目覚めのこと 1
目覚めてすぐ、私はパニックになった。
「……っ」
見知らぬ天井、拘束されているのか軋んで動かない身体。とっさに声を出すことすらできない。
なにが起きているのとパニックを起こした私だったが、その直後にすとんと落ち着いた。
目の前を母のライムグリーンの光が楽しげにくるくるっと踊りながら漂い、母ののんびりした鼻歌も聞こえてきたからだ。
鼻歌の聞こえるほうにゆっくり首を傾けると、ソファに座ってせっせと編み物をしている母の姿が見えた。
と同時に、私の身体に繋がった点滴も見える。
それで私は、ここが病院であることに気付いた。
しかも今いるこの部屋は、どうやら祖父と同じ特別室だ。
でも、なんで入院する羽目になってるんだろう?
記憶がはっきりしない。
ぼんやりしながら編み物を続ける母を眺めていると、視線に気づいた母が顔を上げ、おっとりと微笑みかけてきた。
「目が覚めたのね。今日のご機嫌はいかが?」
「……びみょう」
一度咳払いしてから少し掠れた声で答えると、母はびっくりして目を見開いた。
「芽生ちゃん、お母さんがわかるの⁉」
「わかるよ。なんでそんなこと聞くの? ねえ、なんで私入院してるのかなぁ?」
今すぐ起き上がりたいのに、軋む身体が言うことを聞かなくて、私はベッドの上でじたばたした。思うように動けなくてもどかしい。
祖父と同じ病院なのだから、ここは九州なんだろう。
なにが起きてこんなことになったんだっけと悩んでいる間に、私が目覚めたことを母がナースコールで知らせて、医者や看護師さん達がバタバタと病室に駆け込んできた。
「ああ、無理に動かないで」
挨拶しなきゃと起き上がろうとする私を医者が止める。
その後、目に光を当てられたり、名前や生年月日を言わされたり、身体中を尖ったもので突かれたりと色んな検査をされた。
そして医者は困惑した表情で私に言った。
「今のところ異常は見られない。これは奇跡だよ」
「……えっと……?」
なにがなんだかわからない。
救いを求めて母に視線を向けると、驚いたことに母はぼろぼろと涙を零していた。
「お母さん、どうしたの?」
「嬉しいのよ。元通りの芽生ちゃんが戻ってきてくれたから……」
意味が分からず首を傾げていると、検査中ずっと介助してくれていた若い看護師さんが微笑んで言った。
「芽生ちゃんの意識が一ヶ月ほど戻らなかったから、ずっと心配なさってたんですよ」
「一ヶ月っ⁉」
私はそんなに寝ていたのか。
驚きつつも、どうりで身体がうまく動かせない訳だと納得していると、車椅子の祖父が祖母と共にやってきた。
「芽生、目が覚めたか」
「うん」
「そうか……よかった。よかったな」
「ありがと、お祖父ちゃん」
笑いかけると、祖父はくしゃっと歪めた顔を両手で覆ってうなり声をあげた。
「……すまなかった。もっと早くにあれの気持ちに気づいていれば、こんなことにはならなんだ」
「お祖父ちゃん?」
すまなかったと車椅子の上で謝り続ける祖父は、以前より随分痩せたように見える。
「なんでお祖父ちゃんが謝るの?」
祖父にそう聞きながら、同時に自分でも思い出そうとして記憶を探っていると、ふと真っ黒な人が目の前に立っているビジョンが脳裏をよぎった。
「そっか……。私、なぐ……られて……」
「芽生ちゃん?」
「や……や……ひっ!」
振り上げられる腕、頭に受けた衝撃。
記憶が戻ると同時に、その瞬間感じたショックまでもが鮮やかに甦ってきて、私は再びきゅうっと気を失ってしまっていた。
次に目覚めると、目の前には父のドアップ。
「……お父さん、おはよ」
私が挨拶すると、父は嬉しそうに破顔した。
「やあ、天使のお目覚めだ」
「芽生ちゃん、おはよう。気分はどう?」
父の脇から母も顔を出す。
「……よくわかんない。今って朝なの?」
「そうよ。昨日、気を失ったのが午後四時ぐらいで、今は翌日の午前九時」
「日にちは?」
「二十五日よ」
「九月の?」
「……いいえ。十月よ」
「十月……。本当に、あれから一ヶ月も過ぎちゃったんだ」
一ヶ月間意識がなかったのだと昨日目覚めた時にも言われたが、どうにも実感がない。
私の感覚では、ついさっき両親に助け出されたばかりのような気がしているのに……。
「お腹空いたんじゃない? スープがあるけど食べる? 水のほうがいいかしら」
「スープ食べる!」
スープと聞いて、くうっとお腹が鳴った。
まだうまく身体を動かせない私の為に、母がとろとろに煮込んだ野菜スープをスプーンですくって口に運んでくれる。
「美味しい」
「そう、よかった」
保温容器に入れられたスープはちょうど良い温度で、お腹からほっこり身体を温めてくれた。
もっととパカッと口を開けると、もうひとすくいスープが口に運ばれる。今度は小さめのワンタン入り。
「嬉しい。食べたいって言ってたの覚えててくれたんだ」
「そうよ。芽生ちゃんがいつ起きてもいいようにずっと用意してたんだから」
ワンタンをうまうまつるんと呑み込んでから、ちょっと不安になった。
「私、一ヶ月寝込んでたんだよね? 固形物を食べてもいいのかな」
「それなら大丈夫だ。ここ最近は、点滴だけじゃなく自分でも食ってたからな」
「?」
父が言うには、私は怪我をしてから二週間後には目を覚ましていたらしい。
だがぼけっと光を目で追うばかりで、話ができるような状態ではなかったのだそうだ。
「でもね、食べ物を口元に運ぶとパカッと口を開けてくれたのよ。雛に餌をあげているみたいで楽しかったわ」
美味しい物を食べるとにこにこ笑ったりして、なかなかの食欲を見せていたらしい。
しっかり食べていたのならきっと回復も早いはず。
少しほっとしたが、同時に違うことにも気がついた。
……食べたのなら、出したはず。
仕方ないこととは言え、意識がない間、ずっと母や看護師さん達のお世話になっていたのかと思うと羞恥心でどうにかなりそうだ。
恥ずかしすぎて当分の間この話題には触れられそうにないが、退院するまでにはお世話になった人達にお礼を言っておかなくては心にメモをとる。
「あー、美味しかった。ありがと」
「どういたしまして」
食べ終わると、口元まで拭かれた。
赤ちゃんみたいでちょっと恥ずかしかったが、母が凄く嬉しそうなのでされるがままだ。
「さて、芽生。今日は午後から警察の人が話を聞きにくるんだが、その前に少しお父さんと話をしようか。――事件のこと、どこまで覚えてる?」
「たぶん、全部覚えてると思うよ」
「そうか。……怖いことも全部思い出しちゃったか」
よしよしと父が私の頭を撫でようとして手を伸ばしてくる。
私は慌ててその手を止めた。
「駄目。私、頭に怪我してたよね?」
「ああ、それならもうほとんど治ってるぞ」
「そうなの?」
「芽生が寝ている間に抜糸もすんでる」
治療に伴う痛みを感じないまま治ってしまったのなら、それはそれでラッキーだったんだろうか。
恐る恐る頭に触れた私は、指先に感じるざりっとした感触にそのまま硬直した。
「か、か、か、かみ……髪が……」
「あー、それな。救出された時、血とホコリで汚れていただろう? 傷にバイ菌が入ってもマズイし、治療の邪魔にもなるから手術の前に丸刈りにしたんだ」
「大丈夫。すぐに伸びるわ。短いのが恥ずかしいなら、ほら、これ。色んな色で帽子を編んであるのよ?」
「俺とお揃いのもあるんだぞ」
寒くなれば傷跡が痛むこともあるだろうと、せっせと母が編んでくれていたらしい。
ありがたいけれど、髪を失ったことがショックであることには変わりない。
触った感じ、現在の長さは一センチちょい、五分刈りぐらいか。後で鏡を見るのが怖い。
「……お母さん、帽子ちょうだい」
「はいはい。どれがいい?」
「病院だし、あんまり目立たない奴」
「それなら、これね」
母は薄手の濃紺の帽子をそっと頭に被せてくれた。
「似合うぞ」
「ありがと」
帽子の上から、もう一度恐る恐る頭に触ってみた。
どこに触れても痛みを感じないのを確認して、本当にほっとした。
「ちゃんと治ってるね」
「ああ。治ってる。病院に運ばれた直後はどうなることかと思ったがな」
「……怪我、酷かったの? 私、怖くて直接触らないようにしてたから、良くわかんないんだけど」
「そうか。それで正解だ。――なにしろパックリ肉が割れて、骨が見えて――」
「あーあーあーっ!! 聞こえない聞こえなーいっ!」
そんな生々しい話聞きたくない。
私は慌てて耳を塞いだ。
「はいはい。わかったよ。とにかく酷かったんだ。開頭手術を二度もしたんだぞ。担当医はほぼ確実に後遺症が残るだろうと言っていたしな」
「……後遺症、ないよね?」
「今のところは大丈夫そうだな。だが脳をやってるから、これからも定期的に検査することになるだろう。――お父さんがもっと早くに見つけてやれてれば、こんなに長く眠ることもなかっただろうに……」
ごめんな、と父が謝る。
私は首を横に振った。
「充分早いよ。見つけてくれるまで、二、三時間ぐらいしか経ってなかったし」
「は?」
私がそう言うと、父は不思議そうな顔をした。
「待て待て。なにを言ってるんだ? 二、三時間だと?」
「そうだよ。……もしかしたら二時間経ってなかったかも。暗闇に閉じ込められてたせいで、時間を妙に長く感じた可能性もあるし」
私が話している間にも、父の顔からすうっと血の気が引いていくのがわかる。
「え? あれ? 違うの?」
なにか勘違いしているんだろうか?
困惑した私は、父と母の顔を交互に見つめながら首を傾げた。
読んでいただきありがとうございます。
次話は、すりあわせ。




