誘拐のこと 1
少しだけ暴力表現があります。苦手な方は用心してください。
時は少し遡り、これは私が誘拐された時のお話。
散歩中、トークアプリ越しにからかってくる美結に、負けるもんかとムキになって返信していると、後ろから近づいてくる車の音に気づいた。
道路の端に寄り、なにげなく立ち止まった私は、車から降りてきた人を見て凍りつく。
「……え?」
それは、全身が真っ黒な人だった。
顔どころか肌や服すら見えないぐらい、どろどろとした真っ黒な澱みを全身から吹き出している人が、私に向かってまっすぐ歩いてくる。
――怖い。
澱みをまとわりつかせた人を見かけたことなら何度もあるが、直接関わったことも近づいたこともない。
澱みを発生させるほどに歪んでしまった人がどれほど危険か、よく知っていたからだ。
なのに今、それが私に向かってくる。
逃げなきゃと思うのに、怖くて足が動かない。
真っ黒な人は、そんな私の前に立つとすっと手を上げた。
澱みにばかり気を取られていた私は、その手に棒のようなものが握られていたことに気づかなかった。
気づいたのは、思いっきり殴られたその瞬間。
そして、私は気を失った。
「っ……いったぁ……」
どさっと硬い床に放り出された痛みで、私は目を覚ました。
打ちつけた左半身と、殴られた頭がズキンズキンと鼓動に合わせて痛む。
痛む場所をさすろうと動かした手は身体の前で縛られていて動かせない。
起き上がることもできず、私は身体を丸めて痛みに耐えた。
「目が醒めたか……」
声をかけられて、顔だけ動かして声の主を見ると、そこには光を背に真っ黒な人が立っていた。
「……だれ?」
「忌々しい子供だ。その母親そっくりの顔で兄さんを取り込むとはな」
憎々しげな声に身体が震える。
兄さん、という言葉に咄嗟に頭に浮かんだのは次晴叔父さんだ。
だが、この人は違う。
次晴叔父さんよりずっと小柄だし、声もしゃがれていて、もっとずっと年配のように感じる。
「孝俊が跡継ぎの座から降りた時は溜飲を下げたが、まさか今になって戻ってくるとはな。だが、これまでだ。孝俊だって、愛娘が死んだ土地に骨を埋めるきにはなるまいよ」
「死んでない! 酷いこと言わないで!」
「いいや、おまえはここで死ぬんだ。ここがどこかわかるか?」
そんなこと聞かれても、気を失っている間に運び込まれたのだからわかるわけがない。
だが、酷くほこりっぽい。窓ひとつない小屋みたいな所で、響く声の感じから、ガランとした空間だということだけわかる。
「ここはな、使わなくなった蔵だ。ごくたまに学術調査の者が訪れるが、それだって数年に一度だ。次にこの鍵を開けるのは一年後か二年後か……。次に来る奴らは、干からびたお前を見つけて驚くだろうよ」
「え……やだっ。待って!」
こいつは、ここに私を閉じ込める気だ。
痛がってる場合じゃない。
私は必死で上半身を起こして立ち上がろうとした。
だが、その前に真っ黒な人が動き、頑丈そうな木戸をガラガラと閉め、鍵までかけてしまった。
「酷いっ! なんでこんなことするの? 開けてよ!」
なんとか立ち上がり、木戸に体当たりしてみたがビクともしない。
「残念だったな。この蔵の頑丈さは学者の保証付きだ。外の扉を閉めたら完全に光を遮断するし、声もほとんど漏れない。恨むんだったら、こんな所に連れてきた父親を恨め。あいつが全部悪いんだ」
「あなた、大叔父さんなんでしょ? どうしてそんなにお父さんを嫌うの⁉」
大叔父――祖父の弟。以前、元からあまり友好的な関係ではないと、父から聞いたことがある人だ。
この人がいう「兄さん」は、きっと祖父のことなんだろう。
母の実家の話を聞いていたから、血の繋がった家族だとしてもうまく行かないことがあると私は知っている。
でも、そこにはなんらかの理由があるはずだ。
「私を殺すつもりなら、せめて嫌う理由を教えてよ!」
どんっともう一度扉に体当たりしながら聞くと、真っ黒な人は楽しげに、ひっひっひと引き笑いした。
「あいつが長男なのが悪いんだ」
「は?」
「先に産まれただけで跡継ぎ扱いだ。後から産まれた者は、どんなに努力しても認められない。俺の方がずっと優秀だったのに、いつだって二番手だったんだ」
ふざけるなっ! と大叔父がガツンと木戸を殴った。
そして長男には与えられる恩恵が、次男である自分には与えられなかった事に対する怒りを延々と語り続けた。
家長の座、病院の経営者としての立場、それに伴って得られた筈の財産や地域の名士としての名声。
大叔父は、妬みや嫉み、怒りを込めて、一歳違いの兄を罵り続ける。
でもそれらは大叔父の兄、私にとっての祖父に対する恨みで、私の父に対する恨みじゃない。
というか、そもそも私は関係ないんじゃないか?
「それでなんで私がこんなところに閉じ込めなきゃならないのよ⁉」
そっちこそふざけるなと、私は無駄と知りつつも内側からどんとまた体当たりした。
「あいつらの悲しむ顔を見たいんだ」
「あいつらって?」
「決まってるだろう? 孝俊や兄さんだよ。 お前が消えたら、あいつらがどれだけ大騒ぎするか、楽しみでしょうがない。せいぜい近くで見物させてもらうことにするよ」
大叔父は笑いながら、外の重そうな両開きの扉を一枚ずつ閉ざしていく。
「待って待ってっ! やめてっ! 閉めないでっ‼」
私は木戸の隙間から必死で叫んだけど、そんなのはむしろ大叔父を喜ばせただけみたいだ。
「じゃあな」
大叔父は楽しげにそう言うと一気に分厚い扉を閉めてしまう。
私の周囲は完全な暗闇に閉ざされた。
読んでいただきありがとうございます。
ちょっと酷い風邪を引いたので今回は短めです。
喉が痛い~。
次話は、闇と戦う。




