146憤怒の勢い
馬車はとにかく速かった。そして、日に三度も出された飯も、なぜだか妙に上手かった。香辛料がたっぷり入った調味料へ漬けこんだ肉を焼いたものが多い。帝国の者達は、米は食わぬらしく、握り飯などが出てこないことだけは不満だった。
他にも、馬車の振動で尻が擦り切れそうになることは辛かったが、それ以外は、いたって快適な旅だったのだ。
そうして到着したのは、ソラなのか、帝国なのかは分からない。いくつもの山を越えた先にある渓谷だ。砦のように、大岩を積み上げて作った城郭のような建物と塀がそびえていて、金属製の鎧をまとった帝国兵士が大勢うろうろしている。完全に、敵方の陣地なのは明かだった。
ミズキは、すぐに牢のようなところへ放り込まれた。高い天井の近くに小窓があるが、金属の格子が入っていて、抜け出すことはできない。出入口も、重い金属の扉で、四方八方石造りの部屋。端に用を足すための箱と、寝台があり、食事は、扉にある小さな窓から出されるようだ。
「悪くない」
辺りを見渡して呟く。帝国基準では、この環境は囚人向けの劣悪さなのかもしれないが、クレナの民であるミズキにとっては、居心地が良かった。
少々じめじめするが、雨露をしのげる上、寝る場所まである。寝台の上に敷かれた弾力性のある布など、クレナでは見たこともない。むしろ、高級な敷物に見える。しかも、ここでじっとしているだけで働かなくとも飯が出るなんて、最高だ。
しかし、死ぬまでここで厄介になるつもりは毛頭ない。早速、一人作戦会議をする。
「敵の囚人でこの待遇ならば、サヨも何とかなっているとして……」
やはり、最初に気にかかるのはサヨのことだ。
「同じこの砦に囚われているのか? いや、なんとなく違う気がする。コトリと合流させて、帝国へ連れていくのかもしれない」
その時、ふと帝国兵士達の姿を思い出す。ものの見事に、ここは男ばかりだった。そしてサヨは、妻だというひいき目を捨ててもなお、美しい娘である。さらに帝国人からすると、異国人はもの珍しくも映るだろう。
「まずい。それだけは、許せない」
もしサヨが、自分以外の男に身体を暴かれていたならば。と、想像するだけで怒りのあまり気が狂いそうになる。
「駄目だ。実家の離れよりも快適だとか言っている場合じゃない。一刻も早くここを出て、助け出さねば」
もう、紫の頭であることなど、頭から吹き飛んでいる。せっかく、一人旅の中で冷静になり、堂々とセラフィナイトと渡り合っていたのに、格好の悪い始末だが、本人はそれどころではないのだ。
「セラなんちゃらとかいう、あの男め。ただじゃおかない」
ミズキは、衣の腰に縛ってあった布を解く。牢に入れられた時点で身体検査されたが、ここに彼の秘密道具が入っているとは、帝国人は気づけなかったらしい。出てきたのは、小型の工具。それを床に落とすと、工具の先端にある金属で、床の岩に文字を刻み始めた。
これは、神具を作る工程の一つ。神を賛美し、神への祈りを詩歌をもってうたいあげるのだ。
「よし、できた。土の神よ、俺の身体を強くしてくれ。鉄の神よ、どうか力を貸してくれ」
ミズキは両手についた枷を、文字を刻んだ岩に擦り付ける。すると、岩からふわりと神気が立ち上り始めたではないか。
同時に、懐の辺りに熱を感じる。紅い簪だ。これは、親の形見だからとうそぶくことで、奇跡的に取り上げられずに済んだものの一つ。カケルによると、クレナ国の礎の石の一部でできているそうで、常に強烈な神気を携えているのと同義になるのだ。
つまり、神がいなさそうな帝国でも、神具を作り、神気を操ることができる。これは、強力な武器だ。
ミズキは感激のあまり、泣きそうになる。
「よし、活路が見えてきた」
その後、ミズキは、扉からもたらされた食事にも見向きせず、自由になった両手と、岩、寝台の木材、自らの血を使い、ひたすら神具制作に励むこととなった。
◇
「そんな馬鹿な」
セラフィナイトは、血相を変えて牢屋の一画へ向かっていた。負傷した兵達が、辺りに座り込んだり、倒れたりしている。そんな戦場跡のような砦の敷地内を、大股で進んでいく。
「牢を突破したばかりか、衛生兵の詰め所と文官棟、武器庫に放火し、塀の上から砦の内側へ一斉に火球による攻撃をしかけてきたばかりか、剣や銃まで奪われただと?」
少し遅れて後をついてくる兵は、肩から血を流したままだった。
「はっ。目撃情報が多数あり、先程の一連の暴動は、ここにいた虜囚によるものだと断定されております」
「いったい、どうして。身体検査もして、武器などがないか、ちゃんと確認したんだろ?」
「唯一、女性用の棒状をした装身具のみ、親の形見ということで没収しませんでしたが、それ以外に怪しい物は持っていなかったはずです」
セラフィナイトは、はっとして息を飲んだ。
「神具か」
彼も、ソラには長く滞在していた経験がある。ただ、神具嫌いのアグロとその取り巻きに囲まれて過ごしていたことから、ついぞ、その製造方法を含め、からくりや機能性について詳しくなることはできなかった。そもそも、そんな科学的に無味滑稽な伝統工芸品などに、凶悪な力があるとは信じられず、知ろうとしていなかったこともある。それが、これ程悔やまれることになろうとは。
兵は報告を続ける。
「虜囚は、小石を投げてきたそうです。そこで、通常通り盾で防ごうとしたのですが、突然火を噴いたり、強風が巻き起こったり、場合によっては一面水浸しになって兵達が足元を滑らせたりして、動きを封じられてしまいました」
「それにしても、被害が大きすぎる」
ようやくミズキがいた牢へ辿り着いた。兵が扉を開くと、中の岩壁はあちらこちらが削り取られていて、床には血の跡もある。寝台は、元の形が分からないぐらいに分解されて、木くずとなった破片が散らばっているだけ。
セラフィナイトは、顔をしかめながら、咄嗟に口元を腕で覆った。血の匂い、そして悪臭。
「神具ではなく、呪術でも使っているのか?」
次の瞬間だった。轟音。
セラフィナイトは声をあげる暇もなかった。突然、天井が割れて、小石が大量に降ってくる。咄嗟に、隣にいた兵がセラフィナイトに覆いかぶさった。舞い上がる土煙。地震のように揺らぐ地面。
それらが、ようやく収まった頃。
「ご、ご無事ですか?」
その言葉を最後に、兵は事切れてしまった。セラフィナイトは、自身の肩につもった土を手で払いながら、足元の屍を見下ろす。
「サヨちゃんの屋敷も、もっと警備を強化すべきかな」
そこへ、別の兵が駆けつけてきた。
「大事ありませんか?」
「あぁ、大丈夫だ。それより、今から東の基地へ向かう」
「二人目の娘を隠している屋敷ですか?」
「そうだ。あのツンツンした美人を、そろそろ篭絡する」
「ですが、彼女は人妻だとか」
兵は、セラフィナイトが悪趣味だと言いたそうだったが、口ごもってしまった。
「だからこそ、だよ」
セラフィナイトは、静かに怒っている。いつもへらへら笑っているが、今ばかりは穏やかではいられない。父親である皇帝から貰った、王子として起死回生する機会を、こうも邪魔立てされたのだ。
「俺は、この砦をそこそこ気に入ってたんだよね。でも、めちゃくちゃにされた。ならば、あいつの大切なものを完全に手に入れてやる。それが仕返しというものだろう?」