028話 百年の終着
《魂の回廊より、接続。提案を受理。これより、『獣化』を発動》
その声は突然だった。
誰の声かも分からない。
しかし、どこか安心する声。
(あなたは何者?)
アリスの問いに返答はなかった。
その代わりに、自身の身体の異変に気付く。
魔力が膨れ上がるのを自覚する。
胸の奥底から湧き上がる、無尽蔵とも思える魔力の本流。
これは――
《サリユ・ギー・フェンリルの魔力を一時的に供給》
(サリユ様⁉ じゃあ、これは、サリユ様の力なの?》
アリスはここに来る前にサリユと主従契約をした。
その結果、サリユと魂の回廊が繋がったのである。
魂の回廊――魂と魂の接続線。
《獣化率38%――安定。魔力――定着》
アリスの身体は人型の器を保ちながら、しかし、身に纏う魔力は獣のように荒々しく、その振る舞いも獣そのもの。
両手を前につき、肉食獣の如く、呻らせる。
「なんだ、それは?」
吸血帝の声にはどこか喜びの感情が見える。
「獣だな。その構え、品位が微塵も感じられない。品性に欠ける」
どうでもいい。
こいつを倒せるのならば。
因縁に決着をつけられるなら。
ここで、また新しい生を始められるならば。
「サリユ様……。あなた様とずっと一緒に……」
未来が楽しみだ。
明日が楽しみだ。
そんなこと、この百年、一度たりとも思いはしなかった。
なのに、あのお方に出会ってから……。
「サリユ様……!」
喉を震わせながら、崇高なる名を声に出す。
「さあ、ここからが決戦だ!」
吸血帝の叫びで火蓋が切られた。
――――――――――――
なんだ、これは?
それは、圧倒的な魔力であった。
そして、圧倒的な暴力でもあった。
全てにおいて、吸血帝は吸血姫を上回っている。
それが、絶対的な関係性であり、決められた役割だ。
それを超越することなど、ありえない。
それは世界への――反逆である。
世界が許したのか?
いや、違う。
世界を屈服させている。
「素晴らしい!」
吸血帝は再度、笑う。
吸血姫の異変に――超克に。
どちらが優勢なのだろうか?
分からない。
一手間違えれば、死ぬのは自分だ。
それほどに、白熱している。
余裕はない。
油断も出来ない。
見下すことも、侮ることも出来ない。
吸血姫の攻撃は異変と同時に、まるっきり変わってしまった。
それまでは、頭を使った戦い方をしていた。
安全策をとことん選んでいた、とも言える。
一手一手が正解ではないが、失敗でもない。
そう、失敗しない選択肢を選んでいたのだ。
それは、一見、戦いにおいては冷静とも言える。
しかし、こと生死を賭けた戦いにおいては、これ以上なく、愚策かもしれない。
つまり、相手の予想を超えてこないということである。
爆発力だ。
戦いとは、爆発力によって形勢を変える。
それがなければ、劣勢のままだ。
善戦したところで、負けは確定。
だが、目の前の吸血姫の戦い方は違った。
その攻撃に冷静さは欠如し、その移動に優美さの欠片もない。
ただ相手を屠るためだけの動き。
「出鱈目だ」
頭脳を有した生命体の戦い方ではなかった。
それこそ……。
――獣
吸血姫は今、両手の爪によって攻撃してくる。
先程までの『血剣』――道具など使わずに、己の身体で攻撃を加えてくる。
しかし、その攻撃は絶大だ。
『血剣』など比べるべくもなく、吸血姫の鉤爪は吸血帝の身体を切り刻む力を有している。
両手を振るうごとに、鉤爪による斬撃が吸血帝を襲う。
その軌道は斬術とは異なり、予測が不可能。
避けきれずに右肩に斬撃を食らってしまう。
「くそっ!」
肩が抉れ、血が噴出する。
すぐさま、血を凝固させ、傷口を塞ぐが、痛みは消えない。
神経の幾つかはこの場では回復不可能である。
肩を抑えながら、吸血姫の動向に注意を払う。
つい先ほど、攻撃してきたはずなのに、当人はすぐに距離をとって、辺り一帯を動き回っている。
それに、海面上だけでなく、空中に血の球を浮かべ、それを足場にして、三次元的に移動している。
その動きも攻撃同様、予測できない。
「なんだ、その動きは!」
不満をこぼしたくもなる。
これでは一方的に攻撃を受ける形になってしまう。
今のままではダメだ。
接近戦ではジリ貧は免れない。
なら――
「鮮血流星!」
巨大な血の球が天に向かって飛んでいく。
十数秒後、頭上から赤黒い隕石の雨が降る。
一面に隕石が落ち、逃げ場をなくす。
これで無傷ということはないだろう。
「さて、どうだ」
だが、吸血姫は己に降りかかる隕石を次々に、鉤爪で切り刻んだ。
力任せに、策などなく、ただの暴力を押し付ける。
「これは……」
自分が望んでいた展開。
ただし、立場が逆。
単純な力関係に持ち込み、最終的に押し勝つ。
しかし、それを今、自分に被られるとは。
どのような絡繰りをしたかは分からないが、現時点での魔力量、フィジカルの立場は逆転された。
このような相手にはどうするべきなんだ?
分からない。
「鮮血流星!」
手段が思い浮かばない。
吸血帝は取り敢えず、同じ魔法を放つ。
それしか、する事がないのだ。
こんな戦いは初めてだ。
幾千年、あらゆる者として、あらゆる敵と、拳を、剣を、矛を交えてきたが、その全てを圧倒的な力で捻じ伏せてきた。
だが、それをいざ、自分が身に受けることになるとは……。
――こんなにも、辛いものなのか。
「何なんだ?」
息が荒い。
呼吸が浅い。
身体を上下する。
疲れが取れない。
こんなにも追い込まれたことはない。
まして、損傷を受けるなど。
「これこそ、世界の反逆か……」
すごいな。
自分には成し得なかったこと。
動き始めたのだ。
「いや、世界自体が変わり始めたのか」
だとしたら、何がトリガーだ?
世界を変えるほどの存在。
それとも、いずれかの神獣が動き始めたのか?
外なる神どもの動きも怪しい。
だから、むやみに異世界転移などするべきではないのだ。
世界と世界を繋げることで、自分もそうだが、外なる神々も接触を試み始める。
その結果、この世界の均衡は崩れるというのに……。
神龍め、何を考えているのか。
「くっ、この!」
いいや、そんなことを考えている場合ではなかった。
今は目の前に集中だ。
と言っても、再度、放った『鮮血流星』も木っ端微塵に切り刻まれた。
正直、打つ手が見つからない。
そもそも『鮮血流星』の爆撃を対抗される想定などしていない。
「さて、どうするべきなんだ?」
接近戦はもってのほか、距離を離して戦うしかない。
だからと言って、それが決定打になるはずもなく。
(これが、手詰まりというやつか)
じれったいものだ。
それに焦りだけでなく、恐れも感じる。
怯えているのか?
(この我が?)
そんな役目はない。
そんなキャラクター造形は設定されていない。
感情などない、とそのはずなのだが……。
「つくづく、常軌を逸している。変化とは面白いものだな」
手札はない。
魔力量も僅か。
あと、出来ることは……。
「そうか……。諦めないとは、こういうことを言うのか」
負けたくない。
それは肥大化したプライドがそうさせるのか。
それとも――
吸血帝はまたも血の戦斧を作る。
やはり、この得物が一番、手に馴染む。
一矢報いる。
いや……。
「勝つのは我だ」
静かに呟く。
しかして、その闘志は初めて――燃えていた。
――――――――――――
身体が軽い。
自分が自分ではないようだ。
「これがサリユ様の……!」
温かい。
気持ちいい。
最上級の喜び。
「サリユ様と一緒ならば、どんな格好でもいい!」
四つん這いなど恥ずかしいはずなのに、それがサリユ様の力というだけで、嬉しさが上回る。
「このまま、蹴散らせてやる!」
吸血帝は戦斧を肩に担ぎ、こちらを見ていた。
どうやら、この勝負も大詰めのようだ。
「パパ……」
その声は誰に伝わるのか。
伝わってほしい、と思っているのか。
「パパ……」
話したいことがいっぱいある。
と言っても、今日会ったばかりの、とある一匹のイヌに関してなのだけど……。
(私にも特別な存在が出来たよ)
でも、その方はこの世で一番、素敵な存在。
「パパ……」
このぐらいにしておこう。
これ以上は――ダメだ。
感情がもたない。
「ちゃんとお別れを言うよ」
そう、これは別れのための決戦。
執着との別離。
因縁との別離。
父との別離。
「パパ、ばいばい」
その瞬間、アリスはかけ走った。
血の海を思いっきり走った。
疾風の如く走るたびに、血滴が飛び散る。
「行くぞ! 吸血帝!」
叫ぶ。
猛る。
アリスは口から『血の一線』を放つ。
その威力は今までアリスが放つものとは比較できないほどの凄まじさ。
放たれた『血の一線』が通った瞬間、血しぶきが分かたれるように飛んでいく。
そして、その放射線は一直線に吸血帝のもとへと向かった。
吸血帝は戦斧を盾に、防ぐ構え。
アリスの『血の一線』と吸血帝の戦斧の盾が衝突した。
戦斧の盾は『血壁』ほどの防御力はないはずなのだが、『血の一線』をよく防いでいた。
しかし、一点に集中される『血の一線』ではやはり、守り切れないようだった。
放射線が当たっている部分が徐々に変形し始める。
このままでは、戦斧の盾が破られ、その奥にいる吸血帝に直撃する。
アリスは『血の一線』を放ちながら、接近する。
近づくことで、『血の一線』の威力も上がる。
そして、ようやく戦斧に亀裂が出たタイミングで、吸血帝が動いた。
斧を手放し、『血海』の中へと消えてしまった。
「逃げた?」
いや、そんなことはあり得ない。
それこそ、吸血帝が言っていたシナリオに背く事になるのではないだろうか。
だとしたら、攻撃の隙を伺っている?
どこから出てくる?
アリスは周囲を注意し、すぐに攻撃できるように構えを崩さない。
海面は凪。
静寂が血の海を包む。
ブクブクと後方から泡が浮かんできた。
その音を聞き逃さない。
アリスは後ろに鉤爪を振るう。
しかし、それを瞬時に止めた。
「なによ、その姿……」
吸血帝――なのだろうか?
いや、その姿は……。
――吸血龍
「世界よ、調停よ。我こそは運命の権化。我こそは宿命の骸。これこそが、理の執着であり、道の終着」
その龍は翼を従える。
一般的な竜と龍の違い。
分かりやすいところで言えば、西洋と東洋の区分だが、この世界では違う。
龍は竜の上位種。
龍とは王獣の一種。
そして、今、目の前にいるのは――
上位種である龍種の一体。
その名を『吸血龍』
権獣から王獣への進化。
これこそ、セルジュの研究。
その第一歩。
「その血、全てを頂戴する。生命よ、獣よ」
吸血龍の口から放たれるは、赤黒い液体を細く放射する魔法
――『吸血龍撃砲』
「負けるか!」
アリスは『血の一線』で対抗する。
こちらも口から放射し、その魔法はものの数秒で『吸血龍撃砲』の先端に激突する。
しかし、その威力は予想以上だった。
アリスの『血の一線』は今までのアリスが放つものと比べても、絶大なものである。
神話級のその先、王獣のそれと遜色ない威力だった。
だが、相手は本物の王獣である。
世界が認めし、世界の恩恵を授かる龍種が一体。
たかが神話級では歯が立たない。
神話級の中にも王獣よりも強い者は存在する。
しかし、この立場関係は基本的に変わらない。
神話より以前の根源的自然生物――『王獣』には存在強度として比較にならない。
目の前にいる『吸血龍』はそれら王獣の中でも歴史は浅い。
その分、その力は圧倒的とは言えない。
だが、アリスにはそう変わらないように感じる。
未だ、その領域に達していないからだろう。
それでもアリスは立ち向かう。
終わりのため。
始まりのため。
《獣化解除。これより、三者の魂の回廊を接続。魔力共有――承認。一時的な進化を開始……、――、……、――完了》
それはあってはならない進化。
物語の改変。
役者の身勝手。
いてはいけない登場人物。
配役なし。
物語の外から介入する、ストーリーキラー。
《身体、意識、魂、――安定。進化――『夜叉』……それこそ、あなたがいずれ至る真の姿。変わろうとするなら、授ける。あの人を助けるというなら、私も助ける。今ここに未来は分岐する》
種族――『夜叉』
燦然と輝くはアリスの身体。
眩く白い光に包まれるアリス。
手を翳す。
光を手に――
しかして、その底は闇であり黒であり――
それは神話級を超え……。
言うなれば、起源の話である。
創世とは違う。
その魔法は美しく単調である。
可憐さもなく、華々しさもなく、だが、美しい。
侘び・寂びの理念に通ずるものかもしれない。
奥底には黒。
夜によって世界は保つ。
世界覆いしは、夜。
美しく包む。
抱擁するは、宇宙。
――『硯幽』
吸血龍は黒い箱に閉じ込められる。
内側から『吸血龍撃砲』を放つが、効果はない。
その爪で、牙で、箱を破ろうとするが、ビクともしない。
そして、徐々に箱は小さくなっていく。
縮んで、狭く、圧縮していく。
最後には小さな点となって、消滅する。
次元支配。
支配から解放された吸血龍だが、その身はもう動くことも叶わない。
あの王獣が地――血の海面――に平伏す。
王たる威厳もなく、死の寸前の生物は等しく、か弱い。
「こ、れ、は……」
何もする気が起きないだろう。
それが敗北だ。
「つ、い……に、オ、ワ、る……の、か……?」
「そうだ、ようやっと、終わりだ」
アリスは静かに一歩一歩、吸血龍のもとへと近づいた。
「ははっ。そ、う、か……。こ……の、シュク、メ……イ、か……ら、も、か、い……ほう、され、……」
右手に黒い剣を携える。
――『夜叉剣』
断絶の象徴。
復讐の表徴。
龍の喉笛に剣を刺しこもうとする。
触れれば、するりと、入っていくだろう。
これで、終わる。
終着する。
ここが、百年の到達点。
それにしては、何の感慨もない。
あるのは、虚ろなる感情のみ。
(ああ、終わりだ。終わってしまう。いや……終わってしまえ)
そうだ。
この終わりは始まりだ。
始まるんだ。
「サリユ様」
呟く。
その安心する言の葉を。
なのに、なのに……。
「迷うな。信じろ。貫け」
その声は冷徹だ。
しかし、心は虚無のはずなのに……。
「ア……リ、ス……?」
その声は吸血龍から発せられる。
奇跡か、それとも、呪いか。
アリスは僅かに剣を持つ手を震わせる。
だが、それも一瞬。
迷いはない。
覚悟を決める。
「ありがと……パパ」
黒剣が竜の喉笛を貫いた。
そこで、ようやく、王獣『吸血龍』は生命活動を完全に停止させた。
血の海が微かにさざめく。
風か?
この第八階層に?
不思議な事ばかりだ。
この地下迷宮、終末塔では、どんな物事も起こりえる。
だから、この風も……。
「不思議、ね……」
ありはしない。
不思議なことなど、奇跡など。
あるのは、現実だけだ。
慟哭する。
悲しみの声を響かせる。
涙は止まらず、この感情を放流させる。
枯れるまで、泣き叫ぶ。
これが終わり。
物語の終わり。
世界の創作せしものではない。
しかし、終着だ。
これが、この物語の終わりだ。
そして――始まりである。




