誘拐のこと 3
最初は瞼を押したせいかと思った。
だが瞼から手を離して、さっき光った場所をじいっと見ていたら、またちらっと小さな光が見えて、すぐにパチンと消えた。
「植物の光だ!」
それは白金の小さな粒のような光。
きっと蔵の近くに生えている雑草からふわふわと浮き上がってきた光が、偶然蔵の中に迷い込んできたのだろう。
心細い暗闇の中、母の友達に出会えたようで少しほっとした。
光が見えた所に行こうと、私は這って移動した。暗闇だとやっぱり平衡感覚が怪しくて、立って歩けそうになかったのだ。
しばらくその場でじっとしていると、また壁からふわっと小さな白金の粒が入ってくる。
「こんにちは」
そうっと両手で包むと同時に白金の光はパチンと弾けて消えた。
植物の光は長持ちしないから仕方ない。
でも、ここにいればきっとまたあの光に会えるのだと思うと、ちょっとだけ元気がでた。
「皆にもまた会えるよね?」
ふわふわとまた入ってきた白金の光に話しかけてみる。
父の仕事場に遊びに行って、母の美味しいご飯を食べて、ぴーちゃんと一緒に眠る。そんないつもの日常にきっと戻れるはずだ。
「そうだ。都子ちゃんとの約束もあったんだ」
夏休み、皆と遊びに行ったアミューズメント施設でボーリングをしたのだが、なんと都子ちゃんはそれが初ボーリングだったのだそうだ。当然、結果は最下位。
その後、親権問題が落ち着いたらボーリングの練習をするからつき合ってと、都子ちゃんに頼まれた。こっそり練習していつか美結達を見返してやるつもりらしい。負けず嫌いな都子ちゃんらしくて、ちょっと笑ってしまった。
「杏ちゃんと美結にも、テニスを教えてもらう約束をしてるんだよ」
テニスの点数の数え方とかいまいちわからないし、コートに引いてある線の種類も謎だから、実技の前にテニスのルールを教えてもらわなくては。
「寒くなったら……咲希ちゃんちのお店に……行く約束もしたんだ」
冬季限定のお汁粉と生姜入りの甘酒をご馳走してくれると言っていた。
テイクアウトもできるから、ご両親にお勧めしといてとちゃっかり宣伝されたりもした。
「……なんだろう? なんか……ぼうっとする」
妙に怠くて座っているのさえ辛い。
背中を壁につけたまま、私はずるっと横になった。
ズキンズキンと頭が痛む。
傷のせいで発熱もしているような気がする。
これは、ちょっとまずいかもしれない。
飲まず食わずでも三日頑張れると思っていたけれど、思っていた以上に頭の怪我が酷いみたいだ。
「お、お父さんが迎えに来るの……待ってられるかなぁ」
泣いちゃ駄目だとぎゅうっと強く目をつぶる。
それでも、もしも待てなかったら、この頭の怪我のせいで自分が死んでしまったらと考えるともう駄目だった。
両親の嘆き悲しむ姿が脳裏をよぎって胸が苦しくなる。
無駄に水分を出しちゃ駄目だと思うのに、目尻からつるんと涙が零れ落ちた。
ここがどこなのか私には分からないが、決して見つけやすい場所ではないだろう。大叔父だって自分の犯罪が表沙汰にならないように慎重に事を運んだはずだ。
それでも三日あれば、きっとなんとかなるだろうと思っていた。
だって、私達には城崎さんと茜さんという強い味方がいる。
私が攫われた場所さえ分かれば、きっと城崎さんがサイコメトリーに似たあの能力で場の空気を読んでくれる。
澱みを吹き出して真っ黒になってしまっているぐらいだ。きっと大叔父の残留思念はしっかり残っているだろう。
そして私と同じものを見ることができる茜さんは、一目で大叔父の異常性に気づいて、父に助言してくれるはずだ。
少し時間はかかっても、きっと大丈夫。
そう思っていたのだけれど……。
「……あたま痛い」
そんな私の楽観的な予測をあざ笑うように、ずきんずきんと頭の傷が痛む。腫れてきているのか、痛みの範囲がさっきまでよりずいぶんと広がってきたような気もする。
「……やだ……死にたくない。……おうちに帰りたい」
これも澱みの影響だろうか。
このまま両親に会えずに死んでしまうのではないかという悲しい想像に心が支配されていく。
大丈夫だと思いたいのに、どうしてもできない。
あまりの怠さに手を動かすのすらしんどくて、私は瞬きして目に溜まった涙を頬に逃がした。
と同時に、いつの間にか周囲が明るくなっているのに気づいた。
明かりがついたのではない。ひとつひとつは粒のように小さい植物の光が、私の顔の周りに沢山集まっていたのだ。
「もしかして慰めてくれてるの?」
私が植物たちを母の友達だと認識しているように、植物たちも私を友達の娘だと認識してくれているんだろうか。
――こいつらは全体でひとつの命みたいなもんだ。
以前、花屋の水原さんが植物たちのことをそんな風に言っていた。
家にいる植物たちの記憶がこの近くにいる植物たちにも伝わって、友達の娘が泣いていると知って皆で慰めに来てくれたのかもしれない。
そんな想像は、絶望と悲しみに覆われかけていた私の心を少し温めてくれた。
「ありがとう。……もう少し、頑張ってみるね」
目の前で、次々にふわふわ浮き上がりパチンと消えていく光に話しかける。
「諦めたらそこで試合終了だもんね。……えっと……そうだ。もうひとつ、大事な約束があったんだ」
なにか前向きになれることを考えようと記憶を漁っていた私は大事なことを思い出した。
「和也さんが、ターバンのお礼に……なにかひとつお願いを聞いてくれるって……言ってたの。……和也さんってねぇ……私の好きな……人なんだよ」
私がそう言うと、ふわふわ浮き上げってくる光の量が一気に増えた。
植物たちはコイバナが好きなんだろうか?
――まあ、それでなにをお願いするの?
次々に浮き上がってはパチンパチンと消えていく白金の光に、そう聞かれたような気がして私は答えた。
「買い物につき合ってって……頼んで、勝手にひとりでデート気分を味わおうかなって……思ってたんだけど……」
告白もせずに恋人気分だけ味うだなんて、ずいぶんと都合のいい話だと思う。
長期戦で行くんだと都子ちゃんには言ったけど、あれは半分嘘だ。
へたれで甘ったれな私には、そもそも告白する勇気なんてない。
周囲をうろちょろして、好意のおこぼれを貰えないかと期待するのが精一杯だ。
「……でも、いつか……なんて日は……もう来ないのかも……。こんな……ことになるんだったら、ちゃん……と告白しておくんだった」
年の差とか、積極的に邪魔してくる父とか、色々問題もあるから十中八九ふられることになるだろう。
でも、もしかしたら、万が一ということだってあるかもしれないじゃないか。
「そしたら、今ごろ一度くらいはデートできてたかも……」
もしかしたら。かもしれない。
未練たらたらな自分に笑えてくる。
「いまさら……後悔しても、もう手遅れなのに……」
またちょっとめそっとしたら、光が目元にふわふわと集まってきた。
――そんなことないわよ。ほら、元気だして。もっと楽しいことを考えて。
そんな風に励まされているような気がする。
「そだね……じゃあ、勝手にひとりでデート作戦は……ちょっとだけ……変更しよっかな……。どうせなら、かずや……さんにも楽しんで……ほしい……し……」
買い物じゃなく、和也さんも見たがってる映画とかに行くのはどうだろう?
ああ、でも映画だと二時間もおしゃべりできなくなるか。
だったら美術展とかどうだろう?
私もそっち方面は興味あるし、漫画家の卵の和也さんも勉強になるはずだ。
同じ絵を見て、感想を言い合って……。
うん、なんだかとても楽しそうだ。
目の前で次々にふわふわ浮き上がってくる白金の光を眺めながら、楽しい想像に私はちょっとだけ微笑んだ。
そして、やがて意識がすうっと遠ざかっていった。
ほんの少しだけ、うとうとしていたような気がする。
私は、名を呼ぶ声に目を覚ました。
「芽生!」
「芽生ちゃん!」
ああ、やっぱり迎えに来てくれた。
切羽詰まった両親の声に、心底安堵した。
抱き起こしてくれているのは父だろうか。
目覚めたのに、身体が怠くて力が入らない。
涙で張り付いているのか、瞼もなかなか開かなかった。
「芽生、わかるか?」
「芽生ちゃん、お母さんよ」
わかるよ、と答えるより前に、いつも美味しい物を食べさせてくれる母の声に反応したのか、ぐうっとお腹が鳴った。
「……おなかすいたぁ」
思わず呟いた言葉に、両親がホッとしたのがわかる。
「なにが食べたい? なんでも作ってあげるわよ」
「……んーっと」
やっぱりオムライスだろうか?
でも怠くて口を動かすのが辛そうだ。となるとここは、つるっと食べられるあれか……。
「ワンタン……スープ」
「わかったわ。芽生ちゃん……の好きな野菜スープに……入れてあげる」
「お父さんの分もやるからな」
母の声が震えている。
一生懸命力を入れて目を開けたら、やっぱり泣いていた。
「……ごめ……なさい……」
涙をぬぐってあげたいけど、腕に力が入らない。
そうこうしているうちに、なんだか近くでドタバタしている気配がした。
「お腹すいたって、なに呑気なこと言ってんの! こっちがどんだけ心配したとっ!」
「美結駄目っ! 芽生ちゃん怪我してるんだから!」
都子ちゃんと美結だ。
声のするほうに視線を向けると、拳骨を振り上げている美結と、そんな美結の腰にしがみついて必死で制止している都子ちゃんのシルエットが見えた。
「な……で?」
あのふたりがここにいるんだろう?
「芽生ちゃんを心配して来てくれたのよ」
「ふたりで、ぴーちゃんを連れてきてくれたんだ」
「ぴー……ちゃ?」
「にゃあん。なぁ~~おぅ」
もう、なにやってるのよ。心配したじゃないと鳴きながら、だらんと垂れたままの私の手にぴーちゃんが頭をこすりつけてくる。
その柔らかな感触に私は、ふふっと笑った。
今も暴れている友達のシルエットを浮かび上がらせているのは赤い夕焼け色の光。
「……おと……さん、す……ね」
こんなに早く迎えに来てくれるなんて、お父さんはやっぱり凄い。
この時の私は、誘拐されてからまだ一、二時間しか経っていないと思っていた。
都子ちゃん達が東京からここまで来る時間を考えれば、そんなはずないと気づきそうなものだが、生憎と怪我のせいでぼんやりしていたのだ。
「なんだ? 芽生、なにが言いたい?」
父の問いに答える力は、もう残っていなかった。
私は両親の温もりに安心して、そのまま意識を失った。
読んでいただきありがとうございます。
次話は、ばっさり。




