マロングラッセ
「新人のくせに、部外者を連れてくんなよな!」
放課後、結城くんを部室に連れて行くと、噛みつくように、和歌山くんが言った。
「竜、うるさい」
ぼそりと呟く毛利先輩に、「すみません」と謝る和歌山くん、そして、
「まあまあ、若人の恋を見守るのも、また乙ってところじゃないか」
しみじみと言って、生暖かい目で私たちを見つめる久世先輩。
どうやら、私が結城くんを射止めるために頑張っているのだと思っているらしい。
若人って一歳しか年変わんないじゃん。
てか、和歌山くんとは、同い年だし。
「で、持ってるそれは?」
私の手元に視線を移すと、先輩はにこりと笑って、そう尋ねる、
彼の本題は、どうやらこっちのようだ。
「栗です」
手元の麻袋を開いて、中を見せるようにかざしてみせる。
「何を作るの?」
ああ、先輩の瞳がキラキラ輝いている。
頬は紅潮し、口角は綺麗に引きあがり……うっとりするような、王子スマイルの出来上がりだ。私はそっと顔を背けて、小さく答えた。
「マロングラッセ、です。結城くんと一緒に作ります」
「いいね!」
間髪入れずに叫ぶ先輩を放置して、
「それでは、キッチン使いますー」
呆気に取られている結城くんを連れて、キッチンに向かったのであった。
鍋には煮立たせたお湯。
その隣にはステンレスの大きなボールと、同じくステンレスのザル。
ざるの中に入っている栗を指さしながら、私は結城くんに話しかける。
「まずは、栗の渋皮を取ります」
「初めてなんだけど……俺にも、できる?」
恐る恐ると言う風に尋ねる結城くんに、私はにっと笑いかける。
「大丈夫。簡単だから」
数個の栗を掴むと、鍋の中にそっと入れて、
「まず、私がこうやって栗を温めるね」
二分ほど待ってから、栗をステンレスのボールに上げる。
「結城くんはその後、手と爪楊枝で、皮をむいてくれる? ほら、こうやって……するっと、ね」
実演しながら説明した後、視線を向けると、彼は緊張した面持ちで、こくりと頷いた。
「わ、わかった」
「はーい、じゃあ、お願い」
こうして、私たちの共同作業は始まった。
薄皮を向いた後は、一つ一つをガーゼに包んで、タコ糸で縛って巾着包みにする。鍋に包んだ栗を並べて、かぶるくらいの水を入れて煮立たせる。一時間ほど(その間は、楽しい雑談タイムだ)煮て、栗が柔らかくなったら、砂糖を入れる。そのまま砂糖を溶かして、乾燥防止に布を被せたら――
「じゃあ、続きはまた明日」
マロングラッセは、とても手のかかるお菓子だ。
一日じゃ完成しない。
「できるまで、どのくらいかかるの?」
「美味しく作るのなら、一週間はかけた方がいいと思う」
毎日、砂糖を追加し、一晩置いてを繰り返す。
大量の砂糖を一度に入れても、美味しいマロングラッセにはならない。
時間をかけて、少しずつ、積み重なっていくもの。
人を好きになるのと同じ。
私の、彼への恋と同じ。
お菓子を食べてくれた時の笑顔が、全てのきっかけだった。それから、毎日、彼の顔を見る度、ドキドキとした。次は彼に何を作ろうかと、夜な夜な考えた。クリームを混ぜながら、彼の顔を思い浮かべた。愛情を毎日、少しずつ、付け足して、自分の心を甘く、甘く、煮詰めていった。
そして、彼のハンナさんへの恋もまた、同じなのだろう。
「それまでに、心の準備、しといてね」
そう付け加えると、結城くんは、ゆっくりと頷いた。
「うん、わかったよ」
*
「できたー!」
作業台の上に並んだ、宝石のようなマロングラッセを前に、私と結城くんは思わずハイタッチした。
放課後、ともに部室に通うこと一週間、マロングラッセは今日、とうとう完成したのだ。
砂糖の衣がきらきら光る、見た目も美しいマロングラッセは、先生秘伝のレシピ通りに作り上げた。味も完璧に美味しいはずだ。
「ねえ、結城くん、一個、味見――」
「うん、美味しいね」
背後で声がして、振り向くと、案の定、そこには久世先輩が立っていた。
何か……デジャブかも。前にもこういうこと、あったような気がする。
「甘い。とにかく甘い。尾を引く甘さだ。だけど、甘いだけじゃない。深みがあって、上品な味。きちんと手間暇かけて、作られた美味しさだ。最高のマロングラッセだね」
とろけるような笑顔で語る先輩をジト目で睨む。
「先輩、勝手に食べないでくださいよ。初めに食べるのは、作った結城くんの権利です」
「この一週間、君のお菓子なしで、僕がどんだけ切ない思いをしたかわからないのか」
先輩はぷうと、頬を膨らませる。
ああもう、本当に、男でも可愛いって、どういうことなの! 全く、顔だけは良いんだから。
「……約束通り、ちゃんと毎日、お菓子、作ってましたけど」
「そうは言っても、甘い香りだけ嗅いで、食べられないだなんて、逆に拷問だよ」
「有名店のケーキ、パクパク食べてたじゃないですか」
言い合っている私たちの横で、結城くんが、ぼそりと呟いた。
「良かった。これで……伝えられる」
この一週間で、私と結城くんの関係は、今までよりさらに深まった。
いや、それだけじゃない。
私たちは、新たな関係を築きつつある。
彼から、ハンナさんのことを、いろいろ聞いたのだ。
体育館の裏にある花壇で、泥だらけになりながら花の世話をしている姿に惹かれたこと。
仲の良い女子はたくさんいたけど、心臓が飛び跳ねるようになるのは、初めてだったこと。
頑なだった彼女だけど、一緒に土いじりするようになってからは、少しだけ態度が柔らかくなったように感じたこと。
まだ完全に断ち切れたわけじゃないけれど、今の私はもう、結城くんとハンナさんに、うまくいってほしいと、心から思っている。うまく行かなければいいなんて、思わない。……多分。
少しずつだけど、恋慕じゃない、ただの友情を、抱けるようになれているのだ。
「何を?」
先輩が尋ねるのを無視して、用意していたラッピングシートを結城くんに渡す。
「そうだね、結城くん。ほら、これに包んで!」
「百瀬、ありがと」
彼は数個のマロングラッセを丁寧に包むと、足早にキッチンを飛び出した。
彼の背中には、少しだけど、また、ハッピーオーラが戻っていた。
この一週間、彼なりに、今までの自分たちを思い返してみて……おそらく、大丈夫だと、想えたのだろう。
そして彼は、砂糖と一緒に、愛情を加えたマロングラッセで、愛を告げる。
告白、という概念がないドイツ人のハンナさんにも、きっと伝わるはずだ。
「そういうこと、ね」
皿の上のマロングラッセをパクパク摘まみながら、先輩が呆れたように呟いた。




