誘拐のこと 2
「え、ヤダ! なんでっ⁉」
私はおろおろと周囲を見回した。
木戸から二歩程離れ、蔵の中を上下左右ぐるっと確認したが、よほど頑丈に作られているのか光は一切見えない。
暗闇の中にぽつんとひとり、徐々に平衡感覚まで失われてきて、なんだかくらくらしてくる。
私は慌てて木戸の所に戻った。
「なんでぇ? なんでこんな酷いことするの? ここ開けてよ~」
無駄だと分かっているのに、どうしても木戸の向こうに訴えずにはいられない。
耳をすましてみたが、すでに立ち去ったのかそれとも声が外に届かなかったのか、大叔父からの返事はなかった。
「こんなの……ひどい」
縛られたままの両手を上げて、木戸の格子を摑んだ。
大叔父が恨んでいるのは祖父だ。
いや、違う。
長男と次男。あからさまな差違をつけられて親から育てられたことを、次男として余り物しか得られない人生だったことを恨んでいるのだ。
父を嫌うのも私をここに閉じ込めたのも、大叔父の目から見て恵まれた人生を送っている祖父への当てつけのようなもの。
こんな目に遭わされなきゃならないようなことを、私達はなにもしていない。
――恨むんだったら、こんな所に連れてきた父親を恨め。
さっきの大叔父の声が耳に甦った。
「……お父さん……が、悪い?」
確かに父は、自分が大叔父から嫌われているのを自覚していた。
関係改善をしないまま、私達を連れてきたのだから、大叔父に対する警戒はしておきべきだったのかも……。
こうしている今も、殴られた頭がズキンズキンと痛む。
暗闇の中に閉じ込められ、絶え間なく続く痛みに、甘ったれでへたれな私のストレスはあっという間にマックスに達した。
「そう……だよ。何にも悪いことしてないのに私がこんな目に遭うなんて変だよ! 出して! 出せっ! 畜生っ‼」
縛られたままの両手の拳で木戸をガンガンと叩く。
叩いたって木戸はビクともせず、私の手が痛むばかり。
その痛みが、また私の中の怒りに火をつけた。
「もう皆、大っ嫌い‼ なんで私ひとりだけこんな痛い思いをしなきゃなんないの⁉ お父さんなんか――」
嫌いだっ‼ と叫ぼうとした瞬間、脳裏に父の笑顔が浮かんだ。
――うちの娘は本当に天使だな。羽根をどこに隠した。ほら、遠慮せずに出してみろ。
私に向かって両手を広げ、それはそれは幸せそうに微笑む父。
あの父が、私に害が及ぶことを絶対に許すわけがない。
「そう……そうだよ。お父さんだって、きっとわかんなかったんだ」
私が一目で大叔父の危険性に気付けたのは、澱みまみれのその姿を見ることができたからだ。
だが澱みが見えない人には、その人がどれほどの闇を心の中で熟成させているのか判断することはできない。
嫌われていると言ってもやはり親戚だし、嫌な言葉を言われるぐらいで、暴力をふるわれるようなことにはならないだろうと、きっと油断してしまったのだ。
油断という言葉を使った途端、また父のせいだと思う気持ちがむくむくと胸の中に湧いてきて、私は慌ててそんなことないとその気持ちを潰さなくてはならなかった。
「……なんか変だ。これ、私の気持ちじゃない」
聖人君主じゃないから、私だって誰かを嫌いになったり怒りを感じたりする。それでも今までは声に出して吐き出さずにはいられないほどの激しい怒りを感じたことはなかった。
というか、油断すると胸の中にむくむくと湧いてくるこの感情はたぶん怒りではなく憎しみだ。
殴られてこんな所に閉じ込められたことで確かに私は怒っている。
でも、まだ憎んではいないはずだった。
「そうだよ。だって私、きっと助かるもん」
私が誘拐されたことに気づいたら、きっと父はなりふりかまわず私を捜してくれる。
私を溺愛しているあの両親が、私の命を諦めるわけがないのだ。
そして無事に外に出られたら、私はきちんと自分で大叔父にこの怒りをぶつけることができる。
そうやって怒りを発散させてしまえば、この怒りが憎しみへ変わることもない。
怒りと憎しみは違うものだと私は思っている。
怒りは衝動的なもの、そして憎しみは継続していくもの。
だから私の中にはまだ大叔父に対する憎しみはない。
ないはずなのに、むくむくと湧いてくる。
「そっか。澱みだ」
澱みは、人の負の感情を引き出し増幅させるもの。
私は大叔父に殴られた後でここまで運ばれた。
その時に大叔父が垂れ流しているあの澱みが、私の身体にもくっついてしまったのだ。
「やだっ」
衝動的にホコリをはたくように身体から澱みを払い落としたくなったが、両手が縛られていてできなかった。
そのことに私は不本意ながらも感謝した。
手で澱みを払い除けることなんてできない。薄く引き延ばしてしまうだけだから……。
「落ち着いて」
私は自分にそう言いきかせて、木戸にもたれかかるようにしてその場に座りこんだ。
「無駄に暴れないで、自分にできることを考えなきゃ」
身体にくっついた澱みはいずれ勝手に落ちる。
今の私にできるのは、澱みに心が引きずられないよう、前向きに物事を考えることぐらいだ。
ここから自力で脱出するのは無理そうだから、両親が迎えに来てくれるのを待つしかない。
飲まず食わずで生きられるのはたぶん三日程度。今は無駄に暴れずに体力を温存することを考えるべきだろう。
ここは蔵の中。気温の変化を心配しなくてもいいのは幸いだった。
「頭の怪我……手当したほうがいいのかな?」
今もずきずき痛む。左の頬が少しぺたぺたするのは、頭の怪我から血が垂れてきているせいだろう。
だがここには包帯代わりになるものはないし、妙にほこりっぽいから着ている服だって汚れてしまっている。汚れた手で下手に傷に触るより、このままそっとしておいたほうがいいのではないか?
というか、正直どれぐらいの怪我をしているのか知りたくない。
触ってみてパックリ肉が割れていたりしたら、怖くて泣いてしまいそうだから。
「泣いたら体力消耗するし……」
だから頭の怪我には触れずに、ただこうしてじっとしていよう。
とはいえ、さすがに手を縛られたままでいるのは嫌なので、縛られた手首に唇で触れて結び目を捜し、ひもを歯で引っ張って結び目を緩め、なんとか両手を解放することに成功した。
さあ後はじっとして迎えを待とうと思ったのだが、それもなかなか難しい。
目を開けているのか閉じているのか、自分でも分からなくなるような暗闇の中にいるとどうしても不安になって、むくむくと嫌な感情が湧いてくるのだ。
負けるもんかと、私はじっと闇を睨みつけた。
「光が見えないのってはじめてかも」
ここにはお日様の光だけじゃなく、人や動植物から発生する光も見えない。大叔父がもう使われなくなった蔵だと言っていたから、ネズミみたいな小動物も入り込んでいないんだろう。
完全に真っ暗だ。
物心ついてからずっと、私の周囲には光が溢れていた。
両親の光、見知らぬ誰かの光、そして植物たちの光。
夜眠る時にはぴーちゃんの光が部屋をふわふわ飛んでいたし、母が置いてくれた植物たちからも小さな白金の光がふわふわと浮き上がってきていた。
学校でぼっちだった時だって、周囲にはクラスメイト達の光が飛び回っていた。
でも今、私は本当にひとりぼっちだ。
そう実感した途端、胸が苦しくなるぐらいの不安に襲われた。
「駄目だ。駄目。泣いちゃ駄目」
泣いたら心が弱くなる。そうなったら、きっと私は澱みに負けて憎しみに囚われてしまうだろう。
それは嫌だ。
迎えに来てくれるだろう両親を、今のままの私で迎えたい。
澱みに負けて、おまえ達のせいでこんな目に遭ったんだと、両親に憎しみの目を向けるような人間になりたくない。
「そんなことになったら、きっと都子ちゃんにも叱られる」
だって都子ちゃんは負けていなかった。
不仲な両親の間で苦しんでいた時も祖母に虐げられていた時も、挫けずにいつか自由になろうとひとりで戦っていた。
凛とまっすぐ顔を上げて……。
大人の顔色を伺って、コソコソ卑怯に逃げ回っていただけよと本人は言うけれど、それは違う。
だって高校で再会した時、都子ちゃんの周囲を飛び回る苺ちゃん達は、濁りのない綺麗な光を放っていた。
言葉でなにを言おうとも、心から直接放たれる光以上に真実を写すものはない。
「私も頑張ったんだよって、都子ちゃんに胸を張って言うんだ」
負けるもんか。
滲んだ涙を自由になった両手でぐしぐしぬぐう。
ふと視界の端に小さな光が見えたような気がした。
読んでいただきありがとうございます。
喉の痛みは治まりましたが、熱と咳が……。
ただの風邪なのですが、昨今の報道を見ているとちょっと不安になりますね。
次話は、約束。




