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158逃避行

 カケルとコトリの大移動は、やはり苦労が多かった。


 アダマンタイトの都を出た後は、イチカとの合流を試みるべく、来た時とほぼ同じ道を辿ってみたが、すぐに敵兵の姿が迫ってくる。どうやら、二人の脱走が広く知られているらしく、小さな村にも人相書の札が立てられていたりと、どこへ行っても落ち着ける人里は無かったのだ。これでは、人探しどころではない。


 必然的に連日の野宿となる。幸いカケルは、神具用の素材を採集するため、昔から森の中を駆け抜けたり、食べられる物を集めたりの経験はあり、獣からの身の守り方も知っていた。ただ、都会育ちの生粋の令嬢であるコトリは、体力的にも強行軍に追いつくわけはなく。


 そこで、カケルは手持ちの布へ神具の祝詞を書き込み、それをコトリの手首に巻くことで補助とした。少し体が軽く感じられたり、強化されたり、怪我しにくくなったりするのだ。


 道案内するのはカケルだ。イチカから教えられていたアダマンタイトの地理を思い出しながら、人目を避けて進んでいく。方角は太陽や星で分かる。そして遠くの山脈。それを超えればソラに入るのだ。


 いつ再び帝国軍に捕らえられてしまうか分からない。張り詰めた緊張感で疲弊していくが、ようやく想いを通わせ合った二人は、寄り添って互いを支え合っていた。


 夜は抱き合って寝た。寝台も何も無い、岩屋の陰の硬い地面の上という、高貴な二人には不似合いな場所。それでも、共に在れるということは何しも勝る幸せなのである。


 そうやって、ある種の蜜月を過ごしながら五日。ようやく山道に差し掛かりかけた頃、上空から青い鳥が舞い降りてきた。


「これが、れいのお姫さんか。えらいべっぴんさんやな」


 カケルは、鳥から発せられた懐かしい声に歓喜する。


「テッコン、迎えに来てくれたのか!」



 ◇



 その頃、クレナの香山では、ワタリが夜逃げの準備に追われていた。


「帝国に裏切られれば、父上などもう終わりだ」


 ワタリが贔屓にしている妓女カンナから、新たな情報が入ったのだ。クレナへ向かっていた帝国の援軍が、ソラに撃退され、アダマンタイトに撤退していったと言う。にわかには信じられないことだった。


 オリハルコンを始め、ミスリル、アダマンタイト、ダマスカス鋼といった特殊金属を自在に操り、神に頼らずとも神のような力を持った武器や道具を有している大国。侵略して併合してきた国や部族は数え切れない程あり、ソラなんてあっという間に蹂躙されるはずだった。


 しかし、雪に閉ざされた冬の間、ずっと献身的に寄り添っていた女が、わざわざ金を積んでワタリのために買ってきた情報なのである。嘘偽りは無いと思いたい。


 さらには、都からの使者が一人も彼の屋敷へ遣わされることが無くなっていたのも、裏付けのようなものだ。きっと、王が苦境に立たされていて、ワタリに連絡や指示を出す余裕すら無くなっている証拠なのだろう。


 もしくは、王がワタリの使い道を見いだせなくなっているのかもしれない。最悪の場合、流民などの襲撃を受けて、既に王自身が身罷っていう事も考えられる。となると、次に危険が迫っているのは、間違いなくワタリの身だ。


 カンナは、顔色の悪いワタリをそっと背後から抱きしめた。


「大丈夫。私がおります」


 カンナは、ワタリの衣の中に自身の手を滑り込ませて、殊更優しい声色で囁く。


「万が一、貴方様がこの国で必要とされなくなるのであれば、他で活躍なされば良いのです」

「他? 私はクレナから出たことなど、数える程しかない」

「大陸は広うございます。私と共に、帝国へ向かいましょう?」

「帝国は、もはや敵国。死にに行くようなものだ」


 カンナはゆるゆると首を振る。ワタリはどのみち長生きできないだろうが、今はそれを告げる時ではない。


「いえ、とんでもない。ワタリ様、神具の鑑定士におなりなさいませ。教養の高い王子ともなれば、きっと高待遇なはず。私、こんな生業をしておりますから、様々な伝手がございますの」


 カンナは妓女になる前、イチカ達と芸人一座の一員として帝国圏の国々を巡っていた頃に、様々な人間と縁を結んでいる。今も、帝国の状況を探るために、幾人かと文のやり取りをしているところだ。その中で、ワタリに似合いの場所として、心当たりがあった。


 しかし、ワタリは納得がいかない様子である。


「どこかで働けと申すのか? この、次期王となる私が、だぞ?」


 もはや、帝国か流民、もしくは紫からの刺客に首を撥ねられるのを待つばかりの身なのに、未だ本人にその自覚はない様子。ワタリにとっては、これ以上ない提案だというのに、全くありがたみが分かっていないらしい。カンナは溜息をつかないように気を遣いながら、言葉を選んだ。


「だからこそ、にございます。このままクレナに留まれば、正月のお父上のように怖い思いをいたしますよ? 私は、クレナの高貴なる血筋がこんなところで絶えてしまうのが我慢なりません。あなたは、決して死んではならぬお方。これは、クレナ国民の総意です。どうか今だけは、命を守ることだけをお考えくださいませ」


 カンナは露とも思っていないことを並べ立て、ワタリの様子を窺う。すると、上手くおだてることに成功したらしく、猫背だった彼の背中がしゃんと伸びていた。


「そうだな。その通りだ!」


 結局、何も自分で決められず、誰かが決めたことに流されるままの腑抜けた王子。カンナは、ある種めでたすぎるワタリの思考が羨ましくなるぐらいだった。


 カンナの予定では、こうだ。商人を装った馬車にワタリを詰め込み、人目を避けてソラへ入った後は、そのままアダマンタイトへ抜ける。幸いワタリの見た目は凡庸か、それ以下なので、古い衣でも着せておけば、誰も王子だとは見抜けないことだろう。


 アダマンタイトに入った後は、文で知り合いを呼び出してワタリを引き渡す。すぐに、帝国貴族お抱えの男色の悪徳商人の元へ連れていってくれるはずだ。おそらく、ワタリはあの商人の好みに嵌っている。せいぜい可愛がられ、辺境の小国の癖に帝国を翻弄した国の王子として、酷い扱いを受ければいいのだ。そして、つい最近まで味方だと思っていた国の裏切りに絶望して、生きながらに死ぬといい。


 カンナは、自身の支度もすべく、部屋へ下がることにした。足早に廊下を行くと、この季節にぴったりの薄手の衣の裾が羽のようにふわりと浮く。いっそのこと、このまま空へ飛びあがって、どこかへ逃げてしまいたかった。


 本来ならば、この王子はイチカを通じて紫へ引き渡すべきである。けれど、それができなかったのは、少なくない時間、あの駄目王子と共に過ごしてしまったことからの情だった。


 自分の趣味が悪いのは分かっている。けれど、こういった究極の駄目な男を手懐ける快楽は何よりも勝る。同時に、自分達のような下々の民を同じ生きる人間とも思わず、身分だけに固執し続け、横暴を繰り返した王子へ、自ら手を下したいという欲求が押さえられなかった。


「ワタリ様、さようなら。私との時間は楽しかったかしら? 私は……どうでしょうね」


 夜風で揺れる御簾の影。カンナは、急に虚しくなって、少し泣いた。



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