表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/70

大叔父のこと 3

 両親に付き添われて向かった拘置所の面会室で、アクリル板越しに大叔父と対面した。

 驚いたことに、事件の時には真っ黒だった大叔父は、所々に澱みがくっついてダルメシアンっぽい感じになってはいるものの、しっかり顔立ちが分かる状態にまで戻っていた。


「顔がちゃんと見えてるよ」


 父の服を引っ張ってこっそり教えると、少し緊張していた父は肩の力を抜いたようだった。


「わざわざ足を運ばせてすまなかった。今の私は、こちらから出向ける立場ではないのでね」


 はじめてちゃんと見る大叔父の顔は少しだけ祖父に似ていた。

 でも見るからに気むずかしげな祖父と違って眉間に皺は刻まれていないし、メガネにロマンスグレーで理知的な人物に見える。

 蔵の中で会った時は、もっと荒い口調だったのに、今は口調さえも穏やかだ。


「君には酷いことをした。謝って済むようなことではないが、この通りだ。すまなかった」


 深々と頭を下げられて、私は溜め息をついた。


「私には謝らなくてもいいです。病院で大叔父さんの関係者だって言う人達からいっぱい謝ってもらったし……」

「関係者?」

「お子さん達や友人だっていう人や、病院の事務室の人達です」

「……そうか」

「はい。それに正直言うと、酷い目に遭ったって自覚があんまりないんです」


 体感的には蔵の中で二時間ぐらい過ごしただけで、次に目覚めた時にはもう怪我も完治していたのだから……。

 私がそう言うと、大叔父はちょっと驚いたようだった。


「だが、怖かっただろう?」

「……それは、うん。確かに。痛かったし……」


 でも、本当に怖かったのはほんの少しの間だけだ。

 植物の光が側にいて、話し相手になってくれていたお陰でかなり気がまぎれたし。


「あ、でも学校の勉強が遅れちゃったのはすっごく困ってます。これで留年することになったら、文句を言いにもう一度戻ってくるかも」

「……そうか」

「はい。だから今は、私に謝らなくても良いです。でも両親には謝ってください。私の意識が戻るまでの間、きっと凄く辛かったと思うから……。――大叔父さんだって子供がいるんだから、両親がどんな気持ちだったか想像できますよね?」

「……そうだな。わかるよ」

「だったら、どうしてっ!」


 思わずと言った風に叫んだ母が、面接室に入ってからずっと握っていた私の手をぎゅっと強く握った。


「どうして……あんな酷いことができたんですか? 目を閉じたままぴくりとも動かない娘を見て、私達がどんな……どんな気持ちだったか……」

「お母さん」


 握られた手が痛い。

 泣き出してしまった母を宥めていると、大叔父が深々と頭を下げた。


「許されないことだとわかってる。だがどうか謝罪だけはさせてくれ。本当にすまなかった。……孝俊も、今までずっときつく当たってきてすまなかった」


 大叔父は頭を下げたまま動かない。

 やがて、根負けしたようにお父さんが溜め息をついた。


「頭をあげてくれ。――聞きたいことがある」

「なんにでも答えよう」

「随分すっきりした顔をしているが、親父への恨みをどこにやった?」


 はっきり聞く父に、大叔父は苦笑した。


「どこにも……。元々、兄を羨んではいたが、恨んではいなかったんだよ。兄をどうしても恨めなかったから、孝俊をそのスケープゴートにしていたようなものだ」

「八つ当たりかよ」


 父は不機嫌そうだ。


「……子供の頃、私は虐げられていた。いや……虐げられていると感じていた」


 長男とそれ以外の子供を明確に差別する家風の中、良い成績を取れば誉められるどころか、でしゃばるなと皆に頭を押さえつけられた。

 進学すら望み通りにはできず、強制的に兄よりワンランク下の学校を選ばされた。


「親父もあんたを押さえつける側だったのか?」

「いや、兄だけは味方だった。だが私達の父親は頑固でね。兄ですら、逆らうなと殴り飛ばされて黙らされていた」


 祖父が父親から殴り飛ばされたと聞いて、私は思わずビクッとした。

 今だったら親から子供への暴力は罪になる。だがこれは何十年も前の話。

 暴力ではなく、親の言うことを素直に聞くように躾けただけだという考えが主流の時代だったんだろう。


「だから兄には感謝していたんだ。……だが、どうしても不満は残った」


 長男だから何事も優先され、望む道を優々と歩いて行ける兄。

 だが自分は周囲の大人達に頭を押さえつけられ、兄の足元にひれ伏すよう強制された。

 兄が悪いわけじゃない。分かっていても、幼い頃から積み重なってきた不満はずっと心の底にずっと残っていた。


「何十年も前のことだ。自分でもそれなりに折り合いをつけているつもりでいたんだ。だが兄が倒れて、危ないかもしれないと聞いた途端、あの頃の記憶が甦ってきた」


 押さえつけられ、歪められてしまった自分の人生。

 兄さえいなければ、もっと違う生き方ができていたかもしれない。

 懸命に兄を支え続け病院をここまで大きくしたのに、病院を継ぐのは兄の子供だ。

 これだけ尽くしてきたのに、自分の手にはなにも残らない。


 自分の人生は損ばかり。

 この年齢では、もう取り返しがつかない。


 大叔父は突然の喪失感と虚無感に襲われたのだという。


 そして、取り返しがつかないのなら、せめて少しぐらい憂さ晴らしをしてもいいだろうと、祖母の不安を煽るようなことを言ったり、祖父を案じて帰省した父に酷い嫌味を言ったりしたのだという。

 だが、そんなことでは気は晴れなかった。

 鬱々した日々を送っていた時に、私達一家が帰省していることを耳にした。

 そして事件は起きたのだ。


「本当にすまなかった。こんなことを言っても信じてもらえないかもしれないが、あの頃の私はどうかしていた。君みたいな子に、暴力をふるうなんて……」


 大叔父は自分の手の平をじっと見つめた。

 その手の平には、所々にまだ澱みがくっついている。


 ――あれが、私にもくっついていたんだ。


 あの真っ暗な蔵の中でのことを思い出す。

 知らず知らずのうちに大叔父からくっつけられてしまった澱みの影響で負の感情が湧いて、もう少しで父を恨んでしまいそうになったことを……。

 私は澱みの存在を知っていたから、なんとか自分を保つことができた。


 大叔父がおかしくなったのは、たぶん祖父の病気をきっかけに長年抱き続けてきた不満が変質して澱みになったせいだ。

 自分の中から湧き出てくる負の感情を自覚することができずに溢れさせ、飲み込まれてしまったんだろう。


 でも今、大叔父は澱みから解放されつつある。


 きっかけさえあれば、負の感情を自力で振り払うこともできるのだ。

 それは嬉しい発見だった。


「大叔父さんは、いつ自分がおかしくなってたかもしれないって気づけたの?」

「兄が……君のお祖父さんが、私のことを最後まで信じていてくれたと聞かされたときだよ」


 ――なにかの間違いだ。泰二がそんなことをするはずがない。


 大叔父を釈放しろと、祖父が警察にごねていることを検事から聞かされたのだそうだ。

 そして大叔父が罪を認めたことを知らされた時、誰よりもショックを受けて悲しんでいたことも……。


 ――お前が苦しんでいたことに気づいてやれずに悪かった。常に黙って支え続けてくれたお前に、俺は甘えすぎていたんだな。


 面会に来た祖父に泣きながら謝罪されて、大叔父は完全に目が覚めたのだそうだ。


「私が憎かったのは、幼い日の私を押さえつけた大人達だ。兄じゃない」


 大叔父の憎しみの対象は、父親や叔父達。

 だが、その人達はすでに高齢でほとんどが鬼籍に入っている。

 復讐も謝罪も、もはや手遅れだ。


「過去の妄執に囚われて、なにもかもを失ってしまったよ」


 自嘲気味に大叔父が笑い、その顔にくっついた澱みが、もぞっと蠢く。

 それを見た私は、慌てて言った。


「そんなことない! 私のところに謝りに来てくれた人達は大叔父さんのことを凄く心配してるよ。お祖父ちゃんだって大叔父さんのことを気にかけてた。自分から離れちゃ駄目!」


 ここで大叔父が勝手に孤独に陥ってしまったら、きっとまたあの澱みは増えてしまう。

 それは絶対に駄目だ。

 今もまだ大叔父を心配している人達の為にも、負の感情に再び捕らわれるようなことは避けなければ。


「……ありがとう。謝るつもりが、励まされてしまったな」

「当然だ。うちの娘は天使だからな」


 複雑そうに苦笑する大叔父に、父がなぜか威張る。

 そして、一転して真顔になって言った。


「だが覚えておけ。俺はあんたを許さない」

「わかっている」

「これから先、娘の心に傷を残すような真似はしないでくれ。……ついでに、親父にもこれ以上のショックを与えるな。また倒れられると迷惑だ」

「……ああ。本当にすまなかった」


 大叔父がまた深々と頭を下げる。

 やがて短い面会時間が終わり、私達一家は拘置所を後にした。



「大叔父さん、どれぐらいの罪になるのかな。署名活動とかして罪を軽くしてもらうことってできる?」


 帰りの車の中で私がそう聞くと、父は「ちっ」と舌打ちをした。 


「ったく。言うと思った。だから会わせたくなかったんだ。……署名活動なんかしなくても、被害者であるこっちが告訴を取り下げれば釈放されるぞ」

「じゃあ――」


 そうしようよ、と言いかけて、私はぱくっと口を閉じた。

 それは駄目だ。私が言っていいことじゃない。


「許してあげたいのか?」

「……うん。澱みも消えかけてたし、もう悪いことはしないと思うから……。でも、お父さんとお母さんの考えを優先してくれていいよ。今度のことで一番辛い思いをしたのはふたりだし……」

「もう、芽生ちゃんったら……」

「その頭の傷跡、一生残るんだぞ。これから後遺症が出てくる可能性だってあるんだ。それでもいいのか?」


 溜め息交じりの父の言葉に、私は思わず毛糸の帽子越しに頭の傷跡を押さえた。

 そう。私の頭には怪我の傷跡が残っているのだ。

 けっこう大きめなハゲとなって……。

 今は髪が短いから特に目立つ。

 もう毛糸の帽子が手放せない。


「……よくない。でも、ハゲは髪が伸びればきっと隠せるから……」


 隠せるよね? ね? ね? と私がしつこく聞くと、両親は苦笑しながら頷いてくれた。

 その後、父は溜め息交じりに「少し考えさせてくれ」と言った。




 結論から言うと、大叔父への告訴は取り下げることになった。

 だが、私が一ヶ月眠っている間にすでに起訴されていたので、減刑されて執行猶予つきの判決となった。

 無罪とはならなかったが、両親の気持ちを思えばそれでよかったんだろうと思う。

 ちなみに、私に後遺症が残る可能性があるからと、それなりに示談金もふっかけたようだ。

 そのお金で、頭の傷跡――ハゲを消す手術もできるぞとも言われた。

 凄~く心惹かれたが、また髪を剃られたり手術するのは怖い。

 泣く泣く断念した。

読んでいただきありがとうございます。


次話は、帰宅。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ