016話 隠し部屋
サリユは未だ第七階層を彷徨っていた。
第七階層の出口はとうに把握している。
なので、脱出するのは簡単なのだが、どうにもあの人間たちの行方が気になる。
レムスとの戦闘後、男はどこに消えたのだろうか。
魔力感知で人間たちを探すも、それらしい反応はない。
どうやらこの第七階層にはもういないらしいが、ならば先の第八階層に向かったのだろうか。
それとも第六階層へ?
そういったこともあり、サリユはまだ先を目指そうとは思えなかった。
もしかしたら、人間たちと鉢合わせということもあり得なくない。
となれば、レムスを殺した実力者である。
サリユの今の実力で太刀打ちできるかと言えば、難しいのが現状だ。
そして、もう一つ、サリユが第七階層に立ち止まっている理由がある。
魔力感知でこの第七階層の俯瞰図を把握したが、それを確認すると、どうにも一箇所、妙なでっぱり――と言うか、不自然に開けた空間を発見した。
何する目的もないサリユは、見つけてしまったのだから、と言う理由で何となくそこを目指して歩いていた。
そうこうしている内にその目的地にたどり着いた。
辿り着いたが……そこは何の変哲もない洞窟の穴道だった。
開けた空間があると思しき場所は岩壁があるだけ。
位置的には、この壁の向こうにあるらしいが、辺りを確認して、周って逆方向から隈なく観察しても、その場所への通路は見つからない。
確かにこの壁に向かって真っすぐに道が存在するはずなのだが……。
魔力感知の精度の問題だろうか、とも考えたが、だとしたら道や場所自体が確認できないのは分かるが、余分な場所が探知できるというのは、どうにもおかしい。
どういうことだ? とも思ったが、まあ、だからと言って何か困るという訳でもない。
地図上に謎の場所があるからと言って、サリユには別段、困ることはなかった。
しかし、見つけてしまったものは仕方ない。
気になるものは気になるのだ。
それに、人間たちの動向もある。
今しばらくは、ここ第七階層にいた方が安全だろう。
幸いなことにここには魔物は棲息していないらしいし、食料に関しても蓄えは十分にあった。
さて、しかし、どうしたものか……。
この謎の場所が気になって仕方ない。
前世でのアキラの言を参考にすれば、こういう場所はゲームで言う隠し部屋や、隠し通路、つまりは抜け道ということである。
どこかに隠されたスイッチがあるのが定番とか言っていたように記憶しているが……。
例えば、この何でもない岩の出っ張りを押し込むと、扉が出現したり、しなかったり……。
そんな安易な考えで何とはなしに岩の出っ張りを前足で押してみると、不自然に岩が押し込まれて、その途端、目の前に突然、岩壁の一部が横にスライドした。
「ま、まじか……」
岩壁がスライドして、人ひとりが通れるほどの隠し通路が現れる。
奥は暗闇。
何も見えない。
行くか行くまいか。
答えは決まっていた。
これが気になっていたのだから、第七階層をうろついていたのである。
サリユはすぐに意を決して、現れた新たな暗闇へ歩みを向けた。
隠し通路の両壁には松明が灯されており、暗闇を明るく照らしていた。
その為、第四階層ぶりに純粋な光を目にして新鮮な気持ちになった。
同時に、こういった松明や整備された隠し通路にどこか人為的なものを感じる。
もしや、あの人間たちの住処だろうか?
だとしたら進むのは危険かもしれない。
サリユは足を止め、後ろの入り口に顔を向けた。
「…………」
黙考した後、魔力感知でもう一度、謎の空間を探ることにする。
その結果、謎の空間に近づいたおかげだろうか、先程より精度が上がって、一つ、黄色の光の印が確認できた。
この先に誰かいる?
何者か……。
人間たちか? やはり、人間たちの住処なのか?
どうするか……?
そうこう悩んでいると、サリユの背後からドスッ、ドスッ、と謎の物音が聞こえてきた。
(はっ? なんだよ?)
後ろを振り向けば、そこには血だらけの人間が腕を前に伸ばしながら近づいていた。
その姿はまさしくゾンビの類。
確か、アキラと一緒に観たホラー映画やスプラッター映画に登場する定番のあいつ。
こいつ……そうか、あの謎のウィルスに感染して……!
そんな世界観に急転換の予感……なのか?
(いや、待て。この世界は剣に魔法のファンタジー世界なんじゃないのか? いきなりSFバイオ展開なんて聞いてないぞ、レムス!)
かつての親友の名を心の中で叫んでみるものの、目の前の状況が一変する訳でもない。
(というか、やばいぞ、これ! どうすんだ⁉)
サリユは一旦、距離を離して、相手の出方を窺った。
ゾンビは一歩一歩、遅々とした歩みでこちらに向かっている。
攻撃をしてくる気配はない。
しかし近づいてくる。
敵……なんだろうけど。
見た目的には完全に倒さなければいけない存在だろう。
いや、しかし、それを言うなら自分も魔物、同じ存在だ。
(そう考えれば同類なのか……?)
と、困惑を顔に浮かべていると、サリユの考えとは裏腹にゾンビは掌から赤い球状の塊を生み出して――こちらに向かってそれを放った。
(って、まじか!)
サリユは咄嗟に『火の一線』を放とうと口を開けた、その瞬間――
「待ってください!」
またしても背後から、今度は女性の声が聞こえた。
「えっ? あ、えっ?」
サリユは言われた通りに魔法を放つのをやめた。
同時に金髪の女性――女の子がサリユの前に、ゾンビに立ち塞がる形で間に入った。
真っ白な襟付きのシャツに、真っ黒なロングスカート。
容姿は幼女に近い少女の姿。
肌は白く、煌びやかな金髪が空気をかどわかす。
瞳は両方とも鮮血のように赤く、その雰囲気はどこまでも艶やかに美麗なはずが――どこか暗い影を感じる。
「『血の一線』!」
赤黒い色の放射線がゾンビの身体に向かって一直線に放たれた。
ゾンビの身体は少女が放った赤黒い放射線に当たると同時に、その身を四散させた。
肉片が狭い岩壁の通路に飛び散った。
(そんな威力の魔法のようには見えなかったが……凄いな)
少女はゾンビを殺したことを確認すると、こちらに身体を向けて近づいてきた。
「あ、あの、すみません。先程は私の言葉を聞いてくださって……って、犬? 狼?」
彼女は申し訳なさそうにお辞儀をしたかと思えば、サリユの姿を見て、途端に目を白黒させた。
「あ、ああ、こちらこそ助けてくれてありがとう。さっきの魔法、凄い威力だったな」
「え? 犬がしゃべった!」
驚いた顔で後ろへ飛びのく彼女。
どうやら、やはり魔物が言葉を話すのは珍しいことなのかもしれない。
しかし、それにしても彼女は何者なのか?
見た目はまさに人間のそれなのだが……。
サリユは先程までの一件を思い出していた。
人間の魔物に対する敵愾心。
あれは本物の殺気だった。
人間とは相いれない。
それが人間と魔物の関係性。
だとしたら……。
「君は――人間なのか?」
サリユはおずおずと少女に向かって問いかける。
彼女は目を見開いて、未だ驚いた表情をしながらも、何とかサリユの質問に答えた。
「えっと……私は人間じゃありません。私は魔物です」
「おお、魔物なのか! それは良かった!」
人間でないことに一安心した。
いや、そもそも人間であるか否かで危険度を自分は定めているのか……。
サリユは自身の変化に内心で少し驚いていた。
前世とは何もかもが違う世界。
人間は問答無用で大切な存在を奪った。
レムス……。
無念も後悔も振り払った訳ではない。
未だ、復讐心は絶えず燃え続けているが、少しは和らいだと思っていた。
しかし、サリユは未だ気持ちにケジメをつけられていなかった。
この何とも言えぬ感情の置き所に悩んでいる。
「ごめんな、ここは君の居場所なのか。勝手に入って申し訳ない」
「あっ、いえいえ、岩の出っ張りを押して入ってきたんですよね? よく分かりましたね」
「ああ、ちょっとな……昔、友人に隠し通路の攻略法を教わってな」
「そうだったんですね」
少女は薄く笑みを浮かべて、目を細めた。
「あの、良かったら私の家に来ませんか? えっと……犬さん」
「ああ、うん……そうさせて貰おうかな。行く宛もないし……。あっ、それと俺の名前はサリユだ。よろしく」
「あっ、はい、こちらこそ。私はアリス・ヴリコラカス・セミルメラと言います」
「ああ、よろしく」
お互いに自己紹介し終えたところで一人と一匹は、遂に今までサリユが気になっていた謎の空間の方へと歩を進めた。
そして――そこには、一軒家がポツンと建っていた。
一階建ての小さな家だ。
小屋と言っても差し支えない大きさである。
「ここは、君の家か?」
「……はい。そうです、私の……私たちの家です」
「私たち?」
「…………」
アリスはサリユの疑問には答えてくれなかった。
無言のままアリスは扉を開け、家の中に入るよう促す。
中に入ればそこは特徴のない外装から予想できるような、これと言って表現することのない部屋だった。
扉を抜けてすぐに薄く灰がかった緑色のカーペットがサリユたちを出迎える。
奥には脚高のテーブルに四脚の椅子。
台所は所々シンクにカビが生えている。
その部屋の雰囲気は一言で言って陰鬱としていた。
また、部屋の空気と同じくアリスの表情も暗い。
彼女は出会ってからここまでずっと暗く影を刺した表情を浮かべていた。
「あの紅茶でいいですか?」
彼女は苦笑いを浮かべながらサリユに訊いた。
「ああ、お構いなく」
そういえば自分は紅茶を飲めるのだろうか?
水などはそのまま飲んでいた。
水を沸かしてお湯を作ったり、そのお湯でお茶や紅茶、それ以外にも多種多様な料理に用いることは知っているが、果たして犬ころ――今は狼――である自分に飲めるのだろうか?
狼も人間とは大きく身体構造が違うだろう。
(飲んで即死とかは嫌だな)
今からでも断るべきだろうか。
しかして、そうこうしている内にアリスが紅茶を淹れて、カップをサリユの前に置いた。
ちなみにサリユは今、椅子の上に四足を乗せて座っている状態である。
丁寧にカップに紅茶を入れてくれたのは嬉しいが、サリユには飲みにくいことこの上ない。
「あの、すまないが、これでは少々飲みにくいんだが。あとそれにやっぱり俺には紅茶は飲めないかもしれなくてだな……」
「あっ、すみません。私、気づかなくて」
「いや、いいんだ。そもそもこんな犬ころに丁寧に接してくれるだけ嬉しい」
というか何故、彼女は自分を家に入れてくれたのだろうか。
それにここまでのおもてなし……。
外見はただの犬、もしくは狼。
いや、中身も犬ころに変わりはないのだが。
しかし、彼女は丁重に自分のことを扱ってくれた。
あの人間の対応を見てからでは雲泥の差である。
もしやこれも何かの策略……?
「先程は私の言葉を信じて攻撃を止めてくれて、ありがとうございました」
「こんな犬ころに丁寧に接してくれるのも?」
「はい、私の言葉が通じたからです。なら、姿形関係なく接するのが礼儀だと思いますから。まあ、父からの受け入りなのですが」
「父? 父親と暮らしているのか?」
「そ、それは……」
アリスは言葉に詰まって押し黙った。
どうやら触れてはいけない話題だったようだ。
「えっと、それじゃあ……あのゾンビについて聞いても?」
「はい……あれは……」
アリスは語った。
口をパクパクさせて、声を出すのに躊躇いを見せている。
それほどに語りたくない話?
世間話のように訊いた自分が馬鹿みたいだ。
少し申し訳ない。
しかし彼女は話してくれた。あのゾンビについて。
「あれは恐らく、私の父が送り込んできた刺客……というかシモベ? なのだと思います」
「父……? えっと……はい? ああ、そうですか」
開始早々、訳の分からないことを言われた。
(なんだ? 父? 刺客? シモベ?)
父というワードはどうやら禁句らしいのだが、違う話題を振ったつもりが、まわりまわって繋がってしまうとは……。
ここはまた違う質問をするべきか。
サリユは苦笑いを浮かべて口を開けた。
「それと……この家についても聞いていいか? なぜこの場所は隠されている?」
「……それは」
「ん?」
口籠もりながらもアリスは話してくれた。
というか、どうにもこのアリスという女の子は通常からオドオドしている。
「ここは父とその友人が作った場所らしいです。ここなら安心して暮らせるとかで……」
「友人……?」
「はい、人間の友人らしいです」
「人間⁉︎ 人間は魔物を嫌っているんじゃ……? いや、そういえば、そもそも君は……えっと、本当に魔物で大丈夫なんだよな?」
「ああ、はい。私は魔物です。吸血鬼という種族です」
「吸血鬼か」
「はい」
吸血鬼と言うとあの血を吸って、勢力を吸い取る夜の化物。
日光や十字架が苦手な妖怪の類。
ヴラド三世やカーミラとかが有名だった気がするが、そうか、この世界にも実在していたのか。
いや、この世界にも、というか、元の世界には実際にはいなかったのだが。
「そうか、それじゃあ、さっきの魔法は自分の血?」
「まあ、はい」
「大丈夫か? 攻撃するたびに血を使ってたら自分の身体が保たないんじゃないか?」
「えっと……いえ、厳密に言うと自分の血というのは狩った魔物の血と自分の血の数滴を混ぜたもので、身体機能に支障はほとんどありません。それに吸血鬼の血は毎日、減った分を回復するんです。なので……大丈夫です」
「そっか」
「…………」
「…………」
その後、沈黙が襲った。
もう聞くべきことはない。
(いや、まあ、父親がどうして彼女を襲っているのか意味が分からないし、その父親の友人――人間についても気になるっちゃ気になるが、まあ、正直、俺には関係のない話だよな。それよりも今の俺にはあの人間の居場所とそいつを倒せる力が欲しい)
これ以上墓穴を掘って、変な質問をしても仕方ない。
サリユは決まづい沈黙を破って声を出した。
「えっと、それじゃあ俺はこの辺で失礼しようかな」
「えっ! もう行かれるんですか?」
「ああ、もう第七階層に居続ける意味もないからな」
「先に向かうんですか?」
「そのつもりだ」
サリユの返答にアリスは目を泳がしながら、言葉を紡ぎだす。
「けど、それは危険だと思います。まだ他にも、父のシモベがいるかもしれません」
「そうなのか? というかあのゾンビは第七階層を徘徊しているのか?」
「いえ、それは」
「ん? そう言えば、さっきは第七階層を周っていてもそんなゾンビに出会わなかったな?」
「えっと、だから――」
アリスは何かを話そうとして、続く言葉を押しとどめた。
「ああ、えっと、それじゃあ、俺はこの辺で……」
「いや、だから、危険なんです」
「大丈夫だよ。俺、こう見えてそれなりに強いから」
「そう言うのじゃないんです! あのゾンビは……父は私しか殺せないんです!」
「…………」
突然の大声にサリユは驚き、目を見開く。
「だから……ダメです」
「そ、そうか……」
サリユは降りかけた椅子に座り直して、目の前の紅茶に舌をつけた。
甘酸っぱい匂いが鼻を抜けて、喉を温めた。
どうやらこの身体で紅茶は飲めるようだった。
「えっと……もう少し、ここにいることにするよ」
「そうですか……それは良かった」
「うん」
アリスは胸を撫で下ろして、息を吐く。
どうにも掴めない女の子だ。
人――言葉が通じる何者か――と話し慣れていないようだが、先程の突然の大声……。
おどおどしているだけの少女ではなさそうだ。
「夕食でもどうですか?」
「夕食?」
「はい」
アリスは壁に掛けられた時計に目を向けた。
サリユも彼女の視線を追って時計を見れば、時刻は五時三十分だった。
午前か午後かは分からないが、そこには時計があった。
というか、この世界で初めて正確な時刻を知った。
「えっと……いいのか?」
「はい! 久しぶりの誰かとの夕食です。私には願ってもないことです」
「そうか……分かった。ご相伴にあずかろう」
「はい、喜んで」
サリユの返答にアリスは笑顔で頷いて台所に向かった。
カビが生えた台所である。
「その台所、大丈夫か?」
「ああ……これは、すみません。ゾンビ対策と言うか――おびき寄せるためにカビや灰を撒いているんです」
「そうか……ゾンビはカビとか灰が好きなのか?」
「いえ……、正確に言うとあれはゾンビではありません。あれは……吸血鬼のなれの果てです」
「なれの果て……? それはどういうことだ?」
「……すみません、私にもよく分からないのです。私には……何も……」
「そうか……」
「あの、だから、それで……夕食のときにお話を聞いてはくれませんか?」
「話?」
「はい……私たちに何があったのかを……。サリユ様には関係のないことだとは重々承知しています。けど……もう……」
「うーん、それは……」
正直、面倒くさいと思っている。
面倒ごとには巻き込まれたくない。
今は――再三言うように、あの人間への復讐を最優先としている。
ここで、変な物事への介入は藪蛇と言うか、藪蛇に留まらず、藪から出てきた蛇は毒蛇かもしれない。
それほどにきな臭い。
吸血鬼? なれの果て? 父親?
いい話であるはずがない。
しかし……。
サリユはアリスの横顔を窺う。
アリスは不安げな瞳に眉をひそめていた。
「うん……いいよ」
「ありがとうございます!」
どうにもサリユはお人好しのようだ。
いや、人ではないからお犬好し?
そもそも「お人好し」の語源が分からない。この「人」は自分を指すのか相手のことを指すのか。いや、そうなるとアリスも魔物ではあるのだから、どちらにしても人には該当しない。
と、そんなことはどうでもいい。
今は彼女の話を聞こう。
面倒ごとでも、厄介ごとでも、女の子が悲しむ姿というのは想像より見ていて辛い。
「それじゃあ、夕食を準備します」
そう言うと、アリスは台所のカビを掌から生えた赤黒い鎌状の何かで削り取っていく。
恐らくあのナイフも血液で出来ているのだろう。何でもありだ。
そうして台所を綺麗にした後、木網の籠に入った野菜や肉といった材料を台所の上に乗せ、上の戸棚からは鍋やフライパンを取り出して、料理を始める。
鍋には薄緑色の細長い球状の野菜を千切って入れていく。そこに肉も一緒に投入。
あの肉はやはり魔物のものなのだろうか。
「そういえば、その材料ってどうしたんだ?」
サリユが思った疑問を訊いてみれば、アリスは背中を向けた状態のまま質問に答えてくれた。
「野菜は裏庭の畑で育てたものです。肉は第八階層で狩ってきた魔物の肉です」
「第八階層に行っているのか?」
「はい」
「危険じゃないのか?」
「……この第七階層よりは危険かもしれませんが、第六階層よりは比較的安全です」
「ああ、あの第六階層……。あそこは別格だろう」
「ふふっ、そうですね……サリユ様は沼地竜と戦ってここに来たのですか? それとも第八階層から?」
「俺は第三階層からここまで降りてきたんだ」
「第三階層ですか⁉」
包丁を叩く音が止まった。
「そんな高い場所からここまで?」
「おう、ここまで親友と二匹でやって来たんだが……」
「親友……と……。そうですか……失礼しました」
「いや、いいよ」
包丁の叩く音が再開された。
リズミカルな音が野菜や肉を切り刻んでいく。
「少し待っていてください。お話は夕食が出来てから……」
「分かったよ」
そうしてサリユはおとなしく料理が出来上がるのを待った。
そして――出来上がった。
豪勢な料理だった。
先程の鍋で作っていた白色のスープ。とてもクリーミーで優しい味だった。
テーブルの中心には鳥のような魔物の丸焼き。
こんがり皮がカリッと焼かれており、中身はジューシーな肉厚が肉汁とともに舌を喜ばせる。
そして、パン――だと思われる何か。
外はカリカリ、中はフワッとモチモチの食感だった。
というか……。
(俺って普通の料理食えるのか! 凄いなこの身体!)
この世界に来て初めての料理と呼べるものを味わった。
いや、味だけで言えば、前世のドッグフードよりも断然おいしい。
「美味しいな! アリスは料理が得意なんだな!」
「いえ……! そんなこと……。どうもありがとうございます」
「んん?」
料理をしてもらっているのはサリユの方だ。
こちらが感謝を示すならまだしも、アリスから感謝を言われる謂れはない。
「ここに居てくださって、ありがとうございます……」
「はあ、そんなことで感謝なんか言わなくても……」
「いえ、私なんかの為に……」
(うーん、どうにもこの娘、自分を過小評価している節がある。そんなに自分を卑下しなくてもいいのにな)
「私はずっと一人ぼっちでした。なので誰かと話したかったのです」
「こんな犬ころでも?」
「外見など関係ありません」
「……そうか。君は良い奴だな」
「……私なんて」
「少なくとも人間は俺の――俺たちの外見だけで敵だと判断した」
「そう……だったんですね」
その会話が契機だったのだろう。
夕食もあらかた食べ終えて、食後の紅茶を飲みながら、サリユはアリスに今までの事を語った。
自分が異世界転生したこと。
レムスと言う親友――兄弟と出会ったこと。
第三階層からここまで幾つもの死線を潜り抜けてきたこと。
そして、レムスを人間の手によって殺されたこと。
語り始めれば、スラスラと言葉を紡ぐことが出来た。
そして、語り終えるのに数十分。
時に自身の苦労、不安を吐露し、レムスとの楽しいひと時も余すところなく話した。
「そうだったんですね……ぐすっ……本当に……辛かったんですね」
「いや、まあ、そうか……そう反応してくれると嬉しい」
なんだか気恥ずかしいものだ。
けれど、自分が味わった辛苦に共感してくれるのは正直に嬉しかった。
「ありがとな。話せて気が楽になった」
「あっ、いえ、こちらこそ、貴重な話をお聞かせくださってありがとうございます」
「いえいえ、どうも」
一人と一匹、それぞれに手を振り、首を振る。
「それじゃあ、次は私の話をしたいと思います」
「そうだな……正直、気になっていた」
「はい、それでは――」
そこからアリスの話が始まった。
「私は百年前まで父と二人で暮らしていました。とても静かで、温かい毎日でした。父はとても優しく、温和な方です。私の為に魔物を狩って、野菜を育てて、いつも寝る前には神話やおとぎ話を語ってくれる、とても優しい人でした」
「良いお父さんだったんだね」
「はい……!」
「そう言えば、君のお母さんは?」
「分かりません。物心ついた頃にはもういませんでした。父にも母のことは聞いたことがありません」
アリスは首を振って、視線をテーブルのシミに向けた。
「気にならなかったのか?」
「……はい。特に何不自由なく、豊かで満たされた毎日でしたので、疑問には思いませんでした」
「そっか」
その感覚をドライと言うのだろうか。
しかし、何言うサリユ自身も実の父と母を知らない。
それは前世でも、今世でも、どちらの世界でもの話である。
そこに疑問は生じなかったし、今となっても気になるものでもない。
そういうものなんだ、と前世の頃からそれは常識として認識していた。
けれど――そう考えればサリユにとってレムスとは……?
(俺は思っていた以上にお前のことが好きだったようだな……レムス)
考えれば考えるほど、後悔ばかりが募っていく。
あの時、一緒に戦えていれば――
あの時、すぐにレムスの元へ駆けつけていれば――
あの時、もっと早く第七階層を抜け出せていたら――
後悔ばかりが、重く重く、積載していく……。
「話の腰を折って済まない。それで……何故、そんな優しい父親が君を殺そうとしているんだ?」
「……それは」
アリスは一度紅茶に口を付けて、同時に唾も一緒に飲み込んだ。
緊張した面持ちで、彼女は口を開く。
「父は唯一の友人に騙されたのです」
「友人……この家を、場所を一緒に作ったっていう友人?」
「はい……。友人の名は――セルジュ・キルク・クローノス。かの大魔法使いと呼ばれた男です」
「……あの神話の? 実在したのか?」
「はい。私たちも一応、神話の時代に生きていた者なので」
「何⁉ 神話の時代? えっと……どういうことだ?」
「いえ、その……言ったとおりです」
「ああ……そうか」
(えっ、つまり、どういうこと? なんか百年前までは……とかから少し変だとは思ってたけどさ。神話の時代って、この娘、何歳――とかレディに聞くのはご法度だよな……。何に悩んでるんだよ、俺?)
「それで、その大魔法使いが裏切ったのか?」
「はい……いや、あいつは最初から私たちのことを騙していた――裏切っていた。というか、あいつは裏切った――そう言う認識すら持っていなかったはずです」
「それは……?」
「あいつはそう言う奴なんです。自分のしていることに疑問がなく、ただただ、究明の為だけに――だから自分以外の全ての存在はその目的の為の道具なんです」
「……そうか」
(まさしく典型的なマッドサイエンティストだ。嫌だなぁ、そういう奴は決まって話が通じない)
「なるほどな、話が見えてきた。つまりその大魔法使いの裏切りによって君の父親は吸血鬼のなれの果てになったんだな?」
「はい……その通りです」
現状への経緯は分かった。
では、次は、「吸血鬼のなれの果て」についてか。
「吸血鬼のなれの果て……それが大魔法使いの狙いだったそうです。神代からの魔物……『神獣』になり得る私たち吸血鬼の力を究極にまで高めた結果、思考は鈍り、感情は死に、廃人と化した――まさしくそれは……」
――なれの果て、か。
「なるほど……。そう言うことか」
「はい。吸血鬼のなれの果てに関する情報はそれだけです。正直、私にはよく分かりません」
「いや、そんな肩を落とすことはない。貴重な話だった。ありがとう」
アリスの話はそこで終わった。
まさか、大魔法使いが背景にいるとは思わなかった。
それに、神話の時代――『神獣』など気になる単語も出てきた。
しかし、ここでも人間の裏切り――人間の醜悪さを知ってしまうとは……。
本当に前世の世界と、この世界とでは全てが大きく異なるらしい。
覚悟――か。
サリユは紅茶の表面に映った自分の顔を見つめて目尻を下げた。
――その時だった。
「グガガガガガガガァァァァァ!!!!!」
窓を叩く音。
そして、そこには――
「なんで、もういるの! さっき来たばかりなのに!」
「ゾンビの――いや、君の父親のシモベか……」
――そこには吸血鬼がこちらを睨みつけて、涎を垂らしていた。