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異世界イヌ  作者: 双葉うみ
地下迷宮 吸血姫編
26/57

024話 突入

「ああ! 負けました! 完敗です!」


 身体に火傷の跡を見せながら、アリスは地面に寝転び、空――第八階層の天井――を見上げた。

 

 アリスの身体はひどいものだった。

 サリユの『七曜』の『火の一線(ファイアライン)』をまともに食らったのだ。

 並みの魔物や人間ならば消し炭になっていたはずだ。

 しかし、アリスはその馬鹿げたステータスで死には至らず、しかして瀕死の状態で倒れていた。

 

 身体のいたるところは凄惨な火傷と炭化した黒色の斑点模様を浮かべている。

 流石の神話級もかくやと言ったところか。


 息も絶え絶えに、だが当の本人、アリスは笑っていた。

 深刻な容態でありながら、反してその顔は柔和に微笑んでいる。


「サリユ様、ありがとうございます」


 その言葉はステップを踏むように軽やかに、彼女の口から空気へ飛んでいく。

 アリスは嬉しそうに涙を浮かべる。

 泣いていた――

 アリスは目尻に涙を称え、声を震わせる。


「黙ってろ」


 サリユは『炎獣化(バーゲスト)』を解き、元の身体に戻った。

 サリユの身体もアリスほどではないが相当な怪我を負っている。

 自分の身体を後回しにしながら、とぼとぼとアリスに近づき、『中位回復(ヒール)』を施す。

 魔力が見る見るうちに減っていく。


 すぐさま『異空間』から魔醒石を取り出し、嚙み砕く。

 魔力が回復して、アリスの『中位回復(ヒール)』を再開する。

 それを二、三回繰り返し、アリスの身体が回復したのを確認し終えると、気を失うように倒れた。


「サリユ様!」

「我が主!」


 アリスとルルの声が重なる。

 しかし、その声にサリユの返答はない。


 ルルはすぐさまサリユのそばに寄り添い、『中位回復(ヒール)』をする。

 それでもサリユの瞼は上がることなく、慌てた様子でルルは懐から『回復薬(ポーション)』を取り出し、サリユの口に含んだ。

 浅い呼吸が徐々に落ち着きを取り戻す。


「よかった……」


 ルルは額の汗をぬぐい、サリユを膝枕するような形で彼の身体を静かに支えた。

 アリスも一連を見届け、安心したように溜息を吐いた。

 そんなアリスにルルは眠ったサリユを気遣いながら、小さく悪態をついた。


「まったく、何故ここまでしなければ分からないんだ。サリユ様も……ここまでお前を認めているとは……」


 それはどこかアリスを羨んでいるように、しかして、顔は厳しそうに目を細めている。


「そうね……。ここまでしてもらって、ようやく分かったわ。自分が何をすべきか」


 アリスは今までのことを思い出す。

 一歩を踏み出すことを嫌って、ただ現状維持に甘んじていた今日まで。

 一日一体、吸血鬼を屠ることで、自分は働いている、と――自分はセルジュの思惑から抵抗している、と――自分は父を助けようとしている、と――自分に言い聞かせた今日まで。


 本当に自分は馬鹿だな、と笑ってしまう。

 そもそも吸血帝が差し向ける眷属――吸血鬼のなれの果て――ゾンビを自分は意図的に呼び寄せていた。

 ゾンビは隠し部屋への入り方、入り口を知っていたのだ。

 岩壁の突出部分を押し込むことで開くことを、知っていた。

 

 対策するのであれば、まずそこをどうにかするべきだ。

 入り口を変えるとか、入り方を変えるとか。

 しかし、今日までアリスはそのどの対策も講じなかった。


 結局、アリスは怖かった。

 父を助けたいという気持ちはある。

 しかし、失敗するのが怖かった。

 駄目だった時が怖かった。


 だから、倒せる相手を倒す毎日をやめることができなかった。

 現状を維持し続けた。


 けれど、今思えば、馬鹿々々しい。

 わざわざ、隠し部屋への入り口にゾンビが岩壁の突出部分を押して、入ってくる光景を思い浮かべただけで、シュールすぎて笑ってしまう。


 それほどには今までやってきたことがどこまで遠回りだったことか。

 そして、そんな遠回りをどうして自分はしてきたのか。


 今となってはそんなこと、と思えるが、しかし先程までの自分はその些末な事を重荷の如く背負っていたのだ。

 それを理由もなく――言うのであれば誰に見せるでもない自分のプライドによって、その重荷を外すことができなかった。


 だが、今はそんな重荷を捨てたことで、肩が軽い。


 生きるというのは、ここまで爽快なものなのか――


「何、勝手に気持ち良さそうにしているのだ。気持ち悪い。さっさと立て。そしてサリユ様を介抱しろ。お前もサリユ様に仕えているのだろ?」

「え?」


 ルルの言葉に反射的に素っ頓狂な声を出してしまった。

 しかし、その言葉は本当にアリスを驚かせたのだ。


(私がサリユ様に仕える……?)


 考えたこともなかった。

 今日会ったばかりのイヌに従うなどと考える方が頭がおかしいが――この悪魔はその頭のおかしい行為をしたんだったか……。

 

 だが、サリユ様に仕える――その響きは全身が快感に溺れるほどの魅力的な魔力を感じる。

 それは、どんな魔法よりもアリスを拘束し、束縛し――自由にさせる。


(サリユ様に仕える……。なんで、こんなにも……)


 ――しっくりくるのだろうか。


 そうか、私は……。


「そうです。私はサリユ様に仕える忠実なメイド。そうなると、あなたは後輩ですね」

「なに? お前が先輩? あり得ないな。私の方がサリユ様に忠義を示せる。それに愛している」


 ルルの反論にアリスは微かに笑みを浮かべて、上半身を起こす。

 そのまま、ぱんぱん、とスカートをはたき立ち上がる。


「それじゃあ、代わりましょう。今度は私がサリユ様に膝枕をするわ」


 その提案にルルはいかにも嫌そうに、顔を歪めた。


「結構です。これは私の役目です」

「いや、どんな役目よ! 私がやるから、そこからどきなさい!」

「やめろ! サリユ様に膝枕をするのは私だ!」


 第八階層、樹海の中、二人のしょうもない争いが巻き起こっていた。



――――――――――――



「ん? うん?」


 いつの間にか眠ってしまったのか。

 まだまだ微睡みに身を任せたい欲望を我慢し、欠伸をして、目を覚ます。

 

 目覚めてすぐに疑似太陽の煌々と照る光が、視界を眩しく支配する。

 次に、感触の違和感に気付いた。

 身体が接している面が微妙に柔い。

 地面にしては張りがあり、弾力性にも富んでいる。

 

 顔を上げ、視線を彷徨わせれば、そこはアリスとルルの太ももの上だった。

 上半身がルルであり、下半身がアリスによって身体を支えられている。


(えっ? どういう状況?)


 と、思うのも当然だ。

 確か、アリスとの戦闘後、アリスに『中位回復(ヒール)』を施し、魔力切れで気を失ってしまった――というところは何となく覚えている。

 

 その後、自分が眠っている間に何が起きていたのだろうか?

 二人は笑顔でサリユの顔を窺い、目を覚ましたことに多分の喜びをその顔に刻ませていた。

 ルルはともかく、アリスとは先程まで戦っていたのだが……。


(まあ、いっか)


 二人の笑顔が多少、不気味に見えるが、サリユは気に留めないことにした。


 ――それよりも、これからのことだ。


 サリユは二人の太ももに坐したまま、ルルに視線を向けた。


「お前は本当に俺の部下になるのか?」


 その問いにルルは満面の笑みを向けて首肯した。


「はい! サリユ様が許可していただければ、私、全身全霊でお仕えしたく存じます」

「そうか。その言葉に嘘偽りはないか?」

「この私、サリユ様に万事、偽らぬことを誓います」

「分かった。それじゃあ、お前と主従契約をしよう」

「ありがたき幸せ!」


 サリユは二人の太ももから離れ、ルルに対峙した。

 ルルはそれを認めると、懐から羊皮紙を取り出した。

 地面に膝をつき、深々と頭を下げ、手に持っていた羊皮紙をサリユに捧げる。


「これにサリユ様の血判を頂きたく――」


 サリユの御前に羊皮紙を置く。

 サリユは爪で肉球に傷をつけ、血を出し、羊皮紙に血判を押そうとした。

 しかし、その時――アリスがそれを制止した。


「ちょ、ちょっと待ってください!」

「うん?」


 サリユとルルがアリスの方へ顔を向ける。

 まさか、まだルルのことを認めない、と言うのではないだろうな。

 サリユたちは訝し気にアリスの様子を窺う。

 

 しかし、どうにもルルとの主従契約に反対するという訳ではなさそうだ。

 アリスは唇をムニムニと動かし、何かを言い淀んでいる風だった。


「どうした?」


 サリユが首を傾げれば、アリスは気恥ずかしそうに、おずおずと口を開いた。


「あ、あの……」


 もじもじと身体を揺らす。

 その態度にルルは(たま)りかねて、アリスに重い声を向けた。


「なんだ? 用があるなら早くしろ。こちらは一刻も早く主従を結びたいというのに!」

「私も……!」

「ん……?」


 ルルも目を細めて首を傾げる。

 アリスは「私も」と言った。

 つまり、その言葉の意味するところは……。


「私も主従契約をお願いします! いえ……、私が先にお願いします!」

「なっ!」


 アリスの宣言にルルがすかさず反応を見せる。


「ま、待て! お前はもうサリユ様の従者じゃないのか⁉」

「そうよ、私個人は従者のつもりよ!」

「何⁉ なんだその屁理屈は! 私を騙したのか!」

「騙してない! お前が勝手に勘違いしたんだろ!」

「こ、この……。サ、サリユ様! こんな奴よりも、まず私と主従契約を――!」

「いえ、私と――!」


 何がどうなっているのか、アリスとルルがどちらが先にサリユと主従契約をするか争っている。

 そもそも、いつからアリスもサリユに仕えたいと思っていたんだ?

 突然のことでサリユは困惑していた。

 だが――


 アリスも仲間になってくれるというのか。

 

 それは単純に嬉しかった。

 これで仲間が一気に二人も増えた。

 いや、数ではないか――


 サリユは争う二人の光景を見て、不意に顔が綻ぶ。

 こんな光景、久しぶりだ。

 違う。

 初めてだ。


 アキラ――

 レムス――


 彼らの時と似たようで――違う。

 でも……。


「ああ、もういい! 同時に契約してやる!」


 サリユは呆れた顔で、微笑交じりに二人に告げる。

 それを聞いた二人は、膝をついて、サリユの前に羊皮紙を置く。

 両前足を爪で傷つけ、血を出す。

 そのまま二枚の羊皮紙に血判を押印する。


《アリス・ヴリコラカス・セミルメラ、ルル・シンリ、両名との主従契約を確認。よって、魂の回廊を確立》


 二枚の羊皮紙が光の粒となって、サリユとアリスとルル、それぞれの身体に吸い込まれていく。


「おっ、おお! ああ! サリユ様との魂の繋がりを感じます! なんという快感!」

「心地の良いものですね……。これが繋がり……」


 ルルは全力で、アリスは静かに契約の結果に浸っていた。

 そんなに嬉しい事なのか?

 誰かに従うなど、強いられてするのが基本なのでは?

 それとも、この世界では従者になることは喜ばしい事なのだろうか……。


 違う気がする。

 この二人が特殊なのだろう。

 だが、これで仲間が二人だ。


 そしてルルとの――だけでなくアリスとの――主従契約を終えて、次にすべきことは……。


「それじゃあ、あの城に行くか」


 サリユは第八階層で一際(ひときわ)目を引く不気味な灰色の城を見据えて、二人に言った。


「良いのですか?」


 アリスは目を見開いて、問い掛けた。

 サリユのその言葉は本当なのか。

 本気なのか。


「ああ。てか、無視できないだろ、もう」


 そうだ。

 もう無関係ではない。

 それにアリスを唆して、そして、ここまで囃し立てたのだ。

 ここで、アリス一人に吸血帝のところへ行かせるほど、サリユは薄情ではないつもりだ。


「行くぞ。準備はいいか? それと、ついでに覚悟も」


 準備など特にない。

 するというのであれば、身支度を整える程度。

 身なりに気を付けたところで、戦いになれば関係ないが。


「いつでも」

「大丈夫です」


 二人がそれぞれ頭を下げ、首肯の旨を伝えた。


「それでは、僭越ながらこの私があの城の案内をしたく思います」

「そうか。よろしく頼む」

「はっ!」


 ルルは胸に手を添え、首を垂れる。

 そうして、一匹とその従者二人は灰色の城を目指す。



――――――――――――



 ルルの先導でサリユたちは灰色の城まで進んだ。

 その道中は何体かの魔物と遭遇したものの、それ以外は特にこれと言って危険なことはなかった。


 そして灰色の城。

 城の周辺は城と同じ灰色に染め上げられ、不気味な雰囲気を醸し出していた。

 

 ルルはそんな城へ気軽に訪問するが如く、真正面から城門を抜け、城の正面大扉を開けようとしていた。

 その行動にサリユは待ったをかけた。


「待て。城の兵備はどの程度だ? それなりに多いなら敵に見つかりにくい場所から侵入した方がいいんじゃないか?」


 サリユの疑問はもっともだ。

 相手の兵力はどれほどか。

 知らなければ、話にならない。

 余計な敵と戦い、無駄に力を削がれては、おそらく最後に待ち受ける吸血帝との戦闘に支障をきたす恐れがある。

 

 しかし、そのような心配はご無用だ、と言わんばかりに、ルルは首を振った。


「大丈夫です。この城には吸血帝と剣士、二人しかいません。どこから入ろうが、変わりありません」


 そう言って、ルルは勢いよく扉を開き、堂々と入城した。

 だが、城に入ってすぐ、そこには――ゾンビの群れがサリユたちを待ち構えていた。


 腕を前方に突き出し、右往左往している者。

 身体の前面を床に接し、這いずり回る者。

 全速力で走っては壁に当たり、身体のあらゆる箇所をひしゃげ、しかしそれでも壁に向かって走る者。


 その光景は狂気という言葉がどこまでもふさわしかった。

 

「おや? これは……」


 発言が数秒で否定されたルルは予想外の出来事に多少の驚きを覚えつつも、その声はあっけらかんだった。


「おい、ルル。城には二人しかいなかったんじゃないのか?」


 サリユがすかさず疑問を呈する。

 ルルはその声を聞いてすぐに、膝を屈し、頭を下げ、陳謝した。


「申し訳ございません! 恐らく吸血帝の仕業かと存じます。グリーセスめ、ここ最近、精神を吸血帝に支配され続けていたので、その影響かと……。普段はこのようなことはないのですが……」

「なるほど……」


 ルルの言を信じるのであれば、それは裏返しにアリスの父はここ最近までは精神を正常に保てていたということになるのではないだろうか?

 だとすれば、対話での解決も可能かもしれない。

 いや、しかし――


 サリユは横に立つアリスの顔を窺う。

 アリスは唇を噛み、首を垂れるルルを静かに見下ろしている。

 その表情は特段の変化もなく、内心は読み取れない。


 吸血帝がどのような状態かは分からない。

 だが、どちらにせよ、その役目はアリスにある。

 サリユが出張る訳にはいかない。

 吸血帝に関しては一旦、保留だ。


 さて、今は……。

 この現状をどうするかだ。


「どうする、ルル? 俺が『火の一線(ファイアライン)』で一掃してもいいが……」


 その場合、この城が崩れるかもしれない。

 そうなると吸血帝と会う以前の問題になってしまう。

 ふむ、どうするか……。

 サリユがゾンビたちの対処に悩んでいると、ルルが顔を上げ、粛々と口を開けた。


「よろしければ、私がゾンビどもを一掃する任、任せていただければと存じます。そもそもは私が招いたしまった一件。自身の失敗は自身の手で挽回したく……」

「そうか、それなら……」


 任せてみるか。

 サリユは頷き、それに対してルルは深々と頭を下げた。


 そうして、一人の老躯をゾンビの群れという言わば、死地に送り込んだ。

 ルルの実力は分かっているつもりだが、見た目的には少々心配だ。

 と、思っていたがゾンビの群れに相対して早々、ルルの身体に変化が生じた。


「サリユ様、先に謝罪を。私の容姿は戦闘時、変化します。この身体で戦えないことをお詫びします」


 ルルは謎の謝罪を始めた。

 いや、その見た目に何の愛着もないサリユにとって、それはどうでもいい事なのだが……。

 ルルは律儀というか、些末な事でさえ、サリユに関わる事項であれば、謝るようである。

 そこまでサリユのことを敬っているのか。

 さてはて、分からない。

 しかし今は、その尊敬の念を素直に受け取ることにする。


 ルルの身体が見る見るうちに若がっていくように見えた。

 しわが幾重にも刻まれていた顔はきめ細かに白くなり、髪の毛は色は変わらないが、こちらも綺麗に梳かれたように、同じく、きめ細かに白くなった。

 体格は多少、細身に変わった程度。

 だが、その容姿は決定的に変化していた。


 これがルルの戦闘時の姿である。

 今までの姿はルルが好んで幻覚を身に纏わせていたものだ。

 執事たらんとする、その姿――それこそが老躯の容姿だった。


 しかし、戦闘する際は違う。

 幻覚を纏わせるリソースがあるのであれば、戦いに割く必要がある。

 相手が格下ならば姿を変えずに――元の姿に戻らずにといった方が適当か――戦えるが、ここまで多勢になると話は別だ。


 若く凛々しい姿になったルルは一歩、城に入ってすぐのホールに足を踏み入れる。

 ゾンビたちは一斉にルルに顔を向けた。

 その様は恐怖の一言に尽きる。

 しかし、そのような恐怖の情景にルルの感情は微塵も動かされることがなかった。


 いや、変わらないのだ。

 日常とさして変わらず。

 状況の変化でしかない。

 その変化が感情に結びつかない。

 だから――心は動かされない。


 今、唯一、ルル・シンリの感情を動かすのは、サリユに仕える、それだけだ。


「さて、私に恥をかかせてくれたお礼をしなければいけませんね」


 不敵な笑みを浮かべ、腕を掲げる。

 瞳を閉じ、しかして、その笑みは絶やさない。


 指を鳴らした。

 

 音が高らかにホールに反響した。

 それは音と音の共鳴となって、乱れるように――この空間を支配する。

 通常のフィンガースナップではない。


 魔法によって強化された音はゾンビたちの耳を攻撃――している訳ではない。


 もちろん、この音だけで倒れる者もいる。

 ゾンビの何体かは耳を抑えて、床と友達になっている。

 しかして、この音に意味はない。


「さあ、終わりだ」


 音は合図だ。

 ある魔法を発動する――合図である。


 ――『界堕(アグヘロ)


 ホールの床一面が黒一色に染まる。

 ゾンビたちは黒に落ちていく。

 抵抗するが、引きずり込まれる。

 

 落ちていく、堕ちていく――

 大きな穴へ。

 黒く、黒く、黒く……。


 ホールに所狭しと、ひしめき合っていたゾンビたちは一瞬のうちに消えた。


 いや、堕ちた――


 そこには、もう何もない。

 何もなくなった。


「終わりました、サリユ様」


 笑顔で振り向き、戦闘終了を告げる。

 褒めてほしそうにルルの顔は何かを待ち侘びていた。

 サリユはやれやれ、と口元を緩め、「よくやった」と褒めた。


「お褒めのお言葉、ありがとうございます。これからも粉骨砕身してサリユ様のためにこの命――」


 と、一言褒めただけで長ったらしい感謝の言葉を述べるルル。

 そんなルルにも慣れてきたサリユだが、しかしそれにしても、彼の態度とは逆に、ルルの姿が新鮮だ。

 ナイスミドルだったルルの姿は、今は一言で美青年といった感じである。


「それがルルの本当の姿なのか?」


 サリユの問いにルルは「はい!」と快活に答えた。


「これが私の姿です。戦闘外の姿は私が理想とする執事の姿なのです」

「そうなのか……。そのままの姿でも良いとは思うが……」


 理想の執事の姿など分からないが、今この姿も十分、執事姿が似合う容姿だと思うのだが。

 美青年バトラー。

 見る人が見れば随分、需要のある姿だと思う。

 いや、ナイスミドルのバトラーも需要はあるか。

 それに戦いの都度、姿を変える、というのは面倒くさいだろう。

 元の姿のままの方が楽に決まっている。


 サリユの何気ない一言だったのだが、しかし、それを聞いたルルは目を見開いて、感嘆の声を僅かに発した。

 

「そ、それは……そうですか。なら――」


 そう言ってルルは自分の身体に手を添えて、「うむ」と頷いた。


「なら、この姿のままでいましょう」


 笑顔でサリユに告げる。

 サリユの一言で決断したらしい。

 英断というか、彼にとってのサリユとはそこまでの存在なのか。


(まあ、いっか……)


 多少のむずがゆさを覚えながら、サリユは「そっか」と言って、先を急いだ。


 誰もいなくなったホールを横切り、ルルを先頭にサリユたちは城の頂上――『玉座の間』を目指す。

 城の構造は三階までを吹き抜けに螺旋階段が続き、そこから先は唯一、広大な空間、『玉座の間』があるのみ。

 

 だが、構造上はそうなのだが、実際、目にするとその螺旋階段はどこまでも続いているように感じる。

 螺旋の先は闇に包まれている。

 どこまでも続く螺旋階段――そこからコツン、コツン、と階段を下りる靴音が響く。

 

「おい、ルル、そっち側についたのか?」


 ゆっくりと靴音が近づく。

 声とともに近づいてくる。


「あれが言っていた剣士か」

「そうです」


 ルルが小声で答えてくれる。

 あの人物が百年前、アリスが城に潜入した際に対峙した――

 アリスを圧倒した――剣士。


「ルル、答えてくれないのか?」


 剣士は優しい声音で聞いてくる。

 ルルはサリユを窺う。

 サリユは頷き返し、ルルを促した。


「そうですよ。私はこの方に仕えることになったのです」

「そうか! ようやくお前の待つ存在が本当に現れたのか。良かったな」

「はい、ありがとうございます」


 剣士がサリユたちのところまで降りてきた。

 闇に隠れていた顔が現れる。

 剣士はルルに負けず劣らずの美形だった。

 髪は灰色で、肌は白く、幽霊のような男。

 どこかアンニュイな雰囲気を醸し出しながら、その口調は明るいものだった。


「ルル、戦うか?」


 剣士の問いにルルは一歩前に出ようとした。

 しかし、サリユはそれを引き留める。


「待て、俺が行く」

「サリユ様⁉ いえ、ここは私が……!」

「大丈夫だ。それに戦ってみたかったんだ」

「……そうですか。かしこまりました。ですが、御身に危険が生じた際は――」

「ああ、よろしく頼む」

「はい」


 ルルは頭を下げながら、サリユの後ろに下がる。

 サリユはそれを確認すると、次にアリスに視線を向けた。


「アリスは先に進め」

「えっ⁉ ですが……」


 瞠目するアリスに首を振る。


「大丈夫だ。隙は作る。だからお前は一刻も早く、父に会いに行け」

「…………」


 アリスは迷う。

 突然すぎて、どうするべきか、困惑する。

 ここでサリユとルルを置いて先に進む。

 戦力の分散――大丈夫なのか?

 だが、サリユの指示に背く訳にもいかない。

 ここは――


「行きなさい。サリユ様は私が見守っている。お前はさっさとケリをつけてこい」

「……!」


 ルルの言に目を瞬く。

 この男が自分を気遣っている。

 物言いに棘はあるが、アリスに向けられるものとしては珍しく――いや、初めて――思いやりのあるものだった。

 アリスはサリユに頭を下げ、剣士の奥――螺旋階段に視線を向けた。

 ここから剣士の隙を狙って――


 しかし、当の剣士はアリスの緊張など、どこ吹く風で、階段への通り道を開けてきた。


「いいよ。先に行きな。グリーセスと会ってきな」


 話を聞いていたのか、剣士はあっけらかんな声で道を勧めた。


「罠――?」


 サリユの呟きに、しかし、ルルは視線を左右に振った。


「そのようなことをする人物ではありませんよ。私が保証します」

「そうか、なら」


 ルルを信じていない訳ではないが、未だ罠の可能性は考えられる。

 だが、相手が道を開けたのだ。

 それを見す見す、見逃すことは出来ない。

 それこそ愚かな判断だ。


「行け、アリス」


 罠だった場合は即断、魔法を発動する。

 アリスが小走りに剣士の横を通り過ぎた。

 螺旋階段を駆け上がり、アリスの足音がだんだんと聞こえなくなっていく。

 罠は――無かったようだ。


「ありがとう、と言えばいいか?」

「いいや、礼はいらない。それより、お前が俺の相手をしてくれるのか?」


 剣士の視線がイヌーーサリユに向けられる。


「大丈夫か? お前で俺の相手が務まるか?」


 剣士の言葉にサリユは笑う。


「さてな、それは――実際に確かめてくれ」

「そうかい」


 剣士が腰に下げた剣のグリップに手を添えて、居合のような構えをする。

 見たところ、西洋の剣に見えるが、構えは侍のそれだ。


「ふー」


 剣士が細く息を吐いた瞬間、居合切りが炸裂する。

 斬撃は斜め一線にサリユに向けられる。


 その速度――0コンマ……


 ――戦端が切り開かれた。

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