バルドー家にて・2
ナタリーに男の使用人を呼びに行かせ、男二人掛かりでリリアの寝台に寝かせた。
ジルはかなり身長が高く、筋肉質の為重い。
使用人達は、肩で息をしながら一例して去っていった。
残ったのはメイドのナタリーと、リリア。
「お、お嬢様、これからどうするんですか?」
「どうするもこうするも、待つのよ」
「そうじゃなくて!殴ってしまったんですよ!公爵家の大事な跡取り様を」
ナタリーが泣きそうな顔で訴える。
「大丈夫よ。私が殴った事なんて気付いてないわよ。幸い出血も無いし、コブだけよ」
「お嬢様ぁー」
「ナタリーが黙っていてくれたら済む話よ」
さて、気が付かれるまでは、まだかかるかしら?
リリアが自室を出ようとするとナタリーが付いてくる。
「お嬢様、どちらへ?!置いてっちゃ嫌ですよう」
「図書室に行くのよ。……少し、調べたい事があるから」
ナタリーを伴ってバルドー家が誇る図書室へと向かった。
国営の図書館程では無いにしろ、幅広い分野のマニアックな蔵書を揃えている。
リリアは図書室に着くと、目当ての本を探してザッと目を通していく。
リリアはジルはせん妄の類いでは無いかと見当を付ける。
多くは老齢の人間に発症する意識混濁や幻覚が起きる症状らしい。
詳しく読んでみないと分からないが、大まかにはそういう事らしかった。
ジルの症状は当て嵌まっている様に感じる。
大人しく医師の診察を受けてくれるかしら?
リリアは手に取った本を閉じる。
じっくり読んでみようと考えていると、図書室の扉が開く。
現れた使用人とナタリーが一言二言交わす。
「お嬢様、ガレル様がお目覚めになられた様です」
不安そうな顔でナタリーが告げた。
リリアは、本を棚に戻す。
流石に本人の前に持って行くのは気が引けた。
後でナタリーに持って来てもらおうと考え、自室へ向かった。
♢
「大丈夫ですか?ジル様。急に倒れられたので驚きました」
リリアが心配そうな表情を作って尋ねる。
「私は、倒れたのか?何かで殴られた様な気がしたのだが」
ジルは後頭部が痛むのか、コブの辺りをさすっている。
「まだ混乱されているんですね。倒れられる前の事は覚えていますか?」
「倒れる前……ああ、覚えている。君にタイムスリップしたと言ったな」
覚えていたか、とリリアは舌打ちしたくなった。
余り真っ向から否定するのも良くないかも知れない。
専門家の判断を仰がない内は余計な事は言わない方がいいだろうと、ジルの話に乗る事にした。
「その、十年後から来られた……という事ですか?」
「そうなんだ。信じられないかもしれないが、本当なんだ。私は……十年後の私は酷く後悔していた」
ジルは頭を抱えている。
微かに身体が震えている所からして、相当恐ろしい思いをしたのだろうという事が察せられた。
あの冷酷な、他人が苦しもうが眉一つ動かさないジルが、こんなに懊悩するとは。
気の病いは怖いな、とリリアは思った。
「ジル様、気を楽にしてください。余りご自身を追い詰めるのは良くないわ」
「リリア。君は今までも、これからも変わらず優しいな。君の優しさに胡座をかいて、私が君を追い詰めてしまったんだろう。だから、優しい君は自ら命を絶ってしまったんだろう」
おやまあ———。
リリアは、あんぐりと口を開けて驚く。
勝手に人を自殺させるな。
いやいや、その前に私が君を追い詰めた?
それではリリアがジルを思って命を絶った事になるでは無いか。
こんなに関心の無い婚約者を?
リリアは少しばかり腹が立った。
いいでしょう、とことん乗ってやろうじゃないか。
リリアは底意地の悪い笑みを浮かべた。
「ジル様、詳しく教えてください。十年後、何があるのかを———」
♢
ジルの話はこうだった———。
今日からカウントして、翌年。
二人は滞りなく結婚する。
ジルから見たリリアは、初めはジルに対して余り興味は無いという感じだったという。
その為、ジルも今まで通りの態度を貫いていた。
二人で暮らし始めた新居は公爵家が持つタウンハウスで、本邸程では無いにしろ、爵位に見合った華美な屋敷だ。
静かな屋敷に帰ると、リリアは毎回出迎えてはくれたが、義務としての出迎えが気に入らなくなって次第に足が遠のいた。
毎夜繰り返される王都の夜会をジルは渡り歩いた。
本来であれば、本妻であるリリアを伴って行かなければならない夜会に、リリアとの婚約時代から懇意にしていた子爵の娘———セリーヌ・シニヨンを伴って参加していた。
噂は風の様に回り、リリアも知っていたという。
しかし、リリアは何も言わなかった。
そんな事が続き、結婚して二年目。
転機が訪れた。
セリーヌが妊娠したのである。
勿論、ジルの子だ。
これには両家を巻き込んで大変な騒動になった。
本妻であるリリアとは夫婦らしい事は数える程しか行っておらず、妊娠の兆候も勿論無かった。
リリアは、毅然とした態度で屋敷を下がると申し出てきたが、ジルの両親が許さなかった。
これには現公爵夫妻として思う所が過分にあったと思うが、多分セリーヌが気に入らなかったのだろう。
子はその内出来る。
ジルとリリアの子に爵位を与えよう。
そう言われ、リリアは断りきれなかった様だ。
セリーヌも、認知だけしてもらえたらと言った。
しかし、ジルは結局それだけでは我慢ならずにセリーヌをタウンハウスに呼び寄せた。
そこから奇妙な生活が始まる。