教会・27
「わ、私を殺してしまったら、ユゼフファルスコット殿下を説得出来なくなるわ」
リリアは精一杯の虚勢をはる。
ヒュブノスは鼻で笑う。
「なんとでもなりますよ。例えば———そう、貴女は先に安全な場所に移って頂いたという事にしましょうか。総てが終わった後に迎えに行きましょうとでも言って。そうですね、髪を一房渡しましょう。この国では戦地に赴く男性に女性が無事を祈って髪を一房渡す風習があったそうですね。しかし、殿下が受け取る貴女の髪は、遺髪ですがね」
ロペス、神父が鋭く名を呼ぶ。
ロペスは緩慢な、しかし素早い。
静と動が合わさった完璧な動きでリリアとの間合いを詰める。
リリアは自らを庇う事も出来ない。
奇妙な事だが、ロペスが放った切っ先がゆっくりと自分に向かってくるのが見えた。
走馬灯———とでも言うのだろうか。
リリアの頭の中に様々な思い出の記憶が渦巻いた。
ジル様、やっぱり駄目だったわね。
リリアが強く両目を瞑ると、いつまでたっても衝撃が来なかった。
恐る恐る目を開けると、リリアの前に立ち塞がる姿があった。
「捕らえろ!」
声を合図に沢山の騎士が雪崩れ込んで来た。
ヒュブノスとロペス、潜んでいたカッシーリ派の残党達が次々と拘束される。
「リリア!無事か?!」
先程の号令はユゼフファルスコットだった。
リリアは倒れ伏した目の前の人物に視線を向ける。
指先が、身体が勝手に震える。
足から力が抜ける、もう立っていられない。
その場に座り込む。
目の前が暗くなる。
血の気が引き、事実を事実として受け入れられない。
耳鳴りの様にユゼフファルスコットの声が素通りする。
震える手で倒れた人物を抱える。
荒い息を吐きながら、胸の辺りを押さえている。
額には脂汗が滲んでいる。
「どうして……」
声がどうしようも無い程に震えてしまう。
どうして、どうしてこんな馬鹿な事を———!
「言っただろう、君を守るって。私はその為にタイムスリップしたんだから」
ジルは苦しげに眉を寄せながら笑んでいる。
顔は白い蠟の様に、そして蒼褪めている。
ジルは、リリアがユゼフファルスコットに懸想している事も知っていた。
それでも献身的に、いつもリリアの為に動いていた。
リリアが皇子を好いていると知っていた。
それでも死なせてなるものかと、リリアを守ってくれたのだ。
ジルという枷が無くなれば。
あの物語の妻の様に真に愛する者の腕に飛び込めると望んで自らリリアの身代わりになったのだ。
「以前の君なら、理解出来なかっただろう?……くっ、だが、今なら、理解出来る、筈だ」
リリアはジルの手を取る。
言葉も出ない程泣き濡れている。
「あ、愛は……、時に、愚かで、そして、偉大だ。人の、理性を奪い、愚かにする。が、同時に、世界を変える、一番の手段であると、私は……信じている」
———可笑しいだろう?
絞り出す様に言って、ジルは苦しそうに笑った。
「今なら、お互、いに、分かる筈、だ。あの男の、愚かしくも不器用な愛の形が……。皇子を愛した、君ならば」
ジルは弱々しく輝きを放つ瞳でリリアを見る。
「もう、解放しよう。俺から……、君の死から……」
リリアはジルに縋り付く。
「ジル様……、嫌、嫌、目を開けて!嫌ーーー!」
取らないで欲しい。
こんな優しい人をリリアから取り上げないで欲しい。
リリアは、ベルク神に訴えた。
♢
ある晴れた日だ。
反乱は起きはしたがジル・ガレルの働きにより、第三次宗教戦争までは発展しなかった。
ジルはリリアと別れた後に、セルケト家の王家に対する裏切りを暴いていた。
セルケト家はカッシーリ派では無かったが、ガレル家と同じ皇族の血を汲む者としてヒュブノスとは違う思惑がありながらも目的の一部が重なり加担したという事だった。
そして、第三皇子ユゼフファルスコットの継承権の返上に次ぎセルケト家の企みの露呈からカッシーリ派の動きが早まった。
だが、ジルがユゼフファルスコットを再三に渡り説得した事が功を奏した。
ユゼフファルスコットはカッシーリ派に乗る姿勢を見せながら情報を王と皇太子に流し、教会での捕縛作戦が成功した。
カッシーリ派はヒュブノスという頭を失った。
暫くは大丈夫だろうと見られている。
そして、今日はリリアの結婚式の日だ。
「リリア、綺麗だ」
新婦控えの間にユゼフファルスコットが現れた。
「ユング、ありがとう」
リリアは穏やかな笑みを浮かべている。
ユングは複雑そうな顔をしながらリリアを見る。
「聞いておきたい事があるんだ。いいかな?」
「何かしら?」
リリアはユゼフファルスコット———ユングを見上げる。
「私の事を愛していただろ?」
ユングは少し悪戯に笑んだ。
「そうね、そういう事もあったわね。でもね、樽を預ける相手はユングと出会う前から決まっていたのよ」
「樽?リリアの言う事は時々分かるようで分からない」
「いいのよ、それで。それより、友達で居てくれてありがとう」
リリアが微笑む。
「やっぱり惜しいな。今から攫っちゃおうか」
ユングの言葉に被さる様に咳払いが聞こえた。
悪戯がバレた様な顔で二人が扉を見る。
ジルが居た。
「殿下、少々おふざけが過ぎます」
ツカツカとリリアとユングの間に割り込む。
「余裕の無い男はモテないらしい」
「どこでそんな悪知恵を?」
「ピエール・ルタロンの新刊に」
「殿下!」
ジルのお説教の気配にひらりと身を交し、ユングは出て行った。
「……余裕の無い男は嫌いか?」
リリアに背を向けたまま、拗ねたジルが聞く。
「可愛いですよ」
リリアが言うと背中しか見えないが、耳は赤い。
ジルはあの時、急所が外れていたお陰で一命を取り留めた。
意識不明の間、リリアは懸命に看病した。
包帯を変える度、ジルの傷口を見る度思う。
あんなに悲しい言葉を最後にさせてなるものか。
リリアの祈りが通じ、ジルは回復した。
目覚めた当初は頑として婚約破棄すると譲らなかったが、結局リリアが泣くので折れた。
もうリリアにはジルしか要らないのだ。
自分を身を呈して守ってくれた男に何の不満があると言うのだ。
リリアは今、満たされている。
ジルの深い愛情で———。
婚約者はタイムスリップした。
今はリリアの可愛い夫。
end.




