変化のこと
東京に戻ってすぐ、九州の主治医が紹介状を書いてくれた専門医の診断を受けた。
私のカルテを見た新しい主治医は、この症例で後遺症がないんですかと、しきりに首を捻っていた。
高次脳機能障害とやらが出ていてもおかしくない状況だったのだそうだ。
数日かけて、必ずどこかになにか異変があるはずだと言わんばかりの検査攻めに遭ったが、やっぱり見つからなかった。
「高次脳機能障害?」
私の話を聞いた都子ちゃんが首を傾げる。
「読み書きや記憶能力に支障が出たりとか、症状は色々みたい。あ、でもね。怪我をして以来、私ちょっとだけ集中力が増したかも」
以前は勉強しても三十分ぐらいで根を上げていたのに、今は母から休憩するように言われるまで続けていられる。ついでに記憶力もちょっとだけアップしたような気もするのだ。
もしかしたら、良い方に後遺症が出たのかもしれないと言うと、心底呆れたという顔をされた。
「そんなの、以前とは真剣味が違うだけでしょ」
「えー、でも受験の時だってこんなに集中力なかったよ」
「受験の時は滑り止めがあったからじゃない? それで甘えが出たのよ」
――芽生ちゃん甘ったれだから。
苺ちゃん達がくるくるっと目の前を飛んでいく。まるで、きゃらきゃらと笑い転げているみたいだ。
実際に滑り止めも複数受験していたし、私には「中卒でも家で雇うぞ」と言ってくれる、父という究極の滑り止めがあった。
甘えていたのは事実なので、ぐうの音も出ない。
だが今回のテストでは誰にも甘えられない。
都子ちゃん達と一緒に進級したければ、自力で頑張って進級できるだけの成績を残すしかないのだ。
東京に戻ってから私は目標をふたつ立てた。
ひとつは、皆と一緒に進級すること。
そしてもうひとつは、和也さんに告白することだ。
「長期戦で頑張るんじゃなかったの?」
「蔵の中に閉じ込められた時に、告白しとけば良かったって後悔したの。万が一うまくいってたら、一回ぐらいデートできてたかもしれないのにって……」
またあんな目に遭うつもりはないけれど、人生に後悔は少ないほうがいい。
だから思い切って告白するつもりなのだと言うと、都子ちゃんは軽く眉をひそめた。
「ふられる覚悟はある?」
どうやら都子ちゃんは私がふられると確信しているらしい。
――泣いちゃうんじゃないかな。
苺ちゃん達も心配そうに私の頭に、ぺとっとくっついてくる。
「……あるよ」
「それならいいわ。とりあえず今は勉強しましょ」
「はーい」
以前から、ぴーちゃんの言葉がなんとなくわかることがたまにあった。
だが怪我をしてからというもの、ぴーちゃんだけじゃなく光の声まで聞こえるようになっている。
真っ暗な蔵の中でも、植物の光達と会話した。
あの時は不安で寂しかったから、私としては光を勝手に擬人化して会話しているふりで気を紛らわそうとしていたつもりだったのだ。
だが、どうやら違う。
あの時から、本当に光の声が聞こえているみたいなのだ。
これが怪我の後遺症なのか、それとも危険な目に遭ったことで新しい力に目覚めてしまったものなのか、自分では判断できない。
テレパシーみたいに、その人のリアルタイムの心が全て読めるわけじゃない。
分かるのは光に込められた感情だけ。
光を発生させた瞬間、その人が強く思っている心の声が伝わってくるのだ。
このことに気づいたのは東京に戻ってからで、まだ誰にも言ってない。
以前、光の動き方で他人の感情をある程度把握できることは余り言わない方がいいと、都子ちゃんに忠告されたことがある。
心を読まれてるみたいで気持ち悪がる人もいるだろうからと……。
光の動き方で喜怒哀楽が分かる程度でもやばそうなのに、光に込められた心の声まで聞こえてしまうと知られたら、さすがに怖がられたり気持ち悪がられたりするんじゃないかと少しだけ怖い。
とはいえ、感情が顔に出やすいと言われる私がずっと内緒にしておけるとも思えないので、掲げている目標ふたつを達成したら両親と都子ちゃんにだけは打ち明けるつもりだ。
東京に戻ってからは、ほぼ毎日都子ちゃんが来て勉強を教えてくれている。おかげで勉強がはかどって、復帰してもすぐに授業について行ける目処が立っていた。
そして十二月、私は無事学校に戻れた。
翌週から期末試験が始まるタイミングだったので少しだけ教室はぴりぴりしていたが、思っていた以上にクラスメイトの皆から優しく迎えてもらえて嬉しかった。
ちなみに、毛糸の帽子は被ったまま登校している。
学校側からは髪の毛が伸びて傷跡が隠れるようになるまでは、帽子着用を特別に許可すると言ってもらえた。
復帰の前に一度両親と共に職員室に挨拶に行ったのだが、その際に見せた私の傷跡の予想外の大きさに先生達が驚いて配慮してくれたのだ。
まあ、私の為というよりも、気の弱い生徒が見たらショックを受けるかもしれないからということだったらしいけど……。
そして登校二日目、私は朝から不機嫌だった。
――振り向いて。こっち見なさいよ。
そんな風に囁くブルーグレイの光が、コッツンコッツンとしつこくぶつかってくるせいだ。
痛みはないが囁き声が気になって授業に集中できないし実に鬱陶しい。
休憩時間になると同時に、私はガタッと立ち上がった。
そして、振り返れ、こっち見ろとやかましい光をぶつけてきた弥生ちゃんの元に向かった。
「なにか用?」
「な、なにかって、なによ」
「なにか言いたいことがあるんじゃないの?」
「なんでわかるのよ!」
気持ち悪いと言われたが、嫌いな人になにを言われても気にならない。
悪い噂を流されて高校デビューを邪魔された恨みはまだ消えてないのだ。
「私、勘が良いの。――早く言ってよ」
急かすと、弥生ちゃんは鞄から綺麗にラッピングされた袋を取り出して、ずいっと私に突きだした。
「怪我のお見舞いっていうか、復学祝いっていうか……まあ、そんなもんよ」
「私に?」
「そうよ」
「心配してくれたんだ」
「……少しだけ……。まるで私が呪ったみたいなタイミングだったし」
ってことは、つまりあの後も弥生ちゃんは私を嫌っていた訳か。
「呪われてないよ。呪ってもいないし」
「……わかってる」
ぼすっとお腹に袋を押しつけられて、仕方なく受け取った。
これは、本気で反省したってことなんだろうか?
もしかしたら弥生ちゃんは、私が怪我をしたことで、かつて自分自身が流した噂が、自分の身に戻ってくるんじゃないかと考えて怖くなったんだろうか。
――あの子が呪ったせいで怪我したんだって……。
影でそんな風に噂されたらどんな気持ちになるか想像して、私に悪いことをしたと反省してくれたんだろうか。
なんてことを考えていると、乳白色と黄緑色の光がふらふらと飛んできて私の髪にくっついた。
――お願い。謝らせてあげて。
――反省してるの。
見ると、いつも弥生ちゃんと一緒にいる友達ふたりが、少し離れたところから心配そうにこちらを伺っている。
私が彼女たちを見ているのに気づくと、まるで拝むように両手を合わせた。
彼女たちのそんな仕草と、彼女たちから次々に飛んでくる光の声を聞いて、なんとなく事情がわかってきた。
以前、保健室で話し合った時、弥生ちゃんは先生に言われて仕方なく私に謝罪した。お互い、それが本心からの謝罪じゃないと分かっていて、表面上手打ちにした形だ。
私としてはもうそれで終わりにしたつもりだったけど、弥生ちゃんはそうじゃなかったんだろう。一応私に対して罪悪感のようなものを感じていて、いつか機会があったらちゃんと謝ろうと問題を先送りにしていたのだ。
そんな時に私が大怪我をしたと聞かされて、もしかしたら謝る機会が永遠に失われてしまったのかもしれないと本気で後悔したようだ。
あのふたりは、そんな弥生ちゃんの気持ちを知って、謝るなら今しかないと背中を押してあげているみたいだ。
少し前までの弥生ちゃんは、友達の声にも耳を貸さないような人だったのに、今では素直に受け入れられるようになったのか。
その変化は、少しだけ喜ばしい。
少しだけなのは、誤解されてひとりぼっちだった日々の苦しさや寂しさがまだ私の中に残っているからだ。
「開けてもいい?」
「どうぞ」
貰った袋の中身は、黒猫のアイピローだった。
「それ、中身を電子レンジで温めたり、冷凍庫で冷やしたりして何度でもつかえる奴だから。勉強して疲れた時とか、けっこう効果あるの」
「へえ、そうなんだ」
「ずっと休んでたんだから、期末試験の勉強大変でしょ?」
ぴーちゃんっぽくて可愛いとひそかに喜んでいた私は、気遣うような弥生ちゃんの声に顔を上げた。
「そういえば、弥生ちゃんも長いことお休みしてたんだよね。休んでた分の勉強、取り戻せた?」
「なんとかね。私の場合は夏休みがあったから……。あんたはどうしてるの?」
「都子ちゃん達がずっとノート取ってくれてたから、それ使って入院中から勉強してたよ。――友達って、ホントありがたいよね」
「そうだね。わかる」
私がしみじみ言うと、弥生ちゃんもすんなり頷く。
今の彼女なら、黒い靄を発生させることはもうなさそうだ。
ほっとした私がちょっとだけ微笑むと、弥生ちゃんはためらいがちに口を開いた。
「その……色々と、今までごめんなさい」
「うん。――これ、ありがと。黒猫が好きだから嬉しい」
「だと思った。あんたが描いた絵を見て選んだの」
今まではお互い気まずくて顔を合わせないよう避けていたけれど、これからは挨拶ぐらいならできるようになりそうだ。
わだかまりがひとつ消えた教室は、きっと今まで以上に居心地がよくなるはずだ。
――ちゃんとやれたよ!
私に謝ってすっきりしたんだろう。
弥生ちゃんのブルーグレイの光が、くるくるっと楽しげに踊りながらふたりの友達に向かって飛んでいった。
期末試験の結果は、ぎりぎりセーフといったところ。
取り合えず主要教科に赤点はなかったし、ほとんど手をつけられず惨敗した副教科の成績は進級には影響しないそうなのでほっとした。
仕方のないことだけど順位はかなり下がった。
逆に皆は軒並み成績が上がったようだった。
都子ちゃんや咲希ちゃんは元から優等生だから目立ってはいなかったようだけど、美結や杏ちゃんは担任に名指しで誉められたぐらいだ。
私の為のノート造りの為に真面目に授業を受けるようになったことが功を奏したのだ。
「つまり、私のお陰ってことだよね」
えへんとつるペタの胸をはって威張ったら、美結に思いっきり背中を叩かれた。
「なに言ってんの。睡眠時間削ってノート造りしてたのよ。良い迷惑」
「成績が上がったのは嬉しいけど、でも芽生ちゃんが怪我しないでいてくれたほうがずっと良かったわ」
杏ちゃんにはぺちんとお尻を叩かれた。
頭を叩かないだけ気を使ってくれているのかもしれないけれど、ふたりとも手が早いのは体育会系だからか。
「ごめんね? これからはもう二度とあんな目に遭わないよう注意するから」
真面目に反省してることを示すべく、キリッとした顔でそう宣言した。
――本当かしら?
――芽生ちゃん、うっかりしてるから。
――注意が持続すればいいけど……。
――どうせまたふらふらして、穴にでも落っこちるんじゃないの。
くるくるっと楽しげに飛び交うみんなの光に一斉にディスられて、ちょっとしょんぼりした私だった。
読んでいただきありがとうございます。
次話は、デート?




