちは置いておいて、私は冷静に疑問を口にする。
「先輩、私のお菓子に、結構、的確な感想くれるよ?」
先日、バター足りずにマーガリンで代用した時、指摘されたくらいだ。とてもじゃないが、味覚音痴とは思えないのだけど。
「お菓子は別なの。自分で作っても変なものにはならないし、そこそこ美味しいのに、『買ってきた方が美味しいよねー、コクが足りないもんなあ』なんて言うくらいには、繊細な舌なんだ。なのに、普通の料理に関しては、黒焦げでも半煮えでも気にせず食べるし、どろっどろぐちゃぐちゃのオムライスを、『美味しくできたから、竜も食べなよ』なんて、勧めてきたりするんだ!」
そのオムライスがよほど嫌だったのだろうか?
和歌山くんは涙目になっている。
あと、無駄に久世先輩の物まねがうまい。
「でも、先輩のせっかくの好意を断れるはずがない!」
「うん、うん。わかったよ、辛かったね」
私が肩を叩くと、彼はこくりと頷いて、
「そんなもの、ばあちゃんに食べされられない。死んじゃうかも」
深刻な顔の和歌山くんを見て、私はようやく納得する。
というか、そのオムライス、どれだけまずかったのだろうか。
「百瀬には申し訳ないって、思ってる。だけど、俺、ばあちゃんには、美味しいビーフシチューを食べさせたいんだ!」
「わかったよ。迷惑じゃないし、二人でがんばろう」
そう告げると、和歌山くんはへにゃりと笑って「ありがとう」と呟いた。
彼のこんな顔を見るのは初めてで、私はまたもや、しみじみと思ってしまった。
あー、もう、ツンデレ美少女って、どうしてこんなに可愛いの!




