025話 鍔迫り合い
剣士の居合いは精錬にして、精緻された無駄のない美しいものだった。
斬撃がサリユに迫る。
目に追える――訳がない。
それは一瞬の出来事。
だが、サリユはすんでのところで『狼王への謁見』を発動させ、ギリギリのところで斬撃を避けた。
斬撃は空を切り、そのまま城の壁に一線の斬り傷を与える。
「ほう、避けるか。いや、何かしたな?」
剣士は続けざまに斬撃を放つ。
息つく暇など与えない。
――『斬』
それは聖典流の基本剣技。
剣士がまず知る剣技が『斬』である。
そのことからも分かるように、この『斬』は剣士を名乗る者ならば誰しもが扱える、基礎中の基礎の技。
特にこれと言って付随される効果はなく、ただ斬撃を加えるのみ。
しかして、それはシンプルだという裏づけでもある。
強い者がやれば、威力も大きいものとなり、弱い者がやれば、食肉さえ切れない斬撃となる。
しかし、剣士はその『斬』を片手で剣を振って、涼しげな顔で放ってくる。
剣を振る手を止めず、連続して『斬』がサリユに放たれる。
止まらない。
斬撃の疾風は止むことを知らない。
その斬撃の一つ一つが重く、鋭いものである。
軽く振っているように見える剣も、その実は美麗な動きによる剣技である。
剣士は『斬』を放ちながら、ゆっくりと一歩、また一歩、サリユとの距離を詰める。
その様は優雅に散歩でもするかのような足取りである。
サリユは『斬』を『剣』で切り伏せていく。
一つ一つの威力は凄まじいが、対抗できないほどではない。
だが、動けない。
移動しながら『斬』を対処できるほど余裕もなかった。
剣士の『斬』は、サリユをその場に留めさせるのには成功しているのである。
剣士の狙いはそれだろう。
「なるほどな。尻尾を剣のように扱うことで、斬撃をいなしているのか。面白い」
サリユの内心とは裏腹に剣士の表情は余裕に満ち溢れていた。
流石はアリスを圧倒しただけはある。
圧倒的な暴力というよりは、圧倒的な技量によって、戦局を掌握されている。
そしてこういう相手は往々にして隙を見せない。
では、このような相手にはどうするべきか。
まず考えられるのは、力で押し切る方法である。
搦め手では、このような剣士には逆効果。
ならば、策も技能も捻じ伏せる暴力によって押し切るしかない。
しかし、サリユが誇る圧倒的な暴力の権化『炎獣化』はこの場では扱えない。
城を半壊させるのは、もちろん危惧すべきことなのだが。
一番として身体が大きくなることで、攻撃を受ける的が大きくなる。
これでは、一方的に相手の斬撃を受けることになってしまう。
それに、この場では壁などを使われ、全方位からの攻撃に対処しなければいけない。
また、炎獣状態では、火力を上げる代わりに、速度が低下し、どちらにせよ、相手の攻撃を避けることは叶わない。
だからこそ、『炎獣化』は使えない。
残された選択肢は、機動力を生かした戦闘となる。
速さには自信があるサリユだが、しかし果たして、この剣士がどの程度の機動性を兼ね備えているのか。
そこが懸念するところだ。
サリユは再度『狼王への謁見』で相手の移動速度を僅かに遅らせる。
その一瞬の隙を狙って、剣撃の嵐から離脱する。
そのまま爪を壁に食い込ませ、壁伝いに移動し、相手の出方を見ることにした。
さて、次はどう来る?
剣士はサリユが壁に張り付いているのを見て、微かに瞼を上げた。
「すげぇな。そんなことが出来るのか」
剣士は笑うと、サリユに対抗したのか、壁に向かって走ったかと思えば、そのまま勢いに乗って、壁伝いに移動し始めた。
「まじかよ」
剣士の移動方法はサリユとは異なる。
サリユは爪を食い込ませて、重力に逆らっているが、剣士のそれは、移動速度の勢いを利用し、重力に抵抗している。
その結果、剣士との距離を離したサリユだが、一気にその距離を詰められる。
「もう少し、斬り合おうか」
戦う場が壁へと移動し、重力に逆らいながら、一匹のイヌと一人の剣士が斬り合う。
サリユの尾と剣士の剣がぶつかり合うたびに、低く無機質な、しかして熱を帯びたその音が城内に反響し続ける。
斬り合いはサリユが押され気味である。
そもそも、剣での戦いは相手に分があるのは自明だ。
相手の領分では歯が立たない。
断続的に『狼王への謁見』を発動することで形勢を均衡に保っているが、この状態も長くは続かないだろう。
剣を振る速度が増していく。
時間が経れば経るほど、剣士の剣は速くなっていった。
どうやら、ウォーミングアップ気分なのか、今までは――いや、今も、本気ではないのだ。
それを証明するように、彼の表情はどこまでも、余裕そのものだった。
汗一つ、掻いていない。
くそが。
心の中で悪態をつく。
このままではいけない。
しかし、戦況を変えるためにこちらから一歩踏み込むのは、危険極まるのも事実。
だからこそ、膠着状態とは生まれる。
ここで、剣の打ち合いをやめ、魔法を放つメリットは?
それで確実に剣士の上を行けるか。
そもそも、戦況は変わるか?
だが、それは逆説的に、今の状態の肯定になってしまう。
それだけは違うと分かる。
今すべきことは現状の打破である。
ならば、答えは決まった。
サリユは『剣』を『火の剣』へ切り替え、尾を壁に叩き付けた。
尾から発火した炎の影響で、壁に叩き付けた箇所から、火の粉が舞い散る。
それを火種にする。
火の粉がゆらゆらと揺れて、徐々に激しく燃焼し始める。
火は大きくなり、炎へと転じ、サリユと剣士との間を隔てるように炎の壁が生成される。
「魔法?」
剣士は剣を突き立て、ぶら下がる形で、様子を見ている。
それを炎の壁から透視して、確認するサリユ。
今、剣士は剣の握りに捕まっている状態である。
攻撃を避ける場合、手を離し、落下する他、手段はない。
魔法を放つにはここしかないだろう。
この一瞬を見逃さない。
炎の壁を盾に『火の一線』を放つ。
万が一は考えるべきだ。
捨て身で、壁から剣を抜き、落下しながら斬撃を放たれる可能性を加味し、炎の壁は消さない。
この炎は単に剣士と距離を離すためのものではない。
そう、盾だ。
一撃でも、防げばいい。
それだけで、攻撃を加える瞬間が生まれる。
それだけで、逃げる瞬間が生まれる。
その瞬間を作るのがどれほど困難か。
だからこそ、戦いにおいて、瞬間を作るために、死に物狂いで考える。
死に物狂いで動く。
それの繰り返しだ。
その先に何がある?
何もない。
だけれど、生きるためには、死なないためには、その瞬間を何度も作らなければいけない。
サリユの魔法で生まれる炎は、ただの炎ではない。
揺らめくし、掻き消えるし、一見、変哲のない炎だが、両断し、その斬撃がそのまま炎の先の対象に傷を与えることは出来ない。
炎の密度によるが、まず、炎を対処してからでなければ、次には繋がらない。
一つの攻撃で炎と何かを一挙に始末できないのである。
つまり、剣士がどれほどの達人であっても、炎の壁を両断し、その斬撃をそのままサリユに与えることは出来ない。
このワンアクションの手間が重要なのだ。
この手間が戦いの最中においては、じれったい事この上ない。
そんな炎の壁に守られながら、サリユは炎の壁を通して、『火の一線』を剣士に向けて、放つ。
壁にぶら下がる剣士に避ける手段はない。
そのまま抵抗なく『火の一線』を食らう、とサリユは確信したのだが――
剣士は壁に突き刺した剣をその状態のまま、力づくで上げて、振りかぶり、壁から剣が抜き出たのも気にせず、そのまま振り下ろす。
そのアクションから生まれた『斬』は『火の一線』を縦一線に両断せしめた。
だが、剣士は落下する。
その力業の曲芸は瞠目せざるを得ないものだったが、だが――避けるにしても、攻撃するにしても、その落下からは逃れられない。
見逃すはずがない。
それを待っていた。
その瞬間を待っていた。
――ここしかない。
サリユは混合魔法を放射する。
炎と光と黒の三種の魔法の放射線。
三色の放射線は一直線に落下する剣士に向かっていく。
落下速度も計算して、放射線は確実に剣士に直撃する。
剣士に避ける手段はない。
空中は無防備だ。
この――瞬間なのだ。
一瞬を掴めるか。
一瞬を手放さないか。
一瞬を手中に収められるか。
「まずいな」
剣士の呟きは誰にも、届かない。
――――――――――――
その放射線は眩かった。
先程の炎の放射線とは違う。
三色に彩られた、まったく別の魔法が一つの事象として創造される。
それは、あり得てはいけない――奇跡だった。
流石の剣士もその光景には、瞠目せざるを得なかった。
見たことのない事象。
かの大魔法使い――セルジュであっても、この奇跡を具現することは出来るだろうか。
それほどに、これは――
重力のままに落下する剣士。
このままでは直撃は免れない。
避ける手段はなく。
講じることが出来るのは、手に持つ剣を振るうことだけ。
しかし、並みの斬撃では、歯が立たないのは見て分かる。
剣士の知る聖典流の剣技でこの魔法を打破できる技はない。
剣聖ならば当然、一般的に知られる聖典流のその先、奥義というものを扱えるだろうが、この剣士には残念ながら聖典流の奥義は扱えない。
そもそも聖典流は門外漢。
彼の歩みし剣の流派は――
「仕方ないか」
まだまだ聖典流で遊びたかったが、そうも言っていられない。
このままでは死んでしまう。
そう、死は目の前だ。
剣士は落下し続けながら、上半身を大きく反らして、剣を持つ右手を後ろへ引き絞る。
やり投げのような要領で、左手を前へ、狙いを絞って、「ここだ」という瞬間に引き絞った右手を前に突き出す。
剣を投擲する。
聖典流の剣士が見れば、それを剣術と呼ぶことはないだろう。
唾棄すべき曲芸と呼ぶかもしれない。
しかし、その攻撃の威力は凄まじい――の一言では到底表せないものとして、空を切り、相手の魔法に刺突した。
その剣は鬼想流。
自身で考え、想像し、練られていく。
時代ごとに変わり、環境によっても変わるかもしれない。
人によって違い、その日によっても違うかもしれない。
しかして、鬼想流は相反するあらゆる戦術を剣術に転換させることで、唯一無二の剣術として確立されていった。
今この時、剣士が放った剣の投擲は、鬼想流においても珍しいものだ。
その剣技の名を――
――『天廊』
投擲した剣の周りに白く眩い光が煌めいている錯覚をしてしまう。
それほどに剣は美しく、しかして激しい勢いのもと、三色の放射線に向かっていく剣の様は芸術的だった。
三色の放射線と『天廊』が激突する。
二つの攻撃が触れた瞬間、両者の力が拮抗する。
どちらも相手を押し潰そうと、力一杯に前に進む。
前へ、前へ、前へ――
退くつもりは毛頭ない。
先に引け、俺が勝者だ、とその主張を取り下げることはない。
どちらの攻撃も我が強く、強かだ。
だが、そんな拮抗状態も長くは続かない。
どちらもそれぞれが今、可能な最大出力の攻撃。
それが、今――
三色の放射線と『天廊』が二つ同時に掻き消える。
両者の最高の攻撃は、消失によって幕を下ろす。
どちらが勝つこともなく、二つのエネルギーがぶつかったことによる余波が螺旋の楼を震わせる。
消失した。
二つの攻撃は同時に霧散した。
「これで、ダメなのか?」
相手のイヌの声が強張っている。
それを聞いて、剣士はほくそ笑む。
確かに、あの魔法には冷や汗を搔いた。
この身で受けていたならば、身体の原型をとどめず――いや、この身は粉塵と帰していたかもしれない。
それほどに、あれは――やばい。
適切な言語化が出来ないほどに、あの攻撃は人知を超えていた。
渾身の『天廊』でさえ、相打ちである。
この剣技――『天廊』の多発は案外、難しいものではないが、あれほどの威力の『天廊』となると、一度の戦いの中で一回が限界だろう。
つまり、切り札をここで切ってしまったということである。
肩回りの筋肉が悲鳴を上げる。
恐らく、いくつかの筋繊維が千切れている。
右腕はもう使い物にならない。
右腕を上げることは叶わない。
だらんと地面に向かって垂れ下がっている。
ここから先は左腕だけで戦わなければいけない。
それに対して、相手はどうだろうか。
あの魔法だ。魔力消費は甚大なものであるはずだ。
しかし、目に見えては特にこれといった変化はない。
少し前までは余裕すらあったはずだ。
侮っていた訳ではない。
しかし、格下であることは確実だった。
だからこそ、相手の出方を窺った。
だが、相手のイヌはずっと狙っていたのだ。
この瞬間を――
見逃さず、集中して、その一瞬だけを狙っていた。
そして、その一瞬を最大限、活用した。
切り札は最後にとっておく――そんな定石など無視して、相手は勝利するために、最大の一手を序盤に放ったのだ。
――すげぇ
それが、率直な感想だった。
心の中で漏れ出た呟き。
この時点で、剣士は相手を認めた。
百年前の吸血姫とは比べられない。
いや、今まで戦ってきた、どの猛者以上かもしれない。
こんなにも心が歓喜しているのは、剣聖と剣を交えた時以来か。
目の前のイヌが、剣士の心を燃え上がらせた。
これが宿敵という奴なのかもしれない。
直感的にそう思った。
剣士は地面に着地すると、異空間から新たな剣を抜き出し、左手で剣を持ち、壁にいるイヌに視線を向けて、剣を構えた。
油断はもう、1mたりともありはしない。
剣士の肌にひびが入る。
腕にも、顔にも、唇にも、あらゆるところに。
自身の身体の異変も気にせず、剣士は再度、壁を走り、イヌに近づいた。
先程よりも速い。
疾風そのもののように、風を味方につけ、剣士は走る。
イヌも何もせず、近づけさせる訳がない。
イヌの周囲に、炎が舞い上がる。
至る所から炎が噴出する。
一瞬にして、壁一面が炎の海へと化した。
「範囲魔法、か」
剣士は独り言ち、しかして、立ち止まらない。
揺らめく炎を避け、斬り、進んでいく。
そんな剣士を見て、イヌは後ろに下がって、距離をとった。
それと同時に、今までそこに揺らめいていただけだった炎が、意志があるかのように剣士に向かってきた。
炎と炎が蛇のように形を変え、それが剣士に突撃する。
しかし、それにも臆さない。
剣士は左手に持つ剣を振るい続ける。
剣を平面に保ち、そのまま炎の蛇を横一線に切断し、上からくるものには勢いそのままに、刃を上に向け『斬』を放つ。
炎の蛇は次々に切り伏せられていく。
当たれば灼熱の炎が身を焦がすが、当たらなければ、どうということはない。
だが、炎の蛇に集中していたところに、奥から眩い光が神々しく、輝き始めた。
その光は輝き始めたのも束の間、レーザービームとなって、一直線に剣士に向けられた。
光の速度、まずもって人間の器では体感することは出来ない。
しかし、剣士はギリギリで身体を動かした。
左腕を掲げ、剣を振り下ろして、光の放射線を真っ二つにしようとする。
「うおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!」
剣士の叫びがこだまする。
左腕だけで、力が上手く入らない。
しかし、心は折れない。
剣が震える。
カタカタと震える。
相手の魔法の威力は並みの剣士ならば、受け止めきれない。
いや、剣で受け止めようとするのはそもそも間違いか。
だが、剣士はたかだか、剣一本でそれを受け止める。
なかなか、剣が下に振り下ろされない。
放射線は尚も剣士に向かって、勢いを弱めない。
ならば、力で捻じ伏せるほかない。
相手が根負けするのを待つ?
いや――勝つ。
ここで、斬る。
鬼想流、その剣技の一つ。
剣士は下に向かっていた刃を斜めに軌道を変え、そこからまた、方向を変え、捩じるように、円を描くように、剣の軌道を変えていく。
それこそが、鬼想流剣技――『穿鬼桜転』
竜巻のように斬撃が交錯し、捩じれるように、歪な軌道で光の放射線を打ち消していく。
そして光の魔法は消えた――
その瞬間を見逃さない。
次は自分だ。
先程のお返しだ、と言わんばかりに剣士は投擲する構えを見せる。
それすなわち、言わずもがな――『天廊』である。
左手で持っていた剣が閃光の如く、投擲される。
電撃が走るかのように、狙いを寸分違わず、イヌに向かっていく。
威力は先程の『天廊』よりも劣るものの、鬼想流の最大最強の剣技である。
どちらにせよ、それを食らったものはただでは済まない。
その『天廊』を目の当たりにして、イヌは怯えるように身体を震わす――そんな光景はなかった。
イヌは尾を大きく、長くして、立ち向かう姿勢をとった。
しかし、剣士はそれに笑みをこぼす。
無理だ。
魔法ならいざ知らず、物理的にあれをどうこう出来る訳がない。
どうにか出来るとすれば、それは――
イヌの尾は鎌のように横から、尋常ならざる刺突――いや、剣の投擲――を迎え撃つ構えをする。
そして、横一線にイヌの尾が斬撃の線を描く。
そう、それは――
「天斬だと⁉」
そう、それこそは聖典流の奥義の一つ、『天斬』であった。
剣士の『天廊』は『天斬』によって、目的のイヌに到達する前に、その剣をボロボロにして、潰えた。
「まさか……まさか、ここまでとはな!」
剣士は壁から離れ、地面へと落下する。
そのまま、イヌを見据えて、最上の笑みをその顔に満たした。
この相手は本物だ。
今までの敵など比にならない――強者だ。
こいつを待っていた。
この強者を待っていた。
剣士はまたも歓喜する。
剣士の身体のひびが大きくなる。
模様のように刻まれるひびが深く、深く……。
そして、葉脈のように分かれていき、全身がひびに侵されていく。
「くそっ、もたないか」
それほどにあのイヌは剣士を追い詰めた。
だからこそ――
「ここからが本番だ」
全身のひびが割れ、肌が落ちていく。
表皮が欠片となって落ちていく。
脱皮のように、真の姿が中から現れる。
その姿は先程の雰囲気とは違う。
幽霊のような顔立ちには血色が現れ、灰色だった髪は赤く、彩られている。
出で立ちは焦げ茶色の袴に黒の長着、その上からは黒い羽織を羽織っている。
まさに侍のような姿。
そして、剣士の額からは二本に伸びた鋭い角が垣間見える。
そう、彼こそが――
「俺の名はクゼン・リュウリュウ」
世界三大剣士が一人。
――剣鬼




