都子ちゃんのこと 2
「都子ちゃん、苦手な食べ物やアレルギーはある?」
初対面におけるお約束のような挨拶を交わすとすぐ、母が都子ちゃんに聞いた。
「ありません」
「そう、よかったわ。それなら、ふわっふわのパンケーキの前に、ふたりともこれを食べてちょうだい」
どどんとテーブルの上に置かれたのは、シュリンプサラダとじゃがいもの冷製スープだ。シュリンプサラダにはメインの海老以外にも、ブロッコリーやアボカド、トマトやベビーリーフがたっぷり入っていて、私の好きなオーロラソースがかかっている。
母としては、パンケーキだけという栄養が偏った昼食は許せないらしい。
とりあえず手を洗ってから、いただきますをしてむしゃむしゃ食べた。
都子ちゃんはじゃがいもの冷製スープが気に入ったようで、母に勧められて恥ずかしそうにお代わりをしていた。
「さあ、お嬢さん方、パンケーキのご注文はどれ?」
オーソドックスなバターにメープルシロップ掛けか、生地にクリームチーズを混ぜ込んで焼くケーキ風のものにラズベリーのジャムを添えたものか、それとも桃のフレッシュソースをかけたものか。
「桃をいただいたんだけど旬にはちょっと早いから、香りはいいけど甘みが足りなくて。だから思い切ってフルーツソースにしてみたのよ」
ごろごろと桃の欠片が入ったフルーツソースを想像して、ごくりと喉がなる。
「全部!」
「え、選べません」
私と都子ちゃんがほぼ同時に言った。
「了解。全種類ね。小さめに作れば食べられるでしょう」
まず最初に出てきたのはオーソドックスなタイプのパンケーキだ。
焼きたて熱々のパンケーキの上に乗せられたバターが、とろりと溶けてパンケーキの上をゆっくり滑っていく。そこにたっぷりメープルシロップをかけてから、ふわっふわの生地にゆっくりナイフを入れた。
「すごい。本当にふわっふわなのね。それに、このバターもとても美味しい」
「うん、バター美味しい。いつものと違う」
「このバターはお父さんが空輸で取り寄せたとっておきなの。ふわっふわの秘密はメレンゲよ」
「とっておき……。いただいてもよかったんでしょうか?」
「ちゃんと許可は取ったから大丈夫。いっぱい食べさせてやってくれって言われてるわ」
「さすがお父さん。後でお礼言っとかなきゃ」
「私の分も、お礼お願いね」
「うん、わかった」
最後の一欠片は、皿に零れたバターとメープルシロップを綺麗にすくい取ってから食べた。
ほぼ同時に空になった都子ちゃんの皿も綺麗になっていて、最後まで美味しく食べてくれたことがよくわかる。
「お嬢さん方、続きは部屋でどうぞ。桃のパンケーキは、二時間後ぐらいに部屋へデリバリーするからね」
「ありがとう、お母さん」
「ありがとうございます」
チーズケーキ風パンケーキとアイスティーを母に持たされて、私の部屋に移動した。
「どうぞ。直接ラグに座るの平気? 気持ち悪かったら座布団もってくるけど」
「平気よ。ありがとう」
ラグに座った都子ちゃんは不思議そうに私の部屋を眺めた。
「なにか変?」
「ううん。無駄なものがなくてすっきりした素敵な部屋ね。ただ、芽生ちゃんはいつも本を読んでるから、大きな本棚があるんじゃないかと思っていたの」
壁に作りつけられている飾り棚の端っこに数冊並べられた漫画本を見て、都子ちゃんが不思議そうに言う。
「ああ、いつも読んでるのはたいてい父の本だし、自分のもほとんど父の書庫に入れてもらってるの。自分の部屋に置いちゃうと勉強しなくなっちゃうし」
「それわかる。部屋にあると思うと、ついつい呼ばれちゃうのよね」
「都子ちゃんもよく本を読んでるよね? どういうの読んでるの? 私はライトノベル系をよく読むよ」
「私のメインはミステリー系ね。たまにライトノベル風のファンタジーも読むわ。図書館を利用してるから、新作はなかなか読めないんだけど」
「ああ、それなら父の書庫を覗いてみる? 父はミステリーも読むから、新作もあるよ」
「いいの?」
「もちろん」
都子ちゃんは、ぱあっと嬉しそうに笑ったが、その表情がふっと翳る。
「そうね。いつか機会があったら、お願いしようかな。――パンケーキ、いただいてもいい?」
「うん。食べよう!」
チーズケーキ風のパンケーキを一口食べてみる。チーズの風味を楽しむために甘さ控えめになっていて大人向けの味だった。
甘党の私は、さっそくラズベリージャムのお世話になった。
「これ、好きな味。美味しいわ。ちょっともちもちしてるのね」
「米粉を使ってるのかも。最近、凝ってたから」
「芽生ちゃんのお母さんは料理上手ね」
「ありがとう。都子ちゃんの……あ、チコちゃんって呼んだほうがいいのかな?」
学校で美結がそう呼んでいたことをふと思いだして聞くと、都子ちゃんはブルブルと嫌そうに首を横に振った。
「止めて。あの有名な決め台詞を言えってからかわれるから、その呼び方は嫌なの。美結にも止めてって言ってるのに聞いてくれなくて」
「そうなんだ。じゃあ、私は都子ちゃんって呼ぶね」
「ありがとう。それと、芽生ちゃん。今日は私に声をかけてくれてありがとう。なんとか今日中にあなたと話をしたいと思ってたから、凄く嬉しかった」
「え、うん。どういたしまして?」
なんで今日中? とひとり首を傾げている私に、「ずっと謝りたかったの」と都子ちゃんが言う。
「幼稚園の時、嘘つき呼ばわりしちゃったでしょ? ずっと酷いことを言っちゃったって後悔していたの」
「え。あのこと? そんなの気にしなくても良かったのに。妖精さんが見えてるなんて嘘ついたのは本当だし」
「芽生ちゃんは嘘をついたんじゃなく、勘違いをしていただけ。私には、あなたがなにを見ているのかわからなかったけれど、あなたの目が私には見えないものを見ていることは知っていたもの。頭ごなしに『嘘つき』だなんて言うべきじゃなかった。――あの頃の私は、ママ……母の言うことに盲目的に従ってばかりで、自分ではなにも考えてなかったから……」
「幼稚園児なんてそんなものでしょ? 私だって母の言うことをそのまま信じていたし」
気にしすぎだよと笑って、少し重くなった空気を吹き飛ばそうとしたのだが、都子ちゃんはそうじゃないと首を横にふる。
「うちは普通じゃなかったの。あの頃からなんとなく気づいてたけど、怖くて見えないふりをしていた。……だから、罰が当たったの」
都子ちゃんは辛そうな顔をして俯いてしまった。
だが苺ちゃん達は、ふわふわと私の周りに寄ってきて、目の前でくるくる飛び回っている。
――ねえ、こっち見て。気がついて。
今まで友達がいなかったから、どこまでプライベートに踏み込んで聞いて良いのか、私には判断がつかない。
それでも、苺ちゃん達の気を引こうとしているようなその動きに、私は心を決めて口を開いた。
「罰って、どういうこと?」
「聞いてくれる?」
「うん。都子ちゃんさえよければ」
「……ありがとう。ずっと誰かに懺悔したかったの」
都子ちゃんの話はとても辛いものだった。
「うちの両親ね、私が物心ついたころにはもう不仲だったの。周囲の反対を押し切っての恋愛結婚だったはずなのにね」
都子ちゃんの母親は、幼い都子ちゃんに父親の悪口をずっと言い続けてきたのだそうだ。そして、都子ちゃんにも同じことを言うよう強要していたのだという。
都子ちゃんは優しい父親が大好きだったが、母親の言葉に逆らうことはできなかった。逆らえば、自分も父親のように母親から悪し様に言われるようになると思って怖かったからだ。
「母が見ていないところで、父にこっそり謝ったりもしたけど、そんなの自己満足よね」
中学生の時、都子ちゃんの両親は離婚した。
都子ちゃんは父親の元に行きたかったが、有責者である父親では親権を取ることが不可能だった。
「有責者って?」
「浮気したの。……まあ、そのことに関しては仕方ないと思ってる。あの母とじゃ気が休まる暇がなかっただろうし」
離婚後、母親は都子ちゃんをつれて岐阜の実家に戻った。
その途端、母親は変わってしまった。
「我が儘で気の強い人だと思ってたのに、急に大人しくなっちゃったの。祖母に言われるまま頷く人形みたいに……。まるで、母の前で頷く自分を見てるみたいだった」
気の強い祖母の言いなりになる母親。そして都子ちゃんは、その祖母に嫌われていた。
「父のことが大っ嫌いだったんですって。だから、その血を引く私のことも嫌いだって。あの家に居た頃は、散々嫌味を言われたし、意地悪もされたの」
「お母さんは守ってくれなかったの?」
「うん。祖母と一緒になって苛めてきた。それで、後からこっそり謝ってきて……。まるで私が父にしてたのと一緒。……謝られても、ちっとも嬉しくなかった。むしろ、自分がしていたことを思い知らされて辛くなるばっかり」
「……それが罰?」
私が聞くと、都子ちゃんは黙ったまま頷いた。
だが母親がこっそり謝っていたのは最初のうちだけ。そのうち、祖母とまるで同じになった。
「もう顔を見たくないから、家から出て行けって祖母に言われたの」
都子ちゃんは祖母の命令で東京の女子校に入学した。
本物のお嬢さま学校は中高一貫で編入は難しいから、なんちゃってお嬢さま校である我が母校に。
「祖母からは、高校卒業したら結婚しろって言われてるのよ」
「え!? なにそれ!!」
「商売相手の五十過ぎのおじさんの再婚相手だって」
「え、ちょっ! そんなの駄目っ!!」
「わかってる。結婚なんてしない。こっちに居る間になんとか父を探し出して逃げるつもり……だったんだけど……」
都子ちゃんが、はあっと深く溜め息をつく。
ふわふわ周囲を飛んでいた苺ちゃん達も元気を無くしてふらふらっと下降していく。いくつかパチッと弾けて消えた苺ちゃんもいる。
これは、心底参っている反応だ。
「なにかあったの?」
「うん。……あ、ぴーちゃん」
扉についている猫ドアからするっと室内に入ってきたぴーちゃんは、私達の視線を無視して部屋を横断するとベッドの上に身軽に飛び乗り、んべっんべっとマイペースに毛繕いをはじめる。
私達は思わず話を忘れ、その可愛い仕草に見とれた。
「……身体が柔らかいのね」
「うん。猫だからね。ぴーちゃん、たまに凄い寝相で寝てるよ」
こーんなの、と大きな身振り手振りで説明すると、都子ちゃんがふふっと楽しそうに笑う。
「もっと早くに、芽生ちゃんに話しかけてればよかった。入学以来、ずっとタイミングを見はからってたんだけど、芽生ちゃんとはなかなか目が合わなかったから、もしかしたら幼稚園でのことは忘れられちゃったのかもって勇気がでなくって……」
「もしかして、苺ちゃん達が私の周りをびゅんびゅん飛んでたのって、それでか」
怖くなんてないんだからねと威嚇されてるのかと思った。
まさか、ただ気を引こうとしていただけだったとは……。
「苺ちゃん達?」
「都子ちゃんから出てくる光を勝手にそう呼んでるの。見る度に苺が食べたくなるぐらい綺麗な赤だから」
「芽生ちゃんの光は何色?」
「それが自分から出てる光は見えないの。ぴーちゃんのお蔭で、私からも光が出てるのはわかるんだけどね」
「どういうこと?」
首を傾げる都子ちゃんに、ぴーちゃんとの出会いを話して聞かせると、都子ちゃんは顔を輝かせた。
「凄い! スーパーキャットね」
途端に、苺ちゃん達が元気を取り戻して、ぴーちゃんの周囲をびゅんびゅん飛び回った。
そしてぴーちゃんは、大喜びで苺ちゃん達にじゃれつきはじめる。
「え? これ……もしかして、光にじゃれてるの?」
「そうだよ」
しばらくの間黙って苺ちゃん達と遊ぶぴーちゃんを見ていたのだが、やがて苺ちゃん達の元気がなくなってくると、ぴーちゃんは遊ぶのをやめてまたベッドの上に戻って寝そべった。
苺ちゃん達が萎れてるってことは、都子ちゃんも落ち込んでるってことだ。
「お父さん、見つからなかった?」
話を元に戻すと、都子ちゃんは頷いた。
「そうなの。でも、もう探す余裕がなくなっちゃったから……」
「どういうこと?」
「最近、私、美結に絡まれてたんだけど、気づいてた?」
「え、あ、うん。……ちょっとだけ」
絡まれてたのか。やっぱり友達じゃなかったんだ。
「誰かから、私がひとり暮らしだってことを聞いたらしいの。それで遊びに行きたいってしつこく言われてて……」
なんだか嫌な感じがしたから、都子ちゃんは断り続けていたのだそうだ。
だが、どこかから都子ちゃんの住所を探り当てた美結は、昨夜、アポ無しで突然都子ちゃんの暮らすマンションを訪ねてきたのだという。
オートロック式のマンションだから、インターフォンがかかってきた時に招き入れる気はないと都子ちゃんは断った。
だが美結は諦めず、他の住人が中に入るタイミングを狙ったのか、勝手にマンション内に侵入して、直接ドアの呼び鈴を鳴らしてきた。
「えー、なにそれ。怖い」
「でしょ? もう絶対に入れる気なかったんだけど、ドアの外で大騒ぎされちゃって……」
仕方なく、近所迷惑だから止めてと直接言おうとドアを少しだけ開けた途端、見知らぬ男達に無理矢理ドアをこじ開けられて、中に入られてしまった。
「ドアの覗き穴からは見えない所に隠れてたみたいなの」
「え……ええっ?」
これは凄く怖い話だ。ちょっと洒落にならない。
「それで、どうなったの?」
「男が五人と美結以外にも女の子が二人、家の中に勝手に入ってきて、昨夜は一晩中大騒ぎ」
都子ちゃんひとりでは止めることなどできなかった。
むしろ身の危険を感じて、自分の部屋に内側から鍵を掛けて閉じこもっていたそうだ。
「警察に電話すればよかったのに……」
「それも考えたんだけど、それだと祖母に連絡がいっちゃうから……」
都子ちゃんの暮らしているマンションは祖母が所有している物件なのだそうだ。だから、警察沙汰になったら、当然祖母に連絡が行く。
そして、都子ちゃんのことを嫌っている祖母が、事件に巻き込まれた都子ちゃんに同情してくれるとは思えない。
「警察沙汰なんて恥ずかしいって、まず間違いなく学校を辞めさせられると思う。それで、すぐにあの中年男と結婚しろとでも言われるかも……」
「そんなの駄目!」
「ありがとう。私も嫌。でも、あの部屋をどうにかしないと、やっぱり学校に通えなくなっちゃうし、この後すぐに警察に行くつもりなの。美結と話した感じだと、まだあの人達が居座ってそうだし……。――これからどうなるかわからないから、その前にどうしても芽生ちゃんに謝りたくって」
その為に、男達が静かになった早朝に、こっそりマンションから抜け出して登校してきたのだという。
謝れてよかったと、都子ちゃんがすっきりした顔で微笑む。
私は全然すっきりしない。
頭がぐちゃぐちゃで胸がむかむかする。
都子ちゃんとやっと話せるようになったのに、今度こそ友達になれるかもと期待したのに、こんなの嫌だ。
なにより、都子ちゃんの未来がこんなことで潰されるのは絶対に嫌だ。
感情が高ぶったせいで、私から光が大量に発生したんだろう。
ぴーちゃんは大喜びで部屋中を走り回っていた。
次話は、きゃっきゃうふふのはじめてのお泊まりw(ちょっと嘘)