36兄襲来
その翌日のこと。朝からサヨとミズキの両方と会った者は、すぐにその異変に気がついた。明らかに、同じ香りを纏っている、と。
これまで、コトリにべったりだったサヨが、ミズキと香火の契をしたとなると、まず疑われるのはカナデとサヨの不仲だ。
しかし、とりわけコトリとサヨが険悪な雰囲気になっているのでも無いことが知れると、単に同期として仲が深まっただけだという解釈が楽師団内で広がっていく。
一方で、コトリがサヨと同じ香りを纏ったことは無い。それすなわち、サヨはコトリよりもミズキとの絆を今後は大切にしていくという意思表示にも見えた。となると、これまでサヨの鉄壁の防御で近づけなかった楽師達も、コトリへ接触を図りやすくなるのである。
そして、早速これを好機と捉える者も少なからずいた。
「カナデ様、ここの指運びを教えてくださいな」
カヤという楽師だ。入団は四年前だが、まだ十四歳という若さである。
練習場横の広間で休憩をとっていたカナデは、カヤが差し出した楽譜に目を落とした。
「指番号通りに弦を押さえて弾いているのですが、指が攣りそうになってしまって。カナデ様は、このような速い拍子の曲もお得意でしょう?」
コトリは、話しかけられたことに驚きながらも、手元のシェンシャンで軽く弾いてみせる。
「ここは楽譜通りではなく、このように押さえて弾いた方が、手には楽かもしれませんね」
手本を見せると、カヤは胸の前で両手を合わせて、目を輝かせた。
「なるほど! その方法は思いつきませんでした。試してみますね」
「お役に立てたならば嬉しいです」
「また、シェンシャンのことでお尋ねしてもいいですか?」
「えぇ。私でよろしければ何なりと」
カヤは、幼さの残る弾けた笑顔を残して、自分の練習区画へと去っていった。その様子には、ついついほっこりしてしまう。兄弟の末っ子であるコトリは、こうやって頼られることは不慣れなものの、憧れでもあったのだ。
この一連のやり取りに気付いてやって来たのは、サヨである。
「カナデ様、さっきの者は何と?」
また以前のナギのような嫌がらせをされたのではないかと、心配してのことだ。
「サヨには関係ありません」
コトリは、わざと膨れっ面をすると、ぷいっと顔を背けてしまった。なぜ彼女がこんな態度に出るのかは、サヨとて重々分かっている。今になって、どうしてミズキと香火の契などしてしまったのだろうと、後悔が押し寄せてくるのであった。
「私は、死ぬまでコトリ様のことが一番にございます」
ついには小声でこのような事まで申すものの、コトリの機嫌はすぐには良くならなかった。
コトリとて、ミズキへ酷く嫉妬しているわけでもなければ、相談も無しに香火の契をしたことを責めているわけでもない。ただ、長年主従関係を超えた絆を育んできたつもりだっただけに、少し裏切られた気持ちになってしまったのは確かであり、その悲しみは決して無視できるものではなかったのだ。
そして、悪い事というのは重なるものなのである。
「カナデ様、どういうことですの?!」
怒り心頭で、広間へ半ば駆け込むような勢いでやってきたのは、マツ、タケ、ウメのいつもの三人組だった。
「皆様、どうされました?」
「どうもこうもありません! なぜワタリ様があなたと面会しにいらっしゃってるの?」
「カナデ様、あなたはワタリ様の何なのよ?!」
「田舎娘の癖に、どうやって王子に取り入ったの? 教えなさい!」
コトリの顔から、血の気が引いた。
三人に遅れてやってきた女官が、コトリに来客を告げた頃には、練習場にいた全ての楽師が野次馬と化していた。
◇
「久しぶりだね。元気にしていたかい?」
正妃に似たキツ目の眦も、このような場では柔和に下がって、優しげに見える。珍しく、王宮から出ているにも関わらず、被り布をつけていない。
しかもワタリは、客をもてなすための個室には行かずに、なぜか練習場までやってきてしまった。コトリは、その見え透いた意図に、腸が煮えくり返る思いである。
「はい。お陰様で、田舎では考えられぬ程の良い暮らしをさせていただいております」
暗に、そういう設定なのだから、ここで手出しはするなという、コトリからの牽制である。ワタリはそれを聞いても、笑みを深めるだけだった。
「それにしても、前とは違うシェンシャンを使っているようだね。どこにやったのかな?」
コトリは、以前サヨから聞いた情報を思い出す。
近頃ワタリは、帝国に売りつけるために、国中から多くの工芸品を収集しているらしい。昨今はそのような産業など廃れているので、存在しているのは僅かな骨董品ばかり。思うように数が揃わず、下級貴族からも難癖をつけて無理やり巻き上げているという話だ。
こうなることが分かっていたわけではないが、手元に置いておかなくて良かったと思うコトリである。
あのシェンシャンは、弾かずに部屋へ飾るだけでも十分に価値がある程の、大変美しい工芸品でもあった。この兄ならば、国宝級の物であっても簡単に他国へやってしまうのであろう。さすがに、それは阻止せねばなるまい。
コトリは言葉を選んで返事した。
「先祖から引き継いだ高価なものですので、信頼できる方に預けてあります」
コトリのかつてのシェンシャンは、初代クレナ国王の遺産の一つである。嘘ではない。
しかし、この日のワタリはコトリよりも上手であった。
「それは、私よりも偉い人なのかな?」
コトリの背筋は凍りついた。
預けたのはサトリ。つまりワタリの弟王子である。序列からして、どう考えてもワタリより下位になる。
このままでは、あのシェンシャンが取り上げられて、帝国に渡ってしまう。王女時代、長くコトリと共にした愛器でもあるのだ。とても許せるものではない。
しかし、ここで否定すると、ワタリよりも上、つまり現クレナ国王に預けていることになってしまう。しかし、田舎娘にそんな伝手があるなんて、ありえない。
答えられずに俯くコトリへ、ワタリはいつもの猫なで声で畳み掛ける。
「賢い君ならば、どうすれば良いか分かっているはずだ。すぐに私へ献上したまえ」
コトリは、額から汗をぽたりと落とした。外からは蝉の声がする。
対峙する二人。息を呑んで見守る大勢の楽師達。張り詰めた空気に、縛り殺されそうになる。それでも。
やはり、頷くことはできない。
「お断りいたします」
コトリの声が、妙に大きく広間へ響く。
すぐには同意しないと、ワタリも分かっていたのだろう。女官が用意していた茶を口元へ運ぶと、舐め回すようにコトリの姿を眺めた。やはり、王女であった頃からは完全に見劣りがする装いの妹姫である。
「お前は何も知らぬようだな。今、我が国では工芸品の価値が高まっている。他国の貴族共に受けが良いのだよ。それを上手く使って国を守るのが私の役目なのだ。国を救うと思って、快く差し出すが良い」
コトリは、キッと兄を見上げた。
国を救う。そんなもの、真逆に決まっている。国の宝を売りさばき、友であるソラ国を潰し、その後に何が残るというのか。
胸のうちの猛りが抑えきれない。
そもそも今日のコトリは、元々虫の居所が悪いのだ。
「国の宝たる楽器を他国へやるなど売国も同然。断じてお渡しできかねます!」
さすがに言葉が過ぎたか。と思った時にはもう遅かった。
ワタリは持っていた茶碗をコトリへ向かって投げつける。甲高い悲鳴がほうぼうから上がり、茶碗はコトリのすぐ横で砕け散った。そして。
「妹の分際で生意気を言うな!」
決定的な、一言だった。
作者は長女なので、兄とか姉とかに憧れていたのですが、ワタリみたいなタイプはちょっと嫌だな。
どうでもいい話ですが、近所の梅が咲き始めて綺麗です!
ではでは、また読みにいらしてくださいませ。
お待ちしてます。





