目覚めのこと 2
「暗闇の中で一昼夜ひとりきりだったんだ。あまりにも怖すぎて記憶が飛んでしまったんだろう」
私の時間感覚が狂っていたことを、父はそんな風に解釈したようだ。
私の手を取り、「可哀想に……。もう絶対にあんな怖い目には遭わせないからな」とさすってくれる。
「……ありがと。でも、記憶が飛ぶほどの怖い目に遭った覚えがないんだけど……」
「忘れているだけだ」
「孝俊さん、待って。――ねえ、芽生ちゃん。お母さん達が助けに行った時、ワンタンスープを食べたいって言ったことは覚えているのね?」
「うん。ワンタンスープなら、つるんとしてて食べやすいでしょ」
「他になにを覚えてる?」
母に聞かれて、私は覚えていることを話した。
拳骨を振り上げる美結を都子ちゃんが必死で抑えていてくれたのを見て、ちょっと笑っちゃったこと。
そして、文句をいいながら手に頭をこすりつけてきたぴーちゃんの柔らかな毛並み。
「ぴーちゃん、今どこにいるの?」
「次晴叔父さんの家よ。皆から可愛がられて、すっかり天狗になってるわ」
「へそ天で寝てるぞ」
「都子ちゃん達が連れてきてくれたんだよね」
「そうよ」
ぴーちゃんを連れての長距離移動は大変だっただろうなと考えて、私はやっと実感できた。
「そっか……。ホントに一日経ってたんだ。うとうとした程度だと思ってたのに……」
一、二時間で東京から九州の叔父の家まで移動することなんてできない。
確かに私はあの蔵の中で一昼夜を過ごしていたのだ。
「本当に救助された時の記憶があるみたいだな。医者は、あの怪我で一日放置された状態で意識が戻るわけがないと言ってたんだが……」
頭の怪我の状態から脳にダメージがあるのは確実だと医者は言っていたのだそうだ。
「とにかく詳しく話してみろ。最初からな」
「わかった。――あのね。夕食まで時間があったから、ひとりで散歩してたんだよ」
私は父に言われるまま、あの日の出来事を話した。
ひとりで散歩に行って、写真を撮りまくって皆とトークアプリで話をしていたこと。
そして車が停まり、澱みまみれの黒い人が降りてきたこと。
「……犯人……大叔父さんって捕まったんだよね?」
昨日、祖父がすまなかったと謝っていたのは、たぶん大叔父が犯人だと分かったからなんだろう。
私がそれを確認すると、父は頷いた。
「ああ。捕まってる。……それに関しては後で話すよ。続きを頼む」
「うん。それでね。私、澱みまみれの人にびっくりして怖くて、逃げそこねちゃったの」
黒い人だって事にばかり気を取られて、大叔父が棒を持っていることにすら気づかなかった。
ただ手をあげただけだと思っていたから、まったく防御できないまま思いっきり頭を殴られてしまったのだ。
そして、次に起きたら蔵の中。
そこでの会話で、犯人が大叔父だと気づいた。
「ほら、真っ黒で顔が見えなかったから……。年齢も、声とか口調で想像することしかできなかったし……」
そういう意味では、すでに大叔父が捕まっていて良かった。
顔写真を見せられたとしても、私には犯人を言い当てることはできないのだから。
「蔵の戸を閉められたら、完全に真っ暗になっちゃったんだよ。生き物とかなにもいないみたいで、光も見えなかったし……。真っ暗でちょっとパニクっちゃった」
澱みがくっついて、感情が悪い方に歪みそうになった話はあえてしなかった。
澱みの影響とは言え、もう少しで父を嫌いになりそうだったなんて話したら、きっと父に大ダメージを与えてしまうだろうから。
「とりあえず三日頑張ろうって思ったの。そうしたらきっとお父さんが迎えに来てくれると思ったから……。頭は痛いし、暗くて怖くて心細くてね、負けるもんかって頑張ってたら光が見えたの」
「蔵の中になにか生き物がいたのか?」
「植物だよ。外から迷い込んできたみたい。植物はお母さんの友達だから、知り合いに会えたみたいで嬉しかった」
だから、植物の白金の光が入ってきた所に移動して、光がふわふわと浮き上がってくる度に話し掛けた。
「どんな話をしたの?」
「都子ちゃんとボーリングに行く約束をした話とか、杏ちゃんにテニスを教えてもらう予定だとか……。これからのことを話したの。どんどん頭の痛みが酷くなってきたときは、泣き言も言ったかも……」
お家に帰りたいと子供じみたことを言ったのは内緒だ。
「そんなこんなしてる間に光が増えてきてね。明るくなってきて嬉しかった。もっと楽しいお話をしてって言われてるような気がしたから、色々話をしてたんだけど、なんかどんどん眠くなって来ちゃって、ちょっとうとうとしたの。で、名前を呼ばれたような気がして目を開けたら、お父さんとお母さんがいたんだよ」
「うとうとして丸一昼夜か……」
有り得ないと父が言うが、私の体感的にはそうなんだから仕方ない。
一方、母は「きっとそれね」と、なにかを納得したように頷いていた。
「なに?」
「きっと植物達が助けてくれたのよ。ほら、城崎さんも言ってたでしょう?」
「城崎さん? 来てくれたんだ」
「ああ。叔父さんの犯行動機を探ってもらったんだ」
大叔父は逮捕された後も、頑なに口を閉ざし動機を隠し続けていたらしい。
そこで父はサイコメトリーのような力を持っている城崎さんを呼んで、犯行現場の空気を読んでもらったのだそうだ。
そして私が誘拐された場所で力をつかった結果、犯行動機を知ることができた。
「だが蔵の中では読めなかったんだ」
「……私の泣き言ばっかりだった?」
「いや、それもない。ただ、あの蔵の中には、誰のものかわからない友愛や慈しみ? みたいな優しい感情が満ちていたそうだ。それを聞いたとき、俺はぴーちゃんや都子ちゃんの感情が強く残ってたんだろうと思った」
ぴーちゃんは神使っぽい猫だし、存在感ありありの苺ちゃん達を排出する都子ちゃんの精神力は他の人達よりきっとずっと強い。
そのせいで場に強く意識が残ることもあり得るのかも知れないが、それをいったら父の光のほうが大きいのだ。父の感情のほうが強く残るのではないだろうか?
「だが、夕香はずっと違うと言っていた」
「もしもその場に残っていたのがぴーちゃんや都子ちゃんの感情だったとしたら慈愛ではなく、私達と同じで安堵や喜びでしょう? ずっとおかしいと思っていたのよ。城崎さんが読んだ感情が植物たちのものだったとしたら、あの異変の説明もつくわ」
「異変ってなに?」
私が聞くと、父はちょっと困った顔になった。
「この話が広まると、どういう風評被害が発生するかわからないから、一応口止めして世間にはあまり知られていないんだが……。芽生が閉じ込められた蔵の周囲はちょっとした林になってるんだ」
昔、ご先祖様が暮らしていた家があった場所で、その周囲をぐるりと取り囲むように木々が沢山植えられているのだと父が教えてくれる。
そして、その木々が、私が救出された翌日には全て枯れてしまったのだと……。
「……全部?」
「ああ。今回の件ですっかり気弱になった親父は、ご先祖様が怒ってるんじゃないかって言ってるよ」
現場検証に来た警察も異常に気づき、なんらかの薬剤がまかれたのではと調査したようなのだが、なにも見つからなかったのだそうだ。
「きっと一度目の生き霊騒ぎの時と同じなのよ。植物達が助けてくれたの」
「それで、みんな枯れちゃったの?」
暗闇の中、次から次へとふわふわ浮いてきた大量の白金の光。
明るくて心強くて嬉しかったけれど、冷静に考えればあれはおかしかった。
植物達の光は人間のそれと違って、くるくるっと動き回ったりしない。その場にふわふわと浮き上がってくるだけだ。
それなのに、あの時は私の周囲に沢山集まってくれていた。
きっと、それだけでもかなりの無理をしていたんだろう。
「安心しろ。完全には枯れてない。弱ってるだけだ。夕香の見立てでは一時的なものだそうだ。鉢植えと違って、大地に根ざしてる分生命力が強いんだ。来年にはまた再生する」
「ほんと?」
母に聞くと、「本当よ」と深く頷いてくれた。
「植物達は、芽生ちゃんの命を守るために力を使ってくれたんじゃないかしら」
「冬眠というか、状態維持か。丸一昼夜、芽生の時間を止めて怪我が悪化するのを防いでいてくれたってことか。それ以外に、あの怪我で一昼夜放置された芽生に、後遺症が残らなかった理由も思い当たらないしな」
「そんなことできるの?」
また母に聞くと、母は困ったように首を傾げた。
「お母さんにははっきりとはわからないわ。生き霊騒ぎの時のあれも、はじめての現象だったんですもの。でも彼らが教えてくれたから、芽生ちゃんの居場所を知ることもできたのよ。なんらかの力が働いたのは確かだと思うの」
「私が蔵にいるって植物達が教えてくれたの? どうやって?」
「葉を揺らしてくれたのよ」
ちょうど私が誘拐された地点にいた母は、風もないのにサワサワと揺れる葉の動きで私がいる方向を知ることができたのだそうだ。
広い畑の植物達が一斉にサワサワ動き出す様を想像して、私は思わず鳥肌を立てた。
凄いけど、夜だったらちょっと怖い光景だろう。
「お母さんが私の無事を祈ってくれたから、きっと植物達も私を助けてくれたんだね」
ありがとうとお礼を言うと、母はちょっと困った顔で微笑んだ。
「場所を特定できたのは確かに私が願ったからでしょう。でも、芽生ちゃんが助かったのは、芽生ちゃん自身がそう願ったからじゃないかしら」
「へ?」
「植物は私達みたいに深くものを考えたりはしないものよ。思考能力があったら、芽生ちゃんが攫われた時点できっと私に教えてくれるもの」
言われてみれば確かにそうかもしれない。
「芽生ちゃんの居場所が分かったのは、私が芽生ちゃんの居場所を教えてと声に出して願ったから。芽生ちゃんが助かったのは、芽生ちゃん自身が願ったからじゃないの」
「私が?」
「そうよ。声に出して、なにか願わなかった?」
「あの時……」
怪我の痛みが増してきて、このまま死ぬんじゃないかと恐怖を感じた時。
お家に帰りたいと言った以外に、なにを言ったっけ?
「……死にたくないって言ったかも……。頭がズキズキ痛くて、怠くて身体が動かなくなってきて、このまま帰れなくなるんじゃないかって怖かったから……。だから、死にたくないって……」
植物達は、そんな私の呟きに応えてくれたのだろうか?
私が死なないよう、私の時間を止めて。
でも私には、母のような翠の指の力なんてないはずなんだけど……。
思わず考え込んでいた私は、ぎゅうっと強く父に手を握られて思わず悲鳴をあげた。
「お父さん、痛いっ!」
「ああ、ごめん。ごめんな。痛くて怖かったよな。お父さんがもっと早くに叔父さんの異常に気づいてればこんなことにはならなかったのに……」
父は、摑んだ私の手を額に押し当てて俯いてしまった。
その背中が微かに震えていて、父が泣いているのが分かった。
「お父さん、泣かないでよ。ほら、もう大丈夫。私、元気だよ?」
「うん。そうだな。そうだ……。治って……よかった」
「本当に……。ずっと、目を覚ましてくれただけで充分だと思おうとしてきたけど……こうしてまた芽生ちゃんとお話できるようになるなんて……」
本当に良かったと言う母の声も鳴き声だ。
「嫌だ。二人とも、泣かないでよう」
父に摑まれていない手をなんとか動かして、父の頭をよしよしと撫でてみる。
慰めたつもりだったのに逆効果だったようで、父の震えが大きくなってしまった。
それを見た母も涙が堪えられなくなったのか、ハンドタオルで顔を隠してしまった。
そして私は、やっと本当に一ヶ月経ってしまったことを本当に実感した。
私にとっては誘拐されてからまだ数時間しか経っていないけれど、両親にとってはもう一ヶ月もう経っているのだ。
誘拐されてから発見されるまで一昼夜、そして私がぱかっと目を開けるまで二週間、さらにこうして意識が戻るまで三週間。
その間、両親は、もしかしたら二度と私の意識は戻らないかもしれないという不安と、ずっと戦ってきたのだろう。
溺愛されている自覚があるだけに、両親がどれほど苦しんで悲しんだか想像に難くない。
「ごめん……心配かけてごめんね」
「芽生ちゃんは謝らなくていいのよ」
「そうだ。芽生は悪くない。悪いのは、危険に気づかずにいたお父さんだ」
「そんなこといわないで……。お父さんは悪くないんだから」
あの暗闇の中、身体にくっついていた澱みに負けなくてよかった。
負けていたら、きっと迎えに来てくれた父に酷いことを言ってしまっていただろうから……。
「お父さん、迎えに来てくれてありがとう。私ね、暗闇の中でずっとお父さんとお母さんが迎えに来てくれるって信じてたよ。本当に迎えに来てくれた時は、ヒーローみたいだって思ったんだから……」
「そうか……。信じてくれてありがとうな」
俯いたまま、父が言う。
「ううん。……助けてくれてありがと。お母さんもワンタンスープありがとね」
さっき食べたワンタンスープがまだほっこり身体を温めてくれている。
父に強く摑まれたままの手は熱いぐらいだ。
両親の温もりに本当に助かったんだと実感して安心したせいか、私もなんだか泣けてきた。
読んでいただきありがとうございます。
次話は、崖っぷち。




