好き以外の理由
「どうでも、よくないですよ。結城くんのことだし」
私が言うと、先輩は首を振る。
「でも、君は、結城翔太と彼女が別れれば良いと思ってた。そして僕は、それを叶えてあげたんだよ」
にっこりと、天使の微笑みを向けられて、呆然とする。
そうだ。
結城くんが、「勘違い」に気づいたのは、私のせいだ。
私が先輩と約束したから。
「で、でも……先輩、あの時、私の思ってる通りだって言ったじゃないですか! 私は、てっきり結城くんとハンナさんを応援するつもりになったのかと思ってたんです!」
私は確かに、二人が別れればいいと思った。
だけど、壊したいと、そう思ったわけじゃない。
「そうなの? 『どうしてこの本を渡すのかはわからないけど、久世先輩の言うことなら間違いないよね。これで結城翔太とハンナは破局するぞ! ヒャッホウ!』って思ってたんじゃなかったの?」
目を丸くする先輩を見て、唖然とする。
私は一体、先輩の中でどんなキャラなんだろう?
という、疑問が湧いてくる。
「まあとにかく、二人が破局したら、君は万々歳だろう。後釜に収まるために、頑張りたまえ。あ、約束通り、これから毎日、放課後はここに来て、お菓子、作ってね」
にっこりと笑う先輩に、言葉を返すことができなかった。
私は、私が、私のせいで!
好きな人が、不幸になってしまった。
ハンナさんと思い合い、幸せそうにしている結城くんを見るのは辛かったけど、うまく行かずに悲しんでいる彼をみるのは、もっと辛いのに。
「…………」
沈黙する私を置いて、先輩はさっさと部室を出て行ってしまった。
残っていたバームクーヘンを、一切れ、食べる。
相変わらず、感触はふわりと軽い。
だけど、砂を噛むような味がした。
*
「――と、言うことなんだ」
数日後の昼休み、結城くんは私を中庭に呼び出し、事の全てを説明してくれた。
久世先輩が話した通りの内容だった。
「私のせいで、ごめんね」
「いや、違うよ。むしろ、ありがとう。勘違いに気づかせてくれて……って、久世先輩にも伝えといて」
結城くんはからりと笑ったけど、それが空元気だということくらい、私にもわかる。
「あの、結城くん」
私は彼をじっと見つめて、真剣な顔で言う。
「お花の件とか、告白を受けてくれた件は、勘違いかもしれない。だけど、ハンナさんは、結城くんが好きだよ」
絶対に、そう。
噛みしめるようにそう言うと、結城くんの顔がくしゃりと歪んだ。
「ハンナに会いに行って、勘違いしててごめんって、謝った。もう、付きまとわないって、宣言した。いつもと同じ、仏頂面だったよ。寂しそうにも、してくれなかった」
「それは、いつものことじゃない。何を思ってるか、わからない人なんでしょ? そういうとこも可愛いって、言ってたじゃん」
結城くんは、つんつんした態度も、仏頂面も、今は全てが可愛く見えるのだと、断言していたではないか。
「だけど、流石にもう……勘違いはできない、し」
彼は乾いた声で笑うと、小さく息を吐いた。
「もう一回、告白しようよ」
「告白しても、無駄だって、書いてあった。いつの間にか恋人になってるのが普通なんだって」
結城くんは力なく言って、俯いてしまう。
かける言葉が見つからず、私も同じように下を向いた。
行列をなして歩く、数匹のアリがいた。
ああ、あの時も、彼がハンナさんに告白した時も、私はこんな風に俯いて、落ちたケーキを眺めたんだな、そんなことを思い出して、その時のハンナさんの顔が思い浮かんだ。
そして、顔を上げる。
「もしかすると、もしかしたらさっ、ハンナさんも、勘違いしてたのかもしれないよ? 告白した時点で、付き合ってる気になってたかも」
そういう可能性もあるはずだ。
春から秋、スタディ、になってもおかしくないくらいの時間を二人は一緒に過ごしたのではなかったか。
「……百瀬、どうしてそこまで、一生懸命になってくれるの?」
へにゃりと、結城くんが笑う。
さっきまでの、無理やり作った笑顔ではなく、私が大好きな、無邪気で明るい、自然な笑顔だ。
あなたが好きだから。
そう言えたら、どんなに良いだろう。
言いたい気持ちも、もちろんある。
だけど、彼の恋を奪った私が、今、告げて良い言葉じゃない。
「結城くん、お菓子、いつも食べてくれたでしょ? 美味しいって、そう言ってくれた」
あの春の日、たまたま結城くんに会っていなかったら、私は今も、お菓子を作っていなかったかもしれない。
「美味しかったもん」
にこりと笑う彼を真っ直ぐ見つめて、尋ねる。
「本当は、美味しくないのも、あったでしょ?」
少しの沈黙の後、
「…………美味しかったよ。腹減ってたし、俺、味にはそこまで頓着しない方だから」
ああ、やっぱり彼は素直だ。
憎めない。
私は彼の、こういうところが、本当に、本当に、大好きだったのだ。
おかしくて、アハハと声を出して笑ってしまう。
「焦げて炭になりかけたクッキーも、砂糖と塩間違えたマフィンも、生煮えのシフォンケーキも、お腹空いてから、美味しいって感じてくれたんだよね」
美味しいはずなかった。
そうわかっていたけど、「美味しい」と言う結城くんは、嘘を付いている様子はなかったのだ。いや、違う。食べたくないけど、無理して食べてる感、がなかった、という方が正しいか。
入学したて、調理部に入部したての春、私はお菓子を作るのが、どうしようもなく下手糞だった。先輩たちはあきれ顔、食べられない、と言われる代物を作り出していた。
――お菓子を上手に作れるようになったら、先生のお手伝いをさせてください。
先生にそう頼み込んで、約束してもらった。
色々あって、中学の間はお菓子作りができなくて、いざ高校に入学したら、頑張ろうと思ったけど、何度も失敗して、諦めかけていた。
美味しい、と食べてくれる人がいなかったら、諦めていただろう。
「どんなお菓子も、結城くんが『美味しい』って食べてくれるって思ったから、最後まで作れたし、『また頼むな』って言ってくれたから、次はもっとうまくやろうって思ったんだよ」
彼はどんなものも美味しいと喜んでくれる。
そして、その美味しいの程度は、彼の表情から安易に読み取れる。
結城くんは、私の上達度合いを測る最高のバロメーターだった。
自分の腕に自信が持てるようになったら、最高傑作のお菓子をプレゼントしようと、決めていた。
それは、大好きな彼への告白であると同時に、お世話になっている彼へのお礼でもあるはずだった。
「お菓子作りがうまくなったの、結城くんのおかげ。だから、感謝してるの。すごく、すごく」
嘘偽りない、私の気持ちだ。
「そっか」
上達するのがもう少し早かったら、私は結城くんに告白していただろう。
彼がハンナさんとの距離をここまで縮める前だったら、受け入れてもらえただろうか?
いや……考えても仕方ない。
もう終わったことだし、四月に初めて、秋までかかった私が悪いのだ。
心の中で、言い聞かせるように呟いて、思う。
ん、秋?
「あのさ、結城くん。秋に最適なお菓子、一緒に作ろうよ。それを贈って、ハンナさんにもう一度、アプローチしない?」




