帰宅のこと
東京に戻る前日、私が閉じ込められていたという蔵を見に行った。
「気分が悪くなったらすぐに帰るからな」
今回の事件が私のトラウマになっているのではと父は心配してくれているが、私が覚えているのは蔵の中での出来事だけだ。
初見なんだから蔵の外観を見ても全然平気だった。
「綺麗な蔵なんだねぇ」
定期的に手入れされているんだろう。外壁は白く瓦も艶々していて、鶴やら亀やらが彫られた蔵飾りもなかなかにお洒落だ。
蔵がある広い空き地を囲むように森がある。
コナラやカシワ、シマトネリコにハナミズキ。車の窓から母が指を指して教えてくれた木々は、紅葉を終えてすっかり冬支度を済ませたように見える。だが実際は、私の事件があった翌日にはこの状態になってしまっていたらしい。
車を降りた私は、真っ先に蔵に向かった。
蔵の中には用はない。用があるのは、私が倒れていた場所の近くに生えている、最初に光を飛ばしてくれた雑草達。
「あー、やっぱりみんな枯れちゃってる」
しゃがみ込んで捜してみたが、残念ながら雑草は一本もなかった。周囲を見回したが、見事なほどに見当たらない。
「休眠中なのよ。根は生きているから、来年の春になれば、また元気な顔を見せてくれるわ」
「除草剤をいくらまいても根絶やしできてないんだから、そう心配することないだろう」
「……そだね」
立ち上がって目を凝らしたが、休眠中のせいか白金の光は見当たらない。
しばらくの間そうしていると、白金の小さな光がふわふわと浮き上がってくるのをやっと見つけた。
私はその光をそっと手で包んだ。
「助けてくれてありがとう。皆のお陰で、明日無事に家に帰れるよ。本当にありがとう。来年、皆が目を覚まして元気になった頃にまた会いにくるから」
手の平の中、光がパチンと弾けて儚く消えた。
「雑草はともかく、この森は来年まであるかどうかわからないぞ」
「なんで?」
「親父があの蔵を壊すって言ってるんだ。ここを見ればみんな嫌なことを思い出すだろうからって」
臭い物には蓋、ということだろうか。
一族内での騒動だから、顔を合わせる度にあの事件を連想してしまうだろうと思うけど……。
「ここってお祖父ちゃんが生まれ育った家が建ってた場所なんだよね?」
「ああ。そう聞いてる。いつか、もう一度ここに家を建てたがってたみたいだな」
「嫌なことと一緒に思い出まで消しちゃうんだ」
蔵だけじゃなく周囲の森も綺麗に維持されているのは、祖父が本気でここに戻りたがっていた証拠だ。介護が必要な身体になった今ではもう無理かも知れないけれど、それでもこんな形で思い出の場所を消してしまうのは悲しいことのように思える。
それに私を助けてくれたここの木々を伐採させたくない。これでは、恩を仇で返すようなものだ。
「嫌だなぁ。なんとかなんないのかな。……お祖父ちゃんはこれから大叔父さんとの関係を新しくやり直していくつもりなんでしょ? だったら、この場所とも、もう一度新しくはじめられたらいいのに……」
「どうやって新しくはじめるの?」
母が優しい声で聞いてくる。
「そだね。……ほら、元々この蔵が使われてなかったから、大叔父さんも利用できたんでしょ? だったらもう二度と悪用されないよう普段から使ってればいいんだよ。蔵の特性を利用してワインセラーにするとか、和風の喫茶店をつくるとか。どう?」
「う~ん。こんなに大きなワインセラーを必要とする収集家はここら辺にはいないだろう。喫茶店もなぁ。住宅地からけっこう離れてるから、わざわざ車で珈琲を飲みに来る人がいるかどうか……」
「だったら、この森をもっと整備して公園にしたらどう? 自然たっぷりで散歩にいいよ?」
「元々ここらは東京と違って自然が豊かだから、必要性があるとは思えないなぁ」
「そっか……」
その場の思いつきでどうにかなるような問題ではなかったようだ。
「芽生の気持ちは、親父と次晴に伝えておくよ。地元の人間なら、なにか良いアイデアも浮かぶかもしれないからな」
がっかりする私の頭を父が毛糸の帽子越しにそうっと撫でた。
その後、蔵は本当に私の発案通り喫茶店として使われることになった。
もちろんそれだけでは集客が望めないので、広い空き地に集会所のような場所を造り、レンタルスペースとして安価で貸し出すことにしたのだそうだ。地域の主婦会や青年団の集会、ちょっとしたパーティーや講習会等にも利用してもらい、隣の喫茶店から弁当やオードブル等の出前を取れるという方式にしたらしい。
気軽に使える集会場が不足していたとかで、それなりに採算も取れていると聞いて、発案者である私はホッとしたのだった。
ぴーちゃんも一緒なので、東京への帰還は新幹線だ。
最後にもう一度お墓参りしてからゆっくり帰るつもりなので、東京に到着するのは夜になる予定だ。
そう都子ちゃんに連絡したら、『だったら、退院祝いの準備をして待っていてもいい?』とのこと。
私が九州にいる間、都子ちゃんは予定を繰り上げてずっと父親と共に暮らしていたのだそうだ。親権問題も順調に片付き、名字も田宮から三ツ谷に戻ったのだとか。
名字が変わると学校でなにか言われるんじゃないかと父親は心配したそうだが、都子ちゃん自身がもう田宮の姓を名乗りたくないと強く願ったのだ。
『すっきりしたわ』
スマホから聞こえてくる都子ちゃんの声が明るいのが嬉しい。
父親と暮らしはじめてからも、都子ちゃんはまだわが家の鍵を持っている。ずっと母の手伝いをしていたからキッチンの使い勝手もわかっているので、もしも迷惑じゃなかったら手料理でお祝いさせて欲しいと言われた。
『平日で学校があるから、凄いご馳走とかは準備できないと思うの。でも、ぴーちゃん連れなら外食も難しいでしょう? 帰ってすぐに夕香さんが夕ご飯の支度をするのも大変でしょうから、ちょっとだけ手助けできないかなって思って……。もちろん、お弁当やピザを頼んだ方が楽ならそうしてくれてもいいのよ?』
母にそれを伝えると、都子ちゃんの負担にならないようだったら、甘えましょうかと言ってくれた。
「帰ったら一番に都子ちゃんに会いたいでしょう?」と。
母には全てお見通しなのだ。
大喜びした私が都子ちゃんにOKの連絡をしている脇では、「ちょっ、ちょっと待ってくれ」と父が妙に焦っていた。
「お父さん、反対なの?」
「いや……。この一月ずっとひとり暮らしだったから少し散らかってて……」
「まあ。ちゃんと掃除してるって言ってたのに……」
「するつもりだったんだ。でも、ほら、ちょっと忙しくて……」
ごにょごにょ言い訳する父をシカトして、都子ちゃんにもそのことを伝えた。
『それなら掃除も軽くしておくわ』
「えーでも悪いよ」
『平気よ。芽生ちゃんの看病はできなかったんだから、これぐらいさせて』
それなら甘えちゃいましょうかと母が言うので、無理をしない程度でとお願いしておいた。
帰りの新幹線の中では、ゆっくり駅弁を食べてお昼寝……はしないで、やっぱりずっと勉強していた。
私が父から問題を出してもらって解いたりしている脇で、母はずっと編み物だ。毛糸の帽子とお揃いのマフラーを作ってくれているのだ。
キャリーケースの中のぴーちゃんは、都子ちゃんが連れて来た時はずっと大人しく寝ていたと聞いていたのに、帰りはしょっちゅうにゃごにゃご鳴いていた。
――もう、まだ着かないの? ここ窮屈だし揺れるしで不愉快だわ。
きっとそんな風にぶつぶつ文句を言ってるんだろうと思う。
もう少し我慢してと話し掛けたり、おやつを献上してご機嫌をとっておいた。
マンションに到着した時には、もう七時過ぎていた。
「ぴーちゃん、もう少しだからね?」
ぴーちゃんのキャリーケースは私が持ちたかったが、まだ体力が戻りきっていないのでうっかり転んだりしてぴーちゃんを巻き添えにしないよう、仕方なく母に預けた。
父はそれ以外の荷物を全部持ってくれている。
家の扉の前に着くと、帰って来たよと知らせるために呼び鈴を鳴らしてから、両手がフリーな私が鍵を開ける。
「芽生ちゃん、お帰りなさい!」
扉を開けると同時に、都子ちゃんが飛びつくようにして抱きついてきた。
「ただいま!」
きゃあっと意味不明な歓声をあげて、ぎゅうぎゅう抱き締め合っていると、奥からぞろぞろと人が出てくるのが見えた。
「芽生、退院おめでとう!」
「おめでとう。目が覚めて良かったよ」
「おかえりなさい」
「元気そうでよかった」
茜さんと城崎さんに都子ちゃんの父親の孝おじさん、そして、なんと和也さんもいる。
都子ちゃんが皆に声をかけて、退院祝いの準備をしてくれていたのだそうだ。主に女性陣は料理で、男性陣は父が散らかした家の掃除をしていてくれたのだとか。
みんなが嬉しそうな笑顔で出迎えてくれて凄く嬉しい。
「和也さんにも会いたいんじゃないかと思って」
私が喜んでいると、こっそり都子ちゃんが耳打ちしてくる。
「ありがと。最高の退院祝いかも」
嬉しくて、えへへっと笑うと、都子ちゃんも嬉しそうに目を細める。
「ほら、玄関でわちゃわちゃしてないで中に入ろう」
父の一声で移動すると、テーブルには美味しそうなご馳走が並んでいた。
茜さんが料理に参戦した影響か、テーブルの上の料理は妙に肉率が高い。
とりあえず、キャリーケースの中でにゃごにゃご騒いでいるぴーちゃんを外に出し、一通りお世話をした。
それからジュースとビールで乾杯だ。
「芽生、事件の話って聞いても平気? トラウマになってない?」
茜さんが心配そうに聞くので、私は「平気だよ」とにっこりした。
「びっくりしたし痛かったけど、私的にはあっという間の出来事だったから、あんまり実感がないんだよね」
「後からくるかもしれないから、異変を感じたらすぐに言うんだぞ」
「そうする」
あれ以来、過保護度が増した父に言われ、私は素直に頷いた。
「でも、本当にもう平気なんだよ」
「あそこの蔵って、扉を閉めると本当に真っ暗になるの?」
「うん。真っ暗だった。茜さん達もあそこに行ったんだよね?」
「そうよ~。病院にも寄ったけど、芽生ってば全然起きないんだもの。心配したよ~」
「えへへ。ごめんね」
事件のことをあれこれ聞かれ、こちらからも私が眠っている間のことを色々と聞いた。
事件の時、茜さんと城崎さんは台湾にある訳あり物件の調査に行っていて、父から連絡を受けて慌てて戻ってきてくれたのだそうだ。
「私達って、なにかとタイミングが悪いよね」
「だよな。前の猫の件も終わってから連絡がついたし……。俺達がいたら、もっと早くに見つけてやれたのになぁ」
「本当に……。前回もそうだけど、良いところは全部ぴーちゃんに持ってかれちゃった」
茜さんと城崎さんが、やれやれ大変な目に遭ったといわんばかりにリビングのソファーで毛繕いをしているぴーちゃんに視線を向けた。
「そういえば、ぴーちゃんが、大叔父さんに威嚇したお陰で犯人だって分かったんだっけ」
「芽生ちゃんが行方不明になった当日も、なにか感じてたみたいで家から脱走しようと暴れて大変だったのよ」
ぴーちゃんは、ちょうど私が頭を殴られて気絶した頃から暴れ出したらしい。
いわゆる、虫の知らせなんだろうか。
凄いと驚くばかりだ。
「芽生、家の中でぐらい帽子脱いだら? 暑いんじゃない?」
「平気! ま、まだ髪の毛が短いから、むしろ温かくていいの。傷の保護にもなるしね」
茜さんに余計なことを聞かれて、私は慌てて帽子を押さえた。
その態度が挙動不審過ぎたのだろう。
ぴんときたらしい和也さんがズバリ言う。
「ああ、もしかしてハゲちゃった?」
「な、なんでわかるの⁉」
「俺も子供の頃に頭に怪我をしたことがあって、ここら辺にハゲがあるんだ。でもこの髪だから、そうそうばれないよ」
和也さんが自分の天パーの長めの髪を指差した。
「そっか。ちゃんと隠せてるんだ」
「うん。芽生ちゃんも癖毛だし、女の子だからいくらでも隠しようがあるさ。心配することないよ」
「うん、ありがとう!」
和也さんの優しい励ましが心に染みる。
その後、どれぐらいハゲたか見せてみろと茜さんに弄られたりしたけれど、おおむね楽しい夜だった。
その日の夜は久しぶりに自分の部屋で、ぴーちゃんと一緒に眠った。
部屋の明かりを全部消すと、目が明かりになれていたせいで一瞬真っ暗闇の中にいるような感覚に陥った。
でも、すぐにぴーちゃんの淡いピンク色の光が視界に入ってきたので怖くはない。
「ぴーちゃん、やっと帰って来れたねぇ」
「にゃ」
そうね、とぴーちゃんが鳴く。
そして、思い出したようにまたにゃごにゃご言い出した。
――これからは不馴れな場所でひとりでふらふら出歩いちゃ駄目よ。あんまり心配かけないでよね。
「うん。ごめんね」
にゃごにゃご言い続けるぴーちゃんに適当に相づちを打ちつつ、私は暗闇に浮かぶぴーちゃんの光をずっと眺めていた。
淡いピンクの光は、くるくるっとご機嫌に飛び回り、まるで桜の花びらが風に吹かれて舞い踊っているかのように見える。
にゃごにゃご文句を言っていても、どうやら機嫌は悪くないらしい。
ほっとした私は眠気に誘われるまま瞼を閉じた。
読んでいただきありがとうございます。
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