街へ・6
♢
さて、今日はジルと出掛ける当日である。
朝早くから準備を開始した。
急に決まった事ではあるが、ナタリーが前日にドレスの手配などを終わらせてくれていたので滞りなく終わった。
舞台は夕方からだという。
ジルは昼前に迎えに来ると書いてあった。
間が持つかしら。
今までのジルであれば間違い無く無言の時間が長く、困っただろうが、そんなジルであればリリアを誘いはしなかっただろう。
そもそもジルがまともに女性と話しているのもリリアは見た事が無かった。
ましてや、彼が女性を口説く所など考えも出来ない。
だからこそ不思議なのだ。
ジルとセリーヌが恋仲だということが。。
あの冷淡なジルがセリーヌと恋仲だというのも想像がつかなかった。
ジルは、いつも他人と一線を引いている様な所がある。
笑っている時も酷薄そうな冷笑ばかりの人だ。
透ける様なプラチナの髪と、グレーの瞳。
目の覚める様な鼻筋の通った佳麗な顔立ち。
着痩せはするが、背丈も高く、しっかりとした身体つき。
公爵家の人間らしい上に立つ者の風格。
いつも視線は前を向いており、そのグレーの瞳を向けられると、吸い込まれそうで居心地が悪かった。
対してセリーヌは、子爵家の令嬢らしくドレスも余り質がいいとは言えないが、流行の物が好きらしく、いつも目新しいものを身に付けていた。
黒髪に近いブラウンの髪に、小さな鼻が愛らしい。
唇も小さく整った顔立ちの娘であったと記憶している。
背の高いリリアと違って小柄な庇護欲を誘う様な可憐な見目をした女性であった。
両親と出掛けた夜会でジルを見かけた事があるが、いつも纏わりつくセリーヌを鬱陶しそうにしていた印象しかなかった。
その二人がリリアとの結婚後も愛を温め続け、子を成すとは。
大変結構では無いか。
リリアはそう思った。
跡取り問題は非常に重要だ。
相思相愛で結婚しても、跡取りに恵まれずに泣く泣く第二夫人を迎える事もあると聞く。
そうなってしまうと結構大変らしく、揉める事もままあるらしい。
リリアとジルの場合は気にしなくても良さそうだが、ジルの話が真実であればリリアにとっては良い事とは言えない。
仮に第二夫人を迎えるにしても弁えた人なら嬉しいとリリアは思った。
爵位は関係なく、ジルが心を許せる様な相手だともっといいなとも考えた。
二人が仲睦まじくしてくれていれば、リリアを放って置いてくれるかもしれないからだ。
勿論屋敷の主立った女主人の仕事はする。
夜会なども必要であれば出席する。
公爵家夫人としての仕事もするつもりだ。
だから、リリアが今大切にしている教会での奉仕活動や神父とロペスとの時間を偶にで良いので続けさせてくれたら嬉しいと思っていた。
そうしてジルと第二夫人の子がある程度成長したら、教会に身を寄せて暮らせたら最高だ。
リリアはそんな空想を巡らせていた。
♢
「漸く着いた様だな」
足元に気を付けて、と先に降りたジルに声を掛けられて止まってしまった。
驚愕を貼り付けたリリアを軽々と馬車から引っ張り出す。
「少し街並みを見て回るか?それとも先に昼食を?」
始めの衝撃も去らないままに第二波、第三波がリリアを襲う。
まず、リリアに注意を促すなんて今までの経験上無い事だった。
怪我するならしても良いが、私を巻き込むなよ愚図!
くらい思っていそうな目をされた事は数え切れない程あるが、心配などはされた事は記憶にある限り一度も無かった。
それに、リリアに意見を!
あのジルが意見を請う日が来るなんて!
リリアには驚きの連続だ。
「少し見て回りたいです」
リリアが告げると、ジルは素直に頷いた。
素直に頷く事にも一々驚愕である。
「行こうか。ブティックか、宝飾店か。君はどちらに行きたい?両方見て回ってもいいが、先に一つ行って昼食を済ませてから残りを回るのはどうだろう?」
「りょ、両方行ってもいいんですか?!」
リリアが堪らず驚きの声を上げると、今度はジルが驚いた顔をする。
そして、柔らかな笑顔を浮かべながら、
「君は、そんな顔もするんだな。もっと早く知れば良かったな。演劇の時間までゆっくり散策しよう」
そう言って、腕を差し出した。
リリアは戸惑いを露わにしながら、そっとジルの腕に手を乗せた。
しっかりとした安心感のある腕。
———本当にジルは変わったんだ。
「行こう」
ジルがゆっくりと歩調を合わせて歩き出した。
「まずは一番街にある宝飾店に入らないか?」
一番街にある宝飾店、ヴェンクリフト・アベル。
リリアがよく外商から購入する店である。
繊細で芸術的な宝飾品の数々を作る店で、現在の流行を生み出す最先端だ。
一度は店に足を運んでみたいと思ってはいたが、機会が無かった。
「是非行きたいです!」
前のめり気味に答えると苦笑された。
こんなに柔らかに笑う人だったなんて。
リリアは自分の鼓動が知らず知らずのうちに跳ねている事に気付かなかった。
「よし、行こう!」
二人は一番街に向けて歩み出した。