030話 セルジュ・キルク・クローノス
「あっはっはっは! すごい損傷だね。いったい、どんな魔法を食らえばこんな事になるんだい?」
エルフの森のとある工房にて、かの大魔法使いセルジュ・キルク・クローノスは剣鬼、クゼン・リュウリュウの傷を魔法で癒していた。
セルジュの回復魔法は『再生』というもの。
それは正確に表現するのであれば、癒す、というより、戻す、と言った方が適当かもしれない。
局所的な時間操作。
時間の巻き戻し。
しかし、世界に大きく干渉する訳ではない。
ただ、少しだけ、目――世界の目――の錯覚程度に騙すのだ。
それが『再生』という魔法だ。
そのおかげで、クゼンの失った左腕と右足。そして、だらんと垂れ下がった右腕の諸々は綺麗に元通りに復活した。
これこそ、奇跡。
人類史上、これほどの御業を成せるのはセルジュを差し置ても数人しかいないだろう。
その数人も、今や生存は確認されていない。
つまり、実質、セルジュだけがこの奇跡を成せるのである。
しかし、当人のセルジュは自身の力をそこまで高く見積もってはいなかった。
それこそ、吸血帝のような驕りが見えない。
彼は自分が扱える数々の魔法を戦闘という観点では見ていない。
彼にとっては、研究のための手段でしかない。
もしくは、研究の途中で得た、副産物のようなもの。
セルジュはその副産物自体には価値を見出していない。
彼が価値を認めているのは唯一、魔法の深淵、それだけだ。
起源と言うべきか。
始まりだ。
魔法の『一』とも言える。
最初の魔法に至ること。
それだけが、セルジュの望みだった。
魔法師になってから――というか、魔法を知ってから、その願いは……いや、目標は変わらない。
全ての魔法を知りたい。
そして、魔法の全てを知りたいのだ。
それは、魔法に携わる者として当然の思想だろ?
セルジュは決まって、そのような文句を言う。
それは、彼にとって当然なのだ。
人が立ち、歩き、食べ、差別するように、それは、ごく自然的なことなのだ。
「最高の戦いだった。あれこそ、人生最上の一時だった」
「それほどか?」
「ああ、それほどの相手だった」
クゼンの話を聞く限り、クゼンをここまで追い詰めた魔物がいたらしい。
それも、セルジュと同等、いや、それ以上かもしれない魔法の使い手である。
三種の混合魔法などセルジュでさえ、おいそれと出来るものではない。
二種ならば、まだしも、三種類は並列思考でも処理速度が低下する。
処理量が段違いなのだ。
それを魔物がやってのけるとは……。
「僕も一度、会ってみたいな」
多分の興味がある。
それほどの魔法の使い手は、自分以外ではもう何百年も会っていない。
知的好奇心をくすぐられる。
しかし、今ではない。
「いずれ、その時が来るだろう」
運命などという、蒙昧としたものを信じてはいない。
だが、タイミングというものは存在するのだ。
その時期が来るまでは、意味をなさない。
そして、今はその時ではないのだ。
「俺はすぐにでも、再戦したいけどな」
クゼンは口元を緩めて、治ったばかりの右手で剣を握っている。
気が早い奴だ。
クゼンとはそこまで親しい仲という訳でもない。
ただ、ここまで長生きしていると、知り合いも限られてくる。
数少ない知り合いの一人が、この剣鬼なのである。
「再戦はまた今度にしてくれ。それより、ようやく、神蛇との謁見が許された。君にはその時の護衛を頼みたいんだ」
「護衛? 何かあるのか?」
「いやいや、用心に越したことはないだろう? 相手は神獣が一体、かの生と死を司ると言われている相手だ。何をされるか分からない」
神蛇――豊穣の神としても有名である。
このエルフの森の守り手であり、エルフたちの信仰対象。
人間世界では存在自体が創世記に記された、フィクション上のもの。
その存在はエルフたちによって秘匿されており、実際に現世にいると知る人間などいないだろう。
セルジュ以外は。
セルジュも人智の領域はとうに超えた存在だが、彼自身は未だ人間であると思っている。
それは、人間の矜持から来るものではない。
それは、絶対的な過少評価から来るものだ。
セルジュはこの身体に満足していない。
もっと特別な身体でなければ、と日々、努力している。
その努力は鍛錬に励む、なんてことでは当然ない。
それこそ、現在のセルジュの研究の本題。
神獣化のための研究。
神獣の身ならば、永遠に魔法の研究が出来る。
また、人の器では叶わなかった、様々な魔法詠唱も可能となるのだ。
魔力量も身体の強度も、様々な要素が規格外となり、さらなる魔法の探求の糧になることは確実であろう。
だからこそ、欲しい。
セルジュは神獣の身体を欲しているのだ。
吸血帝もその研究の一端だった。
あの実験はセルジュの研究に多大な恩恵をもたらした。
まさか、吸血帝が吸血龍になるとは想像もしなかった。
神獣には劣るものの、ある程度の歴史を備えていれば、神話級の魔物でも、王獣へと進化できるのだ。
これはすごい発見だ。
百年待った甲斐があったというものだ。
「ありがとう、グリーセス」
昔の友の名を口にする。
彼とは、色々な研究を共にした。
彼だけではない……。
「グリーセス、か……。あいつは死んだのか?」
クゼンは先程までの意気軒昂な様子が嘘のように、湿っぽい雰囲気を醸し出す。
そういえば、この百年でクゼンはグリーセスのことを気に入っていたようだった。
頼んでもいないのに、地下迷宮へ足繫く通っていたほどだ。
彼もまた、セルジュ同様、知人は少ない。
その中でも、彼にとってグリーセスはいい話し相手だったのだろう。
「ああ、死んださ。捉えていたグリーセスの生命信号が途絶えた」
「幻術の可能性は?」
「何のために騙すんだい? ああ、アリスなら僕のことを警戒しているか。けど、無理だよ。この星眼は捉えた対象を見逃すことはない。その対象が消失しない限り」
セルジュは右目を指さし、クゼンに言った。
「そうか……」
クゼンは視線を少し下げ、口を閉じた。
彼には少し悪いことをしたかな、とも思ったが、しかし、必要な事だったのだ。
ごめんよ、クゼン。
ごめんよ、グリーセス。
ごめんよ、――――。
「まあ、でも、仕方ないだろう?」
クゼンには聞こえない小さな声で囁く。
セルジュにとっては、致し方ないことなのだ。
自分の夢のため、その過程を踏まなければいけない。
しかし――
(予想外のことも多かった。今じゃない、とは言ったが、けれど、気になるものだね)
ずっと見つけられなかった主を見つけた悪魔。
最後の最後、あり得ない進化をした吸血姫。
そして――
突然現れた、潜在能力未知数のイヌの魔物。
セルジュはクゼンを残して工房の地下へと降りた。
そこは聞き慣れた怨嗟の声や悲鳴が響き合っている。
そんな一般的な感覚では凄惨な光景を背に、セルジュの顔は満面の笑みで彩られていた。
「ああ、楽しくなってきた! 世界は動き出した! これから始まる!」
喜色に満ちたセルジュの声が、怨嗟の声をかき消して、高らかにこだまする。
「さあ、幕開けだ!」
それが予言したものだったのか、それは本人にしか分からないことだが、しかし、セルジュの言う通り、世界は確実に動き始めていた。




