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そう私が言うのは

 良心の価値がひどく軽視されていると思う幼子よ。

 あなたに世界を託したくてこれを書きます。


 そう私が言うのは、「良心の価値がひどく軽視されている」と訴えることは、もう完全にむなしいからです。

 聖霊に恵まれなかった人々は、自己の幸福を追求し他人に冷淡に生きることに満足している。

 しかし実際には、そんな冷淡によって人々は互いを傷つけあっている。

 それは一部の人々には自明でも、他の人々には永遠に不可視です。

 聖霊に恵まれない人々の認知は、自尊心の保身を絶対的に優先して常に歪曲されるため、事実性とは最終的に無縁なのです。


 あなたは、自分には簡単に見えることは、他者にもそうだろうと錯誤しやすい。

 あなたがどれだけ特別であるか、本当に自覚することはあまりにも難しい。

 例えば、親切や礼節によって愛情の価値は伝えうると感じるかもしれない。

 しかしそう思って尽くした無数の人々の遺体の上に、義の尊厳への現代における軽視はあります。

 どんなに愛情に浸しても、聖霊を備えない人に義の美徳は伝ええない。

 人々の認知の歪曲には非常なパターンが存在して、その理解によってこそあなたは世界を知ることができます。


 聖霊とここで言うとしても、それは一種の知性の属性です。

 知性に欠ける動物が純朴な意味で、博愛や正直に似たものを備えることはあっても、それは真性のものではありません。

 損をしうる場面にあってなお、博愛や正直な行いを選択することは、理性によって聖なる価値を感じてこそ可能なことです。

 清らかな心で暮らすことは、清らかな心で暮らすことに喜びを感じてこそ可能なことです。

 小さな者を守るために命すら投げ出せる心意気は、打算からは得られない。

 他にも数理的な知性や記憶量のような知性があるとしても、良心もまた一種の知性なのです。

 ゆえに、動物と人間で知性が異なるように、人間の個体らについても知性の程度は分布しています。

 才能を議論することはしばしばまったくの禁忌ですが、才能の存在は事実だと考えねばなりません。


 そのようにして、「良心の価値がひどく軽視されている」という仮定あるいは前提を、私は先に置いている。

 それを置かずに、典型的な錯誤らを想定してそれぞれに対し弁明を記載することも可能です。

 しかしそれは結局はむなしい。事実を見ようとしない人々が、真摯に議論することはありえないからです。

 数理的な議論においてどんなに巧妙な実力を持つ人も、社会的な自尊心に話題が及べば論理の接続を曲げていきます。

 我欲に生きる人々にとって、虚言は恥辱ではありえない。

 本当に誰にも見られておらず、罰せられる危険がないなら、彼ら彼女らはどんな反社会的な振る舞いもためらいません。

 彼ら彼女らの思う倫理はそのように便宜でしかないし、その心の底には他人への真剣な愛情はない。


 つまり言葉とは、互いの誠実を前提としてのみ本当は可能なのです。

 それがもしなければ、使われる言葉の裏にある意味は単に脅迫や懐柔です。

 獣が吠えているのと異ならない。

 そのように高く求めて言うならば、彼ら彼女らは言葉を持たない。

 言葉とは本来、一語一語に十分な誠実と真心を込めて大切に吐き出すべきものです。

 多く吐くことに価値があるのではもちろんないし。

 ごまかしの気持ちがあって吐くなら、自身の名誉を永久に傷つけることでしょう。

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