祝賀会・22
振り返ると、ユングが居た。
強引に掴まれた手の力の強さから、ユングの激情がありありと想像出来た。
「何故図書館に来ない?」
リリアは答えられずに、沈黙する。
「だんまりか?……ここは人目に付く。こちらへ」
ユングが手を引き、建物の影に引っ張り込まれる。
「もう、貴方に会う事は出来ないの」
「何故?私を受け入れてくれたんじゃなかったのか?」
リリアは本心を飲み込む様に一拍置いた。
「受け入れられないわ。だって私、婚約者がいるのよ」
ユングは驚いた様に口を開け、逡巡を握りつぶす様に口を閉じた。
「不誠実な事をして本当にごめんなさい。でも、お互いの為にももう会わない方が良いと思うの。今までありがとう。とても良い思い出になったわ」
泣くのは卑怯だと思った。
リリアは出来るだけ感情を殺し、意識して冷淡な態度を取った。
ふと、自分のその態度にジルが重なった。
彼も以前はこんな態度を良くしていた。
それは、ジルなりの誠実さの表れでは無かったのか。
「誰なんだ?」
ユングは傷付いた顔をしている。
その純真な心を持った美しい男性は、懸命に感情を堪えている様だ。
「ジル・ガレル様よ。来年、結婚するのよ。生まれた時からの婚約者なの」
「彼が?生まれた時からという事は、そこに愛情は無いのか?」
「ジル様を知っているの?」
「リリア!質問しているのは私だ」
両肩を思いっきり掴まれた。
微かに震えるユングの指先。
「以前はね。でも、彼は変わった。何れ私は彼を愛するわ」
「リリア、偽りはやめてくれ」
「いいえ、本心よ。ユング、もう会う事も無いでしょうけど、お元気で」
ユングは糸の切れた人形の様にリリアの肩を掴んでいた拘束を緩めた。
リリアは、ユングの腕から逃れる。
ユングの視線が感じられなくなると、一筋の涙が頬を伝うのが分かった。
リリアは卑怯だ。
大切なユングに決別を告げ、自分を保身する事しか出来ない。
しかし、リリアと同じ立場になった者がいるとしたら、リリアが下した以外の決断を取れる者が何人いるだろうか。
考えるだけ詮無い事ではあるが、そうして己の不甲斐無さを慰めるしか出来なかったのだ。
———貴女に真心を注いでくれる人物に委ねる事です。
ピエール・ルタロンの指した人物は誰か。
ジルか。
ユングか。
それは未だに分からない。
リリアが去り、呆然と佇むユングを物陰から見る者がいた事を、リリアも、ユングでさえも知らない。
「君は、何度繰り返しても優しすぎるのだな」
呟くと、影に溶け込む様にリリアの消えた方角へ歩き出した。
♢
リリアが、メイクルームで涙を拭いて化粧をナタリーに直してもらう。
「あのー、お嬢様?ジル様に何か意地悪でもされたんですか?」
ハンカチで涙を拭いてから、使用人控え室にいるナタリーを呼びに行った。
他の者は気付かなかったが、リリアの世話を長年してくれているナタリーだけは分かってしまった。
「いいえ、ジル様では無いのよ。ただ、自分が心底嫌になっただけ。愚か過ぎて、ちょっと、そうね。疲れてしまったのよ」
「お嬢様……」
ナタリーは何か言おうと言葉を考える様に瞳を左右に揺らす。
しかし、適切な言葉がなかった様で、それ以上何も言わなかった。
二人が暫く沈黙していると、室内に控えめなノックの音が響いた。
ナタリーがリリアを気遣う視線を向けてからドアを開ける。
「リリア、そろそろ帰ろうと思うんだが、いいか?」
ジルはわざわざ探しに来てくれたらしかった。
リリアは立ち上がって、頷く。
「ええ」
言葉短く返す。
リリアの赤くなった目を見て何も思わない筈は無いが、ジルは黙っていた。
ナタリーを伴って馬車まで歩く。
リリアは、あの時ユングがジルを知っているかの様に話した事が気に掛かっていた。
リリアは、思い切って聞いてみる事にした。
「ジル様、ユング様という方をご存知ではありませんか?」
ジルは、特に訝しがる事も無く答えてくれた。
「ああ、ユゼフファルスコット殿下の事か。先日話した第三殿下は親しい者にはユングと呼ぶ様に言っておられる」
「え?!ユゼフファルスコット殿下?」
「今日の祝賀会にも珍しく出席なされていたそうだが、皇太子殿下の挨拶の前に体調が悪くなったそうで、リリアは会場では見ていないのだったな」
どうしてその名を?とはジルは尋ねなかった。
総て知っているとでもいうように。
しかし、リリアは動揺してしまってジルの言葉が上手く理解出来ない。
「ユングが、第三殿下?」
「そうだ、驚いたか?」
ジルが足を止めてリリアを見下ろす。
とても静かな、波の無い湖面の様だった。
「君は、君の思う通りに生きていいと、私は言ったな?」
下弦の月が静かに夜空に横たわっていた。
星の無い、月明かりのみの暗い夜の事だ。




