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ラブカクテルス その97

作者: 風 雷人

いらっしゃいませ。

どうぞこちらへ。

本日はいかがなさいますか?

甘い香りのバイオレットフィズ?

それとも、危険な香りのテキーラサンライズ?

はたまた、大人の香りのマティーニ?


わかりました。本日のスペシャルですね。

少々お待ちください。


本日のカクテルの名前はあの店でございます。


ごゆっくりどうぞ。



僕は興奮した。

思わず本当かと、叫んでしまった。

同僚はそんな僕の表情を楽しむように笑いながら話しの続きに取り掛かった。

それが凄いのなんの。

堪らないよ。あの感覚。

だって普通あんな事までしてもらえないよ、どんな店に行っても。

そんじょそこいらの店のサービスなんか目じゃないよ。

俺も行って驚いたさ。

あれを味わった日には、もう虜にされちゃう程。

確かに値段が安い訳じゃないからしょっちゅう行けはしないが、しかし中にはそれにゾッコンになってしまって、全財産注ぎ込んじゃうのも少なくないらしい。

もし、興味があって行ってみるのは止めないけど、気をつけた方が身のためだよ。

しかし男なら絶対に一度は経験しないとな。

同僚は昨夜あの噂の店に行ってきたそうだ。

男連中の間で噂になっている、そうあの店の事である。

しかし僕はただの噂だとしか思っていなかったし、本気でそんな事ができる筈がないと冗談で受け止めていたのだった。

そんな、そんな凄いのか。

僕は顔を赤らめた。


自動販売機が軒を連ねる休憩室の隅の一画。

僕達若い男達のお決まりの溜まり場所。

ある日のある休憩時間にその話題が持ち上がった。

突然仲間の一人がひそひそ話をしはじめた。

当然周りの様子を気にしながら女子社員や上司がいないのを確認し、そういえばこんな話知っているか?と非常に気になるその一言を発した。

その時の男連中皆が周りをキョロキョロしてそのひそひそ話が聞こえるように身を屈めて顔を近づける。

何だ何だ。

これは噂なんだが、ある店がここから四つ先の駅の商店街を抜けて少し行ったところに新しくできたんだ。

それで構えはごく普通のスナックみたいなんだけど、実はそこに入って行った知り合いが言うには、

辺りをまたキョロキョロ見た後にまた首を突っ込み直したその言い出しっぺはさらに小声で、

チッチのできる店だったって言うんだ。

そこにいた全員が顔を赤らめて声を上げた。

その皆の反応に言い出しっぺは人差し指を口前に立てて、しっ、しーっ、と落ち着いて口を閉じるように戒めてきた。

全員は我に返り、お互いの顔を見ながら人差し指を口前に立てる。

そしてそのうちの一人が話の続きをその言い出しっぺに急かす。

しかし言い出しっぺは周りへのキョロキョロをしばらく繰り返し、彼女に知られたら大変だから静かに聞くようにと、少し恐い目つきをすると、また話に戻った。

実はまだ自分で行ってきた訳じゃないから聞いたまましか言えないが、それはバーチャルじゃなくてリアルらしい。

その言い出しっぺの頬も少し赤くなった気がした。

そして今夜仕事帰りに行ってみようかと思っているんだが、誰か付き合ってくれるのはいないかと言い出した。

皆はそれに熱が冷めて、何だとよっ、と言いながら姿勢を元に戻した。

しかし同僚は誘いを尚もしつこく続けて、笑い飛ばす男連中の中から半ば強引に二人を連れていく事に成功した。

そしてその翌日、その言い出しっぺは行ってきた感想を事細かに話して聞かせてきた。

嘘だとからかう野次に、一緒に行った二人は本当だったと言い切る。

それに今度は三人の男がそれならと反応し、第二陣で行ってみるかと言うことになり、そのうちの一人が話好きな仲のいい同僚なのだった。

当然その同僚は嘘などはよっぽどつくほうではない信用できる男であるし、それで噂が本当なのだと確信した僕は、そうかそれならと、チッチの店にその夜行ってみようという誘惑の煙りに巻かれたのであった。


会社帰りの電車はいつもと変わらない筈なのに、その時の僕だけは何かおかしかった。

何か悪い事でもこれからしでかす前の膝が小刻みに揺れる緊張。

熱くもないのに額から流れる汗の雫。

何だか落ち着きがない視線の先。

誰かマズイ人につけられていないか。

興味はあるが、本当は行かない方がいいのではないか。

自分の中の天使と悪魔が戦っている。

でもその勝敗の結果は簡単に出てしまうのではあるが、それを何回も何回も繰り返す。

その度に欲望がアドレナリンを増やし、頭の中を麻痺させる。

そして結局四つ目の駅で降り、僕は何かに取り憑かれたかのように、話で聞いた商店街を寄り道もせずに通り抜け、その先をウロウロと怪しく歩き回りあの店を探した。

しかしなかなかそこにたどり着かない僕はかなり焦り出して、諦めて帰ろうとしたその時、怪しい古びたスナックらしき看板が目に止まった。

僕は聞いた話の雰囲気から間違いないとそこへ飛び込んだ。

ドアを開けたと同時にチャイムが鳴り、奥からバーテンのような格好をした初老の男がいらっしゃいませと、落ち着いた様子で出てきて、僕に初めてのご利用ですかと丁寧な言葉で聞いてくる。

僕は少し震える声で、はい、そ、そうです。と答えると、ではこちらへと、そこに簡単に作った感じのカウンターがあり、そこへ座るようにニコッと上品な笑いを浮かべて促すのだった。

そして僕が腰を下ろすと直ぐに一杯のグラスが出され、ここがただの飲み屋だったんじゃないかと少し不安にさせたのだったが、その後の説明を聞いて緊張した。

サービスの説明は確かに同僚から聞いた通りで、僕はそれを聞きながらただただ頷き、自分の顔が赤くなっていないかを心配した。

そして説明が終わるとその男はかなり分厚いアルバムを取り出し、その中のお好みの女性を選ぶようにと始めの表紙を開けた。

僕はそれを手に取りながら、真っ白になった頭を何とか視覚に集中させたが、焦りが先行して緊張のままにガクガクした動きでページを捲るのが精一杯で、なかなかそれを選べずにいるのを見かねたのか、男は今人気のある女性をピックアップして教えてくれ、僕は何とかその中からやっと一人を指名することに成功し、それではご案内と、男はその先にあるカーテンの方に来るよう、僕に手招きをした。

僕はグラスの中身を一気に飲み干すと、そのカーテンの奥にある、まだ見ぬ噂の真相へ向かって一歩一歩恐る恐る入って行ったのだった。


長く暗い廊下の両側には幾つものドアがあり、所々にピンク色のランプが点灯している。

でもずっと先まで行ったドアの上のピンク色のランプだけが点滅していた。

そこまで来ると男は、こちらでございますと、軽いノックをした。

直ぐにドアの奥から女性の優しく柔らかな返事がしたかと思うと、そのドアが内側から開いた。

確かにアルバムにあった写真の女性だった。

きっと、いや、真っ赤になった僕一人をその場に置き去りにするように男は、ごゆっくりと言って廊下を戻り、かなり小さくなった僕をその女性は、初めてなのね坊や。いらっしゃいな。かわいがってあげる。と、僕の手を引いてドアを閉めた。

僕は氷だった。

緊張で固まりガクガク震える氷。

そんな僕を女性はギュッと抱擁してくれたが、僕の緊張は解けるどころか最高潮に達した。

しかしそのお陰か、入れすぎた力が弾けたせいか、緊張しすぎて筋肉が疲れてしまったのか、行き着くところまで行った緊張は一気に抜け、体はフラフラになった。

そしてだんだんと我に返ってきた。

そうだ。これを求めに来たのにガチガチになっている場合じゃない。

僕はしっかりと意識を取り戻し始めた。

そんな様子を女性は悟ったのか、どうかそんなに緊張しないでリラックスしてと優しく笑った。

そして仕事の疲れを労うような話をしながら僕の服を脱がし、そして自分も裸になると、浴室に行って体を流してくれた。

背中をゴシゴシ擦りながら、今日の出来事や、身の回りの事、朝や昼に食べた食事から、この頃の食生活などの話題を何気なく話しながら、それが終わると大きめの浴槽に浸かり、肩を揉んだり叩いたりしてくれる。

僕はまだ少し顔を赤くしながらも、だんだん心を開き始めた。

そして風呂から上がると、いよいよ女性は僕をベッドに誘った。

僕は初めての事で、どうしていいかわからずにもじもじしている。

女性は自分の胸元に僕を引っ張り込み、さっ、どうぞ。とまた優しく言った。

僕はためらいながらも頷き、その豊満で柔らかな乳房にしゃぶりついた。

そして、そして初めての母親の味と香り、そして温かさに涙さえ流したのだった。



子供のように自分の胸で眠る若者を見ながら、店の女性は思った。

確かに今の時代、皆生まれるのはシステムから。

その後はカプセルの中で三年を過ごし、プログラムで決められた家庭へと送られる。

性犯罪を無くし、人口を管理し、そして選ばれた遺伝子だけで育まれている完璧な理想的な社会。

それに伴い性欲は人から取り除いてしまったものの、さすがに母性本能と母親の温もりを求める子供の本能まではなくせなかった事から、ちまたで流行り出したバーチャル母親体験ゲーム。

成人した女性にはあまりその気持ちがわからないのか、そんなゲームをやる男はネクラでだらしないなんて嫌われる対象にされているらしいが、私達のように子供が巣立ち、何も手を掛けるものがなくなると、途端に母性本能が蘇る事がこの頃、更年期障害だと発表されたがそれは違う。

女として当たり前の結果なのだった。

そして人伝に聞いたこのお仕事。

世の中の母親の温もりを知らない可哀想な若者を癒し、お金も稼げる。

しかも四十過ぎていても人気はウナギ登り。

なんて天職なのだろうか。

女性は寝ている若者の頭を撫でて、また来てね。と呟き、おでこにキスをした。

男は夢でも見ているのか、ママと寝言を言ったようだった。



おしまい。



いかがでしたか?

今日のオススメのカクテルの味は。

またのご来店、心をよりお待ち申し上げております。では。

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