S12話 巡礼
リゼル・セルレッテは普通の人間ではない。
普通の定義にもよるが、彼という存在は誰がどう見ても、普通ではないだろう。
彼の正体――などと隠している訳でもないが、その出自を知れば、誰もが異質だと思うはずだ。
結論から言えば、リゼルは人造人間である。
そう、通常の人間の生まれ方、そのプロセスをリゼルは踏んでいない。
そして、ただの人造人間でもない。
彼の身体には幾重にも呪印が刻まれている。
その姿は禍々しく、忌み嫌われる。
リゼルにとって、その身体も、生まれ方も、全ては彼の――普通だった。
しかし、その普通が普通でないと知るのに、そう時間は掛からなかった。
リゼルは自分が正当な人間であるとして、育てられた。
田舎の村落である。
緑も豊かで、人と人との距離が近く、皆が親しい間柄の、そんな村だった。
そこでリゼルは村長の家の地下――牢の中で孤独に生活していた。
不幸ではなかった。
不自由ではない、とは言えない。
生活圏内が牢屋の中だけなのである。
自由は制限されていた。
しかし、だからといって、それが彼の不幸ではなかった。
幸福とまでは言わない。
だが、それなりに満足していた。
三食昼寝付き。
毎日の楽しみは食事をとること。
それを虚しいという奴もいた。
馬鹿にする子供もいた。
だが、リゼルはそんな生活に不満を感じなかった。
大人は幼いリゼルを崇めながら、丁重に接してくれる。
それに、牢の中も存外、快適であった。
ベッドやソファ、その他にも調達品は充実しており、生きる分にはこれ以上なく悠悠自適であった。
しかし、そんな生活も突如として幕を下ろす。
リゼルを救いに来た者がいたのである。
と言っても、当時のリゼルにしてみれば、それは救いというより、攫いに来たという印象だった。
「お前がリゼル・セルレッテか?」
その男は能面のような無表情で、リゼルに問うた。
それが彼との出会いだった。
その後――男の影響でリゼルは剣の道を進む。
つまり、リゼルにとって剣とは後付けの――後天的な目的だった。
では、先天的な目的とは?
リゼルーー彼の在り方はとうに決まっている。
現在の彼が幾ら過去の自分を否定しようが、その真実はリゼルを掴んで離さない。
リゼルと言う存在は変わらない。
新たな目標を掲げようと。
必死に努力しようと。
どんなに否定しようと。
彼の奥底で眠るそれは息づいている。
今も呼吸している。
そして、虎視眈々とその時を狙っている。
――――――――――――
「アアアアアアアアアアアアァァァァァァァ!!!!!!」
獣のような叫び声はリゼルのものである。
声だけでなく、その姿も異形に変わり果てていた。
そこにリゼルの面影は微かに残っている程度。
そもそも、人間かどうかが判断できない。
「リゼル⁉」
ロッセルは震えた声で、仲間の名前を口にする。
目の前の化物に、声を掛ける。
だが、それは声を掛ける相手として正しいのだろうか。
それは本当に――リゼルなのだろうか?
「アアアアアアアアァァァァ!!!」
苦しそうに、涙を交えて――叫びは悲痛に。
しかし、それも一瞬。
次の瞬間には、苦しむリゼルはおらず、そこには怒号を声に宿す、人造人間がいた。
身体の呪印が赤と紫に、怪しく光る。
その呪印は上半身にだけ刻印されていたのだが、徐々に足や顔に伸び始めていった。
そして、最終的には身体全体に呪印が広がり、リゼルを支配した。
「リゼル? リゼル! 意識はあるかい!」
ロッセルの呼び掛けにも応じず、人造人間は唸り声を上げたまま、姿勢を低くし、大剣を肩に担いだ。
「何だ?」
ダスカロイは静かに疑問を呟く。
だが、その異常にも、冷静に対処する。
横一線に抜刀――
しかし、それを大剣によって防がれる。
いや、その理不尽な暴力は精錬の刀を薙ぎ払い、ダスカロイ諸共、吹き飛ばした。
「くっ!」
壁に叩きつけられ、肺が圧迫される。
壁の瓦礫がその衝撃でボロボロと落ちた。
その光景を見て、ロッセルは驚く。
ここに来て初めて、ダスカロイの苦しむ姿を確認した。
しかし、それ以上に、リゼルの変容に目を奪われる。
彼はどうしたというのか――?
「何だ、それは……? いや――」
ダスカロイは背中を預けていた壁から身体を起こし、立ち上がりながら首を振った。
「どうでもいいか」
刀を抜き、人造人間に切っ先を向ける。
その瞳には一色しか存在しない。
他の色はない。
ただ、一色だけ。
それが――彼だ。
静寂とは彼のことを言うのだろう。
掠れた黒を、隅々まで美した。
それこそが、ダスカロイ・フォルゲンの精神である。
それこそが、彼の強さの所以である。
対して、荒ぶる強さの象徴。
それが今のリゼルーー人造人間である。
そこに理性はなく、理想はなく、現実だけが彼を形成する。
傷だけが、力だけが、怒りだけが、彼を成立させる。
「アアアアアアァァァァ!!!」
「来い」
しかし、そこに割って入るは一つの魔法。
穴のように黒い球体が四つ、ダスカロイに襲い掛かる。
ロッセルはリゼルの変化に戸惑いを見せながらも、これを攻勢の契機だと判断した。
ここで魔法を繰り出さなくて、いつするというのか。
だが、ロッセルの『黒球』はダスカロイの――魔法によって相殺された。
「その剣の実力で魔法剣士なのか⁉」
ダスカロイが放つは『光線放射』である。
それも軌道修正を行い、完璧な射線軌道で『黒球』を狙い撃った。
その光線の数は『黒球』と同じく四つ。
四つの魔法を同時に操作する卓越とした魔力コントロール。
剣士でありながら、ここまでの魔法適合。
その実力ならば、十分、魔法師として食っていけるレベルである。
「天は二物を与えたって訳なのかい? 才能ある僕が言うのもなんだけど、中々、堪えるものだね」
苦笑するロッセル。
まったく、何もかも初めての経験だ。
恐怖を超え、その感覚は楽しさすら覚えていた。
「だけど……どちらにせよ、この状況は君にとって悪いはずだ!」
ロッセルは挫けずに魔法を放ち続ける。
そして、ロッセルの魔法を背に、ダスカロイに迫るは人造人間である。
呪印は光り続ける。
それが意味するところは何なのか。
答えを教えてくれるものはこの場にはいない。
その光は怪しく発光するだけ。
謎は蟠り、沈んでいく。
深く、深く、深く――
唸り声を上げ、突進する。
そんな人造人間にダスカロイは『空蝉』を放つ。
だが、それを軽々と大剣で薙ぎ払われる。
「単純な膂力か?」
だとしたら化物である。
いや、それはもう完全に――人外だ。
その姿は鬼のようでもあった。
だが、違う。
化物、と一言で呼称してしまえば、それまでだが、しかし、一概に化物という訳でもない。
確かにその力は人外だ。
だが、その姿には人間の名残がある。
リゼルの面影が微かに漂っている。
髪は伸び、牙を携え、瞳は真っ白に、肌は真っ黒く、呪印の光が目立つ。
人型である。
顔つきはリゼルのそれだ。
だが、その見た目に恐れを抱かざるを得ない。
しかし、当然として例外は存在する。
ダスカロイは平然とそれを見据える。
感情の高鳴りはない。
起伏なく平坦な道を辿る様に。
人はそれを見てつまらないと呟くかもしれない。
だが、得てして本当の強さとは変わらない、ということである。
変化しないとは、静寂な烈日なる強さなのである。
「これは、どうだ?」
『空蝉』が破られ、次は魔法での攻撃に転じた。
先程、『黒球』を相殺した『光線放射』を発動する。
事前に軌道を描き、その通りに、真っすぐ人造人間に向かった。
人造人間は向かってくる『光線放射』を大剣で切り裂こうとした。
しかし、直前で『光線放射』の軌道が屈折し、人造人間の身体を直撃する。
「なんだ、あの軌道変化⁉ 本当に剣士なのか⁉」
ロッセルの驚きも無理はない。
魔法の軌道は事前に描写するのが普通である。
魔法大学でもそう教わるはずだ。
軌道描写の仕方は変わらない。
それを事前にするか、魔法発動時にするかの違い。
だが、その違いが大きいのだ。
魔力操作は深めれば深めるほど、微細な操作を求められる。
その上で、魔法発動と言う別の行動にも思考を求められる。
魔力操作と魔法発動は一見して似ているようで、まったく別の構造理念だ。
それを並列的に行うということは、どんな大魔法を発動するより難しい。
驕っていた訳ではないが、現代の人類においては――客観的に見て――一番の実力だと疑っていなかった。
ロッセルはそれを真実たらしめるほど、魔法に関しては規格外だ。
だが、目の前のダスカロイはそんなロッセルが目を瞬くほどの、魔法適合の高さを見せた。
――こんな人間は初めてだ。
閃光が止む。
ダスカロイの『光線放射』の影響で、暗闇の遺跡内が瞬間的に眩い光に包まれたのである。
しかし、その光も暗闇に慣れ、消えていく。
光が止んだ、そこには――人造人間が立っていた。
倒れていない。
あの『光線放射』を直撃させ、傷一つ、ついていない。
本当にどうしたのだ?
ロッセルは今一度、その疑問を頭に思い浮かべる。
異常だ。
それこそ、人間のそれではない。
「リゼル……大丈夫……なのかい?」
ゆっくりと紡がれる心配は、今のリゼルーー人造人間には届かない。
届きはしない。
そこに彼は――いないのだから。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォ!!!!!!」
獣のような声が轟く。
遺跡が震えたかもしれない。
地面が揺れたかもしれない。
災いとはそれである。
いや、厄災とは彼自身のことを言うのかもしれない。
そうだ。
恐れはそこに。
哀は無くとも、怪しく光る呪印はそこに。
赤く、目眩とともに紫を。
その光は希望でなく、絶望……いや、違う。
それは深い穴だ。
奥底は見えない。
不安が生じ、恐怖に繋がる。
彼はそういう存在だ。
「空蝉」
ダスカロイの呟きとともに、刀がゆっくりと凄まじい速度で斬撃を放つ。
その威力は今までで一番。
それは静かに心を穿ち、静かに脅威を示す。
その一太刀によって、彼らがいる遺跡の通路は遂に限界を迎え、崩れ始めた。
しかし、それも構わず、ダスカロイは『空蝉』を放つ。
遺跡同様に、相手を瓦礫の山の一部にさせる。
その勢いで放った『空蝉』は……。
「ウオオオオォォォォォォ!!!!」
叫び声とともに大剣が振るわれる。
大剣は嵐を呼び、稲妻を纏い、厄災をその身に宿す。
ああ、これこそは恐怖の体現である。
大気よ、怯えよ。
死せるは祝福よ。
――――――――――――
「絵空事ばかりだ、この世は」
彼は言った。
全ての色を詰め込んだ、そんな夜空の下で、彼は言った。
草むらに寝転がり、二人は微笑する。
夜空は――不思議だ。
それこそ異世界のように思える。
窓なのだ。
それは異世界の景色を見ることが出来る、唯一の場所。
「剣は嘘を吐く」
彼は微笑みとともに呟く。
全剣士と真逆のことを彼は言う。
剣とは嘘をつかないものなのではないのか。
努力は嘘をつかない、そのような風に。
「嘘を吐く。結局、人間が剣を作ったんだ。嘘の権化の人間だ。剣だって嘘を吐く」
彼の話はいつも迂遠だ。
子供のリゼルにはよく分からない。
だが、彼の話はどうしてか、胸が躍った。
「まあ、こんなどうでもいい話は忘れてくれ」
決まって彼は、そういって話を締める。
でも、忘れない。
彼の話はどれもリゼルの人格形成の一助になった。
それはリゼルを作ったと言っても過言ではない。
彼は今どうしているだろうか?
「覚えるんだ、これだけは」
そんな彼が唯一、覚えるように言った言葉。
――これは巡礼だ。願いではなく、祈りではなく、弔いでもなく、悼み続けるそれは、苦痛でも悲痛でも……。そこは廃れ、朽ちることを涙をもって囁く。賢明なる君よ、英雄たる誰そよ。夕闇とともに夜空を描き、月よ、星よ、そして一番の優しさを。恋だよ、これは。三剣……否、四剣をもって、今――告げる。
――さあ、戻れ。
――――――――――――
覚悟じゃない。
心に宿すべきは、優しさだ。
彼の声が聞こえた気がした。
目を覚ます。
長い夢を見ていたようだ。
「あれ……どうしたんだ、これ……?」
そこは、瓦礫が山積していた。
先程までいたはずの遺跡の通路ではなかった。
そこはまったく別の景色。
「起きたのかい、リゼル!」
すぐそばにロッセルがいた。
安心したのか胸を撫で下ろし、息を吐いていた。
「これは……?」
リゼルは状況が理解できず、思った疑問を口にした。
そんなリゼルにロッセルは目を見開くが、続く言葉を彷徨わせた。
「覚えていないのかい……?」
「あ、ああ……。何があったんだ?」
首を傾げるリゼル。
それを見てロッセルは口を噤んだ。
何かを言い掛けてやめたようだった。
そして、目を逸らし、暫くして口を開く。
「遺跡が……遺跡が崩落したんだ」
「そうか……。はっ! そうだ! あいつは、どうした!」
「発掘隊の副隊長かい?」
「そうだ」
ようやく戦っていた相手のことを微かに思い出す。
あの敵は――?
理想は――どこに?
「恐らくだけど……この下かな?」
親指で示すは瓦礫の山である。
つまり、瓦礫の下敷きになったのだ――ダスカロイ・フォルゲンは。
「そうか……」
それを聞いて、リゼルは何とも言えない気持ちになった。
嬉しさなどなく、だからと言って落胆でもない。
あっけなかった。
その結末は実にあっけないものだった。
ダスカロイ・フォルゲン。
彼は尋常ならざる領域外の住人だった。
だというのに、瓦礫に押しつぶされ死んだ。
そんなものなのか。
「それよりも、動けるかい? すぐにルクス君たちのところへ行こう。新たな道を見つけた」
そう言って、ロッセルは視線をその道へと向けた。
「立てるかい?」
「ああ」
リゼルはゆっくりと立ち上がって、とぼとぼとロッセルの後をついていく。
その場を離れる前に、ふと後ろを振り返る。
瓦礫の山。
静かにそれは――
「大丈夫かい、リゼル」
道の奥からロッセルの声が響いた。
リゼルは前を向き、ロッセルの声がする方へと走る。
昔を思い出していた。
この感覚はあの牢の中を思い出す。
だけど、その感覚はもう、過去だった。
なんだかふわふわする。
不思議だ。
暗闇は置いていく――
そして、リゼルは前を走る。




