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異世界イヌ  作者: 双葉うみ
古国 ガルチュア編
56/57

S24話 優紀

 元来、正当性というものは存在しない。

 では、今存在する正しさとはなんだろうか?

 それは時代によって変わり、国よって変わり、人によって変わる。


 そして、世界によっても変わる。

 この異世界では前の世界の正義は通用しない。


「私の邪魔をするな!」


 さて、彼女ーーキミシマユウキに正当性はあるか。


「それはこっちの台詞だ! そのデカブツをぶっ殺させろ!」


 そして、彼ーールクス=リヴァルサンに正当性はあるか。


 そこには勇者という地位や姫という地位は関係ない。


 しかして、言えることは一つ。

 

 両者の正義はただの建前。

 そこに正しさなど存在しない。


 いつだって正義は後付けなのだ。

 言うなれば、勝者こそ正義。


「クソが! ぶった斬れろ!」

「口が悪いな! 口を動かす暇があるなら、腕を動かせ! 足を動かせ!」

「指図しないで! ああ! うっざい! 死ね!」


 両者の舌戦ーー正義のぶつかり合い、もとい悪態のつけ合いに意義があるとは思えない。

 そうは思わないだろうか?


 これはただの欲のぶつけ合い。

 個人的で独善的な我欲による傲慢な決戦。



――――――――――――



 門が閉じた。

『窮極の門』が閉じてしまった。


 宇宙の根源は消え、世界は正常を取り戻した。

 イレギュラーは存在しない。


「……いや」


 まだ存在する。

 ここに存在するではないか。


 キミシマユウキは王獣……邪神に片目を向け、口を歪めた。

 まだ可能性は潰えていない。

 

『窮極の門』が閉じたのならば、また開ければいい。

 ただそれだけの話だ。

 しかしーー


「させるか!」


 それを阻むは勇者ルクス。

 当然だ。また同じ轍を踏むほど、ルクスも愚かではない。

 

 次々に突き出される触手を切断していき、同時に繰り出されるキミシマユウキの斬撃も同じく剣で斬り伏せていく。


 その剣速は時間が経つにつれ、失速していくのが普通なのだが、ルクスは逆に速くなっていた。

 王獣とキミシマユウキの同時攻撃も最初は防ぐ一方だったのが、今では防ぐ以上に攻めの斬撃が増えている。

 

 その結果、キミシマユウキもその対応に追われ、『窮極の門』を展開させる暇がなかった。


「クソがよ! なんで、だんだん強くなってんだよ、こいつ!」


 ルクスに消耗戦で挑めば、潰されるのは相手。

 彼に体力が尽きるという状態はない。

 動けば動くほど、戦えば戦うほど、彼は経験を蓄積させ、それを糧にさらなる強さを手に入れる。


 もしルクスを倒したいならば、それは一撃必殺でなければいけない。

 そう、初手で殺さなければ、彼の強さは増長してしまう。

 

 だからこそ、この戦いはほとんど決着がついていると言っても良いかもしれない。

 最初の一撃で彼を屠らなかった自分を呪うしかない。

 

 そうだ。

 もう戦いは終わっている……。


「わけねぇだろ! うっさい! うっさい! うっさい!」


 キミシマユウキは(よぎ)った敗着の可能性を首を振って否定する。

 それほどにルクスは異常だった。

 それは圧倒的な戦闘力だけでなく、彼の精神も狂気を極めていた。

 先程から彼はずっと笑っている。

 楽しそうに。

 嬉しそうに。


 その感情が理解できない。

 キミシマユウキは彼を前にして自身の精神の凡庸さを自覚させられる。


 彼の異常性が勇者に相応しいかは分からない。

 しかし、それはーー特別なものだと思った。

 自分にはないものだと思った。


 けれどーー


「だからって、なんだよ! 私は勝たないといけない! 私は……私は……! 絶対に!」


 その証明に何の意味があるのか。

 姉に自分を認知させられる確証などない。

 そもそも姉の魂など、どこに存在するのか知らない。


 しかし彼女にとってそんなものは些末だった。

 そんな理屈など、どうでも良かった。

 

 ただ姉に知らしめたい。


「あの女に! あの女に……! このくそがぁぁ!」


 キミシマユウキは薙刀を大きく一線、振り切った。

 そこから生じた斬撃は一つ。

 しかし、彼女の生得魔術『雨ノ時空傷(カンナヅキ)』によって、斬撃は数を増やし、ルクスを襲った。


 ルクスの目の前に突如として幾つもの斬撃が発生した。

 だが、それをルクスは『夢斬(メリサ)』を使って一瞬で消滅させた。


「こんなものか!」


 叫びを上げながら、そのままキミシマユウキを飛び越え、後ろに控える王獣の元へ剣を振った。


「ーー『天斬(ミルス)』」


 ルクスの斬撃は王獣に命中する。

 王獣は触手を重ね、頭部を覆うように、防いだ。


「ほう、耐えたか」


 王獣の触手は瞬く間に消え失せ、王獣は頭部だけを残し、風船のような出立ちになっていた。


「でも、もう一撃で終わりだろ!」


 ルクスは続けざまに剣技を放とうとした。

 しかし、それをみすみす見逃す彼女ではない。

 キミシマユウキはルクスと王獣の間に大きく縦の時空の切れ目を作った。


「ーー『冥斬(ハデス)』」


 それは聖典流において、夜空を目指した最初の剣技。

 しかして、夜空とは全く真逆の性質を宿した、地下深く、冥界の力。

 理外剣技が一。

 暗闇を生み出す、破壊の一振り。


 キミシマユウキの時空傷に『冥斬』が吸い込まれていく。

 はずだったーー


「何これ? どういうことなの⁉︎」


 斬撃は確かに時空の狭間に消えていった。

 だが、その時空の中で『冥斬』はその威力を余すところなく発揮した。

 生み出した強力な闇のエネルギーが膨張し、まさしく時空の中で時空に傷を与えたのである。


「そうか! 俺は時空すらも斬れるのか!」


 ルクスの瞳は爛々と輝いていた。

 はっきり言って高揚していた。

 昂る胸の高鳴りが抑えられない。

 それは表情によく表れている。

 彼はキミシマユウキと王獣と対峙してから吊り上がった唇が下がらずにいた。

 幾ら手でへの字に口を曲げようとしても戻ってしまう。

 それほどに心臓という名の鐘が鳴り響いて仕方ない。


「あっはっはっはっは!!! 楽しいなぁ! 今日は!」


 ルクスは今日という日が楽しくて仕様がなかった。

 未知の魔物と戦い、ピオネロとも戦い、そして今は異世界の魔術師と王獣が相手として立ち塞がっている。


 こんなに強敵と戦える日は早々ない。

 いや、こんなにも色々な出来事が一気に巻き起こる一日など今後一生ないかもしれない。

 だとすれば、この瞬間をじっくり味わい尽くすべきだろうか。

 いや、違う。


「俺はそんなに我慢できない! 全力を出したい! ずっとずっとずっと、全力で! 精魂尽きるまで、命を賭して、この身体を動かし続けたい!」


 キミシマユウキはそんな彼を見て、正気を疑った。

 いや、それはもう同じ人間ではないと思った。

 そもそも異世界の人間などそれこそ全く別の生き物のように感じていた節があった。

 しかし、目の前にいるのは同じ世界から来たと思われる同郷の男だった。


「でも……」


 やはり、目の前の男が同じ人間だとは思えなかった。

 思いたくなかった。


「何なんだよ、お前は! 何なんだよ、お前はよぉぉぉ!」


 キミシマユウキの叫びが最高潮になるーーと同時に彼女が作った時空の傷口から爆発が起きた。


「えっ⁉︎」


 その突然の出来事に驚きの声を上げ、目を見開く。

 しかし、目の前のルクスは対照的にーーやはり笑っていた。


「だから言っただろ? 遂に俺はお前の魔法……いや、魔術だったか? まあ、どっちでもいい。どっちにしろ、俺はお前の術を破ったってことだよ」


 馬鹿な、と思った。

 しかし、その光景は彼の言い分の正しさを如実に証明していた。


「さあ、もっと加速させるぞ!」


 その声に応じて、龍剣がルクスの宣言を受理する。


《龍剣解放。加速収束。付加連続再生。これよりループを開始します》


 龍剣の声によってルクスの身体に変化が起きる。

 その都度によって進化したルクスだったが、今回の龍剣解放によって、その進化を自動的に、短時間の内に繰り返すプログラムを構築したのである。


 つまり、結論を言えば、彼は今、一秒間に一回身体を作り替える進化を繰り返している。

 普通であれば進化の度にルクスの身体は進化した結果をリセットしていた。

 しかし、今はそのリセットの速度を超えて進化を繰り返している。

 そう、ルクスは今、進化を膨張させているのである。


 ルクスの身体に禍々しい赤黒い痣のようなものが広がっていた。

 それは進化が膨張したことによって生まれた熱による影響だった。

 現在、ルクスの身体は高熱に侵されている。


 しかし、そんな熱すらもどこ吹く風でルクスは笑っていた。

 それはもはや狂気の沙汰だった。

 常人の域はとうに超えていたが、今はもはや人の身というのが怪しかった。


 神ーーいや、あれこそが魔王と呼ぶべき存在ではないだろうか、とキミシマユウキは嘆息と共にそんな馬鹿げた現実逃避をした。


「でも……でも! 私だって負けられないのよ! 私は……私は……!」


 彼女の目尻には涙が溢れていた。

 自分でもよく分からない。

 泣くのなんて何年振り……いや、あの牢に閉じ込められてから、自分は果たして泣いたことがあっただろうか?

 もう記憶にない。

 それほどに涙とは縁遠かった。

 しかし、今彼女の目には大粒の涙が、今まで溜めていた分だと言わんばかりに、溢れかえっていた。


「その覚悟、いいじゃないか! ああ! 楽しくなってきたなぁぁ!」

「どこが楽しいんだ! 何が楽しいんだ! 私の人生は何もかも楽しくなかった! だから私は……!」


 彼女の願い。

 それは未だに過去に縛られている。

 前には進めていない。

 彼女は姉という呪いに苛まれている。


「奇遇だな! 俺も前世は最悪だった。ずっと家にいて、外にも出られなくて、俺は自分の身を何度呪ったことか。だからこそ! 俺は今が楽しい! 身体を自由に動かせるのが楽しくて仕方ないんだ!」

「狂ってる。意味分かんない。何であんたみたいなのが、私の邪魔をすんのよ! 何で私の計画を! 私の望みを! くそがああああああぁぁぁ!!!!」


 彼女の叫びとともにルクスは喜色に歪んだ笑顔を顔に貼り付けて、走った。

 その速度は今までのものとは桁違いだった。


「迅い!」


 目で捉えることは不可能。

 気配すら置き去りにし、全てを置き去りにし、そのスピードは身体に熱を溜めれば溜めるほど速くなっていった。


「でも……!」


 キミシマユウキは自身の周りに複数の斬撃をトラップのように貼り付けた。

 そこを通ったが最後、斬撃がルクスの身体を襲う。


 だがーー


「そこにあるんだろ? はっはっはっは!」


 ルクスの瞳が金色に輝く。

 彼の瞳はロッセルと同じような魔眼とは違う。

 しかし、その瞳はルクスの身体同様に龍剣解放によって、凄まじい進化を果たしていた。


 つまり、見えぬ何かを微かに視覚する。


「そこだああぁぁ!!!」


 ルクスの龍剣が斬撃のトラップを斬り伏せた。

 そしてそのまま勢いを殺さずにキミシマユウキの元へ疾駆する。


「来るな! 何だよ、お前! 何なんだよ!」


 キミシマユウキは一心不乱に薙刀を振った。

 そこから生まれた斬撃は時空を跳躍し、ルクスの元へ直接、放たれた。

 しかし、そのことごとくを些事と称すように理外剣技など使わずに剣を振って霧散させていく。


「化け物! この化け物があああぁぁぁぁ!!!」


 キミシマユウキは王獣ーー邪神の上に時空の傷口を生み出し、自ら時空に入り込み、ワープした。


「すげぇな。自分の身体もその術の対象になれるのか」


 キミシマユウキはそんなルクスの賛辞も意に返さず、ーーいや、そもそも彼女にはそんな余裕がなかったーーその魔術を発動させた。


「ーー『邪神覚醒(コズミックエラー)』」


 その魔術を発動した瞬間、王獣の触手が一斉に再生し、隠れていた背中の翼が大気を揺るがす勢いで飛び出た。

 その翼は漆黒に彩られた、まさしく邪神の名に相応しい悍ましさを体現させていた。


「これで……どうよ! あはは! あははははは!」


 この魔術によってキミシマユウキの魔力は大幅に消費された。

 彼女の魔術『雨ノ時空傷』によって、ほとんど無限に近い魔力を得たが、それも理論上。

 現実的にはその魔力の供給には時間が掛かる。


 でも、この『邪神覚醒』によって形成は逆転したはずだ。

 流石の勇者も覚醒した邪神に勝てる訳がない。


 しかし、その王獣ーー邪神を見て、彼の表情は変わることなく笑顔だった。


「気味が悪い。ここまで来ると本当に人間じゃない」


 王獣の上から彼を見下ろすキミシマユウキは寒気すら覚えた。

 なぜか腕を見れば鳥肌が立っていた。


「でも、どうする気? この状態の邪神には勝てない。一時的でも、この王獣は本来の邪神の力を再現している!」


 彼女の言う通り、王獣は別世界の神ーー邪神の力を再現していた。

 その力は今までの比にならない。

 今まででさえ、王獣としての力を遺憾なく発揮していたが、今現在の王獣はその力を大幅に超越させ、それはもう王獣という枠組みを外れるほどだった。


「それが……どうした! ああ? どうしたってんだよぉぉ! ああ? ああ? あああああああ!!!!」


 ルクスの感情は最高潮だった。

 そこに英雄譚に謳われるような勇者らしさはない。

 いや、これこそが今代の勇者の真の姿。

 つまりーー


 これこそが勇者だ。


 勇者とはこうあるべき、ではない。

 勇者は勇者だからこそ勇者なのだ。


 ルクスが狂気に満ちているのであれば、それこそが勇者らしさなのだ。


「デカブツ! かかって来いよ! 怖いのか?」


 ルクスの挑発に応えるように邪神が紫色の光を収束させ、そして光線としてそれを放った。

 超弩級の魔力圧縮光線。

 それに触れたが最後、焼け焦げ、焼失するは必然。


 しかし、ルクスも同様に掌を向け、光を収束させ、光線を放った。

 その魔法こそは万夫不当、一騎当千の光魔法、究極が一。


 ーー『訣別(アラム)


 その魔法は邪神の紫の光線と正面からぶつかって、そしてそのまま押し勝ってしまった。


「な……何なの?」


 キミシマユウキの目はもはや、目の前の光景を視覚しながらも、それが現実か分からないでいた。

 

「ま、まだ……!」


 それでも戦意は消えていない。

 必死で時空に傷を作り、強力な光の攻撃を吸収しようと努めた。

 しかし、吸収に成功したものの、またも時空から爆発が巻き起こる。

 傷を塞ぐことはできない。


「何なのよ……。どうして……どうして!」


 不乱に頭を振る。

 信じられない。

 信じたくない。

 自分が……負ける?


「まだ……まだ!」


 邪神は再度、高密度に圧縮した魔力の光線を放とうとした。

 しかし、ルクスはその攻撃を放つ前に一足で距離を詰め、剣を振りかぶった。


「それはもう見た。新しいのにしてくれ。無いなら、もう終わりにしよう」


 その言葉の後、一秒間だけ、凪のような、しかして不気味な沈黙が生まれた。

 一秒後、ルクスは目を細めて、口を開けた。


「終わりだ」


 一言。

 たったそれだけを告げて、ルクスは思いっきりに剣を振り下ろした。


 それこそは龍玄流、聖典流、鬼想流ーーいや、その域を越える剣帝が扱えし、原初の剣技。

 その名こそーー


「さあ、見せてやる。今日で二度目だ!」


 夜空よ煌めけ。

 世界よ跪け。

 それこそ銀河を超えし、千変万化の革命前夜、創世前夜の黎明に繋がるーーいや、それら全てを内包する宇宙の再現。


 天は傾き。

 空は倒れ。

 星は流転する。

 

 これこそ最上の栄光と希望を込めた、星々の栄華を語る、真の剣技ーー


「ーー『銀河万転』」


 龍剣から宇宙が生まれた。

 それに飲み込まれ、王獣はなす術もなく、それを一身に受けた。

 そして、身体を一瞬のうちに消滅させられる。

 そう、それは瞬きのうちに、それよりももっと短い時間の最中で起こった、現実離れした現実。


 キミシマユウキはすんでのところで時空の狭間に逃げ込んだが、その剣技は時空にさえ干渉した。


「あっ……」


 驚く暇もなく、それは起きた。

 時空間はスノーノイズのように乱れ、そして、次の瞬間、キミシマユウキは見知った『謁見の間』の玉座の足元に横たわっていた。


「戻ってきた……」


 キミシマユウキはルクスの剣技の余波によって時空から放り出された。

 結果、彼女の逃避は失敗に終わった。

 そして、彼女の身体は同時にーー


「終わりだな」


 見上げる。

 そこには同郷の男が無表情で自分を見下ろしていた。

 先程までの笑顔が嘘のように、その表情に感情は見受けられなかった。


 それを見て、ああ、本当に終わったのだ、と思った。


 どこで失敗したのだろうか?

 最初から?

 この勇者たちが来た時点でもう自分は運命を決していたのだろうか?


 いや、そもそももっと前から自分は……。


 結局、自分は何をしたかったのだろう。

 確証もないことをしようとしていた。

 しかし、それ以外にやることがなかった。

 もうこれしかなかったんだ。


 歪んでいる。

 矛盾している。

 欠陥だ。

 不良品だ。


 自分はなんて馬鹿なのだろう。

 こんな最期を迎えるなら、もっと真っ当に、慎ましく生きていればよかった。

 

 過去などに縛られず、綺麗さっぱり忘れて、前に歩き出せば……。


 いや……無理だ。


(私は……私は結局……)


 思い浮かべるのはいつだって姉の顔だった。

 優しくされた記憶など短い。

 恨む期間の方が長かった。

 でもーーでもーー


(ああ、私はあの女のことをーー)


「お……ねえ……ちゃん……」


 息も絶え絶えに掠れた声でその呼び名を。


 それを聞いたルクスは一瞬、剣を持つ手の力を抜きかける。

 だが、すぐに力を加え直し、片目を閉じ、眉間を狭めた。


「日本人……か」


 今、ルクスは前世の世界の人間を殺そうとしている。

 生捕りは選択肢にない。

 もし、ここで殺さなければ、後悔することになるのは自明だった。

 彼女を制御できるほど自分も加減できるほどの実力は持ち合わせていない。

 今も龍剣解放の連続使用によって勝てたに過ぎない。

 だから、殺す。

 それ以外の選択肢はなかった。


「じゃあな」


 ルクスは最後に小さく呟くように別れを告げて、彼女の首に剣をーー


 どうしてか、短かったが、彼女との日々が思い起こされた。

 数日だ。

 いや、合わせれば一日にも満たない関係だった。


 それなのに何故か、ルクスは思い出を懐古していた。


 占い屋、露店街、裏道、街中……。


 不思議だ。

 こんな感情はーー


「ルクス様?」


 駆け寄ってきたエミリスがルクスの異変に誰よりも先に気づいた。

 エミリスは俯くルクスの顔を覗き込む。


 そんな彼の片目、瞳からは一筋の涙が落ちていた。

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