ガレル家・23
リリアは、その夜ジルの屋敷の応接室に連れて行かれた。
室内には二人きり。
扉は固く閉ざされている。
未婚の二人、いくら婚約者同士とはいえ、異例な事だ。
しかし、ジルは何人たりともリリア以外の人間の介入を拒んだ。
「これは君にとって重要な話だ。総て聞いたとしても、運命から逃げないと誓ってくれ」
ジルは、そう前置きした。
「お話の前に、一ついいでしょうか?」
「構わない」
リリアは、確信を持って聞いた。
「タイムスリップしたと言ってからお話しされた、私達の未来は真実ではありませんね?」
ジルは、たっぷりと間を持った。
ランプの炎が、ジルの冷静な顔を照らしていた。
その炎が微かな音と共に揺らめいた。
密室ではあるが、僅かばかりの空気の流れに左右されて揺らめく炎。
それに伴ってジルを照らす陰陽を変える。
ある一片を見ると覚悟を決めたように伺えるが、その陰が変わると酷く頼りなげにも見える。
それはジルの内面の機微を正しく現しているような錯覚をリリアに与えた。
「ああ、嘘だ」
「何故、真実をお話ししてくださらなかったんですか?」
ジルは長椅子に座っている。
長い足を組み、膝の上に片手を置いている。
リリアはジルに対面するように一人がけの椅子に座り、まんじりとも出来ずにいた。
「あの時———、私は非常に混乱していた。そして動転もしていた。事態を理解した私は、兎に角君の生死を確かめるべく、あの日バルドー邸に行った。そうして動転したままに、タイムスリップの事を話してしまった」
リリアは頷く。
「しかし、私は昏倒してしまったね。目覚めて冷静になって考えると、君に真実を告げるタイミングでは無いと思った。優しい君の事だ。深く考え過ぎて物事が悪い方向に転がってしまうのではと心配したのだ。その時私は既に君を手放す決意をしていたのだと思う」
手放す———。
ジルは確かにそう言った。
リリアはジルの覚悟に衝撃を受ける。
彼はリリアが二人の関係の始まりと感じた日を、終焉を目指した始まりとしていたと知ったからだ。
「そうだな……。どこから話すのがいいか。取り留めの無い話だが、聞いて欲しい」
リリアは、沈黙を返答にした。
「私とリリアは結婚した。私は、リリアと婚姻を結ぶ前にセリーヌ・シニヨンとの事はすっかり清算していたんだ。だから、セリーヌとの間に子が出来た等という事は嘘だ。だが、私が君と暮らし始めた別邸を避けて帰らなくなったのは事実だった。君は暫く私の帰りを待っていてくれた様だが、諦めたのか、婚前に暮らしていた様な暮らしを再開した。そう、あの教会に通ったり、国立図書館に行ったりしていた様だった。君は暫くして、第三皇子ユゼフファルスコット殿下と出会う。二人は瞬く間に恋に落ちるが、私は許さなかった。不貞の密告が入ったのだ。セリーヌからな」
辺りを静寂が包む。
ジルの話が途切れると、静かなものだった。
「私は激怒した。帰りもしない形ばかりの夫の癖に、君の外出の一切を禁じた。その時は激怒した自分の本心も分かりはしない子供だったのだ。だが、許せないと感じた。しかし、君に咎められる様な目を向けられるのでは無いかと、益々屋敷から足は遠のいた。君は、殿下から再三離婚し、一緒になろうと持ちかけられていたが、けして頷かなかった。それは、堂々と世間に対して略奪だと語る様な行為だったから、殿下のお立場を慮っての事だろう。だが、それだけでは無いと今の私には分かる。妻に捨てられた不甲斐無い夫としてガレル家と私の顔に泥を塗る様な行為を良心が咎めたのだろう。君は、いつも純粋で、残酷な程に優しかった」
ジルは、足を組み替えた。
「そうこうしている間に第三次宗教戦争が始まってしまった。カッシーリ派は、第二次宗教戦争までは強烈なカッシーリ派であり、その後改宗した様に振る舞い機を見ていたルーズベルト侯爵の娘、現皇帝陛下の第二妃であるコリーナ妃の息子であるユゼフファルスコット殿下を祭り上げた。彼は、母親である第二妃並びにカッシーリ派の傀儡だったが、リリアと出会って変わった。自分の意思を持って継承権を破棄すると動き出したのだ。しかし、カッシーリ派にとっては不都合だった。カッシーリ派は、預言者タナトゥスがロマン王の子供であるグリムス王に預けたとされるエデンへ至る鍵が欲しかったのだ。だが、それは厳重に管理されており、皇帝になった者しか立ち入れない禁域にあるとされている。本当にあるかは私には分からんがな。原理派としてはタナトゥスが預けたとされているが、カッシーリ派にとっては原理派に略奪されたと伝わっている。そうしてそのエデンへ到る鍵を奪還すべく起きたのが第一次、二次宗教戦争だ。何れもカッシーリ派は敗れた」
リリアは、ジルの言葉を噛み締める様に聞いている。
ジルは、髪をかきあげる仕草をしてから再び話に戻った。
「そうしてカッシーリ派は角度を変えたのだ。皇室内部に自然に入り込む方向に。そして生まれたのがユゼフファルスコット殿下だ。カッシーリ派と第二妃はユゼフファルスコット殿下を縛り付け、傀儡とし、現在の皇太子と第二皇子を暗殺した後にユゼフファルスコット様を玉座に就かせようと考えたのだ。そうして内部から国を乗っ取り、エデンの園への鍵を手中に収める。その後、支配した我が国の武力をもって聖教国へ攻め入る。結局、エデンへの入り口はどうやら聖教国にあるらしい。しかし、その計画も破綻した。君のおかげでね」
ジルは、じっとリリアを見つめた。




