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33ソラが遠い

 日々は飛ぶように過ぎる。


 まず、墓石が決まった。サヨが石屋と話をつけたので、後は完成を待つばかりである。


 新曲の練習も進んでいた。

 鳴紡殿では、特別の練習場が設けられている。だだっ広い板の間が墨色の御簾でいくつもに仕切られており、その中で個々にシェンシャンを奏でるのだ。


 コトリは、サヨ、ミズキと共に同じ区画を割り当てられている。カケルから受け取った神具があれば、部屋でも練習できるのだろうが、新人なので定められた通りの場所で弾くことにしていた。


 今回は、荘厳な和音が特徴の楽曲だ。ミズキが仕入れてきた話によると、楽師団の定番曲でもあるらしい。


 コトリの新たなシェンシャンも、華麗な音で耳を楽しませてくれる。派手にならぬ程度に、紅の石が柄の横側に埋め込まれていて、大変見た目にも優れた品だ。故に、何の文句も無い。無いはずなのだが、コトリの胸は妙に高鳴っていた。


 どういうわけだか、このシェンシャンを弾くとカケルと、ヨロズヤ店主のソウの事ばかりを考えてしまうのだ。前のシェンシャンは、異常に演奏へ集中させるような趣きがあったが、今回もまた別の癖のようなものがあるのだろうか。どうにも、音を御すことができていない。


 コトリは、ふと手を止めて溜息をついた。


「大丈夫ですか?」


 ミズキがコトリの顔を覗き込む。


「やっぱり、上手くいかないの」


 決して、コトリの演奏は下手ではない。一人きりで弾いている分には、雅で、華やかで、聴き応えのあるものなのだ。ただ、一つ問題があった。


「そうですね。なんで、カナデ様の音だけ浮いちゃうんでしょうね」


 ミズキも眉を下げて困り果てている。


 事は、数日前に遡る。

 新曲を一通り弾けるようになった新人三名は、例によって先輩楽師達の前で練習の成果を披露した。ハナが神具で神気の色や強さも確認していたが、無事に及第点を貰い、喜んでいたのも束の間。その後の合同演奏で事件は発生した。


「一つだけ飛び抜けた音があるわ」


 そう言い出したのは、アオイだった。全員で同じ音を弾く。楽師達のシェンシャンはそれぞれに個性を持っているので、もちろん完全に均一な音は出ないが、一斉に弾くとそれなりに纏まった奏でとなるはずなのだ。なのに、その日はどこか違った。


「誰のシェンシャンかしら」


 アオイも日頃は貴族らしく丁寧な言葉遣いらしい。一人ひとりにシェンシャンを弾かせては、違和感の元凶を探していく。そして、コトリの番が回ってきた。


「これだわ」


 良く言えば、存在感があり、誰もが出せないような色気のある音。悪く言えば、規則正しい美しい柄の錦に入った一筋の糸つれの如き雑音。


 アオイは、試しにコトリ抜きの全員で音を出させてみた。美しく整った音。芯が通っていて、淀みは感じられない。


「やはり、カナデ様のがおかしい」


 その後も、何度かコトリ有りと無しとで音比べがなされたが、結果は同じだった。そしてその違いは、コトリにもしっかりと判別できるものだった。


 それ以来コトリは、合同練習にはほとんど参加できずにいる。どうしても調和を崩してしまうからだ。コトリとて、楽師団では個の力ではなく、一糸乱れぬ集団としての力が必要とされていることは分かっている。それだけに、いかに今の自分が役立たずなのかも理解できてしまうのだ。


「でも、どうすれば皆様の音と上手く融合させられるのかが分からないの」


 今のコトリは、俯くことしかできない。何せ、音は譜面通り、普通に奏でているだけだ。シェンシャンの音合わせも、狂っているわけではない。


 これについては、サヨも成す術が無く、途方に暮れてしまった。


「困りましたね。今は大切な時期だというのに」


 コトリは半泣きになる。


 遠からず、楽師団がソラ国へ行くことを知らされたのは前日のことだった。アオイからは、このままではコトリをソラへ連れていけないとまで言われてしまったのだ。


 コトリは、ソラへ行ってシェンシャンを弾くためだけに楽師団へ入ったと言っても過言ではない。入団後、人間関係であれこれあることは想定済みだったが、まさか得意のシェンシャンで躓くことになるとは思いもよらなかった。


「コトリ様、元気出してください。あ、ナギ様だ」


 ミズキは、御簾越しに廊下を歩くナギを見つけたらしい。人懐っこい彼女は、ぱたぱたと行儀悪くも走ってナギを捕まえ、コトリ達の所へ引っ張ってきた。


「っていうわけなんですよ。ナギ様は、どうしたらいいと思いますー?」


 あれからナギは、人が変わったかのように穏やかな女になった。まず、しおらしい態度でコトリに謝罪したばかりか、新人三人に対して、いつも気を回してくれる。アオイやハナのような器は無いが、家族か母親のように的確な助言をしてくれることも多い。


「どうもこうも、これは慣れるしかないんじゃない?」


 ナギは、御簾をくぐって中に入ってきた。


「コトリ。あなた一人で弾く分には憎たらしいぐらい上手いんだけどね」


 褒められたのか貶されたのか分からず、コトリは肩をすくめることしかできない。


「他の芸は完璧だし、一人で弾くには良い味出してるんだから、ほんともったいないよ」


 実は楽師団という場所は、シェンシャン演奏ばかりしているわけではない。その職柄、貴賓のもてなしに招かれることも多いため、教養の高さが問われてしまう。それ故、シェンシャン以外の他の芸にも秀でていなければならないのだ。


 そのため、詩や絵画、茶、香、書、囲碁など様々な技芸についても仕込みがなされていた。王宮からはそれぞれの分野の第一人者が派遣され、楽師達は彼らを師と仰いで稽古を重ねている。


 コトリにとっては、顔馴染みの者ばかりだ。体の力を抜いて王女時代に培った腕を存分に奮い、他の楽師達の度肝を抜いていたのだった。


 ここまでの多才多芸はアオイと肩を並べるか、それ以上のものがある。コトリが合同演奏でしくじっていても、完全に爪弾きになっていないのは、これ所以かもしれない。


 ナギは首を傾げたままだったが、突然手をぽんっと打った。


「あ、もしかしてあなた。あまり誰かと弾いたことないんじゃない?」

「確かに、そうですね」


 王女という身分にもなると、誰かに合わせて弾くという機会は全く無い。コトリが一人で弾くか、コトリに誰かが合わせて別の楽器を演奏するかの二択だ。


「どうしても、自分の音だけで場を支配する癖がついてしまってるんじゃないかしら。もっとよく周りの音を聞いてごらんよ」


 コトリとて、もちろんそのぐらいのことはしているつもりだ。という気持ちが、つい顔に出てしまう。


「いや、まだ分かってなさそうだね」


 ナギは、御簾を少し上げて外からの光を中に入れる。床板が反射して白くなり、ふわりと湿度の高い空気と庭の草の香りが迷い込んできた。


「私が言えたものじゃないけれど、シェンシャンって繊細な楽器だから。皆、それぞれの気持ちとかがすぐに音へ出てしまう。だから、全員で弾く時は私、心を無にしているよ。そして初めて、周りの音が聞こえてくる。どんな音に揃えにいけばいいのかが、分かってくるんだよ」


 しばらく、誰も声を出さなかった。風がそよいで、御簾をかたんっと揺らしただけだった。


 コトリは、庭の端に見える敷地の垣根の上、細長く切り取られて見える遠くの青空を眺める。ソラ色。


「そうですね。きっと今の私は、まだ何も分かっていません。まだまだ手が届かない」

「悲観することはないと思うよ。何しろ、アオイ様にも一目おかれているようだしね」


 コトリは驚いて目を丸くした。


「そうだ。最近私、社に通ってるの。あなたも行ってみたらどうかしら? 自然と心が整うというか、あそこは案外良い場所だと思う。私達楽師にとって、聖地でもあるしね」


 ナギが信心深い人間だったとは意外だった。


「そうですね。私も、近々参ろうかと思ってました」


 コトリは、以前ヨロズ屋で聞いた話を思い出す。ちょうど、サヨと、神気が見えるようになるために、そろそろ参拝しようと話をしていたところなのだ。けれど、何か供えれば神が現れてくれるのか、皆目見当がつかず、なかなか行くことができていなかった。


 けれど、こうも上手く弾けずにいるのであれば、兎にも角にも神頼みするしかないかもしれない。コトリが視線を向けると、サヨは小さく頷いた。


「とにかく、せっかく入団できたんだ。一年も経たずに放り出されるようなことにはならないでね? 寂しくなるじゃないか」


 ナギはそう言って仄かに頬を赤らめると、足早にその場を離れていった。きっと、共に練習する仲間を待たせているのだろう。


「カナデ様、諦めないでください」


 サヨが労るようにコトリの方へ身を寄せる。コトリは、自覚無しに相当傷ついた顔をしていたらしい。


 一年も経たずに、放り出される。


 そんなことがあってはならない。


 コトリはもう、王女には戻るつもりがないのだ。どうあっても、ここで首席となって自由を手に入れたい。そして、楽師としてシェンシャンを奏で続けることで、この国の人々を救う一助となりたい。


「サヨ。私、もう焦らないことにするわ。ソラへは行きたい。でも今は、目の前のことに集中するわね」


 例えソラへ行けたとしても、その身が王に繋がれたままでは、どの道カケルの元へは行けやしない。


 順番を間違えてはいけないのだ。


 まずは楽師団の一員として一人前になること。そして首席を取ること。全てはそれからだ。


 と、分かっているはずなのに。

 シェンシャンを抱くコトリの腕に力が入る。


 やはり、じわりとこみ上げてくるのは、切ない恋心なのであった。



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