006話 とある男
ガレス・ウェルナーと言う男がいる。
現在、彼は冒険者組合に属する、一人の冒険者として生計を立てているが、元々は王国筆頭騎士として名を馳せていた。
特段の問題がない限り王国が筆頭騎士にまで上り詰めた人物を手放すことはあり得ないが、しかし彼は誰もが処置なしと匙を投げるほどに落ちぶれてしまった。
彼は辺境の村で農家を営んでいる夫婦の間に生まれた長男だった。
初めての我が子ということもあって、その後に生まれる次男、長女に比べても非常に愛されて育てられ、ガレスも物心ついた頃からそんな両親の愛情に報いたいと考えるようになった。
彼の夢が決まったのは――とある王国騎士が家族を伴い、村に避暑してきたことが契機となった。
ガレスの故郷の村は王国内で一番大きいとされる湖があり、夏になると避暑地として観光客で賑わうのが恒例だった。
そんな観光客の中に、彼の運命を決める王国騎士――その娘がいた。
結果から話せば、その王国騎士の娘が将来、ガレスの妻となる女性である。
いつものように家の手伝いとして、畑の雑草抜きをしていたガレスだったが、その日、畑の側を散歩していた家族連れの一人、同い年のように思える一人の少女に彼は目を奪われた。
それは端的に言って、一目惚れだった。
雑草を抜く手を止めて、そんな少女をじっと見つめていると、彼女もガレスに気付いたらしく、小首を傾げて笑顔を向けてきた。
「こんにちは」
「こ、こんにちは……」
同世代の女性と話すのは妹以外ではこれが初めてだった。
緊張してガレスの声はどもってしまい、それが尚一層、羞恥心を助長させる。
「仕事のお手伝い?」
「うん……」
赤面した顔を見られないように俯きながら返答するガレス。
そんな彼を少女はおかしそうに微笑んだ。
「ねぇ、お父様、私、この方とお話ししたいのですけど……」
娘の言葉にお父様と呼ばれた男は笑顔で頷いた。
「お昼は用意しているからね。それまでに帰ってくるんだよ」
体つきは一見して痩せているように見えて、その実は程よい筋肉で身を纏わせている。
しかし、その顔は眼鏡をかけて優しそうな笑顔が印象的だ。
この優男が少女の父親らしい。
優男はガレスに「よろしくね、少年」と告げて、女の人と一緒に道を進んだ。
そうして残ったのはガレスと少女。
ガレスは不思議だった。何故、少女は土汚れた自分なんかに興味を抱いたのだろうか。
同年代の存在が気になった……?
都会住まいの少女が果たして、同年代の存在をガレス同様、珍しがるだろうか?
そんな疑問の念を瞳に宿して少女を見れば、彼女は先程と同じ微笑みを浮かべて、こちらを見つめていた。
「私の名前はエレサ・スカーレット。エレサって呼んでくれると嬉しい」
「俺は……ガレス……、ガレス・ウェルナー」
「ウェルナー? 戦士の名前だわ、素敵ね」
「あ、ああ……」
ガレスの先祖は昔、傭兵として有名だったという。
国から正式に雇用されていた訳ではないが、有事の際――魔法詠唱者によるクーデターなど――は特別報酬と共に短期的に雇われて活躍していたらしい。
しかし、それも昔の話。
ガレスの父、そのまた父――祖父の代から傭兵関連からは足を洗い、辺境の地でコツコツと農業で生活を安定させた。
正直、傭兵の仕事は不安定そのものだ。
百年前ならいざ知らず、祖父の時代以降は世界で戦争を行う愚者は現れていない。
どこに逃げても戦地だった時代はとうに終え、世界各国は評議会を設立し、それを中心に平和の象徴として、新たな国――評議国を建国した。
唯一の例外として、南東の大国、人間至上主義を掲げるセルマノ帝国は評議会の連盟には参加していない。
まさしく同じ地面を共にしながらも孤立した国家。
しかして、その国家力は他国を威圧するほどの力を有しており、評議会連盟国も迂闊に手を出せない状態がここ百年、続いている。
けれど、その睨み合いも、現在までに大きな戦争には繋がっていない。
ガレスの先祖のような傭兵たちには生きづらい世の中になったものの、世界は平和を獲得したのだ。
しかし、ガレスは先祖のような傭兵に――秘かに憧れを抱いていた。
自分の苗字、ウェルナーと言う名前にも心の底では誇りに思っている。
だからこそ、将来は傭兵は無理でも冒険者や――もっと大きな夢を抱けるなら王国騎士として働きたいと夢見ていた。
だが、その夢が両親を悲しませることぐらい、少年のガレスでも理解している。
だからこそ、それは叶わぬ夢なのだ。
少女――エレサの誘いで近くの川辺に来たガレスはそんな自分の夢を呟いた。
自分でも初対面の相手に何故、そんな話をしたのか不思議ではあったが……もしかしたら一目惚れの効能だろうか?
自分の不安を――、そして弱さを――、いつの間にか、吐露していた。
ガレスの話を聞いて、エレサは流れる川のきらめきを見つめながら不意に、ガレスの手の甲に触れた。
「おわっ、な、何?」
「もう、そんな驚かなくてもいいでしょ? こんな美少女に触れられたんだから、嬉しがってよ」
驚くガレスに対して、エレサは頬を膨らませて怒っているようにも見えたが、すぐにおかしそうに笑った。
「やっぱ純粋だなぁ。一目見て、分かったもん」
「え?」
「……さっきのガレス、一生懸命に雑草、抜いてたよね。こんな真夏日にサボりたくなるはずなのにさ、ガレスは汗が流れるのも無視して、雑草を抜くことだけに集中してた。あっ、でも、私を見た途端に手を止めて頬を赤らめてたっけ」
「いや、それは……」
「今度は耳まで赤くなってる」
そう言ってガレスの耳に触れてくるエレサ。
第一印象は清楚でおしとやかなお嬢様、なんて思っていたはずが、実際はからかい好きの女の子だった。
それに自分のことを美少女と言える胆力は流石と言うべきか……?
そうしてガレスをからかうエレサだったが、不意に雰囲気を静かなものに変えて、ガレスの手を握ったまま、また川のきらめきに視線を移した。
そして唐突に自分のことについて語り始める。
「私に言い寄ってくる男はどれも私の家柄目当てだった。誰も私を見ていないし、万が一、見てたとしても、それはとても下卑た性欲に塗れた目。だから私、今のままじゃ変な男と結婚して、一生後悔した人生を送ることになると思うの。そこで、相談なんだけど……」
エレサは握っていたガレスの手を顔の近くまで寄せて、静かに……しかしその声は真なる力をもって――彼に願いを告げた。
「ガレスが王国騎士になって私を貰ってくれない?」
それは本当に、本当に突然の提案だった。
「そ、それは……えっ? どういうこと?」
「どういうことって……そのまんまの意味だよ。話、聞いてた?」
唇を尖らせてガレスの顔を上目遣いに見つめるエレサ。
もちろんガレスはエレサの言葉を聞き逃した訳ではない。
ただ、それがあまりにも突然で、文脈の読めない提案に混乱しているのだ。
初めて会ったはずなのに、「私を貰ってくれない?」と突然の告白、ガレスは意味が分からず、熱を出した時のように頭をボーっとさせた。
「初対面なのに、それは……どういうこと……?」
混乱した頭で必死に出てきた質問は途切れ途切れの言葉たち。しかし、そんな質問にもエレサは微笑みながら嬉しそうに返答する。
「まあ、変な男と結婚しない、っていう個人的で一方的な私欲のためでもあるけど……でも、これでも私ガレスに一目惚れしたんだよ? 理由なんか特にない。でも、今もすっごいドキドキしてる」
そう言いながら、エリサはガレスの手を自分の胸に添えた。たしかに心拍の間隔が速いように感じる。
しかし、こんな田舎住まいの自分なんかをお嬢様が好きになるだろうか……?
はっきり言って住む世界が違う。
自分とエリサでは不釣り合いも良いところだ。
そんな事実をエリサに呟けば、彼女は口をへの字にして「ばっかじゃないの!」と大声を出した。
「そんなこと、どうでもいい。身分の差とか気にしてるんだったら、その辺の貴族とくっ付いてるわよ! 私はそういうの抜きにして自分の気持ちを大事にしたの! 勝手に私の初恋を否定しないで!」
「は、初恋……?」
「……うん……そうだよ」
「そ、そっか……」
それから数秒、二人は黙り込む。
川の流れる音――せせらぎだけが二人のいる空間を奏でた。
「そうか……」
もう一度、相槌を打ったガレス。
今度は言葉を染み渡らせるように深く頷いて……。
彼女の言葉が、彼にはすごく嬉しかった。
両親に、兄弟に、村の人々に愛された少年だったが、同年代の異性の相手――好きな人からの愛の告白は嘘であったとしても、何よりの幸福として、その声が耳の奥で残響する。
(俺は……俺は……!)
その瞬間、今まで燻ぶっていた――、自分の中で蓋をしていた数々の感情が溢れ出てきた。
王国騎士になりたい願望――
強くなりたい願望――
そして、好きな人と一緒になりたい願望――
「俺も好きだ! 俺も一目惚れだった! だから結婚してくれ!」
少年ガレスにとっては驚くべき大声だった。
彼は昔から引っ込み思案で、人見知りで、どちらかと言えば気弱な性格だった。その分、誰に対しても優しい性格でもあったのだが……。
だからこそ、彼のこんなにも大きな声――それも引っ込み思案なガレスからは考えられない真摯な愛の告白は、この場に彼を知る者がいたら目を瞬き、もう一度、瞼を擦って、その光景を再確認する事だろう。
しかし、事実として、川辺で愛の告白をした人物は――ガレス・ウェルナーだった。
後から考えれば、これが彼にとっての転機だったのだろう。
この日から彼は変わった。
自分の夢の為に――、エレサと一緒に居て恥ずかしくない男になる為に――彼は変わった。
その日の内に両親に自身の夢を語り、応援してくれ、と頭を下げた。
ガレスに迷いはなく、決意もしていた。
しかし両親に悲しい顔をさせてしまうことに関しては申し訳ない気持ちがあったのは確かだ。
それほどに彼は両親を愛していた。
しかし返ってきた言葉は――
「ああ、もちろん。愛する息子の夢だ。応援するとも」
父は柔和な笑顔でガレスの片手を両手で包み込んだ。その返答にガレスは止めどない涙が落ちる。必死に泣き止もうとするが、どうすればこの涙が止まるのか、全然分からなかった。
「けど、家の方はどうすれば……」
実家の農業の方はどうする? 長男のガレスが継ぐのが一般的であり、それが普通だ。
だが、その問題に関しても、今度は弟の方から言葉が返ってきた。
「大丈夫だぜ、兄貴! 俺が実家を継ぐから、兄貴は夢を追いかけてくれ!」
「うんうん、お兄ちゃんは心配しないで。私だっているし!」
弟に続いて妹もそんなことを言ってくれる。
それがどうしようもなく……嬉しくて、嬉しくて……。
ここまで家族に愛される理由はひとえにガレスの優しさからだった。
彼は両親からの愛情に報いるために必死に家の仕事を手伝い、父や母が手が外せない時は両親に変わって弟と妹の世話もしていた。
ガレスはいつだって文句の一つもせず、あまつさえ率先して家族のために働いた。
そんなガレスの優しさに家族は心の底から感謝しながら、同時に申し訳なさも覚えていた。
ガレスは優しい――けれど、少しは自分の欲を出してほしかった。
彼がいるからこそ、畑仕事も弟と妹の世話も格段に楽になった。
しかし、だからこそ、両親や弟、妹はそんなガレスに恩返しをしたいとずっと思っていたのだ。
だから、ようやく自分の欲を――願いを告げてくれた彼を、家族たちが責めるはずがなかった。
そうして、家族の許可も得て、翌朝、彼は早速エレサにそのことを伝えると、そのままエレサの父を紹介され、王国騎士への道筋を教えてもらった。
王国騎士になるにはまず王都にある『王立騎士学校』に入学しなければいけないらしい。
そしてその学校に入る方法としてはまず入学試験を行い、成績上位二十名がその年の入学を認められる、というものだった。
倍率は毎年かなりのもので、王国領土の各地から腕に覚えのある者が勢揃いし、その中でも精鋭だけが選ばれるのである。
また、入学試験だけ合格しても意味が無い。
試験合格後は入学金の上納が決まっており、その金額は一目見てガレスが一生かけても払えない額だった。
「こんなお金、家にはありません!」
その言葉は当然の物言いだった。
しかしエレサの父は首を振って、入学金を払わないで済む方法を一つ教えてくれた。
それが――
「入学試験の成績上位三名だけは入学金が免除される。だから君が『王立騎士学校』に入学するとしたら、この方法しかないだろう」
入学試験を突破するだけでも至難の業だと言われているのに、成績上位三名となると、途方もない彼方のような話だった。
田舎者の自分が果たしてそんなことが出来るのか……?
いや、万に一つもそんなことはあり得ない。
と、以前のガレスならばそのように考え、すぐさま首を振っていただろう。
しかし、今のガレスは――
横に座るエレサを見つめて、決意を固める。
「頑張ります! 努力します! 絶対に成績上位三名に入って見せます!」
部屋中に響くその宣言にエレサの父は微笑まじりに「うん」と頷いた。
エレサの父もまたガレスのように田舎の村で生まれ、王国騎士に憧れた一人だ。
そして努力の末に『王立騎士学校』に入学し、今では王国騎士の中でも精鋭とされる国王の近衛騎士として活躍している。
だからこそ、エレサの父はガレスを応援していた。
自分のように――いや、それ以上の騎士に――
それからエレサの父は休暇の期間を全てガレスとエレサの勉強と訓練に費やした。
ちなみにエレサも王国騎士志望である。
彼女もまたガレスと一緒に騎士になって、その上で結婚したいと告げてきた。
どうやらエレサの父もそれは承知のことらしく、肩を竦めて首を振っていた。
元々エレサも父のような騎士に憧れを抱いていた。
しかし、騎士になっても、爵位を与えられることで、それを目的に男が群がってくるらしい。
騎士になっても、ならずとも――
「変な男は寄ってくるのよ!」
と、エレサは憤りながら怒鳴っていた。
どうにもこれまで、色々とそういったことで苦労してきたのだろう。
そうして、エレサの父にも助力を得て、鍛錬の日々を続けた。
十数年後――
彼は立派な王国騎士として活躍していた。
それもただの王国騎士ではない。
筆頭王国騎士である。
王国騎士の中でも一番の腕とされたガレスはまさしく、王国の武の象徴だった。
そしてエレサとも無事結婚し、一人娘にも恵まれた。
努力の末にガレスは想像以上の夢を叶えたのだ。
こんなにも幸せな日々が待っていたなんて……あの頃の少年だったガレスは夢にも思わないだろう。
しかし、これは現実だ。そして彼の努力の結果である。
全てが順風満帆。
今なら自分の手で何事でも可能と出来る、そんな自信すら持っていた――
――だが、そんな日々はとある事件によって崩れ去る。
この事件は王国でも後の歴史に連綿と語り継がれることになる、凄惨な――事件だった。
一言で言えば、その事件の内容は王都に魔物が侵入した、というものだ。
数匹の魔物ではあったが、鉄壁を誇る城壁に守られていた王都はそういった事態を想定しておらず、王国騎士の対応は遅れに遅れ、被害は甚大なものとなった。
そして、その被害者の中に……。
――エレサ・ウェルナー
非番だったエレサは鎧も剣も持たない状態で最後まで民を守ろうとして――命を絶やした。
ガレスが到着する頃には顔に白い布を被された状態で、彼女は一言もしゃべらずに横たわっていた。
その時、ガレスの悲痛な叫びは王都中に響き渡ったと言う。
それから間もなくしてガレスは此度の事件の対応遅れなどの責で自ら王国騎士の任を辞した。
王国側は最後までガレスを引き留めようとしたが、彼は俯きながら無表情で首を振るのみだった。
その後、ガレスは冒険者として活動した。
何故、冒険者になったのか、と言えば、彼の昔の夢だったから、なんてのは冗談にもならないだろう。
本当の理由は「魔物を殺せるから」とガレスは狂ったように笑って答えたそうだ。
最愛の人を失った彼にはもう何もなかった。
唯一、一人娘がいたが――彼はそれでも妻を失った悲しみを――、そして憎しみを――忘れることは出来なかった。
魔物を殺して、殺して、殺して、殺し尽す。
ガレスはその妄執に囚われ、冒険者を続けていた。
そして今、ガレスは地下迷宮、――終末塔に挑まんとしていた。
彼の念願――遂に、五階層以降の攻略に挑戦する。
この日を何年、待ったことだろうか。
一匹でも多くの魔物を――殺す。
そのためにも、この地下迷宮を野放しにするのはガレスには我慢ならなかったのだ。
殺す、殺す、殺す、殺す……。
その妄執は狂気とも呼べる禍々しさを感じつつ、ガレス――その一行はダンジョンの扉を開いた。
地下迷宮の名前を変更しました。終末塔――ヴィグリスです。