13初めての楽譜
前半はコトリ達の話、後半は王と正妃の話です。
「課題曲は、こちらだそうです」
戻ってきたサヨから渡されたのは、シェンシャンの楽譜だった。鳴紡殿を出入りした際に、女官に捕まって手渡されたらしい。
コトリ達三人が正式に楽師団の活動を始めるのは三日後。その際、先輩団員の前で腕前を披露することになっているとのことだった。
コトリは早速譜面に目を通す。
「サヨは、この曲を知っているの?」
「いえ。おそらく一般には広まっていない楽師団内だけの楽曲ではないかと」
その証拠に、譜面の隅に書かれた曲名は「鳴紡の若葉」とあった。きっと、入団して間もない者が弾くことになっている特別の曲なのだろう。
しかし、コトリがサヨに尋ねたのには、別の理由もあった。
「普通の楽譜は、シェンシャンの指板のどのあたりを、どんな律動で弾くのかを示しているだけよね。でもこの楽譜は」
「そうですね。この二行目の記述は、私も初めて見ます」
通常の譜面の下に、様々な色名が記述されているのだ。白、白、緑、青、緑、白……といった具合である。
きっと、演奏に必要な要素にはちがいないのだが、二人には何を意味しているのか皆目検討がつかない。
「では、駄目元ですが、ミズキ様に尋ねてみましょう」
サヨは、同じ譜面を練習することになる同期に助けを求めることにした。
そして、一刻後。
菖蒲殿の使用人達が続々とやってきて、部屋へたくさんの荷物を運んでくる中、サヨは興奮気味で戻ってきた。
「分かりました! これは、神気の流れを現しているそうなのです」
サヨによると、色の名前は神気の分類を現しているという。
赤は炎、情熱。人々の心を奮起させる。
青は水、浄化。川や海に関係する。恵みの雨をもたらすことも。
緑は風、繁栄。田畑の豊作祈願とも密接な関係が。
黄は雷、知恵。閃きや天啓をもたらす。
白は光、健康。治癒に用いられる。
黒は闇、安らぎ。穏やかな心をもたらしたり、亡くなった人を悼む際に登場する。
他にもあるかもしれないが、ミズキが知るのはこの六つということだった。
コトリもシェンシャンから神気が出るのは知っていたが、それに種類があることは初耳である。
「楽師団は、地方の儀式に呼ばれて演奏を奉納することが多いものね。きっとそれと関係があるんだわ」
コトリは一人納得しながら、譜面の色名を目で追っていくが、はっと気づいてサヨの顔を見る。
「ところで、この神気の色はどうやって表現すればいいのかしら。そもそも、色なんて見えないのだけど」
「そう言えばそうですね」
サヨは慌ててミズキの部屋へとんぼ返りしたが、これについては情報が得られなかった。
「困りましたね」
楽譜を挟んで座ったコトリとサヨは途方にくれる。
「これ、普通の庶民は常識的に見えるものなのかしら?」
「いえ、おそらくそうではないと思うのですが……」
少なくともミズキは神気が見えないらしいが、これもたまたまかもしれない。入団して初の課題で行き詰まるとは、さすがにコトリも予想だにしていなかった。
「とりあえず、普通の譜面は完璧に弾けるようにしましょうか」
コトリはサヨの言葉に頷いたが、不安は膨れるばかりである。
菖蒲殿の使用人達が、すっかり二人の部屋を整えて出ていった頃には、昼も過ぎていた。ぼんやりしている間に、宿舎で出される昼ご飯を食べ損ねた形だ。
「カナデ様、元気を出してください。まだ初日なのですから、いろいろあって当たり前です」
「そうね……」
「そうだ! 今から街へ下りてみませんか? 庶民的な甘味でも口にすれば、気分転換になりますよ」
そういえば、王宮では毎日出ていた菓子も、ここ三、四日はありつけずにいる。思わず涎が出そうになったコトリは、一も二もなく出かける準備を始めたのだった。
「ねぇ、サヨ。街に出るのだったら、ついでに行きたいところがあるの」
「どちらですか?」
コトリは自分のシェンシャンを指差してみせる。
「この子、素晴らしいのだけれど、時々やりすぎるみたいなの」
意味のわからぬサヨに、コトリは試験での顛末を語って聞かせた。
「私は、とっても気に入っているのよ? でも、またあんなことになったらと思うと、気軽に弾けなくなってしまって」
サヨは、何か考え込むかのように眉間に皺を刻む。
「だから、今後のためにも、不思議な現象の原因を調べておきたいのよ。お願い、サヨ。これを作ってくれた人に会わせてちょうだい」
「なりません」
「どうして? 素晴らしいシェンシャンであることは確かなの。絶対に腕の良い神具師にちがいないわ。私、お礼も申し上げないといけないし」
サヨは、あの夜のやり取りを思い出すと気が進まなかった。まさか、コトリに「早速王女だとバレましたので」と言うこともできない。
「サヨ?」
「……分かりました。でも、会ったらすぐに帰りますからね!」
「ありがとう!」
結局サヨは、コトリには勝てないのである。
◇
その頃、王宮では、珍しく王と正妃が会談していた。
「帝国の感触が良くなってきたのだ」
「あら、それはよろしゅうございましたね」
「やはり、我が国の工芸品は帝国でも価値が高いようだ」
正妃は、それはクレナに限らずソラの工芸品にも同じことが言えるだろうと考える。だが、ここで水を差すのは止めた。
「今、ワタリに国中から良い品を集めさせているところだ。これで、そろそろ良い返事が聞けることになるだろう」
「そんなに工芸品で成功しそうなのでしたら、コトリまで引き渡す必要ことはないのでは?」
王は、心底驚いた顔をしていた。
「お前、あやつがいなくなることが嬉しくないのか?」
「まぁ、ご冗談を」
王は、侍女が香り豊かな茶を用意して部屋を辞したのを確認すると、あからさまに怒気を放って正妃を睨む。
「ところで、あれを合格させたらしいな?」
コトリ合格の報は、すぐに王の元へも届けられていた。
「腕が良いのは確かですもの」
「私は、試験官の中にお前がいるからこそ、受験を認めていたのだぞ」
「ご期待に添えなくて申し訳ないですわ」
そう言いつつ、正妃はコロコロと笑う。近年、すっかり老いが見え始めた王とは対象的に、正妃は入宮した頃よりは劣るものの、まだまだ女らしい美しさで溢れていた。綺麗に歳を重ねることで、より権力者としての風格が出ている分、二人が並ぶとどちらが国の主か分からなくなりそうだ。
「まぁ、好きにしろ。遠からず帝国へ行くんだ。最後ぐらい、好きなことをやらせてやってもいいだろう」
「あらあら、とても我が子に対する物言いとは思えませんわ」
「お前も、本音はそうではないのか?」
「あなたは、本当に私のことを分かってらっしゃらないのですね」
王は、鼻を鳴らす。
「やはり、女は面倒だ」
正妃、そして結婚二十七年目ともなると、多少王の機嫌を損ねたところで痛くも痒くもない。些細なことでは折れない強靭な心と、正妃としての覚悟やプライドがあるのだ。
正妃は、ふっと笑ってやり過ごした。
「それでは、せっかく好きにしろとおっしゃっていただいたのですもの。存分に、好きにさせていただきます」
そして、逃げるように席を立った夫の後ろ姿を、優雅に茶を楽しみながら見送るのである。
シェンシャンの楽譜は、ギターのタブ譜みたいなイメージです。