大叔父のこと 2
一ヶ月寝たきりだった間に、かなり体力が落ちていた。
自分的には一晩寝て起きただけの感覚だから、思うように動かない自分の身体に苛立つ。
普通に立ち上がるにも一苦労で、最初のうちは車椅子や歩行器を利用して移動していた。筋力が落ちただけじゃなく、関節が強ばってしまっているせいだとリハビリの先生には言われた。
「それでも芽生ちゃんはかなりマシなほうだよ。お母さんのお陰で関節があまり錆び付いていないからね」
母はリハビリの先生に相談して、ずっと寝たきりだった私の身体のケアをしてくれていたのだそうだ。
床ずれができないよう数時間ごとに体位を変えたり、関節が強ばらないように動かしてくれたり。たまに祖母や叔母が交代してくれてはいたようだけど、ほとんど泊まり込みで付き添ってくれていたのだとか。
私には想像することしかできないけれど、いつ意識が戻るかわからない、終わりの見えない介護はきっと本当に大変だっただろう。
どんなに感謝してもしたりないぐらいだ。
シモの世話をされたことを恥ずかしいだなんて言ってる場合じゃない。……いや、やっぱり恥ずかしいけど。
諸々の検査とリハビリに追われる入院生活だったが、それ以外の時間はずっと勉強していた。
「学校からは、留年を考えてみてはと言われてたんだ」
私の意識がこのまま戻らない可能性があることを父が報告した際に、担任からそう言われたのだそうだ。
担任としては、学校のことは気にせずにゆっくり身体を癒すことに集中して欲しいという親切心からの言葉だったのだろう。
だが、私にとってはとんでもない話だ。
だって、なにがなんでも都子ちゃん達と一緒に進級したい。
ひとりだけ一年生をもう一回やるなんて絶対に嫌だ。
それに実際に留年する人は滅多にいないとも聞いている。大抵は留年せずにそのまま退学してしまうらしい。気持ちはわかる。年下の子達に囲まれて学校生活を送るのは、やっぱりハードルが高い。
とにもかくにも留年はなしの方向で頑張ることになった。
幸いにも出席日数は足りている。
問題は成績だ。
順調に行けば十二月には学校に復帰できる予定だが、十二月の頭には期末試験がある。
すでに二学期の中間テストは終わっているので、進級する為にもここである程度の成績を収める必要がある。
だから私は必死で頑張ることにした。
教材は父が東京から持ってきてくれた教科書一式と、都子ちゃん達が皆で用意してくれた授業のノートだ。
「芽生が目覚めた時に必要になるだろうからって、ずっとデータを送ってくれてたんだ」
「芽生ちゃんの意識がいつ戻るかわからないって話はしてあったのにね」
つまり皆、私が戻ると信じてくれていたってことだ。
それならば、私もここで頑張って、皆の元に戻れるようにしなくては。
そう決意した私は、そりゃもう頑張って勉強した。
一人でわからないことは(母に聞こうとするとすいっと視線を反らされて逃げられるので)、看護師さん達や次晴叔父さんに聞いた。
いつもだったら三十分も勉強すれば飽きてしまうけど、さすがに崖っぷちだけあって、少し目を休めたらと母から止められるぐらいには頑張った。
事件の際に大叔父に取られた私のスマホは壊されてしまったそうで、父が新しいスマホを用意してくれていた。
目覚めた翌々日には、そのスマホで都子ちゃん達に直接連絡を取ることができた。
私としては誘拐されてから数日しか経っていない感覚だったので、「ノートありがとー」と、いつものように話し掛けたのだが、向こうからすればもしかしたら二度と元通りには戻らないと覚悟していた訳で、いきなり泣かれたり、怒られたりしてそりゃもう大変だった。
でも、私という存在に心を動かしてくれる人達がいる。
そのことが身に染みて感じられて、とても嬉しかった。
検査とリハビリと勉強と、慌ただしく日々は過ぎ、当初の予定より少し遅くなったものの退院の日を迎えた。
勉強をたくさん教わった看護師さん達から花束を貰って、次晴叔父さんの家に戻った。
そこでは私より先に退院していた祖父とぴーちゃんが、次晴叔父さんの家族と共に出迎えてくれた。
祖父は私が目覚めたことで少し元気を取り戻してくれたようで「ひとりで歩けるようになったんだな」と笑顔だったが、ぴーちゃんはかなりご機嫌ななめだった。
私に向かって何度も、カッ! と空気砲を打ち、ずっと後ろをついて回って、にゃごにゃごとなにか文句を言い続けている。
――もう、ホントに間抜けなんだから! 余計な心配かけるんじゃないわよ。ちょっと警戒心が足りなすぎるんじゃないの?
たぶん、こんな風にくどくどとお小言を言ってるんだろうなと予測して、せっせとブラッシングしたりお刺身を分けたりしてご機嫌をとっておいた。
次晴叔父さんの家でもやっぱり勉強漬けの日々だ。
すっかり衰えてしまった筋力を取り戻すための一環として、リハビリがてら散歩もしていた。
あんなことがあったにも拘わらず、一人でふらふら散歩に出掛けようとしたのを見つかって、従兄弟の湊人から泣いて怒られたこともある。
私が誘拐されたあの日、叔母から付き添うように言われたのを断ったことを、湊人がずっと後悔していたと後で母に聞かされた。
もう少しで従兄弟に一生物のトラウマを背負わせるところだったのかと、さすがに脳天気な私も反省して、その後はちゃんと誰かに付き添ってもらって散歩するようになった。
「本当にもう秋になっちゃったんだねぇ」
「風もすっかり冷たくなったものね」
外を歩く度、季節が変わったのを実感する。
こちらに来た時に持ってきた服はもう着られないので、女の子に飢えていた叔母や祖母が競って購入してくれる秋物の服を着ている。
妙にファンシーな花模様やひらひらした服ばかりで、ちょっと私の趣味ではないのだが、たくさん心配をかけたお詫びのつもりで文句を言わずに着ている。
ぶっちゃけた話、まだまだ髪の毛が短く常に帽子を被っている今の私は、凹凸が乏しいこともあって男の子みたいで、ひらひらした服はあまり似合っていないのだが……。
次晴叔父さんの家で一週間過ごした後、東京に戻っても大丈夫だと主治医にやっと許可をもらった。
さっそく東京に帰ろうと張り切っていたのだが、祖父に待ったをかけられた。
「こんなことを頼むのは間違ってると分かってはいるんだが……」
大叔父に面会して欲しいと祖父に頼まれた。
この一ヶ月でどういう心境の変化があったのか、私に直接謝りたいと大叔父が言っているらしい。
「許さなくともいい。ただ、あいつに頭を下げる機会をやってくれないか」
この通りだと、祖父に頭を下げられた。
正直言って、大叔父にというよりも、澱みまみれの真っ黒な人には可能な限り会いたくない。
幼稚園時代、真っ黒な人があの男の子から明日の約束を奪った時から、私にとって真っ黒な人は恐怖と嫌悪の対象だったから……。
だから今までだってなるべく関わり合いにならないようにしてきた。
運悪く係わってしまった時も、たいていは警察沙汰を起こして世間から排除されるから、それで終わりになっていた。
でも、今回の件は違う。
親戚だから、警察に捕まったとしても完全に縁を切ることはできない。
それに祖父に頭を下げられてしまっては嫌だとも言えなかった。
「両親と一緒でいいなら会うよ」
「そうか。すまんな」
私がそう言うと、祖父はホッとしたようにまた頭を下げていた。
母はずっと療養中の私に付き添ってくれていたが、仕事がある父はこの間ほとんど東京で過ごしていた。
私の帰還の許可が出たことで大喜びで迎えに来てくれたのだが、この話を聞いて本気で怒った。
「芽生は殺されかけたんだぞ! なんであいつに会わせなきゃならないんだ!」
絶対に駄目だと祖父に反対してくれた。
私の為に怒ってくれているのが分かるから凄く嬉しい。
それでも私は、本気で祖父を怒鳴る父を必死で宥めた。
「私なら大丈夫だから、一度だけ会ってみるよ」
「だが怖いだろう? 芽生は被害者なんだ。泰二叔父さんの罪悪感の解消につき合ってやる必要はない」
「怖いけど、お父さんが一緒なら我慢できると思う。それに、このままだとお祖父ちゃんが可哀想だし……」
祖父は、大叔父が自分の不幸を望んでこれだけのことをしでかしたのだと知っても、大叔父を見捨てることができなかったのだ。
咲希ちゃんの父親が、自分を詐欺被害に遭わせようとした友人を切り捨てることができなかったように……。
咲希ちゃんは、そんな父親の行動を無理に止めようとはせず、冷静に見守っていた。
私に同じことができるとは思えないけれど、それでもやはり一度ぐらいは会って確かめてみたかった。
「大叔父さんが本気で反省してるのか確認しておきたいの」
まだ入院している間、大叔父絡みの面会者が何人か来た。
大叔父の身内や友人、部下達だ。
彼らは皆、大叔父の行為は決して許されないことだと認めていた。
その上で、大変申し訳ないことをしたと、大叔父の代わりに私に謝罪してくれたのだ。
それと同時に、普段はとても温厚でこんなことをするような人じゃないのだとも言っていた。自分達もいまだに信じられない気持ちでいるのだと……。
私に対する彼らの言動はとても紳士的で、そんな彼らが慕う大叔父の普段の人柄が分かるような気がした。
もちろん、そんなのはただの外面で、いい人ぶって本心を隠して生きてきただけかもしれない。
それでも、妬まれ憎まれていたのだと知っても大叔父を見捨てられずにいる祖父を見ていると、嘘ばかりではないのではないかとも思えてくる。
だから、祖父のためにも一度確認してみたかったのだ。
大叔父に直接会って話してみたところで、私に確認できるかどうかわからない。
でも、もしも本当に反省しているとしたら、大叔父から滲み出ている澱みに何らかの変化があるような気がする。
私にとってそれはひとめ見ればわかることだ。
もしも以前とまったく変わっていないようだったら、そのまま回れ右して面会室から逃げればいい。
そんな風に説得すると、こんな時でも私に甘い父は渋々ながら許してくれた。
「だが、ちょっとでも芽生の様子がおかしくなったら、すぐに連れ出すからな」
いきなり殴られたり暗闇に閉じ込められたことが、私のトラウマになっているのではないかと、父は心配してくれているらしい。
私以上に私のことを心配してくれているのだ。
「わかった。お父さんと一緒なら安心だね」
私は嬉しくてにっこりした。
読んでいただきありがとうございます。
次話は、面会。




