バルドー家にて・4
♢
リリアはジルが屋敷を訪れた日から自分なりにいくつかの仮説を立てていた。
一つ、
シンプルにジルが言っている事は正しく、タイムスリップしている。
二つ、
矢張りジルは、せん妄の類いの精神的な病いを患っている。
三つ、
タイムスリップでは無く、予知夢。
つまり、既視感の類い。
潜在意識から来る思い込みがジルの深層心理で噛み合って、高熱と重なりリアルな夢となった。
実際の予知夢では無い。
平たく言うと余りにもリアルな夢を見過ぎて区別が付かない状態になっているのでは無いか。
今の所、リリアの中での有力な説は二つ目か三つ目である。
あの日ジルには周りに触れ回らない様にきつく言い含めた。
そして、頭を打っているから必ず医者に頭を見てもらう様にも伝えた。
運が良ければ、そこで医者がケアしてくれるだろう。
頼むから気付いてくれ。
そんな気持ちで眠りについた。
そして明くる朝———。
リリアが朝食を取ろうとダイニングに行くと、リリアの席に薔薇の花束が置かれていた。
はて、何か祝い事でもあったかしら?
リリアは首を傾げて花束を見つめる。
リリアが突っ立ったままでいると、父のヨゼフが声を掛けた。
「リリア、ジル様からだ。驚いただろう?私も驚いた。でも本当にジル様からなんだ」
ジルから?
という事は、矢張りジルはまだ正気を戻してないのかとも思った。
まあ、いいか、とメイドに指示して部屋に飾る様に伝えた。
花束の代わりに食事が運ばれてくる。
「ジル様はどうかしたのか?昨日も突然来たそうじゃないか」
「何か心境の変化でもあったかしらね?」
母のエリザベートも頷きながら続ける。
「さあ?どうでしょう。私などがジル様のお心を総てを分かる筈もありません」
そう言って食事を始めた。
父母は何か言いたげな表情をしてから溜め息を吐いて食事に戻る。
父母のこの様な態度は、リリアとジルの関係が本格的に破綻し始めた時から続いている。
二人の態度がギクシャクし始めたのは、ジルが貴族学校に通いだした時からとリリアは記憶している。
それは、リリアが八歳の時である。
それまでは、普通の幼馴染として適度な距離感の間柄だった。
リリアも自分なりにジルにある程度懐いていたと思う。
ジルも、元から冷たい所はありはしたが、根本の所では、幼い頃から知っているリリアを大事に思ってくれている様な態度ではあった筈だ。
それが、ジルが貴族学校に通いだしてから変わった。
決定的な何かがあった訳では無い。
しかし、確実に変わったのである。
元々人の輪に入るタイプでは無かったジルではあった。
だが、あえて遠ざけるような人では無かった筈だ。
思春期に様々な人との損得関係を経て、段々と今の冷酷なジルが形成されていったのだ。
その時にリリアがジルに寄り添っていたら違っていたのかもしれない。
しかし、リリアはリリアで、元から愛情に対しての機微が薄い所があった。
自覚してからは、より顕著であった。
どうも友人や家族に対する愛情と、恋愛の違いを理解出来ない質らしいという事を歳を経るにつれ、理解していったのだ。
まあ、それでもジルとの結婚には何ら問題は無いと放置してきたツケが、ジルとリリアの関係を作ったのだろうと思っている。
だから余計に昨日のジルの妄想は理解出来なかったのだ。
リリアは持っていたナイフとフォークを握り締める。
あれではリリアがジルを慕っている様では無いか。
慕った相手の為に身を引く健気な女そのものでは無いか。
バンッ!とテーブルを叩く音にハッとする。
どうやらリリアがカトラリーを持ったままの拳をテーブルに叩き付けた音らしかった。
父母が驚いた顔でリリアを見つめている。
「失礼しました」
リリアは素知らぬ顔で食事を再開した。
仮にあれがジルの妄想の産物であったとしても、そんな結末だけは許せない。
リリアはそう思ったのだ。
♢
リリアはその日、馬車に揺られていた。
今日は、週に一度の礼拝の為に教会へ行く日だ。
そして、月に一度の炊き出しの手伝いの日でもある。
貴族女性の仕事の一つ、奉仕活動を母から引き継いだのは一年前だ。
歳を取って満足に働けなくなった老人や、幼い時に捨てられて教会に引き取られた子供などに温かいスープとパンを振る舞う。
リリアは壊滅的に料理が下手だった。
引き継いだばかりの頃は、失敗ばかりした。
斑らにしか剥けない芋、総て剥いてしまった玉ねぎ。
酷い失敗の数々に叱られてしまうかしら、と神父の顔色を伺った。
しかし、神父はリリアの母を思い出すと笑ってくれた。
それからリリアは教会に行ける日を楽しみにしている。
教会には他に見習いの、ロペスが居る。
ロペスは元々他国の軍人だったらしく、屈強な身体つきの強面だ。
戦争で脚を悪くして退役し、この教会に流れ着いたという。
年齢は二十七歳だそうだが、無精髭の分もっと上に見える。
普段は仏頂面ばかりだが、笑った顔が少し幼くなるのが可愛いとリリアは思っていた。
その二人と過ごす時間は暖かく、リリアは素直な自分に戻れるのだ。