おばあちゃんのこと
「久世先輩も、あの、リリ、タン? っていうの、本当に好きなのか?」
素直に私の後に付き従いながら、和歌山くんは不思議そうにそう尋ねた。
そのきょとんとした顔は愛らしいけど、ちょっと頭が悪すぎる。
「知らないけど、別に好きじゃないと思う」
何だかどっと疲れてしまって、私は、はあ、と私は大きくため息を付いた。
「じゃあ、何で?」
「……虎の威を、借りたのよ」
「とらのい?」
ああ、馬鹿すぎて、何だかいっそ、可愛いく思えてきたかも。
「つまり、先輩の好きなもんなら、文句言えないでしょ! っていうこと」
「…………」
「横尾くん、強いものには媚びを売るタイプなの。だけど彼、スクールカーストのかなり上の方にいるから、ほとんど誰に対しても強気でさ。でも、久世先輩なら、トップもトップだから」
多分、久世先輩は事実、この学校のスクールカーストの頂点だ。
先輩は悪評も多いけど、そのほとんどは、やっかみとか、憧れが転じた負の感情だったりする、というのは最近悟ったこと。
「正々堂々としてないって思ってるかもだけど、丸く収まってはいるから、問題ないでしょ? 田中くんも、もうきっと、何にも言われないよ」
リリアたんの価値自体が、きっと今、急上昇しているだろう。
明日にはピンクノートの生徒が倍増している可能性もある。
「…………う」
「え、何?」
ぼそりと言われて、振り向くと、和歌山くんの頬が、赤く染まっていた。
「ありがとうって、言ったんだよっ!」
潤んだ大きな瞳で、上目遣いに見つめられると、
「……可愛い」
思わず本音が声に出た。
「は?」
「う、ううん。でも、何でいきなり?」
彼はぷいと顔を逸らし、
「だ、だってさ、フォローしてくれたんだろ? あのままじゃ、俺、あいつとケンカになってたし、それでも、田中って奴の状況は変わらなかったろうし。……馬鹿だよな、俺。ろくに考えもせず、出しゃばっちゃって」
まあ確かに、いくら和歌山くんが庇っても、田中くんへのあたりはキツイままだった可能性は高いけど……
「でも、立派だと思うよ。私はあんな風には庇えないもん」
私も田中くんのことは可哀想だと思っていた。
だけど、所詮、他人だ。
我が身を考えたら、庇おうなんて気になれなかった。
「でも、庇ってくれたじゃん」
「それは、和歌山くんが庇ってるの、見たからだよ。えらいなあって尊敬したし、その通りだって思った。誰が何を信じるかなんて、人に迷惑かけない限り、本人の自由だもん。だから、私も何かしたくなったの」
思わず苦笑する。
がむしゃらにやってみた結果、田中くんもフォローできたってだけだ。
「……え、えらくなんか」
恥ずかしそうにもじもじする和歌山くんが可愛くて、
「えらいよ」
と笑うと、
「俺は、田中って奴に、自分を重ねちゃっただけだ」
彼はぼそりとそう言った。
「田中くんに?」
地味でちょっと太めで冴えない感じの田中くんに、この完璧美少女顔できらっきらしてる、和歌山くんが?
「……俺も昔、信じたいものを信じて、人に馬鹿にされてたからさ」
*
「そういえば、無塩バター、あと少ししかなかったかも」
そう言って、彼を買い出しに誘ったのは、もう少し二人で話してみたかったからだった。
先程の一件で、和歌山くんは少しだけ、私に心を許してくれている。
必要以上に深く入り込みたい、と望むわけではないけれど、純粋に仲良くなりたいと思った。彼のことをえらいと思ったのは、本当のことだから。
スーパーまでの道のりを二人で並んで歩きながら、ぼそぼそと会話する。
「俺が小学生の時、ばあちゃんが、神様と会ったって言い始めたんだ」
「へ?」
間抜けな声を出した私を見て、和歌山くんはふっと笑った。
「何かの新興宗教に入団したとかじゃない。ただ、どっかの公園で会って、仲良くなって、家でご飯をご馳走になったんだって。それから、別人みたいになっちゃったんだ」
曖昧な言い方でぼかされているが、それはつまり、金を使い込んだとか、むやみやたらに信者を勧誘しようとしたとか、そういうことだろうか?
どうコメントしたら良いか、難しい話である。
真顔で沈黙していた私を覗き込むように見ると、和歌山くんはそのままの声で続ける。
「別に、お前が思ってるようなことじゃない。早起きして散歩したり、家の前の通りをきれいに掃除するようになったり、栄養バランスきっちりしたご飯作るようになったりしただけ」
「それって……いいこと、じゃない?」
確かに、想像とはまるきり逆だ。
「うん、ばあちゃん、それまで、鬱っぽくなって、ずっと家に引き籠ってたんだ。じいちゃんが死んじゃって、塞いでたの。だけど、『神様』に会ってから、明るくなった。良いことしかないよ。だけど……」
一旦言葉を切ってから、和歌山くんは言う。
「周りはいきなりシャキシャキしだした、変なばあさんだって言うようになった。多分『明るくなったね』って言われた時、正直に、『神様のおかげ』って言ってたせいだと思うけど」
「…………」
「変な教えも確かにあったよ。何かさ、『人型の食べ物には心が宿ってるから、食べちゃダメだ』とか言ってたし。だけど、それを人に押し付けたりはしてないよ。俺は……ちょっと、食べられなくなったけど、俺だけだと思うし。そもそもそんなに、困んないし」
ジンジャーマンクッキーを作った時、久世先輩が言ってたのは、このことだろうか?
「人型の食べ物ってあんまりないもんね」
「うん。クリスマスの時のクッキーと、ケーキの上にのってる人形くらい」
「ジンジャーマンクッキーと、マジパンの人形ね」
まあ、確かにそれならどちらも、食べる機会は多くない。
「うん。とにかく、ばあちゃんは、人に迷惑をかけるようなことはしてない。通りを掃除するのとか、むしろ良いことだろ?」
「うん」
「だけど、変人扱いだ。懐いている孫の俺も、おかしな奴って言われた。俺はばあちゃんがただ、好きなだけなのに」
しんみりと、和歌山くんは言う。
田中くんの話と、似ているようで、重みが全然違う。
この話を田中くんが聞いたら、恐縮するのではないだろうか?
スーパーに到着。バターを一つ掴んで、レジで支払いを済ませる。
買い物完了、後は部室に帰るだけだ。
帰り道をしばらく無言で歩いた後、私はぼそりと言う。
「和歌山くんがそう言ってくれて、おばあちゃんは、すごく嬉しいと思うよ」
和歌山くんは嬉しそうに頷いた。
「忙しかった両親の代わりに、ばあちゃんが、俺を育ててくれたんだ」
「そっか。いいなあ。今も仲良しなの?」
そう尋ねた瞬間、彼の笑顔が固まって、しまった、と思った。
おばあちゃん、というなら、もう高齢のはず。「今」を聞くのは、軽率だった、かもしれない。
「ご、ごめん、ね」
「違う、違う!」
謝った私に彼は慌ててそう言うと、
「ばあちゃん、今も元気だよ。老人ホームにいるけど、相変わらずシャキシャキしてる。ただ、この前言われたこと、思い出しちゃって」
気まずそうに頬をぽりぽり掻く和歌山くんを見ながら、
「この前、言われたこと?」
彼の言葉を繰り返す。
「ああ」
和歌山くんは小さく頷いてから、はっとしたように私を見る。
「百瀬って、お菓子作るの、うまいよな!」
「ええ? あ、ありがとう」
「料理も、作れる?」
「う、うん。一応ね」
「お菓子くらい、得意?」
「えーっと、お菓子よりは、料理の方が得意だよ」
上達するまで半年かかったお菓子よりは、はるかに。
と、笑うと、和歌山くんはガッツポーズした。




