87姉と弟、妹と
そこからは、サトリの強い要望で、すぐにユカリとの再会の場が設けられた。場所は、王宮の一画、各地から集められた特産品や米が収められた蔵が立ち並ぶ場所の近くにある小屋。サトリは立場上王宮を出ることが難しいためだ。ユカリを含めコトリ達も、出入りの商人を装ってやってきた。
「姉上……」
サトリは、ユカリを見とめるなり、駆け寄ってその手に縋り、身動きをしなくなる。俯いたその顔から滴るものが、少し床を濡らした。
「よくぞご無事で」
「随分と心配をかけました。サトリはますます良い男子になりましたね」
「いえ、まだまだです」
「あなたが誰も見ていないところで努力をする人なのは、昔から知っていますよ。よくがんばりました」
そう言って、ユカリはサトリの頬を両手で挟み、慈しむのである。それは、姉と弟というよりも、若い母親とその息子のようでもあった。
事実、サトリの母親や産後の肥立ちが悪く、ほとんど臥せって過ごしていたため、彼の幼少期の遊び相手や話し相手は、もっぱら姉のユカリであることが多かったのだ。サトリにとってユカリは、第二の母であり、最も身内だと思える人物なのである。
「姉上は、ずっと都にいらっしゃったのですか?」
サトリが尋ねると、ユカリはこれまでの約十年間について語り始めた。
父親から言われるがままにソラへ渡り、食い繋ぐのも難しくなった頃、シェンシャンの腕を買われて神具師と知り合ったこと。そして、自らの奏楽で身を立てると同時に、ソラで奏者を増やすための活動を始めたこと。それが発展して、今ではクレナの組織と合併して世直しをすべく、都に潜伏しているということ。
「姉上、生きておられて本当に良かったです」
コトリも、薄っすらと記憶にある通りの面影を残すユカリに会えて、胸がいっぱいになっていた。当時、兄弟間の交流はほぼ無かったものの、姉のユカリが突然亡くなったと聞いた時には驚きと共に強い悲しみを抱いたものだ。
「サトリもですが、コトリは本当に大きくなったというか……美しく成長しましたね」
「シェンシャンの腕は、多少上がったはずです」
コトリがはにかむと、ユカリも目尻を下げた。その笑顔は決して美人とは言えないが、たくさんの苦難を乗り越えてきたからこその深みと優しさに溢れている。
「そして、強くなったのですね。私は、どうにか死なずに生き延びたので、今度はあなたの助けになりたいと思っています」
「姉上、ありがとうございます。もうお聞き及びかもしれませんが、私は帝国への輿入れを回避するべく、王ととある勝負をしております。それに勝った暁には、真の自由が手に入るのです。ですが、その前に、姉上の身分の回復が必要かもしれませんね」
「コトリは本当によくできた妹ですね。ですが、それには及びません。私は王家に刃を向ける組織の一員。そして、既に一度は死んだ身なのです。無駄な混乱を起こすよりも、せっかく手に入れた私の自由を守りたいと思っています。そして、妹の自由もね」
確かに、コトリ自身が王家を疎んじているというのに、そこへ姉を送り返すのはおかしな話だ。コトリは少々きまりが悪そうにしていたが、ふと疑問が浮かび上がる。
「どうしてそこまで……」
ユカリは、紫の幹部ではあるが、どうやらそれ以上にコトリへの想いを強く滲ませているように感じられるのである。コトリは実の妹とは言え、これまでユカリに何の貢献もしてこなかった。何故なのか、分からないのである。
するとユカリは、さっと表情を引き締めると、コトリに向かって三つ指をついた。
「私は、コトリに謝らなければならないことがあるのです」
「え」
「実はこちらへ戻ってすぐに、昔私の侍女をしていた女の手引きで、母と会ってきました」
ユカリは、これまでもクレナの情報を得るために元侍女と文のやり取りを繰り返してきた。ところが、都に入ってすぐに、その侍女から久方ぶりに会いたいと言われて行ってみたところ、ユカリの母親が現れたというのだ。
「不意打ちでした。侍女には秘密を守らせるために、時折金子は握らせていましたが、どこからか情報が漏れたのでしょうね。やはり王の妃という高い身分の人には敵いませんでした」
「それで、何を言われたのですか?」
まさか、ユカリの母経由で、既に紫のことが王の耳に入ってしまったのだろうか。コトリは背筋が凍る思いで先を促す。しかし、その話は、コトリの想像を超えたものであったのだ。
「コトリの母上、アヤネ様を殺めたのは、私の母でした」
先に姫として生を受けたのはユカリの方だった。しかし、後に生まれたコトリの方が器量も良く、アヤネ自身も王の寵愛を受けているように周囲からは見られていた。
それを疎ましく思ったユカリの母は、アヤネを亡きものにしてコトリを孤立させ、自らの娘、ユカリの地位を上げようと画策していたのだった。
「母は、なんとか私をコトリよりも美しく、賢い娘に育てようとしていたようです。そして、あなたよりも王家にとって利になる家へ嫁がせて、王の気を引きたかったようですが……私は母の期待に応えることができませんでした。そのとばっちりが、アヤネ様の事件の真相です。私がもっと……」
「姉上!」
コトリは、その顔に似合わぬ程に声を荒げた。
「姉上は悪くありません」
「いいえ。私は取り返しのつかぬことをしました」
「お願いです。謝罪はしないでください。私は思うのです。これも、妻が罪を犯すのを許した王がいけないのだと。さらには、娘まで亡き者扱いをするなんて、ありえません。やはり私達は、あの王を討たねばならないのです」
コトリは語気を強める。アヤネの墓を作ることができた今、わざわざ過去を蒸し返して騒ぐつもりは毛頭ない。第一、ユカリは加害者ではなく、コトリと同じく被害者の一人にすぎないのだ。姉を責める気持ちは全く湧き上がらないのである。
ユカリは暫し迷うそぶりをしていたが、やがて大きく頷いた。
「そうですね。私達の私怨も含めて、王はあまりにも多くの人々から恨みを買いすぎています。そろそろ退場してもらいましょう。私は、紫の前身、暁の頭領になった時に誓ったことがあります。もう、甘さは捨てるということ。親不孝と言う人もいるでしょうが、私は徹底的に父と対決し、勝つつもりです」
そこへ、サトリも加勢するように言い募る。
「姉上、私もお役に立てると思います。聞いた話によると、菖蒲殿も当主の意向で紫への支援を継続するそうですし、彼らは多くの優秀な文官を輩出している家系です。此度は、私の立場からも指示を飛ばして、より包囲網を強めていくことができましょう」
サトリは、慕っている姉の助けになるならば、努力を惜しまない考えだ。
コトリも負けてはいない。
「社総本山にいる私の元侍女によりますと、大神官のスバル様も、打倒クレナ王家のために戦力を増強すべく、ソラの社へ助けを求めに旅立ったとのこと。それに、基本的に民の多くは、社という信仰に基づいた組織を拠り所としていますし、そこを押さえることで勝機は見えてくると思います」
他にも、既にハトの采配で紫の指揮下に入った社や村がたくさんあること、王宮内の噂話など、情報交換を行った。
その中には、ユカリの母が、ソラへ行った娘が相変わらずクレナにとって役立たずであり、一向に王から妃として顧みられることもなかったことから酒に走ったこと。さらには、酒に溺れるあまり身体を悪くして、ユカリの見立てでは、もう長くはないことも含まれていた。
ユカリは言う。
「コトリ。幸いと言っては何ですが、父上もワタリ兄上も、かなり頭の悪い方達です。だからこそ、慎重に事を進めさえすれば、必ず悲願は叶うでしょう。そして、何も真面目に約束を守って、正攻法で戦う必要は無いと思うのです」
コトリは、目が覚めたような気分だった。彼女自身は、王との約束を忠実に守って、十八の誕生日までに首席をとるべく努力を重ねている。しかし父王は、様々な方法で未だにコトリを揺さぶりにかかっているのだ。今後は、これがもっと強硬な手段に変わることもあるかもしれない。
「そうですね。私はもっと警戒しなくては」
コトリは思う。誰が味方で、誰が敵なのかをはっきりさせねばならないと。
脳裏に浮かぶのは正妃の姿。なぜ彼女は、これまでコトリに冷たく接し、あたかもアヤネに自ら手を下したかのような振る舞ってきたのか。
すぐにでも確かめたい気持ちに駆られるが、今は楽師の身。そう簡単には会えない相手なのが、残念でならないコトリであった。
ユカリの存在はサトリにとって大きな動機となっています。
そして、アヤネの死について真実が明らかになりました。





