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異世界イヌ  作者: 双葉うみ
地下迷宮 吸血姫編
20/57

018話 吸血姫の昔日

 話は百年前に遡る。

 アリス・ヴリコラカス・セミルメラが父親と安寧の生活を送っていた時代。

 父の名はグリーセス・ヴリコラカス・セミルメラ。

 地上では人々が血で血を拭う、醜い戦争を繰り広げていた中、彼女たちは地下迷宮にて、平穏に暮らしていた。


 それもこれも、アリスの父の友人である、かの大魔法使いセルジュ・キルク・クローノスのお陰と言って過言ではない。

 彼は全系統の魔法を扱えると言われる伝説の――いや神話の人物である。

 彼に掛かれば、第七階層に隠し部屋を作ることぐらい容易であった。

 そんなセルジュの協力を得て、アリスとその父は安全な住居を手に入れたのだった。


「アリス、それじゃあ、そろそろ狩りに行こうか」

「うん! 分かった、パパ!」


 アリスの元気な声が部屋の奥から聞こえる。

 声が聞こえたと思ったら、次はドタバタと騒がしい足音が近づいて、肩で息をする少女が現れる。


「慌てるな、置いていったりしないよ」


 そう言って、父はアリスの頭をポンポンと触れて、優しく撫でた。

 金髪のきめ細かな髪の毛は撫でても、ちょとやそっとではグシャグシャにならない程には綺麗に梳かれていた。

 これは、父グリーセスによって梳かれたものである。


 母親のいないアリスはそういった身だしなみに関して、疎かになることがしばしばであり、それに危惧したグリーセスは神経質なほどに、そういった貞淑とした身のこなし、礼節、服装などなどを娘に教えていた。


 しかし当の本人――アリスはそういったことに口煩い父をウザったく思っている。

 彼女は服装などよりも、魔物を狩ったりすることの方に興味があった。


「それじゃあ、行くか」

「今日も第八階層?」

「ああ、そうだとも」


 父は笑顔で頷いて、リュックを背負い直した。

 扉に手をかけ、アリスの方に振り向く。


「準備はいいか?」

「うん! バッチリだよ!」

「そうか、よし」


 父はアリスに頷き返して、外に出た。

 ここからまずは細い通路を通り、表の第七階層に行く。

 岩壁に突出している岩の一つに手をかけて軽く押し込む。

 その時、微かに魔力を込めることで、仕掛けが作動し、なんの変哲もない岩壁が横にスライドする。

 隠し扉である。


 第七階層に出れば、慣れたように先に進んでいく。

 第七階層は迷路として有名ではあるが、流石に長年住んでいれば、第八階層への道順も自然と覚える。

 第七階層の出口に難なく辿り着けば、ここからは先程とは打って変わって緊張感が滲み出る。

 父の顔を窺えば、矢張り、少しだけ顔を強張らせていた。


 第八階層には、こことは違って野生の魔物が棲息している。

 第六階層の沼地竜に比べれば、それほど手強い魔物は棲息していないが、しかし、少しでも油断をすれば、最悪、死ぬことだってあり得るだろう。


 どんな魔物にも油断大敵、慎重に相手を窺い、冷静に攻撃手段を構築する。

 いつだって戦闘は相手との戦いではない。

 往々にして自分との戦いなのである。

 どこまで冷静沈着になれるか。

 自身の焦燥感をどれだけ鎮ませられるか。


 慌ててしまえば、どんなに格下の敵でさえも、致命傷になり得る可能性はあるのだ。

 それほどに油断とは難敵であり、油断こそが自身の中に巣くう魔物なのかもしれない、とグリーセスはよく娘のアリスに言っていた。

 当のアリスは本当に理解しているのか、いつも「うん!」と元気よく返事をするだけで、実際は分かっていないのかもしれない。


 しかし、グリーセスには言って聞かせることしか出来ない。

 それでも分からないというならば、その身で体験するのみ。

 なに、危険になれば、その時は自分が助けに入るだけ。

 それで、彼女にこの教えを分かってもらえれば、その程度、安いものだろう。


 第八階層に到着すれば、そこは森が生い茂った、いわばジャングルであった。

 地上の樹木とは比べようも無いほどに太く、逞しい枝に、溢れんばかりに葉が垂れ下がっている。

 第八階層も地下であるからして、太陽の光は届かない。

 上を見上げれば、第七階層よりかは高く天井が設置されており、大きく広い空間ではあるが、陽光のようなものは存在せず、ましてや、陽光だけでなく風も水もこの地には存在しない。


 はずだったのだが、今は太陽――のようなものが存在する。


 しかしこの逞しくも勇ましい樹木たちは地上のそれよりも元気よく成長しているように感じられる。

 これも地下迷宮、終末塔(ヴィグリス)の影響であろう。

 地上よりもはるかに魔力が空気に含まれている影響で自然物も地上とはまた違った成長と変化を遂げている。


 グリーセス曰く、この樹木にも多分の魔力が内包されているらしい。

 そして、地下迷宮の影響は何も自然物だけではない。

 そこに棲息する動物――魔物にもその影響は多大である。

 あるものは鋭い牙を備え、あるものは大きな身体を有し、あるものは魔眼を獲得した魔物もいる。


 それを聞けば、油断などできるはずがないことぐらい分かるだろう。

 しかし、やはりこの娘は分かっていないのだろうな……とグリーセスは嘆息を吐く。


「アリス、ここからは本当に危険だ。緊張感を持って、決して自分勝手なことはしない。約束してくれるね」

「分かってるわよ、パパ! その話、第八階層に来るたび毎回話すじゃない。聞き飽きたわ!」

「大切なことだから何回でも言うんだよ」

「もう……!」


 アリスは口を尖らせて不満げにグリーセスの顔を見上げる。

 どうにも分かっているのか、いないのか。


 仕方なしにグリーセスは先を進む。

 アリスはそれを見て、笑顔で頷き、父の背中を追った。

 全面が緑色に覆われた第八階層は進むのも一苦労である。


 木々の根は地面を飛び出し、至る所に隆起している始末である。

 整備された道がある訳でもなく、歩く――というか飛び出た大きな根を這い上ったり、飛び越えたりと、進むだけで尋常でない労力を必要とする。

 しかし、そんな獣道もアリスはひょいひょいと実に軽快な足取りで進んでいった。

 こういうところは教えられなくとも父――グリーセスの動きを見るだけで自然と覚えてしまう。

 グリーセスはそんなアリスの姿を後ろで確認して、やれやれと微笑まじりに額に手を当てた。


「そろそろ、魔物が現れるはずだ。慎重に行くぞ」

「うん」


 アリスは頷き、進む速度を少し落とす。

 グリーセスの言葉の通りに前方やや離れた位置に魔物を発見する。

 二人は草木に潜り込み、隠れてその魔物を観察した。


「あれは……ケリュネフロガ?」

「ああ、そうだな。けれど第三階層に棲息している奴より全然、強いぞ」

「ふーん。第三階層にもいるんだ」


 二人が発見したのは、一見して鹿のような出で立ちでありながらも、その実、幾重にも枝分かれし、青い炎を纏う巨大な角を有した魔物――ケリュネフロガである。

 しかし、その身体つきは第三階層に棲息するケリュネフロガよりも随分と大きく、筋骨隆々である。


 それにしても、あの青い炎はこの場所では危険ではないのだろうか、とアリスは疑問に思う。

 周りには木々が密集しており、炎はおろか小さな火種だけで引火して、この場一帯を炎の海へと変えるだろう。

 しかし、ケリュネフロガの角に纏う青い炎はどうにも木々の葉には引火する気配がない。


「パパ、どうしてケリュネフロガの炎は葉っぱを燃やさないの?」

「ああ、あれか……」


 アリスの質問にグリーセスはケリュネフロガに視線を向けたまま口を開いた。


「ケリュネフロガの炎はな、自分自身で任意への攻撃を決められるんだ。だから敵だと判断しない者には全くとして影響がないんだ」

「そうなんだ!」


 アリスはまた一つ魔物の知識を知って、目を輝かせ、ケリュネフロガを見つめた。

 青い炎はグリーセスの言ったとおりに葉に触れても、引火せずに、しかしメラメラと角に纏って燃えている。

 実際、ケリュネフロガはグリーセスの説明通り任意の対象にしか炎の熱を発動させない。

 しかし何故、常時、青い炎を角に纏わらせているのか、という疑問もある。

 戦闘時にしか炎を使わないのならば、通常時にも炎を展開させている意味はない。


 ケリュネフロガの青い炎――それには意味がある。

 これは地下迷宮の影響であり、基本的に光が存在しない迷宮内にて灯りの役割としてケリュネフロガは炎魔法の応用で青い炎を角に纏わせたのである。

 つまり、この青い炎は攻撃のための手段ではなく、元々は辺りを照らすための灯りの役目があった。


 けれど、今現在に至ってはケリュネフロガに灯りは必要ない。

 これは迷宮内の魔物すべてに言えることだが、その場所に長くいれば、その場所に適応するのが自然である。

 ケリュネフロガもその例に漏れず、現在のケリュネフロガ種はほぼ全てにおいて暗視を獲得している。


「それじゃあ、今日の獲物はケリュネフロガだ。けれど、アリス、分かっているだろうが、まずは慎重に――」


 と、グリーセスが説明する途中で――アリスが茂みから飛び出して、ケリュネフロガに突進した。


「お、おい! 待ちなさい! アリス!」

「大丈夫だよ、パパ! もう心配性なんだから!」


 アリスは走りながら顔を後ろに向けて、笑顔でそんなことを言う。

 グリーセスの叫びにも、足を止めずに、ケリュネフロガに向かって行く。

 そんなアリスに相手のケリュネフロガも気づいた。

 戦闘体勢と言った感じに青い炎を大きくさせ、アリスに向けて姿勢を低くし、待ち構えた。


「危ない! 離れなさい、アリス!」


 しかし、グリーセスの忠告もむなしく、アリスはケリュネフロガに突っ込んでいく。


「『血弾(ブラッドブレット)』!」


 アリスは人差し指をケリュネフロガに真っすぐ向けると、その指の先から血の塊が生み出されて、球状に圧縮されていく。

 物凄い速度に乗って、血の銃弾が発射し、ケリュネフロガの身体に命中した。

 丁度、眉間に『血弾』がめり込み、ケリュネフロガは頭を振り回して痛みに反応を見せるが、しかしそれも一瞬で、アリスの姿を確認すれば、勢いよく彼女に向けて突進した。


「えっ? 何で平気なの? 確実に狙ったのに!」

「アリス、逃げなさい! ケリュネフロガが来ているぞ!」


 ケリュネフロガはいざという時の為に身体の内部に青い炎と同種の魔力を纏わせている。

 その結果、ある程度の攻撃に対しては耐性があり、強力な攻撃でさえも、威力を軽減させることが出来るのである。

 アリスの『血弾』もその耐性によって威力を軽減させた。


 ケリュネフロガは『血弾』による攻撃の痛みもそこそこに、すぐにアリスへの攻撃を開始させる。

 それほどにはケリュネフロガも頭が回る。


 しかし、アリスは知らなかった。

 魔物なんて、結局、知恵の無い下等種であると胸の内で意識していた。

 父グリーセスには再三、自分たちも同じ魔物であることを教えられた筈だったのだが、アリスはそんな父の言葉も聞いてはすぐに受け流していた。


 その身で経験しなければ、その教えの重要性に気付かない。

 結局、そう言うことなのだろうか。

 グリーセスはすぐさまアリスの前に飛び出て、ケリュネフロガからアリスを守った。


「パパ!」

「アリスはそこで見ていなさい」


 背中からの娘の声にグリーセスは前を向いたまま、静かな、しかし厳しさを孕んだ声でアリスに指示をした。

 アリスはおずおずと頷いて父の背中に身を隠した。

 グリーセスは背中でそれを確認すると、ケリュネフロガを睨みつける。

 ケリュネフロガも同様にグリーセスを睨みつけて、突進する速度を上げた。


「グオオオオオォォォォォ!!」


 雄叫びを上げて迫ってくるケリュネフロガ。

 それに対してグリーセスは先程のアリス同様に人差し指を真っすぐ伸ばして、指先から『血弾』を発生させた。


「パパ?」

「大丈夫だ、見ていなさい」


 指先から生み出された『血弾』はアリスの時と同じ大きさで違った点は見受けられない。

 しかし、その後が異なっていた――


 グリーセスは『血弾』を発射させると、続けざまに二射目、三射目と次々に『血弾』を発射していく。

 その連続射撃はケリュネフロガの至る所の体の部位を傷つけ、足に穴が開き、胴体に穴が開き、頬に穴が開き、そして眉間に穴が開いた。

 穴だらけになったケリュネフロガはそれでもグリーセスに向かって突進を止めない。


「そうか、まだ止まらないか。その覚悟、しかと受け止めた。こちらもそれ相応の魔法で迎え撃とう」


 そうしてグリーセスは人差し指だけ向けていたものを、掌に変えて、その掌から今度は『血弾』よりも幾分か大きな血の塊を発生させた。


 ――『血の一線(ブラッドライン)


 血の塊は細長く伸びたかと思えば、そのまま放射線となって、ケリュネフロガの顔を貫いた。

 その一撃でケリュネフロガは一瞬で絶命した。

 顔は原型をとどめず、赤黒く染色され、グロテスクに血をとめどなく垂らし続けていた。

 間もなくしてケリュネフロガの身体はドサリと横に倒れて、辺り一面の地面を血の色で濡らしていく。


「す、すごい」


 アリスはその光景をただただ呆然と眺めていた。

 戦いに加わることもできず、ただ手をこまねいて見ているだけ。

 何も出来なかった。


「アリス!」


 グリーセスがアリスの方に険しい顔を向けて、厳しい声で名前を呼んだ。

 呼ばれたアリスは身体を震わせて、緊張しながら父の顔を見上げた。

 怒られる、と咄嗟に脳が意識して強張る身体。

 しかし、グリーセスはアリスの予想に反して、娘に駆け寄り、その身体を抱いた。


「パパ⁉︎」


 アリスは訳も分からず、父に抱きしめられた事実にただ困惑していた。


「まったく、心配をかけさせないでくれ。本当に死んだらどうするんだ?」


 グリーセス自身もいざと言うときはどうにか自分で対処できると踏んではいたが、その瞬間を体験したら、実際は思った以上の焦燥感に駆られた。

 やはり、ちゃんと教え聞かせるべきだった。

 今頃になって後悔の念が膨れ上がる。

 まったく、親というものも子供と一緒に成長するというが、その通りのようだ。


 アリスに至っては泣いていた。

 何故、涙が止めどなく流れるのか、自分自身でさえ理解できなかったが、彼女は泣いた。

 号泣した。

 悲しかった。

 自分が死ぬんじゃないか、と身の危険を感じたときは今までに経験したことのない鼓動の音を聞いた。


 そして、同時に父をこんなにも不安にさせて、悲しませてしまったことに、それが一番、申し訳なかった。

 そこでようやくアリスは気付く。

 父の言っていた言葉の全てがその通りだったのだと。


 何故、自分はその言葉を話半分に聞き流していたのか、アリスは今更になって後悔していた。

 後悔先に立たず。

 まさしく、その言葉が表す通りに、今のアリスの心情は過去の過ちばかりに悔恨の念を抱いている。


「ごめんなさい! ごめんなさい、パパ!」


 アリスはそう言って陳謝の言葉を述べるのみ。

 アリスはただ謝ることしかできなかった。

 それ以外の言葉は全て言い訳に成り果てる。

 そのことだけは理解していた。

 だから、アリスはただただ泣きながら謝った。

 自分の過ちを、誤りを、認めた。


「ああ、分かってくれて嬉しいよ。アリス、パパもごめんな。もっと、ちゃんと教えるべきだった。言葉を尽くすべきだった。説明の仕方も工夫すればよかった」

「違うよ! 私がパパの言うことを聞かなかっただけ! 私が悪いんだよ!」


 アリスの悲痛の叫びがグリーセスの耳を通り越し、鼓膜を震わせる。


「それこそ違うよ。たしかにアリスはパパの言葉を聞かずに危険な目にあった。けれどね、パパも悪かったんだ。どこかでアリスのことを諦めていた。可愛い娘に変わりはないけど、どこかで自分の努力を怠って、子育てなんて、そんなものだと楽観していた。だから、パパもダメだった」

「パパ……」


 二人とも間違っていた。

 二人とも悪かったのだ。


「そろそろ泣き止んだかい?」


 グリーセスはアリスの背中を(さす)りながら、優しい声で囁いた。


「うん……」


 アリスは赤く腫れた涙袋を擦って、未だ震えた声で返答する。

 そんな娘の声にグリーセスは頭をポンポンと叩いて、抱き抱えながら、立ち上がる。

 そのまま彼はケリュネフロガの亡骸に近づき、掌をかざして、ケリュネフロガを異空間にしまった。


「それじゃあ、帰ろうか」

「…………」


 アリスは無言で頷き、それを肯定とした。

 グリーセスはそんな彼女の姿に微笑みながら、帰路につく。


 しかし、グリーセスが振り返った先には思わぬ人物が立ち塞がっていた。

 いや、それはこの場における予想外であり、驚きではない。

 だが、少しばかりグリーセスはその人物がここにいることに違和感を感じた。


「セルジュか?」


 そこにはグリーセスの友人――セルジュ・キルク・クローノスがいた。



――――――――――――



 そこには黒髪の少年が佇んでいた。

 年齢は容姿から判断するにアリスよりも年上のように見受けられるが、しかし青年と呼べるほどには成長していない。

 顔は美少年と言った面持ちで、クリクリとした藍色の瞳に整った眉。

 顔も身体も毛穴が見当たらない程に綺麗にまっさらだ。


「やあ、元気そうだね、グリーセス。そっちは娘のアリスか?」

「ああ、そっちこそ元気そうだな、セルジュ。こんなところで奇遇……なのか?」


 グリーセスは抱きかかえていた娘を降ろして、セルジュに問いかける。


「いや、奇遇ではないね。僕は君に会いにここまでやって来たんだ」


 やはり、グリーセスは自身が感じた違和感が本物であることに気付く。

 セルジュがわざわざ自分に会うためにその足でやって来ることはそうそうあり得ることではない。


 彼はどこまでも自分の為に生きている。

 彼の悲願は魔法の神髄に辿り着くこと。

 はたして魔法に神髄や深淵が存在するのか、グリーセスには正直、もうついていけない領域なのだが、そもそもはグリーセスもセルジュと一緒に魔法の研究をしていた同士だった。

 彼と一緒に研究した日々も、もう懐かしい。

 あの頃はまだ、彼女が……。


「今日は何の用だ?」

「そうだな……」


 セルジュは目線を下げて、アリスに視線を向けていた。

 アリスを観察するように目を動かし、そして視線はグリーセスの元へ戻った。


「娘がどうかしたか?」


 首を傾げて、問いかけるもセルジュは微笑みを返して「いや、特に」と言うだけ。


「そうか……。それで結局、ここには何の用で?」


 セルジュの不思議な様子に眉間を狭めるが、友人――セルジュには時々、このような雰囲気の時があったか、と勝手に納得する。

 そんなグリーセスの問いにセルジュは笑顔で返答した。


「ああ、それかい? なに、大したことないさ。いつぞやの誓約を果たしに来たのさ」

「誓約……?」


 セルジュの言葉に怪訝な表情で眉根を寄せる。

 グリーセスにはセルジュの言う「誓約」に心当たりがなかった。


「どうしたんだい、そんな顔をして? まさか忘れたのかい? 僕たちの約束を! 誓約を!」


 目を見開き、両腕を広げて驚いた表情をするセルジュ。

 しかし、それも一瞬で、すぐに「いや、待てよ…」と目を細めて、何やら考え込んだ。


「そうか……。君はまだ思い出していないのか。僕と君と、そして――彼女と。これは三人の誓約だった。僕たちはその誓約のもと繋がった」

「誓約……だからそれは何なんだ?」


 グリーセスは頭を混乱させながらセルジュに問いかける。

 その声はいつしか叫び声になっていた。

 何が何やら分からない。

 しかし――グリーセス本人も何か重要なことを忘れているような気がした。

 それが、それが……どうしようもなく気持ち悪く……息苦しい。


「今、君の記憶封鎖を解こう。時限式にしていたのだが……まさか、まだ解けていないとはね」


 セルジュはグリーセスに近づく。

 それに対して反応的にグリーセスは後退った。

 しかし、セルジュはそんなグリーセスに微笑みながら、転移魔法で一気に距離を詰めて、グリーセスの目の前に移動した。

 そのまま人差し指をグリーセスの額に当てる。


「さあ、思い出せ。そして僕たちの計画を実行させる時だ」


 その瞬間――グリーセスは瞳を大きくし、目の前のセルジュを――そしてその先の過去を見つめた。

 思い出した……?

 しかし、いや、これは……!

 計画? 誓約?


「神獣…?」

「ああ、そうだとも、わが友よ」


 グリーセスの瞳の色が変わっていく。

 黒目と白目の境も分からず全てが鮮血のように真っ赤に染まる。

 口の中の歯も、鋭く尖り、牙に変形する。

 そして、最大の変化はその身に帯びる魔力量である。

 尋常ではない、その魔力量にセルジュは歓喜した。


「ああ、遂に始まる! これから長い旅路になるぞ、グリーセス! しかし、僕は信じている! 君ならばきっと神獣になれる! さあ、グリーセスよ! ……いや、吸血帝(ヴァンパイア・ロード)よ! 君の使命を遂行してくれ!」


 突然の出来事だった――

 アリスはその光景を夢でも見るように眺めていた。

 本当に現実なのか?

 これは、本当に今起きている出来事なのか?

 意味が分からない。


「そっか、君もいたね、アリス」


 その言葉とともにセルジュがアリスの方に視線を向けた。

 アリスは咄嗟にグリーセスから距離を離しており、今は少し離れた場所で父の変貌を唖然と眺めていた。

 しかし、そんなセルジュの声にアリスは肩をびくつかせる。


「あなたは何者? パパに何をしたの?」


 ただただ疑問だけが頭を支配する。

 そんな疑問にセルジュは笑顔で返答する。


「なあに、君のお父さんには進化してもらったんだ。吸血鬼だったのを一気に吸血帝に。その結果……まあ、意識は保てないだろうけど……仕方ないよね。計画の為、研究の為なんだから」

「計画? 研究?」

「そうだよ、僕たちはこの計画の為にずっと頑張ってきたんだ」

「分からない……分からないよ!」

「うーん、そっか、分からないか」


 セルジュは困った顔で唇を突き出すが、その様子がアリスにはどうにも今の状況には不釣り合いなほどに能天気のように見えた。


「まあ、詳しいことは自分で考えるんだね。僕だってそうして魔法を知った。知識とはそういうものさ」

「教えてくれないの?」

「教えたいのは山々だけど、仕方ないよ。君はまだそこまで理解力を育んでいない。説明しても分からないんだ」

「どうして! パパはどうしてこんなことに!」


 グリーセスに視線を向ければ、進化が完了したようだ。

 姿形は特に変化なく、変わったところは瞳の色くらいか?

 しかし、アリスにはどうにも自分の知っている父親とは思えなかった。

 グリーセスはアリスの方に顔を向けて、目を細めた。

 そして、同時に――睨みつける。


「お前は……お前は……」


 夢うつつのようにうわ言を口にするグリーセス。

 しかし、次の瞬間には目をきっと開いて、アリスに向け魔法を放っていた。

 それは先程ケリュネフロガを倒した時の魔法――『血の一線』だった。


「ありゃりゃ、突然攻撃するのか」


 そう言って、セルジュはアリスの身を庇うように前に出て、魔法防壁を張った。


「大丈夫、アリス? ……ん? あれ? そうか……娘のアリスにも影響があったのか」


 アリスの身体にも変化があった。

 グリーセスのように瞳の色が赤に変わる。

 しかし、全てが赤く染色されることはなく、黒目だけが赤く変色する。

 そして魔力量もグリーセス同様に増大している。


「けれど……意識はあるのか。なるほど、これはすごい! まさか、こんな副産物を目の当たりにするとは。もしかして、君こそ神獣になるのか?」


 セルジュはアリスの進化に歓喜する。


「まったく素晴らしい! まさか、こんな結果になるなんて! けれど……アリス、君には申し訳ない事をするね。まさか、君まで進化するなんて。そうなれば吸血帝は君に反応して、攻撃を加えるだろう。親子同士の殺し合いなんて、最悪だねぇ」


 言っている内容は悲しいはずなのに、しかし話している本人であるセルジュはどこまでも嬉しそうに、笑顔で話している。


「吸血姫――アリスよ。君が父を殺すんだ。そうしないと、父はずっとこのままだよ?」


 彼の言っている内容が理解できない。

 自分が父を殺す?


「そうだよ、君が殺すんだ。グリーセスはもう、吸血帝としての意識に囚われている。彼はもう、君を認識した。娘としての君ではなく、吸血姫としての君を認識した。吸血帝は吸血姫を殺す。それが、シナリオであり、彼の使命なんだ。元々は彼の記憶上の架空の存在として居もしない存在に殺意が湧くようにして、その妄執に囚われた結果、果てなき殺意を増大させる計画だったんだが……。まさか、本当に吸血姫が生まれてしまうなんて……! しかし、これも素晴らしい! これも運命だ! こんなシナリオも素敵じゃないか!」


 分からない……分からない……分からない……分からない……分からない!!!


「あなたは何を言っているの!」


 しかし、そんなアリスの言葉にセルジュは笑顔を向けるだけ。

 そして、問いには答えずにゆっくりと人差し指をアリスの後方に――そのずっと奥を指差す。


「あそこに見えるお城が見えるかい? あそこがこれからグリーセスが住む場所さ。このために僕が自ら手塩にかけて造ったお城さ。グリーセスを殺す決心をしたときはあそこを目指すと良い。けれど、それまでは今までの家にいることをお勧めするよ」


 セルジュはアリスの肩に手を触れて――その瞬間、空間が歪み、瞬きをすれば、そこはもう別の場所だった。

 森の中だったのが――いつの間にか家に戻っている。


「グリーセスを解放できるのは君だけだ。それじゃあ、この物語の行く末を楽しみにしているよ。頑張ってね、アリス!」


 セルジュはそれだけを言い残して、また次の瞬間には消えていた……。

 一人残されたアリスは呆然とセルジュが消えた場所を見つめている。


 訳も分からず――意味も分からない。

 しかし、涙だけが溢れんばかりに流れた。

 そうして、アリスは『吸血姫』になったのだ。



――――――――――――



 月日は流れた。

 あれから怯えたまま家に引き篭もっていたアリスだったが、流石にそのままという訳にもいかず、徐々に現実を受け入れて、父のことを考えるようになった。

 そして、案外、結論はすぐに出て、父を救おうと決心する。

 セルジュはもう殺すしかない、と言っていたが、しかし、やってみないと何も分からない。


 その間、家には吸血鬼がやって来ていた。

 一日一体、吸血鬼がこの家を――アリスを襲いにやって来る。

 しかし、アリスはそれをほぼ一撃で退治した。

 今までのように魔法を繰り出したと思ったら、彼女の想像を超える魔法が発動して、敵を一撃の内の倒してしまうのだ。


 これが、セルジュの言っていた進化の影響なのだろうか?

 よく分からない。

 しかし、少しずつ、自分で確かめていかなければいけないだろう。


 そうして毎日の敵を倒しつつ、自分の力を確認する毎日を送る。

 これも全て、父を助けるために。

 そう、全ては父の為――


 独りは辛かった。

 独りになって初めて、孤独の寂しさに気付いた。

 父との生活はもはや日常で、それがずっと続くものだと思っていた。

 だから――いざ、独りになれば、家が広く感じて、室温もどこか寒く感じた。


「早く……早く、パパを助けなくちゃ……!」


 だが、そんな感情論だけで突っ走るほど彼女は冷静さを欠いてはいない。

 それは――最後に決めたことじゃないか。


 父の言うことを聞く。


 それが、いわば父との最後の約束のようなものだから……。

 魔法や戦闘の鍛錬を積みつつ、第八階層に偵察に行き、城の様子を窺い――そんな毎日を送った。

 そして遂に、その日がやって来る。


 彼女は今、第八階層の森の中にいた。

 見上げるは灰色の居城。


「待っててね、パパ」


 アリスは一歩、また一歩と城に向けて歩を進めた。

 吸血帝――グリーセス……いや、父が待つその城へアリスは向かった。

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